自宅巡り その二(4):その誇りを掘り起こせ

 ――――ああ、糞。ふざけやがって。


 心の中で悪態づけるだけ、廣田宇佐ひろた うさは自身の中に未だ力がくすぶっていることを自覚していた。

 だからこそ、余計に腹が立つ。

 全身がとうに悲鳴をあげて今にも崩れ落ちそうだというのに、まだまだその底には余力を残しているのである。

 こんなに苦しいのに、こんなにも辛いのに、それでもまだ何かが余っているというのなら、倒れるわけにはいかなかった。


 なのに心はいつまでも苛立ちに捉われて、全身全霊を捧げるべき大地を前にしても心は一向に晴れようとしない。

 一切合切、何もかもが苛ついて仕方がないのだ。

 そもそも、何に悪態つこうとしていたのか。


 ――――宇佐殿よ。どこからか婿を取られてはいかがか。


 思い起こせば、かつて耳にした声が聞こえたような気がした。

 それは世話役面をしていつも横柄な態度を取っていた、分家の爺のしわがれた声だった。


 宇佐は腹立ち紛れに吐き捨てる。

 ――――ふざけるな。史上最深の自宅警備員の後を継ぐのはあたし以外にありえねえだろ。


 他所から男を引き混んで、すごすごとそいつに自宅警備員の座を明け渡すなど、到底、どうあっても宇佐には許し難い提案だった。

 そんな雑音を一蹴するためにも、宇佐は一刻も早く『結果』を示す必要があった。

 焦りを今は力に変えて、宇佐は重く鉛のようになった腕を振るいながら大地を掘った。


 ――――宇佐様。まだ御印みしるしは戴けないのでしょうか。


 また以前に聞いた声がした。

 地上に数多ある温泉宿の一つを仕切る分家の女の、すがりつくような声だった。

 「御印」とは、つまり、大飯田の自宅警備員が授かるとされている奇跡の賜物のことである。


 宇佐は困惑に眉をひそめ、投げやりに独りごちる。

 ――――景気が悪くて経営が大変なのはわかるよ。でもあたしにすがられても出ないもんは出ないんだよ。


 大飯田の温泉街も今は連休と云うことで客の入りも悪くはないが、これが普段となれば客の足はまばらに途絶えがちだった。

 その名も神州に聞こえた大飯田の温泉街も、昨今では不況の煽りで元気がなかった。

 そんな世相の為に一刻も早く、宇佐は大地から『御印』を掘り当て、資金を調達する必要に迫られていた。 

 困惑を今は力に変えて、宇佐は重く鉛のように感じる腕を振るって大地を掘った。


 宇佐はその細い肩に、常に大きな期待と疑念を背負わされていた。

 女性の身で自宅警備員を志すことは、当世においても風当たりが強く、大きな抵抗を伴っているのも事実である。

 それらの声を払拭するためにも、自らが正当な後継者であることを示すためにも、宇佐は何かを掘り当てなければならなかった。

 

 それが、出ない。

 父から譲り受け、自宅掘削の偉業を引き継いでからというもの、一度として金銀財宝の類を掘り当てることが出来なかった。

 これでは宇佐の才覚を理由に黙っていた一族のうるさ型も、再び息を吹き返す始末だった。

 終いには地鐸とのつながりすらも消え失せ、完全に掘るべき場所さえ見失ってしまう。

 思い詰めれば思い詰めるだけ、苛立ちは自身の不甲斐なさに向かって燃え盛っていた。


 力を込めれば土は容易く掘れる。怒れば怒るだけ、自宅大気は渦を巻き、その掘削はどこまでも自由だった。

 だが、進む先が分からなければ、その掘削に意味などない。

 そして、その自由もとうとう品切れのようだった。


 眩いばかりの照明を背を向けて掘り進めれば、徐々に眼前の闇は濃くなっていく。

 目眩とともに暗闇に正気を失いかけると、体の軸がぐらりと揺らいだ。

 あとはその闇に身を委ねるのか。宇佐は土の中に倒れこむ、数分後の己の姿を容易に想像することができた。


 ――――おめえは頭悪ぃくせにあれこれ考えすぎなんだよ。バカだ、バカ。バカになれ。土を掘るならバカが一番だ。


 朦朧もうろうとした宇佐の口から、わずかに笑みがこぼれた。

 来訪者の手前は格好をつけて「無心」などとうそぶいてみたが、実際に父から託された言葉とはそんなものだった。


 ――――土掘る時くらい、何も考えなくたっていいんだぜ。こう、パァーッ、とよ。気持ち良く掘ればいいんだよ。


 そんな風に気楽に景気づけながら、しかし父の掘削とは、まるで全身全霊を捧げるように苛烈だった。

 そのどこまでもひた向きな穴掘りを間近で見たからこそ、宇佐は悩まずにはいられない。

 男勝りの言動とて、あるいは父の猿真似に過ぎなかったのかもしれない。

 

 脳裏に焼きついたあの姿と自身を比べるたび、我が身の不甲斐なさでやるせなくなるのが常だった。

 いつの日か、一挙手一投足にあの姿を重ね、その身で再現するのが廣田宇佐の夢であった。 


 だが今となってそんなものは、まさに夢物語である。

 命がけの掘削。大地にその身を捧ぐというお題目だけは同じのようだが、その差は雲泥、天と地の差。


 土にまみれて掘り進む父の姿は、黒にきらめく泥のように光り輝いていた。

 対する自分は暗雲のように不確かで薄汚く、非力に風に散らされるように無様だった。

 いつも確かにそこにあり続ける大地のような父と違い、比較するたび、空のように空虚で実を伴わない自分に迷いが生じてしまう。


 こうして考えている合間にも、芯根を燃やしながら突き進んでいる実感がある。 

 自宅大気とて、無限のエネルギーではない。その偉大なる力の原動力は何より自身の体こそが資本。

 もはや宇佐の体は、いつ尽きるとも知れない薪をくべながら走り続けているようなものだった。


 ――――あたしは何で、こんなことやってんだ。


 じきに全てが終わる。その命が尽き果てる予感と共に、宇佐の心中には奇妙な余裕が生まれていた。

 余裕というよりは達観、あるいは諦観と呼ぶべきだろうか。


 人の生涯は、その終わりを見るまではどう転ぶか分からないものである。

 人生は死んで、完結する。

 逆に言えば、生きている限り、その生涯にはいかなる評価も下し難い。


 その名を高め続けた英雄も晩節を汚せば老害でしかなく、またいかに無為な一生を送った者でも最後にその意味を見いだすことは可能なのだ。

 廣田宇佐という自宅警備員は、人生の終わりの兆しにその完結を垣間見た事で、ようやく冷静に自身を省みることができたようだった。

 

 ――――何でこんなことやってんだ。なんで。


 自宅警備員の本懐は、地鐸を守護する事にこそある。

 ならばこの自宅拡張を主とした掘削に、何の意味があるのだろうか。

 それに命を賭ける事に、どれほどの意味があるのだろうか。


「……はっ、はは」


 気づいてしまえば、己の滑稽さが面白おかしく思えてくる。

 口の端に笑みを乗せてしまえば、もう止まらない。

 今も掘削を続ける両腕以外は、精も魂も尽き果てていた。

 なのに、腹を抱えて笑いたいような気分に駆られるのは一体、どうした気の回りなのか。


 そこまで自虐的な人間のつもりはない。ないのだが、それでも笑いは込み上げてくる。

 今際の際の自身を嘲笑いながらついに息絶える。そこまで歪んだ趣を好むほど人生に倦んでなどいない。

 だが、そうではない。そうではなかった。


「……は、はッ!」

 

 なぜなら、楽しい。

 いつの間にか、誰かを、正確には自身を小馬鹿にするような可笑しさではなくなっていた。

 手の切っ先が土をえぐる度、えも言われぬ心地よさが全身を駆け抜けていくのだ。

 指先から土をかき分ける感触が心地よい痺れとなって全身を震わせていた。


 楽しい。ただただ、楽しい。

 目からは火花が飛び散るようだった。

 ひりつくような衝動に胸を躍らせ、宇佐は枯れた右腕を大地に突き立てる。

 

 その刹那に思い起こされた情景は、初めて触れた公園のお砂場の風景だった。

 細かい砂をかきわけて、整えられた平面に自在に穴を広げる楽しさは少女の心を虜にした。

 

「……あははははははははははっ!」


 たまらずの哄笑だった。

 抑えても抑えても、それでも狂喜に近い感情が溢れ出してくる。

 

 今も走馬灯は回り続け、目まぐるしく移り変わりながら過去の情景が過ぎ去っていく。

 その中には偶然にも一度だけ見ることができた、父が大地を掘削する姿があった。

 

 その一挙手一投足を再現しようと、何度も思い浮かべて繰り返し、繰り返して夢にまで見たその姿。

 だが、宇佐はようやくこの時になって肝心な部分を見落としていた事に気が付いた。


 その顔は、笑っていたのだ。


 この上なく楽しそうに。愉快で愉快でたまらないように。

 その全身と全霊を大地に捧げながら、その様はどこまでも楽しげだった。

 

 だが、今はその笑顔の意味が理解できる。

 楽しい。楽しい。血が湧き、肉が躍る。

 舞うように腕を振るえば湧き上がる大気の波が大地を砕いていく。

 

 とうに底をついていた。そう思っていたはずの自宅大気が吹き返していた。

 力を込めれば込めるだけ、体は応えて十全な量の大気を噴き出してくれる。


 しかし、今はそんなことはどうでもいい。

 ここだ。ここを掘らなければならない。こそが『掘るべき場所』なんだ。

 そんな霊的な示唆に満ち満ちて、宇佐の五感はいや増して鋭く研ぎ澄まされていく。

 

 指先を押し返す土の感触。心地いい掘削の音。むせかえるような土の香り。視界に広がるその砂の一粒までが愛おしい。

 楽しい。楽しすぎて笑っている間も惜しむように、宇佐は『掘削』に没した。


 その姿はかつて見た父と瓜二つ。

 今となっては笑いまで似せて、宇佐は夢中で大地を掘り進めていた。

 

 宇佐は理解した。

 その似たる様は父だけではない。あるいは祖父、またその父、先祖に至るまで同じだったのだ。

 父祖に至るまで、みんなが大地を掘り進めたがるわけである。

 どいつもこいつも、皆この楽しさに埋もれていたのだ。

 それ以上の理由など必要なかった。出てくる宝など、所詮はこの大きな喜びの副産物に過ぎなかったのだ。


「あははははは! ズルい! ズルいなぁッ!」


 ――――みんなズルい。あたしだって掘る。

 あれだけ戸惑いを抱え込んでいたはずなのに、今はそれを独占してきた祖先に嫉妬すら覚えてしまう。

 無我夢中で腕を振るい、寸刻すらも惜しんで土をかき分けると、宇佐はすでに破竹の勢いだった。

 

 あれほど弱り切っていた全身に力がみなぎり、快笑と共にどこまでも掘り進んでいける。

 宇佐は解き放たれていた。


 地中にいるというのに、まるで空でも飛ぶように、海でも泳ぐように、大地を自由に掘り進む。

 限界をとうに越えながら、命を危険にさらしながら、それでも楽しそうに大地を征く。

 その様は、どこに出しても恥ずかしいほどに、掘削しか考えられないバカの姿。

 

「あっ……」


 その時であった。

 宇佐は突如、後ろを振り返った。


 そこには宇佐の豹変に圧倒されながら、それでも全てを見届けるべく付いてきた少年・守宮継嗣やもり つぎつぐがいた。

 足元には先ほど掘り飛ばした土が盛られている。

 宇佐の様子に何かを察した継嗣は、すぐさまその土を漁り始める。するとその表情がにわかに驚きに染まった。


「……おっ、おめでとうございます!」

 

 祝福の言葉に次いで、継嗣が土の中から取り出したのは、抱きかかえるほど大きな岩石だった。

 持ち上げた拍子にこびりついていた土がこぼれ落ちると、その裂け目からわずかな照明が差し込んで、素人目にも高貴な光を湛え始めていた。

 宇佐は、その輝きに見覚えがあった。


「はは、ダンブリ石だ……」


 正式にはダンビュライトと呼ばれる天然石である。

 ダイヤモンドの代用品として用いられることもあり、大飯田でも時折、見つかる鉱物としても馴染み深い。


 しかし、これほどの大きさのものは、大飯田に生まれ育った宇佐でさえも見たことがなかった。

 およそ世界に見ても稀な巨大結晶であり、その価値は計り知れない。


 それは廣田の一族が体験してきた奇跡の再来であった。

 金銭の問題ではない。ましてや宇佐を取り巻くしがらみの話などであろうはずもなく。

 その事実だけが、宇佐の掘削の手を止めていた。


 宇佐は胸からこみ上げる思いが一つ雫となってこぼれ落ち、大地を濡らした音を聞いた。

 その音を境に、意識が暗転する。

 宇佐の体が精神に逆らい、半ば強制的に意識を閉ざしたのだ。


 制御を失った肉体は糸が切れたように大地にその身を委ね、崩れ落ちた。

 だが、それは後ろ向きな中断などではない。

 また明日からも大地を掘り続けるための、戦士の休息なのである。

 その証拠に、宇佐はこれ以上なく満足げな寝息を立てて、眠りこけていた。


 長きに亘る迷妄の日々は終わり、輝かしい明日こそが待ち受けているに違いない。

 そう思わせるに足る心地よい寝息が空洞に響いていく。


 その音に呼応するように、地鐸を祀る祭殿からは軽やかな音色が女の進む未来を祝福していた。

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