自宅巡り その二(5):掘り起こされた不始末による火種

「返す返す、本当にお世話になりました!」


 廣田宇佐ひろた うさはしおらしく頭を下げながら、すでにその声の張りを取り戻していた。

 正味、三十分にも満たない気絶だった。

 なのに肌は瑞々しく、瞳に灯る光は今ではまっすぐに、こちらの目を射抜いてくる。


 万全とまではいかなくとも、おそるべき回復力である。が、それもまた自宅警備員たるものの資質であった。

 わずか数十分の出来事とはいえ、気を失っていた宇佐の代わりに警備を務めていた少年・守宮継嗣やもり つぎつぐの方こそ、かえって消耗が激しいほどだった。


 この大迷宮の深部にそうそう侵入者がやって来るはずもない。

 宇佐とて大飯田の自宅警備員なのだから、敵が侵入してくればすぐにでも起き上がったに違いない。

 高いびきで眠りこけている事、それ自体が安全の証明であるとは理解しつつ、それでも無用に警戒していたずらに憔悴してしまっていた。


 こうして居住まいを正して座っている間にも、頭がふらふらと揺れ動いている。

 これでは先刻まで死にかけていたのがどちらなのか、分からなくなるほどに対照的である。

 しばし遅れて、継嗣はようやく、もごもご口を開いた。


「……あの、ひとつ、お尋ねしても?」

「ええ、ええ、大丈夫! 喜んで書かせてもらうから!」

「ん?」

「えっ?」


 奇妙な食い違いが起きたらしい。

 互いに目を合わせ、無言の視線を幾つかやりとりして、継嗣はようやく思い出した。


「……推薦状、宜しくお願いします」

「まさか、忘れてた?」

「…………すいません」


 継嗣はたまらず萎びて、赤くなった顔を伏せた。

 宇佐の掘削に圧倒され、呑まれていくうち、元の目的を失念してしまったようだった。

 羞恥に縮こまる継嗣の姿に目を丸くしながら、宇佐はとうとうこらえきれずに吹き出した。

 

「あたしも人のこと言えた義理じゃないけど、継嗣も一つのことにのめり込むと他は見えなくなるタチなんだね」

「面目無いです」

「いいよ、いいよ。……実は言うと、あたしだって掘ってる最中、そっちの事を忘れちゃってたんだ」

「……あの、実は、さっきから気になってたんですけど」

「ん?」

「何か、しゃべり方とか、変わってませんか?」


 継嗣が問おうとしたのは急変した宇佐の態度だった。

 気っぷの良さはそのままなのだが、男勝りな言葉遣いはなりを潜めていた。

 おかしな話だが、こうして相応の話し方をされると、対面するその人が女性であったことを今更に思い知らされるようである。

 うっかり視線が女の胸元に止まり、継嗣は慌てて目をそらす。

 そんな対面の動揺を知ってか知らずか、宇佐ははにかんだ。


「…………ん〜、心境の変化っていうかね。もう人の真似をしなくていいやって思えたんだ。……変かな?」


 継嗣は慌てて首を振る。

 すると宇佐は嬉しそうに微笑んで、おもむろに後ろに積まれた私物の山から大きな袋を引き寄せた。


 藍色の絞り染めが暗がりにも鮮やかな、見事な布袋である。

 宇佐はその中から一枚、厚みのある封筒を取り出すと継嗣の手元に放り投げた。

 

 受け取ってみると、意外にずっしりとした手応えがある。

 無言の仕草に促され、継嗣はその封筒を逆さに振ってみた。


 するり、出てきたのは紙の束。

 それはよく見慣れた紙幣。いや、少年には見慣れぬ金額の札束がその掌中に収まっていた。

 これは受け取れない。反射的につき返そうとする継嗣の動きに、宇佐は先んじて言った。


「今は手持ちがこれだけしかないんだけど、今回の報酬。バイト代だと思ってくれて構わないから」

「うっ、受け取れません」

「受け取ってもらわないと、こっちが困る」

「しかし掘ったのは宇佐さんで」

「その場所を示してくれたのはあんた」

「でも受け取る理由が」

「あー、もう! 受け取ればいいじゃない! 旅費の足しにでも何でもすればさぁ!」


 言葉使いが変わっても短気は変わらないらしい。

 癇癪かんしゃくを起こした宇佐の勢いに押され、継嗣はしぶしぶ大金を懐に収めることにした。

 だが、本音を言えば路銀が厳しいのも事実であった。


 熱病に侵された際、チャーターしたヘリの代金が思いの外にかさんで深刻な財政難を招いていた。

 この旅の為にバイトして稼いだ金も残りわずか。大洞窟に挑む前に宿泊した温泉旅館も最後の忘憂のつもりだった。

 あとは野宿をしながら道道ヒッチハイクでもして移動をこなす腹づもりであっただけに、この臨時収入は嬉しかった。

 

 だが継嗣はそんな喜びはおくびにも出さず、仕方なく受け取った体で内心は感謝のしきり。

 ありがとうございます。ありがとうございます。心中では念仏を唱えるように拝み倒していた。

 何しろ推薦状に加えての臨時収入である。もはや十全を超えた果報として継嗣は満足しきっていた。


「それで? この後、どこに向かうの?」

「南下して三矢崎みやざきに入ろうと思います」


 継嗣が金を受け取ったことに満足した宇佐の機嫌は元通りになっていた。

 声を弾ませながら朗らかに問いかける言葉にならって、継嗣はあくまで世間話に応じたつもりだった。


「三矢崎か……」

「何か問題でも?」


 宇佐にしては含んだ物言いだった。

 顔を見れば先ほどとは打って変わって眉根をひそめている。うんうん唸ってから、宇佐はようやく事情を明かした。

 

「知ってると思うけど、うちの圏は他圏から湯治に来る奴が多くてね。おかげでいろんな圏の情報が集まりやすいんだ」

 

 自宅警備の日常は戦いの中にある。

 それは自宅警備員のみならず、それを支える人々もまた生傷の絶えない日々を送っていることを意味している。

 なれば、この大飯田こそは、その傷を癒すにはうってつけの土地だった。

 人の口に戸は立てられないのが世の常ならば、そこで交わされる内輪話とは、巷の噂よりも一層、実情に迫ったものに違いなかった。


「三矢崎の自宅警備員とは面識はない。けど、考えの硬い人だっていう噂は山ほど聞いた」

「……つまり、掟を破った自分のような人間に推薦状を書くことはない、と?」

「どころか会ってもらうのも厳しいんじゃない? 実際に会ったら殺されちゃうかもね」


 冗談めかして、宇佐は布袋から一枚の地図を取り出した。

 神州地図である。


 この時、継嗣はようやく宇佐の意図に気がついた。

 宇佐はこれから継嗣が辿る旅順に沿って、自らが知る自宅警備員の情報を明かしてくれようとしているのだ。


「まぁ、行くだけ行ってみるのもいいんじゃない。ははっ、頑固な人らしいけど、まさか殺されはしないだろうし」

「はい。元よりそのつもり。当たって砕ける気概で事に臨みます」


 面会を断られるのは何も初めてのことではない。

 道理で考えるならば、まず会って話を聞いてくれるだけでも御の字なのだ。

 こうして相談に乗ってくれる人物と出会えたことなどは幸運以外の何物でもない。


「と、なると……」


 宇佐は言いながら、いまだ血がにじむ指先を地図の上に這わせた。

 まずは大飯田。次に三矢崎。順路を指差しながら、次に示したのは。


隈元くまもとか」

「えっ」


 継嗣は目を見開いた。

 ところが、その驚きに却って宇佐の方こそ驚いたようだった。


「三矢崎の次は隈元に行くしかないでしょ?」


 宇佐は三矢崎から西方に指を動かし、その道筋を隈元に定めていた。

 しかし、そこに置かれた神州地図にはまだ南方に未踏の圏が存在している事が記されていた。

 籠島かごしま圏である。


「隈元は籠島とも繋がってますから、まずは南端の籠島に行ってみようと……」

「……継嗣」

「はい?」

「お前、それ正気で言ってる?」


 問いながらに宇佐の言葉はすでに恫喝じみていた。

 頭に血が昇った為なのか、言葉遣いまでが元に戻っている。


「いくらお前でも籠島がどういう場所か分かってるよなっ!? いや、分かってくれ! そうじゃないとあたしはあんたを送り出せない!」


 肩を掴んで揺らしながら、もはや脅迫の部類である。 

 だが、宇佐が必死になるのも無理はない。


 継嗣も話には聞いていた。

 曰く、人外魔境。曰く、蛮族バーバリアンの棲家。曰く、生死の境界線。

 ひとたび籠島という土地に足を踏み入れれば、己が持つ命がどれほど儚いものであるかを思い知らされるのだと云う。

 思いつくだけでも、ロクでもない噂は枚挙に暇がない始末であった。


 継嗣とて、噂を信じていないわけではなかった。

 だが、目の前で宇佐がこれほどまで狼狽するとは夢にも思わず、その切実なまでの光景は継嗣を驚かせた。

 

「わ、分かりました。籠島は避けて通ります」


 勢いに押されるまま、口約束を取り付けると、ようやく宇佐は平静を取り戻したようだった。 

 腰を落ち着けると、大きなため息をつく。


「なら、いいんだ。あの土地は人間の命が驚くほど安くなる。みすみす死にに行かせる訳にはいかない」


 宇佐は無言で再び地図を開くと、籠島を指差した。

 そして、次に指差したのは遥か東の地――――沈岡しずおか圏。


「籠島と沈岡。この二つは絶対に避けること。いいね?」


 射抜くような眼差しだった。

 いや事実、釘を刺しているのだろう。


「この二つの圏はどういう風土なのか、伝え聞く話だけでも頭がイカれてる。死生観がそもそもおかしいんだ」

「……死生観ですか?」

「この二圏は人の命が驚くほどに安い。そういう風土なの。理由なんてない。行けば、ただ殺されるだけよ」


 思わず息を飲む継嗣の恐れを見て取ったのか、それ以上の言及は避けた。

 それから宇佐は随所の自宅警備員にまつわる信憑性の高い噂、あるいは確かな筋の情報のみを選りすぐって明かしてくれた。


 それはおよそ部外者である継嗣が聞いていい類いの話ではなく、それだけに今後の旅の中で生きてくる情報に違いなかった。

 実しやかにささやかれる噂話から、上澄みのみを選って信憑性が高いと思われる逸話のみ。

 それでも尽きることなく湧き出る全国の自宅警備事情に、継嗣はその目を丸くした。

 

 約半刻が過ぎた。一通りの話が終わると、宇佐は何気なく尋ねた。


「そういえば、籠島に行こうとしてたって事はこの辺の圏は全部、回るつもりなの?」

「あ、はい。出来るだけ推薦状を集めたいので……」


 わずかな可能性を手繰る旅である。

 出来る限りの圏を巡りたい。それは単に推薦状を求めるだけではなく、継嗣はこの旅の中に新たな目的を見出しかけていた。


 これまで巡った各圏で出会った自宅警備員。その価値観は実に多彩なものであった。

 そんな自宅警備員たちが持つ自宅警備の美学とぶつかるたび、己を取り巻く殻が壊れていくのを肌で感じていた。

 もっと色んな自宅警備員に出会いたい。それが偽らざる継嗣の本心だった。


「いいわ!」


 そんな本心を知ってか知らずか、宇佐は快諾した。

 どころか、そこからまくしたてるようだった。


「だったら永崎ながさき圏の時津さんに紹介状も書いたげる。時津さんとは何度か面識があって懇意にしてもらってるんだ。これを見せれば会うだけなら会ってくれると思う。あ、上に連絡しとくからさ。地上に戻ったら適当な旅館に泊まってってね。なるだけ持て成すように言っておくから。そうそう、復岡ふくおかの通行証は持ってる? あそこは半ば内戦状態でアレがないと通せんぼされるから、持ってないなら今のうちに申請しておく事。それから……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 先刻から違和感はあったが、宇佐の好意には際限がなかった。

 ありがたいにはありがたい。しかし、その行為に甘えていいものなのか。

 継嗣は困惑した。


「その、申し出は本当にありがたいんです。でも、なぜそこまで……?」

「なぜも何も、当然の恩返しじゃない」


 宇佐は右方を指差した。

 その先には最深部から運び出した巨大ダンビュライト結晶が鎮座している。

 掘り出された至宝は今も照明の無味乾燥な光を孕んで乱反射し、妖しく魔法のように光の質を変化させていた。


「あれを換金すれば、継嗣に渡した金なんて端金はしたがね。比べれば、してあげられる事なんて些細なものよ」


 理屈といえば理屈だった。

 掘り当てた宝の金銭的価値を考えれば、そのくらいの報恩は当たり前の事なのかもしれない。

 しかし、そもそも継嗣は自分のおかげで掘り当てたという宇佐の理屈には納得してはいないし、何より腑に落ちない。


 短い付き合いではあるが、損得で割り切りながら態度をひるがえす底の浅い人物ではないはずだった。

 だからこそ腑に落ちない。単なる恩返しというなら、先ほどの情報だけでもう十分なほどに見返りをもらっているのだ。

 

「しかし、これ以上、世話になる理由がないです」

「……理由なら、あるよ」


 固辞を切り捨てながら、宇佐は断言した。

 継嗣は女の目の底に、不思議な熱のゆらめきを見た気がした。

 

「万に一つも、埋もれさせちゃいけない」

 

 宇佐の答えはさながら禅問答のようだった。

 埋もれさせる。一体、何が埋もれているというのか。

 継嗣が不思議そうに首をかしげたのがよほど可笑しかったのか、宇佐は笑いをかみ殺した。


「掘り起こすのが大飯田のさがなら、継嗣の才能は、このまま埋もれたままにはしておけないよ」


 それは些細な掛け言葉だった。

 くだらない駄洒落である。だが、それが継嗣の琴線に触れた。

 なぜなら、初めて言われた。

 

「――――守宮継嗣、あんたには自宅警備員の才能がある」


 それは、およそ継嗣の人生においては縁がない言葉だった。

 今はじめて耳にした言葉のように、それは驚くべき新鮮さを伴って心に響いていた。


 いや、この短い付き合いで何がわかる。見え透いた世辞に浮かれるな。

 反発して自重を試みるが、上手くいくはずもない。せめて見苦しく涙まではこぼさないよう、継嗣はぎゅっと瞳を閉じた。


「…………ありがとうございます」


 思えばこの洞窟を訪れて、『地鐸の申し子』と見込まれ、その神通力を乞われた。

 だが、そんなものになりたいと思ったことはないし、この結果は全て宇佐が自身の手で切り開いたものだと確信している。 

 成りたいものはただ一つ。

 ただ一つだけだった。


 しかし、継嗣は感動の余り、その底に潜む真意を見落としていた。

 微笑む宇佐の瞳の奥には、不断の炎が宿っていた。

 

 その頃、遠い東都とうとの地。

 陰ながら継嗣の旅を補佐していた少女・井森 鯨波子いもり ときこがふとした拍子で愛用の皿にひびを入れてしまっていた。

 鋭い女の勘が刹那に働いて、無用な力が入ってしまったせいであるのだが、無論、そんな出来事を継嗣が知るはずもなく。


 この些細な見落としが火種となり、新たな問題に発展するには、もうしばらく時を要する事になる。

 のちの東都圏自宅警備員・守宮継嗣。

 そして、この後、史上最多のお宝を掘り当て、『史上最掘の自宅警備員』と世に謳われる女自宅警備員・廣田宇佐。


 両者の出会いは果たして幸運なものだったのか、今はまだ、誰一人として知る由も無い。

 ひとまず、この場はただの感動的なやり取りのみで幕を降ろす事となる。



 ――――少年・守宮継嗣。『大飯田の自宅警備員・廣田宇佐』より推薦状、頂戴する。

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