第4話:男らしく自活せよ!自宅警備員!
『自活』とは、何であるか?
自活とは、一生命体の完成型である。
自活とは、誰の手も借りず、一人で立ち上がる事である。
孤高にして超然。巣を飛び立った若鳥の如く、その生き様は何者にも縛られない。
何者にも交わらず、
――人は彼らを、自宅警備員と呼ぶ。
■ ■ ■
『男子、厨房に入るべからず』
かつて神州各地で聞こえた言葉だが、それは当代、もはや古臭い観念と言える。
自活もできぬ男を、誰が一人前と認めようか。
厨房で軽やかにフライパンを振るう己の勇姿に酔いしれながら、新米自宅警備員・
『自宅警備員たる者、肉を喰え。男子たる者、野獣たれ』
父・
だが本音を言えば、いささか白けた調子で耳を素通りしてきた言葉でもある。
順敬はその言に殉じ、連日、肉ばかりの献立を組み立てては己の健康を害してきた。何度も何度も、持病の痛風を繰り返し発症させ、それでも尚、痩せ我慢して仁王立ちする父の姿は、鬼気迫るものを通り越して滑稽の域に達していた。
「……父は中二病かもしれない」
遥か高みより華麗に白ワインを投入。そんな己の格好良さを堪能しながら、継嗣は独り言ちた。
父の事は尊敬している。敬愛している。だが時折、芝居がかったノリにはついていけない所がある。
齢四十を超え、未だ治らぬ中二病。もはや病巣は芯根にまで達し、一生治る事はないだろう。
「まったく、父上にも困ったものだ」
そんな事を言いつつ、クラシックの調べにのせてイタリア料理を作るシチュエーションに陶酔している継嗣こそ、正しく順敬の血を継ぐ者である。
しかし、この場には継嗣しかいないので、それを指摘するものは居ない。
それに口では父の一家言を馬鹿にしつつ、料理皿の上に載っているのは黒豚のバターサルビア風味。
――――つまりは肉料理なのだから始末に負えない。
この日、継嗣はようやく遅めのランチに取りかかっていた。
まず食事を済ませ、先方に失礼がないよう万全の準備を整える事にした。
あわよくば満腹感で睡眠欲が刺激されてくれれば、という儚い望みも込めて。
幸い、継嗣は料理が嫌いではない――――正確に言えば『料理も出来る自分』が嫌いではないので、手際よく昼食の用意を済ませてしまった。
黒豚のバターサルビア風味が盛りつけられた皿。その横には少々、場に不釣り合いな白米の大茶碗。
決して調和せぬ二つの料理を前に、継嗣は無言で合掌し、その生命の犠牲を尊んだ。
「――いただきます!」
和食の基盤である白米と小洒落たイタリア料理。
継嗣は如何なる手段で、この相反する料理に立ち向かうのか。
継嗣の手に握られていたものは、意外にも平凡な黒塗りの箸!
白米にフォークなど洒落臭いとばかり、継嗣は大きく口を開くと豪快に肉に放り込み、一気に頑健な奥歯で噛み締めた。
その一動作で広がる風味たるや。
野性味溢れる黒豚の熟成された脂とオリーブオイル、そしてバターの油分が香ばしい歯応えと同時に口中全域に飛び散ると、後から塩胡椒の刺激、白ワインの妙味が、更に味覚を深みへと誘っていく。
至福の時に思わず吐く息すら、肉と共に焼いたセージの香しい芳香。その香りを瞬刻、楽しんだ後、息を吸い込む勢いで隣の白飯を一気に口の中へ。
広がった脂の中を滑るように白米の塊が解けていく。それを歯ですり潰すと口の中一杯に水分が広がった。それは白米の中にあったものなのか、それとも自身の唾液なのか、もはや継嗣には区別がつかない。ただ分かる事は旨味とほのかな甘みを含んだ水が口の中を濯ぎ、洗い流し、清めていく。何度も何度も、噛み締めるごとにその味わいは千変万化、複雑に変化し続けた。
そして、遠く離れても聞こえたであろう大きな音を立てながら、継嗣は惜しみながらも舌福を一息に呑み込んだ。
「ふぅ……」
満腹の恍惚。高鳴る鼓動と共に胃の中に落ちた食物がとろけて全身を駆け巡る感覚。
肉が血に、血が肉に。生命が循環し、自分になっていく感覚を、誰が錯覚だと断じられようか。
食卓のBGMとして流れ続けるクラシックが今まさに最高潮を迎えようとしている。
その時だった。
――――山が、動いた。
それまでは視界が開けていた足下を、突如として遮る山。全身を巡る血液が股間に集中しているのが分かる。
「ふむ」
大軍を前に、不敵にも単騎で立ちはだかる勇猛な騎馬武者がごとき下半身に対し、継嗣は変わらず冷静だった。
少々歩き心地は悪いようだが、表情を変える事なく食器を手早く片付けると、すたすたと自室に向けて歩き出した。
たどり着いた自室はベッドに本棚、PCなど、ある程度の家具は揃っているのだが、どこか寂しげな印象を受ける。
私物が存在しない部屋とは、こうも抜け殻のように映るものなのか。
継嗣は、かつて手元にあった愛用のダンベルを懐かしむように手を握る。
「今頃はどこかの国の空だろうか」
相棒を手放した訳ではない。いずれ全て、継嗣の私物はこの自宅に郵送される運びになっている。
しかし、かつて大学に通っていた頃の寄宿先、そして旧守宮家宅から私物をそのまま直送する事は機密上の理由から禁じられていた。
今、継嗣の所有物はまどろっこしくも世界一周の旅に出ている。数多の国を経由する事により、出発点と終点であるこの自宅との結びつきを出来るだけボカす狙いがあった。
今一度、日本に舞い戻ってきた時こそ、あのダンベルで上腕二頭筋を鍛え上げる時だ。
「さて、確かこの辺りに……」
今はいない相棒への思慕はさて置き、継嗣は部屋の奥にあった収納棚に手をかけた。
がらりと開けた棚の中から現れたのは、いわゆるPCゲームのソフト。
しかもパッケージにはあられもない女性の姿と、隅に大きく数字の『18』が描かれている。
言わずもがな、である。
だが、これらは継嗣の私物ではなく、部屋に備え付けられた家具同様、政府からの支給品であった。
■ ■ ■
このささやかな気配りを理解するには、まず自宅警備員の歴史を紐解く必要がある。
自宅警備員はその職務において、自宅への待機が義務づけられている。
故に異性との接触はなく、また行動範囲がひどく限定されていた為、譜代の中には神経に異常を来たし、ついには発狂してしまう者もいた。
日々、神経をすり減らす彼らの精神を癒すべく、時の政府は様々な分野から賢人を招集。
総八十時間にも及ぶ大会議が開催され、
諦め半ば、身体を使った生業の女性を自宅に派遣する案も出たが、素性の知れぬ者をみだりに自宅を出入りさせるのは得策ではない。
その為、しばらくの間、春画の類いやポルノグラフィ、アダルトビデオなどの市販品が彼らの
彼らもまた時代の犠牲者だった。
そこに、一人の鬼才が現れる。
氏はかつて招集された賢人の子孫であり、近年、急激に進展した電脳技術の寵児でもあった。
鬼才はまず、この世に誕生したばかりのビデオゲームというジャンルに目をつけた。
そして自宅警備員の悲しみを慰めると同時に、彼らの意識改革にまで着手し始めたのである。
異性との接触が少なく、また日々を鍛錬にばかり明け暮れている自宅警備員たちは、必然、異性に対する免疫が少なかった。
女性と会えばキモい挙動でうろたえ、女性と会話すれば目も合わさず胸ばかり見ている。
そんな彼らに『異性とのつき合い方』を学ばせるべく、鬼才の手によって、より正しい会話術を学習させるアダルトソフトを開発された。
その成果は抜群だった。
各圏の自宅警備員からの要請でソフトは均等に配布され、自宅警備員たちの異性への免疫は飛躍的成長を遂げた。
今では異性へのあしらいも慣れたもので、それぞれ自宅警備員が独自の『殺し文句』を持っているのだと言う。
事実、継嗣の父・順敬もまたその『殺し文句』で今の良妻・
また嬉しい誤算も産まれた。
彼らはソフトに熱中するあまり、ソフトに登場するキャラクターを『俺の嫁』と称し、こよなく愛するようになっていった。
その身持ちの固さは生半可なものではなく、一生涯を『俺の嫁』と添い遂げる者まで現れた。
一度、各圏の自宅警備員にハニートラップを仕掛ける実験が行われたが、その際、歯牙にもかけず異性を蹴散らす、頼もしい自宅警備員たちの姿が確認された。
かくして紆余曲折の末に生み出された自宅警備員用ソフトであったが、ある時、市場に流出し、そのまま一大ジャンルとなって今の現代社会に深く根付いてしまっている。
これが世に知られざる、自宅警備員の悲しみと18禁ソフトが紡いだ、裏の歴史である。
出生率の低下という些細な問題が併発したものの、今日も自宅警備員たちの精神は元気に隆々、屹立していた。
■ ■ ■
「ふぅ…………」
継嗣の元、荒ぶる男の子の時間が終わり、厳かな賢者の時間が訪れていた。
その視線は遠く、まるで涅槃を見据えているかのようである。
だが、いっそ神々しい精神に反して、その姿は荒ぶる魔物の如し。
継嗣は何故か全身をエビ反りに、腕を組んだまま、頭に全体重を掛けた異様な姿勢でその一時を過ごしていた。
見事に反り返った姿はまるで『橋』。
そう、これぞ先祖伝来――――【守宮流警備術・『
男の子の時間。如何なる男性であっても意識が前方にのみ集中し、背後の警備が疎かになっている事は聡明なる男性読者諸君も既に御存知の通り。
かつて自宅警備の開祖・
その解決法とは、なんと『反る』事。
守宮創冠は己の身体を強烈に反らす事で、不自然な体勢によって後方への視界を開き、意識をそのまま前方に保ち続ける革新的技法を編み出したのである。
その天才的発想から、大昔、同じく独創的な発想で敵陣に奇襲をかけた源氏の侍大将の偉業に
継嗣がこの技を体得して早十年。その姿はブレもなく、美しい曲線を描いている。
しかし、いつまでもこのままという訳にもいかない。
継嗣は不敵に微笑んだ。
準備は万全。体調も上々……とまではいかないが、失礼にならない程度の気配りは可能だ。
――これで心おきなく彼に連絡を取る事が出来る、と。
最も派手に戦う警備員とも呼ばれているその男は、継嗣とて思わず気後れしてしまう経歴の持ち主である。
彼は義務教育課程を修了するや、すぐさま先代の跡を継ぎ、歴代最年少で自宅警備員を襲名。
さらに就任からわずか半年、黄坂圏に巣食っていた自宅密売組織『
当代において最も戦果を挙げた自宅警備員。――――それが難波真という男だった。
互いに知らぬ仲ではない。しかし、軽軽と連絡を取っていい相手ではないのだ。
だが、他に相談相手が思い浮かばないのも事実である。
彼ほどの経歴の持ち主なら、今、己が陥っている窮地を救う手だてを知っているかもしれない。
継嗣は『藍那橋』の構えのまま、しばし煩悶した。
だがそれもすぐに終わる。継嗣は意を決して立ち上がり、PCの前に腰掛けた。
マウスとキーボードを自在に操り、難波真がいる『あの場所』への接続を手際よく済ませていく。
あとはクリック一つ。指先を動かすだけで難波真と接触する。――――その時だった。
自宅に鳴り響く鐘の音。
「まさか――――敵襲ッ!?」
たちどころに燃えるような熱情がその身を炙った。
継嗣は跳ねるように席を立つと、そのまま風の如く自室を飛び出した。
傷一つない廊下を音もなく走り抜け、今も鳴り続ける鐘の音の発生元へ駆けつける。
事態は急を告げている。一刻も早く。一刻も早く。
だが、駆け出し、その鼻先が空気を切り裂くほど加速してから、ようやく気がついた。
継嗣は急に立ち止まり、先程とは打って変わって腑抜けた面構えで一つ、大きな溜め息をついた。
「……これ、インターホンの音じゃないか」
落ち着いて耳を澄ませば、この自宅に取り付けられた警戒サイレンとは音色が違う。
まだ継嗣の耳はこの家の仕様に慣れていない。紛らわしい事に、初めて聞くインターホンの音はよくある電子音のものではなく、少し耳障りなサイレン音が響くタイプのものだった。
「はいはい、今、出るよ」
とはいえ、誰かが自宅を訪問してきたのは事実らしい。
未だ鳴り続けるインターホン。それどころか次第にその間隔が短くなってきている。
どうやら訪問者がインターホンを連射しているらしい。
不快な連射音に急かされても、継嗣は慌てる事なく、のそのそ玄関まで歩き、警戒しながらゆっくりとドアを開け放った。
「あっ、やっと出てきました」
開放したドアの隙間から聞こえてきたのは、ゆったり穏やかな、若い女性の声。
だが、その声を聞いた継嗣の表情が一変した。
聞き慣れたその響きに、継嗣は猛烈な勢いでドアノブを引き戻そうとしたが、謎の訪問者は慣れた動きでそれに先んじ、靴底を挟んでドアの締まりを妨害する。
「ひどいじゃないですか。継嗣さま」
まるで先程の激しい攻防など無かったかのように、ドアの向こうにいる訪問者はいっそ涼しげな声で抗議した。
一方、継嗣は返事もせず、額には玉の汗が滲ませながら恐る恐るドア先を窺う。
ドアの隙間から見えたのは、長く美しい黒髪の女性。
物柔らかな笑顔と優しい色合いのチュニックセーターがよく似合う、楚々として穏やかな佇まいの美人であった。
だが、継嗣はまるで山中で鬼にでも出くわしたように叫ぶ。
「な、なぜ貴様がここに居る? なにしにここへ来た!? ――――
鯨波子――そう呼ばれた女は、ドアの隙間から一瞬、きょとんした表情を覗かせたが、気恥ずかしそうに頬に手を当てると、再びにっこり微笑んだ。
「――――結婚してください」
「帰れえええええぇぇーーーッッ!!」
継嗣が放った抗議の声が節操なく閑静な住宅街に響き渡る。
だが、抗議先であるはずの鯨波子は馬耳東風。その微笑みを崩す事は無い。
騒がしい昼下がりの穏やかな訪問者、その目的は如何なるものか。
継嗣の額に浮かんだ汗が、大きな雫となって玄関先のタイルを濡らしていた。
――本日も自宅に異常なし!
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