第8話:お届けものです!自宅警備員!

 『補佐』とは、何であるか?


 補佐とは、影に務め、影に支え、陰ながらその人に役目を果たさせる自負である。

 補佐とは、名誉から一歩退き、主たる人物をそっと寄り支える光なき誇りである。


 世人に知られる事なく神州を守護する者たちにも、陰ながら支えてくれる人たちがいる。

 今日も数多の人々に支えられながら職務を全うする者たち。


 ――人は彼らを、自宅警備員と呼ぶ。



 ■  ■  ■



 脱衣所で目覚めた守宮継嗣やもり つぎつぐは己の失態を悟るやいなや、衣服も纏わず全裸のまま一目散に駆け出した。

 地下へ降りる階段を転げるように落ち、扉を開くと、そこにはすっくと伸び整った姿勢で正座する井森鯨波子いもり ときこの姿があった。


 目映い白衣に緋袴の、美しい地巫女の身形をしている。

 後ろに見える地鐸の威容も相まって、その光景は神々しくも思えた。

 

 その景色のお陰だろうか。継嗣は自然に膝をつき、頭を垂れる事が出来た。

 幸運に感謝しつつ、継嗣の勇壮なる声が地下道場の涼しげな静寂を猛々しくも切り裂いていく。

 

「申し訳ありませんでした!」


 復讐の謝罪ではない。何しろ継嗣はあれらの行為について一切、後ろめたさを感じてなどいないのだ。

 あれは当然の報復であり、あの顛末は当然の帰結である事を継嗣とて確信している。

 頭を下げた先にあるのは鯨波子ではなく、祭壇に祀られた地鐸である。


「自宅警備員たる者が不覚をとり、警備が疎かになっておりました!」


 謝罪すべきは己の未熟。恥ずべきは意識を失っていた数十分の失態である。

 その謝罪に被せるように、鯨波子も深々と頭を下げる。


「お詫び申し上げます」


 無論、継嗣にではなく地鐸に対しての謝罪である。

 鯨波子は継嗣に背を向けたまま、小さな背を更に縮こまらせた。


「地巫女たる者が感情に走り、自宅警備員様に害を及ぼしてしまいました」


 それから鯨波子は淀みなく、すらすら読み上げるように謝罪を並べ立てていく。

 それは継嗣を攻撃してしまった反省から奉納した舞の未熟さ、儀式の手際の悪さなどが挙げられた。

 既に落ち着きを取り戻したか、声は流麗。よくぞここまで己の不備を挙げられるものだと感心するほど、それは長く続いた。

 継嗣は一瞬、一言で謝辞をまとめた己に対する当てつけかとも思ったが、真摯な鯨波子の様子に下種の勘繰りだと反省した。


 息が切れて間もなく、ようやく鯨波子の謝罪は尽きた。

 鯨波子は頭を上げると、今度はくるり身を翻し、継嗣と向き合う形になる。


「さて、それでは継嗣さま」


 鯨波子の声色に冷ややかなものを感じ、継嗣は長時間の説教を覚悟した。

 あれほどの反撃をしたのだからその怒りたるや、想像を絶するものがあるだろう。

 だが、悔いはない。継嗣はこの神聖なる場において何時間でも説教に付き合うつもりでいた。

 しかし鯨波子は先程よりは浅く頭を下げ、


「気を失われている間に舞の奉納は済ませておいたので、これにてお暇させて戴きます」


 一言のみ述べた。

 それから視線も合わさず、鯨波子は音も無く立ち上がると、足早に地下道場を後にした。

 予想だにせぬ行動に呆気にとられたが、思わず呼び止めようにも掛ける言葉が浮かんでこない。

 遠ざかっていく足音を聞きながら、継嗣は一人、地下道場に取り残される形になった。



 しばし無言の時が流れる。

 腕を組み、少し伸びてきたアゴヒゲをざらざら撫でながら、しばらくして継嗣は独り言ちた。


「……どうやら相当に怒っているらしい」


 すれ違い様に見えた鯨波子の首筋は、その激情を写し取ったかのように赤く燃えていた。

 これは下手につつけば、やぶ蛇にもなりかねない。

 継嗣は息を潜め、森で暮らす小動物のように鯨波子が自宅から去るのを待つ事にした。


 かすかに聞こえる家鳴りを頼りに、鯨波子の足取りを探る。

 継嗣の耳は今、何よりも鋭く家内の音を拾っている。 

 そして、これこそが自宅警備員、最大の武器であった。



 ■  ■  ■



 かつて守宮家自宅警備の開祖・守宮創冠やもり そうかんが記した『自宅警備心得』。

 そこには「自宅警備員にとって最も大切な資質とは何か?」と問われている。

 屈強な腕力であるか。はたまた強靭なる精神であるか。

 そのどれもが間違いである、と創冠は一筆にて断じている。


 いかに腕が立とうとも、いかに不屈の精神を宿していても、敵の存在にすら気付けねば何の意味もない。

 地鐸を、ひいては自宅を守らんとする者は、敵の侵入に誰よりも逸早く気付かねば自宅警備員の資格はないのだと云う。


 では、人体において、最も索敵に大きな比重を占めるものとは何なのか?

 主に五つに分けて語られる人類の官能とは、味覚、触覚、視覚、嗅覚、聴覚の五感である。


 それらを一つずつ吟味すれば、味覚、触覚は範囲が狭すぎるし、視覚は壁に遮られ、嗅覚は風気状況に支配されている。

 その点、聴覚とは無限であった。


 大気さえあれば地球上どこまでも広がっていく、まさしく逃れようのない神の感覚。

 それこそが自宅警備員を自宅警備員たらしめる最大の資質なのである。


 自宅警備の開祖、更には歴代の自宅警備員も、異口同音にその資質の重要性を語り継いでいる。

 自宅警備員を自宅警備員たらしめるもの。それはその『耳』において他ならなかった。


 ■  ■  ■



 継嗣は瞑目し、耳に手を添えて音を探っていく。

 鯨波子の足が床を踏む音。鯨波子の服が擦れ合う音。鯨波子の細腕が風を切る音。

 それら全ての音がおぼろげながら鯨波子の像を形作っていく。


 無論、こんなものは自宅警備員にとって児戯に等しい。

 先代自宅警備員だった父・守宮順敬やもり じゅんけいは、500m先に落ちたティッシュの種類すら言い当てる地獄耳の持ち主だった。

 この程度の事、自宅警備員なら雑作もない。


 継嗣の警戒心をよそに、鯨波子の音は無駄なく身支度を済ませると、躊躇いもなしにすぐさま玄関ドアをくぐる。

 一瞬の安堵。しかし、玄関ドアが閉まりかけた刹那、


「継嗣さまのアホ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」


 鯨波子から思わぬ反撃を食った。

 女性特有の金切り声が鼓膜を引っ掻くと、継嗣はその場でひっくり返り、のたうち回った。

 鯨波子の呼吸が急に乱れたので間一髪、耳を塞ぐ事が出来たが、もし防御が間に合わねば鼓膜が破れていたかもしれない。


 かくして継嗣の耳に嵐のような耳鳴りを残し、ようやく鯨波子は自宅を去っていった。



 ■  ■  ■




 耳鳴りが治まった頃、継嗣はようやく自身が裸である事を思い出し、再び自宅警備装束に袖を通した。

 頭を突っ込むと、一種独特な装束の臭いが鼻を突く。

 思わず仰け反る激臭であるが、それも先祖が自分を戒めていると思えばありがたい事のようにも思える。

 神妙な心地で平静を保ち、継嗣は今一度、自宅の景色を仰ぎ見た。


 ようやく鯨波子も追い払い、自宅はいつもの静けさを取り戻し、既に周囲はかけがえのない日常の空気で満ち満ちていた。

 これにて一件落着。しかし、なぜか継嗣は厳めしい顔のまま、一人、思案に暮れていた。

 

 失敗こそが成長の好機である。それは己の半生でよくよく学んでいる事実であった。

 先程、不覚を取ってしまったので基礎から立ち戻り、このまま地下道場で守宮流の型を一通りさらいたいとも思っている。


 しかし、なぜか物を挟んだ座布団のような据わりの悪さがある。何かが頭の隅で引っかかっているのだ。

 こういう時は焦らず、熟考するに限る。幸いに気を失っていたお陰で頭は冴え渡っている。

 そこで、ようやく気がついた。


「――――あ、難波さんに連絡するんだった」


 鯨波子の思わぬ撹乱にすっかり失念していたが、そもそもこの睡眠不足の原因を氏に尋ねるのが本来の目的だったはずだ。

 すでに窓から見える外の景色は暗く、日も落ちてしまっているがやむを得まえい。 

 機を逃せばズルズルと連絡が先延ばしになってしまう事は身に染みてよく分かった。ならば思い立ったが吉日というものだろう。


 時刻が少々遅い気もするが、そもそも自宅警備員の生活に昼夜など存在しない。

 昼間に連絡を取ろうとしたのはあくまで礼儀であり、実際的に行動を起こすならば時刻など気にかけるべきではない。

 もっと言ってしまえば、そんな些細な礼儀を気にして気分を損ねるような狭量な相手でもないのだ。


 継嗣は難波真という男の性質を考慮し、すぐさま行動に移った。

 地鐸に一礼し、地下道場からの階段を一息に駆け上がると、その勢いのまま自室に転がり込んだ。


 そうと決まれば一分一秒すらも惜しんでいく。ここからはタイムアタック。時間との勝負である。

 鯨波子が来た時のまま、待機状態だったPCにマウスでワンクリック。

 それだけで氏に繋がる。それだけの事で目的を果たせるのだ。


 だが、その時間すらも惜しんでいく。継嗣はマウスに手を添える時間を短縮すべく、その拳を叩き込む。

 空気を巻き込み、切り裂く拳。それが直撃すればマウスとて只では済むまい。

 継嗣はマウスを四散させてまで時間の短縮を目指し、本懐を遂げようとした。

 しかし、その拳がマウスに届く事はなかった。――――無情にもインターホンの音が、自宅に鳴り響いてきたのである。


「……なんとなしに、こうなるとは思っていたよ」


 新たなる来客を告げる鐘の音。

 継嗣は難波真の恐るべき特性に舌を巻きながら、拳を収めた。

 いや、堪えきれず一発。継嗣は宙に拳を空振って苦笑いを浮かべる。

 その音は、けたたましいインターホンに反して、酷く空しく自室に響いた。



 ■  ■  ■




「…………む?」


 しぶしぶ玄関先に向かった継嗣が異変に気付いたのは、ドアノブに手をかけてからの事だった。

 継嗣はそのあまりに奇妙な感覚に眉を寄せ、息を飲む。

 今、継嗣が握るドアの向こう。その先には人の気配が全く感じられなかった。

 なのに、奇怪にもインターホンは今もけたたましく鳴り続けているのである。


 耳を澄ませど聞こえてくるのはインターホンの音ばかり。ドアの向こう側には生き物の呼吸音すらも存在しなかった。


 ドアに備え付けられた覗き穴、通称・ドアスコープで外部の様子を伺おうかと考えたが、継嗣は中断した。

 ドアスコープを覗きながら敵に刺し貫かれ、片目を失った自宅警備員の話を思い出したせいである。


 イタズラの可能性も考慮しつつ、継嗣は恐る恐る警戒しながらドアを開くと、ぱたりとインターホンが止んだ。

 すると、その代わりとばかりに、継嗣の目の前には大きな白いダンボールの箱が鎮座していた。


 玄関先のライトに照らされたダンボール箱は白々と灯りを照り返し、異様な威圧感を放っている。

 ところが、継嗣は裸足のまま玄関から降りると、ダンボールを前にして、まぶたを閉じてしまった。


 玄関前に静寂が満ちる。

 だがそれも寸刻の間。ダンボールなど目もくれず、継嗣は誰も居ないはずの右前の暗闇に向かって正拳を突き出す。

 すると、不思議な事に何もない空間から拳同士が切り結ぶ独特な乾いた音が響いた。


 

「……ははっ、お見事。もはや俺などの技では相手にもならんか」

 

 その男はいつの間にか、そこに

 深緑の帽子に揃いの色をした作業着に身を包んだ中年の男。

 その顔にはおよそ人が持つ感情の色が一切見られない。つまりは能面のような無表情が闇夜に浮かんでいたのである。


 その背丈は長身の継嗣を更に上回り、厳めしい面にヒゲ、何より眉間から頬にかけて一筋の傷痕が走っていた。

 一度気付いてしまえば決して見落とす事のない印象的な面相をしている。

 そんな男が、いつの間にかそこに立っていた。

 継嗣はその魔法じみた絶技に舌を巻く。


「謙遜はやめて下さい。あなたが本気で『殺し』たら、俺なんかじゃ太刀打ち出来ませんよ、須藤さん」


 須藤――そう呼ばれた男は悠々、片手で継嗣の拳を受けながら体幹にはブレすらも感じられない。

 本気ではなかったとはいえ、その事実に継嗣は少なからずショックを受けていた。

 そんな化物を相手に煽てられて浮かれるほど継嗣もお気楽ではない。

 継嗣は満面の苦笑いでもって、男の来訪を出迎えた。

 男の名は、須藤礼峰すどう れいほう東都とうと圏所属の自宅警備補佐官である。



 自宅警備補佐官とは、その名が示す通り、自宅から外に出る事が出来ない自宅警備員を陰ながら補佐する役職を指す。

 各圏の自宅警備員にはそれぞれ担当の補佐官が付けられ、日夜、神州各地を奔走している彼らの活躍は計り知れない。


 常日頃は配達員に扮し、自宅に物資を搬送する職務を果たしながら、その役割は実に多彩である。

 政府と自宅警備員の橋渡し的存在である事から各情報の伝達に始まり、生活必需品の調達から物資の輸送護衛、各地域との連携など活躍の場には枚挙に暇がない。

 それもそのはず、あくまで地鐸の警備を主とする他の役職とは異なり、自宅警備補佐官とは、その他の雑務のほとんどを一手に引き受ける要職中の要職であった。

 彼らなくして自宅警備は成り立たない。

 これは神州に暮らす自宅警備関係者にとって常識であった。



 当然、そんな補佐官には腕扱きの手練が揃っている。

 その中でも自宅警備員に匹敵するとまで云われている剣客が、この須藤という男だった。


「ははっ! 坊ちゃんにそう言ってもらえるなら『殺し屋』の面目はまだまだ保てそうだな」


 声では笑いながら、その表情は一切変わらない。そんな須藤を見ながら、継嗣は畏敬の念を新たにした。

 須藤はその名よりも『殺し屋』と云う二つ名こそが神州各地によく知られた男だった。

 

 とはいえ、当人に殺人経験がある訳ではない。

 今や弟子に切り盛りさせている実家の剣術道場においても、そういった事故があったという話は聞かない。

 険しい顔つきや口調からは分かりにくいが、須藤の本質は虫も殺さぬ繊細さと強さを兼ね備えた、屈託のない正義漢である。

 ならば何故、『殺し屋』などという物騒な二つ名で呼ばれるようになったのか?


 それは須藤の超越した技巧に起因する。

 須藤は完璧に息を殺す。須藤は完璧に足音を殺す。須藤は完璧に感情を殺す。須藤は完璧に気配を殺す。

 果ては自分さえも殺し尽し、その存在すらも完璧に消してしまう。

 『黒猫』と名付けられたこの絶技こそが、その二つ名の由来である。


「その坊ちゃん、という呼び方、そろそろやめてもらえませんか?」

「ははっ! 坊ちゃんは坊ちゃんだろう」


 そう言うと、須藤は肉厚な手のひらで継嗣の頭をごしごし乱雑に撫でた。

 凍った表情に反してその眼差しは暖かく、背伸びしたがる甥っ子をあやす叔父のようでもある。


 須藤はいつも継嗣の事を「坊ちゃん」と呼んでいた。

 自宅警備員と自宅警備補佐官の間に身分の上下はない。つまりは対等な「相方」である。

 須藤は決して先代の自宅警備員だった守宮順敬の御令息を敬って「坊ちゃん」と呼んでいる訳ではなく、いつまでもクチバシの黄色い子供を茶化すように「坊ちゃん」と呼んでいるのだ。

 それは継嗣がこの世に産まれ落ちた頃からの呼び名であり、親戚同然の付き合いをしてきた須藤からすれば、まだまだ継嗣はひよっこ同然に違いなかった。


 父の親友であり、相方であり、尊敬すべき武人でもあり、さらに命の恩人であり、恩師でもある。

 もはや一生を賭けても返しきれぬ恩を受けてしまっているのだから、反論、反撃したくとも頭など上がる筈がない。

 しかし、この男にいつか自分の名を呼んでもらう。

 それもまた継嗣の、昔から数ある夢の一つであった。



「ところで、一体どうしたんですか? 食糧も備蓄は足りているんですが」


 継嗣の疑問も、もっともな話である。

 なにしろ先週、須藤と出会った時、彼は継嗣の私物を輸送すべく、海外へと出掛けたはずであった。


「おお、そうだった。歳を取るとうっかりが増えていかんな」


 須藤は横に置きっぱなしになっていた白いダンボール箱を軽々担ぐと、自宅へ向かって歩き出す。

 顔の筋肉は微動だにせぬまま、須藤は上機嫌に豪快な哄笑を響かせた。


「ここじゃ人の耳目がある。細かい話は自宅でするとしよう」



 ――本日も自宅に異常なし!

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