自宅巡り その三(1):曰くして、蛮勇の地

 勇気とは、何であるか?


 勇気とは、いかなる困難をも恐れぬ鋼の意志である。

 勇気とは、恐怖を克服した者のみに吹く雄々しき追い風である。


 後先を考えない無茶が若者の特権ならば、この少年もまた、無理と知りながらそれを押し通そうとする性根だけは変えられなかった。

 それは勇気か、はたまた無謀か。  

 守宮継嗣やもり つぎつぐ、高校生の夏。


 ――いまだ彼は、自宅警備員ならず。




 ■  ■  ■




 それは奇妙な部屋だった。

 客人として通されたからには、ここは客間のはずであった。


 なるほど、確かに居心地の良い作りではある。

 十畳を超えるゆったりとした和室には塵ひとつ落ちてはいない。

 隅々にまで清掃が行き届いており、本来、大きく息を吸い込めば、たちまち立ち上るイグサの香が心を落ち着けてくれるはずであった。

 だが実際に深呼吸をしたところで、鼻をつくのはおそらく別の臭いなのだろう。


 部屋の奥に位置する、床の間から一本。

 人の腕よりも大きい、奇妙な鉄の筒が伸びていた。

 それはまるで異界の悪魔のツノのようにも見え、和室にはまるで不釣り合いな異形の据物が今も客を威圧している。


 事実、圧倒されていた。

 当初は悪趣味な壁飾りかとも思ったが、よくよく周囲を見渡せばそうでない事が見えてくる。


 怪物じみた鉄の筒から視線を逸らしてみれば、奇妙な機械装置が机の上に転がっていた。

 何に使うものなのか、一向に見えてはこない。

 見えてはこないが、機械の配線が鉄筒に向かって伸びていくその光景は、どうにも不吉なものに思えてならなかった。


 ようやく気持ちが落ち着いてくると、この部屋の異常さが徐々に浮き彫りになってくる。

 なぜ今頃になって気づいたのだろう。鉄の筒が気になる余り、あまりにも当たり前な常識が抜け落ちていた。

 この部屋には、窓がない。


 何が居心地がいいものか。蒸し暑く、風ひとつ入り込まない密室は、気づいてしまえばさながら座敷牢に似た閉塞感だった。

 四方の壁から徐々に圧迫されるようで、鼓動の高鳴りが抑えきれなくなる。

 落ち着こうと深呼吸すれば、今度は奇妙な異臭まで漂ってくる始末だった。

 何もかもが、得体が知れない。


 少年・守宮継嗣は今更ながらに後悔していた。

 なぜならここは、悪名高き野蛮の地・籠島かごしま

 あれだけ釘を刺されたにもかかわらず、継嗣は驚くべき軽率さで、この人外魔境に足を踏み入れてしまっていた。




 ■  ■  ■



 

 大飯田おおいたの後に足を運んだ三矢崎みやざきでの自宅訪問は空振りに終わっていた。

 大飯田の自宅警備員・廣田宇佐ひろた うさの読み通り、堅物で知られた三矢崎の自宅警備員は継嗣に面会すらも許そうとはしなかったのだ。

 

 結果、甲斐なく三矢崎を後にし、当初、継嗣は宇佐の忠告に沿って、西を目指して歩き始めていた。

 一歩、二歩。しかし、その歩みが次第に重くなり、とうとう止まってしまう。


 それは確かな実感だった。

 これまで無為に終わってきた自宅巡りが、ここにきて突如、実を結んでいた。


 手荷物を探ってみれば夢にまで見た推薦状が、すでに二つ。

 東都とうと近辺では振るわなかったが、ひとたび西国に移ってからは快進撃が続いていた。

 或いはこの地域とは相性がいいのではないか、とも思えてしまう。


 ――――ならば、一つでも取りこぼすのは惜しいのではないか。


 欲が生まれていた。

 褒められて増長し、慢心していた向きもある。

 だが何よりも、癖の強い二人の自宅警備員と通じ合うことができた経験が、その足取りを軽くしていた。

 

 野蛮なる風土。人の命が軽い土地。

 伝え聞く籠島の話はいずれもキナ臭い。

 だがしかし、相手が自宅警備員であれば、心を尽くす限り、突破口は必ず見つかるはずである。

 

 神州で最も勇気に優れたる者のみが冠する異名・『史上最勇の自宅警備員』

 その隠れることのない高名もまた、継嗣を惹きつけていた。


 ――――是非とも一度、会ってみたい。


 継嗣はいつにない大胆さに突き動かされながら、足取りは自然と南に向かい、歩き始めてしまう。

 現地に着くと、驚くべきことに向こう側からの招きを受け、継嗣はさらに有頂天になった。




 ■  ■  ■




 だが、そんな浮かれた気持ちはすでに吹き飛んでいた。

 異常な部屋。奇妙な悪臭。そして。


 ――――これが籠島の、自宅警備員。


 少し待たされたが、その男はすぐに姿を現した。

 野蛮の地・籠島を守護する、史上最勇の自宅警備員・指宿猪織いぶすき いおり


「……なるほど。大方そちらの事情は飲み込めました」


 しかし、答えた声は、拍子抜けするほどに繊細なものだった。

 その身を包む陽気なアロハシャツが却って滑稽なほどに、男は陰気にため息をつく。


「それで……守宮継嗣、くん? 君は推薦状を書いて欲しいんですよね?」


 やや曇った眼鏡の奥から表情を窺うような視線は、ともすれば文弱の印象すら感じさせる。

 何よりも、指宿は線が細かった。


 これまで出会った自宅警備員は、いずれも劣らず躍動を感じさせる肉体を兼ね備えていたが、この男の体は驚くほどに細かった。

 よく観察すれば筋肉はついている。が、それも必要最低限にすぎぬ微々たるものであり、二十歳半ばを過ぎた男の印象を覆すものではない。

 それが前屈みで神経質に話すのだから、いよいよもって印象は薄弱なものになっていく。


「継嗣くん?」

「……あ、はい。すいません。その通りです」


 呆気に取られ、知らず礼を欠いていた継嗣は深々と頭を下げた。

 だが、頭を垂れながらも疑念は深まっていく。この男は、本当にこの籠島の自宅警備員なのか。

 継嗣の困惑を知ってか知らずか、指宿はうなった。


「……推薦して欲しいと言われても、こちらは君のことをぜんぜん知らないわけで」

「無理は承知です。どんな方法でも構いません。俺を試してください。覚悟はできています」


 嘘ではない。事実、継嗣は腹を据え、いかなる無理難題にも付き合うつもりだった。

 それは方々で言って回った口上だった。

 だが、この時だけは反応が違っていた。


「…………『覚悟』?」


 継嗣が顔を上げると、指宿の狐を思わせる細い目が見開いていた。

 それまで室内を取り巻いていた陰気が、嘘のように消え失せている。

 怒らせてしまったか。後悔しながら継嗣は臆さず言った。


「はい、覚悟です! どんなことでもお申し付けください!」


 どんな難題でも受けねばならない。なぜなら今この時も、自宅警備員の貴重な時間を割いてもらっているのである。

 それは継嗣なりの礼儀であった。

 だからこそ、どんな無茶でも甘んじて受け入れる覚悟が必要だった。

 しかし、その言葉が指宿の逆鱗に触れた。

 

「……気安く言ってくれるな」

 

 忌々しげに吐き捨てると、すでに痩躯の男は豹変していた。

 目を吊り上げながら、いよいよ面相が狐じみていて、頼りなさげだった肩からは噴き上がる自宅大気が陽炎のように揺れ動いていた。

 枯れ枝のようにも見えた体が今ではゆらゆらとその境界を歪め、膨れ上がっていく。


「じゃあ、こうしようじゃないか。……君と私で、勝負してみようじゃあないか」

「……本気ですか?」


 現役の自宅警備員と勝負する。

 その言葉が持つ意味を理解するや継嗣の体は岩のように硬直した。が、次の瞬間には片膝を立てて臨戦態勢を取っていた。


 ――――いつでもかかって来い。

 そう言わんばかりの継嗣の姿勢にほだされたか、ここにきて初めて指宿の口から笑みがこぼれた。


「ふふふ、良いね。骨がありそうで、真に結構。…………だけど勘違いしてもらっちゃあ困ります」

「……どういう意味です?」

「どうもこうも、そのままの意味ですよ。どうすれば私と君でまともな勝負になると思いますか?」


 指宿の言うことは至極、道理である。

 現職の自宅警備員と一介の高校生。これで釣り合いが取れるはずもない。

 だが、その不遜な物言いに、今度は継嗣の頭に血が昇っていく。

 

 立場の違いはわかる。実際に拳を交え、勝ちを収める芽があるのかも分からない。

 なにより継嗣には実戦経験がない。

 自宅警備員としての実績を積む指宿を前にすれば凡百の学生に過ぎないのかもしれない。

 それでも『強さ』だけは、汚されざる少年の宝だった。


 自宅警備員の家に生まれ、恥ずべき失態を犯してしまった。

 資格がないと言われてしまえば、返す言葉もない。

 何度も弟と引き比べ、自らの才能のなさを呪った。

 しかし、それでも自身の強さだけは疑うべきでないと心に決めていた。


 なぜなら、その強さを作ったのは他ならぬ、あの偉大なる父・守宮順敬やもり じゅんけいだった。

 この身を鍛え、この身に学ばせ、この身にその技を刻み込んでくれた。

 元より息子なのだから、何よりもこの体自体が父からの贈り物なのである。


 継嗣にとって己の強さへの侮辱とは即ち、尊敬する父への侮辱に等しかった。

 かっと昇りきった血が吹き出るような叫びが、口元にせりあがってくる。


「なるかどうか! お試しいただけますかッ!」


 激情というより、もはや殺気に近い。

 だが、その矛先にあってなお、指宿という男は眉ひとつ動かさない。

 男はその声を聞き終えると、メガネに付着した唾をただ気怠そうに拭くだけだった。

 再びメガネをかけ終えて、ようやくぽつりと喋り出す。


「……だから、そういう意味ではないと言っているでしょう」


 いやに堂に入った溜息をつきながら、指宿は心底うんざりした様子で首を振った。


「私はね、嫌いなんですよ。そういう『強い』だの『弱い』だの。実に下らない」

「くっ、下らない……?」

「ええ、下らないです。強さなど、地鐸を守れるだけの技量があれば十分。……まったく、どいつもこいつも『野蛮』で嫌になる」


 それは思いがけぬ愚痴であった。

 曰く、野蛮の園。曰く、粗暴の大地。曰く、天下蛮民の都。

 指宿の言葉はそんな籠島を守護する自宅警備員にしては、まるで裏腹なものだった。


「私が提案しているの腕くらべではありません。もっと崇高で、もっと誇り高い勝負をしよう、と言っているのです」


 見開かれた瞳の奥を見返してみれば、そこに悪意はまるでなく、驚くほどに澄んでいた。

 さながら決闘を挑む騎士の振る舞いで、男は言った。


「対等に。互いの最も純粋な部分をもって競い合おうじゃないか」


 自宅警備員と高校生としてではない。

 一人の男として、一人の男に挑もうというのである。

 相手に侮蔑の意図はない。そう感じ取った継嗣は改めて居住まいを正して問うた。


「お聞かせ、願えますか?」


 その問いはすでに快諾と同義である。

 指宿は満足げに頷くと音もなく立ち上がり、彼方を見た。

 その視線の先にあるのは、やはりあの不気味な鉄の筒。

 第六感とも呼ぶべき直感に震え上がる継嗣を横に、指宿は筒を愛でるような目つきで、言った。


「守宮継嗣くん。君の『勇気』を見せてもらおうじゃあないか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る