自宅巡り その一(1):黄金の圏と白い怪人

 『魂の食事ソウルフード』とは、何であるか?


 魂の食事ソウルフードとは、その人物の体と心を形作る、代わるものなき魂魄こんぱくの滋養である。

 魂の食事ソウルフードとは、時として食する者に霊的な感応すらも与える、唯一無二の宝物である。


 たかが食事。されど食事。十人十色に千差万別。

 人それぞれにそれぞれの価値観があり、それは決して揺るぐ事なく、混ざり合いながら同じ世界を生きている。


 守宮継嗣やもり つぎつぐ、高校生の夏。


 ――いまだ彼は、自宅警備員ならず。




 ■  ■  ■




 夏の蒼穹そうきゅうをオオワシの翼が切り裂いていく。

 切り分けられた空の下、大地は眩いばかりの黄金色に輝いていた。


 一面の小麦畑である。

 見渡す限りの小麦はどれも光り輝いて、それはさながら黄金の海原のようであった。

 黄金の波間に浮かぶ孤島のように、その家はある。

 

 それは遠目にも古めかしく、近よればなお古ぼけて煤けた農家であった。

 この一件の民家が、その実、香革かがわ圏の地鐸を守護する『自宅』である事を知る者は少ない。



 少年・守宮継嗣は今、その民家の奥間にいた。

 広い一室にただ一人。焦れるように待ちながら、それでいて居住いは乱す事なく礼儀正しく座っている。


「ごめんね。待たせたようだ」


 そこへ家主が帰ってきた。

 歩けば床がきしむ巨漢であり、重量感のある肉体は見る者を圧倒する。しかし何より太く思えたのは、その声だった。


「客が来るのも久しぶりでね。その用意に手間取ってしまったんだよ」


 額についた汗を指で弾き飛ばしながら、その男は腰を下ろした。

 太い腰である。


「ひとまず挨拶を済ませておこう。香革圏を守護する自宅警備員・観音寺長虫かんおんじ おさむです」


 観音寺はそう言いながら短く刈り上げた頭を下げる。下げた首もまた太い。

 年は三十の半ばだと聞いているが、見た目の印象からその年齢を察する事は困難だった。

 その腕も。その足も。鍛え上げられた筋肉をまとい、その陰影の濃さが長きに亘る修練の日々をまざまざと主張している。

 だが、それでも男が周囲に武人ばった印象を与えないのは、その異常なまでの全身の白さだった。


 ――――白い。


 継嗣が思わず見とれるのも無理はない。

 それは色白や美白と呼べる類いのものではなく、もはや無機物である磁器に近い白さを帯びていた。

 本当にその身に血が通っているのか。疑問を抱かざるを得ないほどの白さなのである。


「……と、東都圏とうとけん自宅警備員・守宮順敬やもり じゅんけいが長兄・守宮継嗣と申します。この度はお招きにあずかりまして真に……」

「ああ、いいからいいから。無理して長い口上を喋らなくていいよ」


 少し遅れて杓子定規しゃくしじょうぎに挨拶をしようとした継嗣を、観音寺が遮った。

 継嗣の顔を指差すとにっこりと笑う。やはりその指も太く、白い。

 

「切ってるでしょ、唇」

 

 事実、継嗣の唇は切れており、唇には赤く鮮血がにじんでいた。

 よく見れば唇だけではない。顔のみならず、服の隙間からあらゆる場所に生々しい傷痕や青黒いあざが覗いている。

 そんな継嗣の姿を見て、観音寺は感心したように言う。


「散々な目に遭ってきたようだね」

「……はい」

「仕方ない。君が犯した罪とはそういうものだから」


 東都圏の自宅警備員候補だった少年が女の色香に惑い、危うく一般人に自宅警備の秘を漏らしかけた。

 その噂は既に神州全土にあまねく広まっており、行く先々での応対は苛烈を極めた。

 自宅の場所を教えてもらえないのは当たり前として、運良く辿り着けたとしても罵声を浴びせられるか、或いは稽古と称して痛めつけられるのが関の山だった。

 ましてや自身の継承権復帰への助力嘆願など通るはずもなく、継嗣の自宅警備員巡りの旅は早くも暗礁に乗り上げつつあった。


「それで、君は何しにここへ来たのかな」


 それは継嗣がこの旅の中で幾度も聞いた質問だった。

 観音寺の問いかけを潮に、継嗣は深々と頭を下げる。


「事情は御存知の通り、現在、私は罪を犯し、その罰として自宅警備員の継承権を失っております」


 これもまたこの旅中、何度も繰り返し語ってきた口上だった。

 継嗣は割れた唇から血がたれるのも気にせず、声を張り上げた。


「つきましては私が再び自宅警備員候補に戻れるよう、当主の守宮順敬やもり じゅんけいに向け、推薦状を一筆書いては戴けませんでしょうか!?」


 自分で口にしながら、まったく図々しい願いだと思った。

 既に神州全土の笑い者。そこにわざわざ他圏にまで足を運んで、さらに恥を上塗りするようなお願いをしているのである。

 面の皮がどれほど厚くても、羞恥に傾けばその顔はたちまち赤く染まってしまうだろう。

 だが継嗣は歯噛みしながらその感情を必死で堪えた。

 それ以外に自宅警備員に成れる道はない。そう思えばどんな屈辱にも耐えられる気さえした。


「……なるほど。それは随分と虫の良い話だね」


 しかし、そうした継嗣の覚悟とは裏腹に、やはり対応はいつも冷ややかなものだった。

 中には継嗣の境遇に同情して慰めてくれる自宅警備員もいたが、この願いを切り出すと激怒し、その場で殴り飛ばされた事もあった。

 当然と言えば当然の反応。だからこそ継嗣も頭を下げながら奥歯を噛みしめる。

 いかなる折檻も受ける覚悟だった。だが、その頭上に飛んできたのは鉄拳ではなく一つの言葉だった。

 

「――――書いてもいいよ」


 継嗣は思わず顔を上げた。

 それは願っていながら、しかし同時に出るはずがないと思っていた言葉であった。


「……ほ、本当ですか!?」

「うん。ただしそれには条件がある」


 この道程で初めて見えた希望。

 継嗣はもはや食いつかんばかりの勢いだった。


「どっ、どうすればッ!」

「気持ちは分かるけど落ち着きなよ」


 観音寺はその剣幕を笑いながら受け止めると、そのまま立ち上がった。

 くるり踵を返すと継嗣を部屋に置き去りにし、また部屋の奥へと戻ろうとする。そして、振り向きもせずに言った。

 

「少し僕の話に付き合ってくれないかな。その終わり頃、君に『資格』があるかどうか結論を出させてもらう。……それでいい?」

「か、構いません! 何時間でもお付き合いさせていただきますッ!」

「それにはまず腹ごしらえだ。人の幸せは食事の中にこそある」


 観音寺は少しだけ振り向いて継嗣の方を見た。

 その顔は何故か幸せに満ち満ちた、純白の笑顔であった。


「――――継嗣くん、『うどん』は好きかい?」



 ■  ■  ■



 うどん。


 それは神州に根付いた料理の一つであるが、こと香革においてその存在は異質である。

 たしかに名産品である。だが、それだけでは明らかに言葉が足りない。

  

 一番好きな料理は何か、と問われて、うどんと答える人間が東都にどれだけいるだろう。

 だがしかし、この香革において、それはもはや常識。

 その質問自体が愚問と取られかねないほどに、うどんは万物の王として君臨していた。


 いや、それはもはや王ではなく神に近い。

 土着宗教といってもいいほどに、香革の万民はうどんを崇め奉っている。

 

 この地にこんな伝説がある。

 その年はひどい猛暑に見舞われ、香革の地は長らく雨に恵まれない異常気象に見舞われた。

 渇水は続き、わずかな飲み水以外の水分が香革から消え失せていた。

 しかし、それでも香革に暮らす人々のうどんを求める心には一点の曇りもない。

 残ったわずかな飲み水すらも、うどんを茹で上げて使ってしまうと、果てにある男が大きな声で宣言した。


 ――――俺の血でうどんを茹でるぞ!

 

 もはや自分の命を差し出してでもうどんを求める強固な精神。

 その心意気に感心したうどんの神はついに香革の地に待望の雨をもたらし、男の命ならびに香革の多くの命を救ったのだと云う。

 


 ■  ■  ■



 香革で暮らす民のうどんへの愛は、すでに常軌を逸して猟奇の域にある。

 それは友愛ではなく信仰に近い。一つの料理が平然と人生の横に並ぶ土地。――――それがこの香革という圏の実態であった。

 ましてや件の伝説に登場したその男が香革の自宅警備員を司る観音寺家の祖先だと言うのだから、この家でうどんが振る舞われるのは至極当然の成り行きと言えた。


 それからまた少し待たされて、香しい芳香を伴わせて観音寺が戻ってきた。

 その太い両腕には二つのお椀が載っており、見ているだけで心地よい湯気を漂わせている。

 たまらず今日の食事を欠いていた継嗣の腹の虫も喜びの悲鳴を上げた。


 しかし、それから起きたやりとりの中で奇妙な一幕があった。

 二つのお椀を継嗣の前に置き、「どちらでも好きな方を」と差し出す観音寺の顔はいやに真剣味を帯びていた。

 見たところ二つのお椀に違いは見られない。共に澄んだ汁の中に白々としたうどんが輝いて、その上には深い緑の山菜が添えられている。

 継嗣は特に考える間もなく右のお椀を受け取ると、残ったお椀を観音寺が引き受けた。


「さあさ、まずは駆けつけ一杯。すすりながら話をしようじゃないか」


 勧めながら観音寺はうどんをすする。その音が妙に食欲を刺激し、継嗣も真似るようにうどんを頬張る。

 その味は絶品だった。


 無心でうどんをすする継嗣の姿を満足げに眺めながら、まずは最初に観音寺が質問を投げかける。

 かくして共にうどんを懐に戴き、世にも奇妙な自宅警備問答が始まった。


「さて、継嗣くん。でいいかな?」

「はい」

「君は自宅警備員になりたいんだったね。それは何故だい?」


 なぜ自宅警備員を志すのか?

 その原点を問われ、継嗣はややあって答えを返す。


「神州を守護する地鐸。私はその地鐸を護る自宅警備員という生き様に心底惚れているのです」


 それは偽りのない真意であった。

 確かに父への憧れもあった。家系に因縁づけられた宿命に縛られていないとも言い切れない。

 だが、それらをひっくるめても、その底に根付くものはやはり純粋な、自宅警備員という英雄への憧れなのである。


「……うーん。地鐸、ねえ」


 しかし、そんな継嗣の魂の吐露を、観音寺はどこか白けた調子で受け止めた。

 真剣に打ち明けた本心を馬鹿にされたように感じ、継嗣も少しムキになる。


「今の答えを、お疑いですか?」

「ん? ああ、違う。違うよ。君の答えは嘘じゃないんだろうさ。けど……地鐸ってそんなに大事なものなのかな?」

「……はぁ?」


 思わず継嗣の勢いが空回る。開いた口が塞がらないとはまさにこの事だった。

 地鐸を守る最終防衛線であるはずの現役の自宅警備員が、あろうことか地鐸そのものを軽んじたのである。

 それは幼い頃から地鐸こそ至上であると教わり育ってきた継嗣からすれば、考えにも及ばない愚問だった。


「正気ですか、観音寺さん」

「じゃあ聞くけどさ、地鐸って何なの?」


 今更、乳飲み児がするような質問をされて、却って継嗣の方こそ目眩がした。

 継嗣はあらためて常識を説く。


「地鐸とは古代より伝えられた鐘であり、その神通力によって神州全土を守護す……」

「いやだな、継嗣くん。まさか君、それ本当に信じてるの?」


 真剣に解説しているのに、観音寺はいっそう茶化すような口ぶりである。

 継嗣の頭にみるみる血が昇っていく。


「事実として、この神州に大地震が起きていないじゃないですかッ!」


 神州を守護すると伝え守られてきた地鐸。

 その神通力として、もっともよく知られているものが「震災の回避」であった。


 かつてこの神州は世界に見ても稀な震災列島であったと云う。

 それを時の神君が地鐸の利用を思いつき、その力を神州の守護に当てたところ、震災はぴたりと止んだ。


 しかし、それはやはり不自然な形成であったらしく、封じられた震災の力は長年に亘って蓄積し、今も神州全土に燻っているらしい。

 もし一度でもどこかの地鐸が破壊されれば、解放された力が有史未曾有ゆうしみぞうの大震災を引き起こすとされており、その扱いには慎重にならざるを得なかった。

 多くの地鐸を狙う犯罪者の目的は大震災による社会の混乱にこそあり、今もこうして自宅警備員が地鐸を守らねば神州はたちどころに崩壊の一途を辿るとされている。


 こんなことは自宅警備に関わる者たちにとって、常識であった。

 だが、目の前の男はうどんをすすりながら呑気な風に言う。


「そうは言うけどね。僕らはもはや誰一人として、その震災列島だった頃の神州とやらを知らないんだよ」

「しかし! 現に史料には過去、神州全土が震災に悩まされていたとの記録が山ほど――!」

「昔の人が言う事だからね。震災があったのは事実として正確な震度は幾つだったのか。昔の人には分からないだろうね」


 どれだけ熱を点しても、その熱意が相手に伝わっている気がしない。

 いよいよ沸騰しかけたその時、継嗣は自身の立場を思い出した。

 ――――或いは、容易く激情するかどうか、そこで資格があるのかどうかを見定めようとしているのかも知れない。


 継嗣は空回りする自らの熱情を抑えるべく、ひとまず腰を落ち着けて、うどんをすすってみた。

 やはり味は極上である。


「そもそも震災が無くなった、とは言うけど、地震そのものは最近もあるよね」

「それは……確かにそうですが」


 つい先日も東北で震度2ほどの震災が起きたばかりであった。

 だが、それらは地鐸が有り余る力を小規模に解放し、少しづつ蓄積している震災の力を散らしているせいだと言われている。

 しかし、それもこうして改めて問われてしまうと、本当にその通りであると言いきれる根拠はどこにもない。

 継嗣はうどんの妙味で気が抜けたお陰か、気負いなく自身の疑問を観音寺にぶつけてみる事にした。

 

「観音寺さんは地鐸が大事じゃないんですか?」


 地鐸を軽んじる自宅警備員。

 継嗣は世にも珍しい生き物でも見る気分だった。

 

「勘違いしないでほしいんだけど、地鐸がどうでもいいとかそういう訳ではないよ」


 地鐸を守る気はある。だがそれにしては地鐸に対する敬意がない。

 継嗣の疑念は増すばかりだった。


「これでも代々守り継いできたものだからね。父や祖父、そのまた御先祖様が守ってきた物を守ろうとする気持ちはあるんだ」

「では、なぜ」

「まぁ待ちなよ。つまり僕が言いたいのはさ、本当に地鐸ってそれほど重要なものなのか、という部分なんだ」

「重要に決まってるじゃないですか!」


 思わず声を荒げてしまったが、継嗣はすぐに我に返ってうどんをすすった。

 やはり味は究極である。


「それなら『自宅大気』はどうなんですか? その恩恵によって目覚める『星座大気』だって地鐸なくしてはありえません」

「……継嗣くん、『自宅大気』って本当に地鐸と関係があると思う?」

「えっ」

「そもそも『自宅大気』は自宅警備の血族が生まれながらに放出しているものだよね。それに本当に自宅警備員の強さには地鐸の神通力とやらが必要なのかな?」


 つくづく要領を得ない問答だった。

 お互いが同じものを見て語り合っているのに、何かが致命的に掛け違っている。


「…………」


 しかし、継嗣は答えられない。

 なぜなら継嗣にとって地鐸の伝承やその神通力にまつわる話とは、その全てが伝聞に過ぎない。

 地鐸そのものを見た事がない継嗣と、今こうしている間にも地鐸を守っている観音寺とでは立場も違う。

 門前の小僧に過ぎない継嗣が、観音寺を説き伏せるほどの説得力を持つ事は不可能に近かった。


「継嗣くん、ちょっとこれを見てくれるかな」


 黙り込んでしまった継嗣を見かねてか、観音寺はうどんを脇に置くと、すっくと背を伸ばしてから大きく息を吐き始めた。

 奇妙な音を伴いながら吐き出されていく空気。腹の底に残っている全ての気を吐き出さん勢いである。

 そして、次の瞬間。


「なっ――――!」

 

 大きく離れて座っていたはずの観音寺の真っ白な顔が、いきなり息を吐けば掛かるほどの距離にまで迫っていた。

 たまらず驚いて離れると、観音寺が悪戯めいた笑い声を上げる。


「どうだい、継嗣くん。我が観音寺家の『吸引』は」


 そう言って得意げに腹を叩く観音寺の姿に戦慄を覚えないわけにはいかなかった。

 話には聞いていた。――――『香革の自宅警備員は呼吸によって相手との距離を自在に操る』と。

 

 そして当代、香革の自宅警備員を務める観音寺長虫こそ、歴代で最も強い吸引力を誇る自宅警備員。

 『史上最吸の自宅警備員』と謳われる男であった。


 吸い込み一つで少年一人の重さを軽々と吸い寄せる。

 継嗣はその絶技に舌を巻き、自然と頭を垂れていた。


「勉強させていただきました」

「他の人には内緒にしておいてね。あまり人に見せるようなもんじゃないから」

「では、なぜ?」


 技に思わず感動してしまったが、同時にその技を見せた意図は不明なままであった。

 だが、その答えはすぐに返ってきた。


「この技が地鐸とは何の関係もないからだよ」


 この言葉の意味はよく分かった。一連の体技には一切の自宅大気が感じられなかったのだ。

 つまり、そこに地鐸が関わる要素はない。観音寺は地鐸に頼らずとも人は強くなれる。そう説いているのである。


「つまり、厳しい修練を積めば地鐸は不要だと?」

「……うーん。ちょっと違うかなぁ。あ、どうぞ戻って戻って」


 促されるまま元の座っていた位置に戻りながら、継嗣はこれまで感じた違和感の根っこを掴みつつあった。

 この男は、只の馬鹿ではない。


「実は僕、『星座大気』ってやつにも目覚めてないんだよね。でも自慢じゃないけど、僕って強いんだ」


 それは事実、その通りなのだろう。

 呼吸によって相手との間合いを自在に操れるなど、敵対者からしてみれば悪夢のような話である。


「だからその地鐸の恩恵って言うの? 別にいらないんだよね」


 継嗣はようやく納得した。

 地鐸と震災は無関係で、ましてや自宅警備員の強さとは何ら関係がない。

 だから、地鐸はさほど重要ではない。


 あるものをあるものとしてしか認めない。

 それはさながら無神論者が頑に科学的根拠を持ち出してくるのと同じ。

 つまり観音寺という男は、そもそも地鐸というものを信じてなどいないのだ。


「ちょっと待って下さい」


 だが、そうなら別の疑問が浮かんで来る。

 継嗣はなお困惑の色を隠せなかった。


「それなら貴方はなぜ、自宅を守っているんですか?」


 地鐸を守る意味などない。そう達観している観音寺がこの自宅で戦い続ける意味などあるのか。

 その力の原動力となるものは一体なんなのか。継嗣は問わずにいられない。


「全ては夢の為。僕が自宅を守る意味なんてこれ以外にはないよ」


 夢。

 観音寺はうどんをすすりながら、これ以上ないほどにシンプルな動機を明かした。


「――――もっと正確に言うなら、『うどん』の為なんだけどね」


 その一言で継嗣の疑問は氷解した。この男は地鐸を軽視している訳ではない。

 無神論者などと、とんでもない。むしろ観音寺は骨の髄まで神を信仰している。

 しかし、その神は地鐸などではない。観音寺が頭の先から爪先まで全身全霊で殉じる神は地鐸ではなく――――『うどん』だったのだ。


 この男に認められねば推薦状は手に入らない。

 その難解さを理解した時、継嗣は額から滴る汗を抑えきれずにいた。


 自宅警備問答はまだ始まったばかり。

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