第3話:朝は眠れ!自宅警備員!

 『朝』とは、何であるか?


 朝とは、今日一日の始まりを告げる光である。

 朝とは、穏やかな日常のスタートラインである。


 しかし同時に、朝とは生命の生活様式を縛る呪いでもある。

 かつてこの世界では、ほとんどの生き物が太陽と共に起床し、共に眠る事を強制されてきた。

 人類は文明を手にし、科学を発展させる事によって、ついにこの忌まわしき呪鎖より解き放たれる。


 だが、人を呪縛から解き放ったそれは両刃の剣でもあった。

 太陽の呪縛から解き放たれた人類は、同時に愛すべき夜の安寧までをも手放してしまったのである。


 かくして穏やかな日々は過去のものとなり、時代は自宅警備員に更なる試練を課す。


 『朝』から解き放たれ、己が内の太陽にのみ従う奔放なる獣たち。

 ――人は彼らを、自宅警備員と呼ぶ。


 ■



 2002年にまとめられた「自宅警備員白書」によれば、自宅警備員の睡眠時間は平均してたったの四時間程度のもの、となっている。

 それも一括して睡眠を取るのではなく、まるで野の獣のように断続的に短時間の仮眠を重ね、ようやく鍛え抜かれた鋼の肉体に支障が出ない程度の睡眠時間を日々の警備生活から捻出しているのである。

 故に昼夜問わず活動する自宅警備員と『朝』は無関係である、とされている。


 だが、この通説には疑問が残る。

 ここに職務への配慮から自宅警備員たちが黙して語ろうとしない事実がある。



 近年、泥棒など、自宅を標的にした犯罪者たちには新たな傾向が見られるようになってきた。かつて彼らが自宅に忍び込む時間と言えば、多くの人々が眠りにつく『深夜』と相場が決まっていた。


 草木は眠り、人通りは途絶え、誰に見咎められる事なく家宅へ侵入出来る、魔の時間。

 必然、自宅警備員のみならず市井の人々も深夜に厳重な警戒態勢を取るようになった。

 そこに高度経済成長が生み出した社会の歪みが襲いかかる。


 犯罪者とて人間。考える力があれば、悪巧みする知恵もある。

 なんと大胆不敵なり。

 あろう事か、彼らは太陽が輝く真下――白昼堂々、自宅へ忍び込み始めたのである。



 本来、昼間とは近隣の人目を気にして犯されざる聖域である。

 しかし、近年の複雑な住宅事情や世間への無関心が加速すると、不審人物を見かけても気に留めず、隣近所の受難にも見て見ぬ振りをする冷酷な世情がいつの間にか社会に蔓延していた。

 果たして犯罪者たちが昼夜を問わず跳梁跋扈ちょうりょうばっこし、我が物顔で社会を練り歩く悪夢のような時代が到来した。



 既に自宅警備における昼夜の意味は、ほとんど失われてしまっている。

 では一日二十四時間。自宅警備員たちは絶えず自宅を守り続けているのか?

 違う。そうではない。


 自宅警備員とて人間。疲労する身体があれば、工夫する知恵もある。

 物事には、何であれ抜け道と言うものが存在するのだ。

 犯罪者が忍び込むのは主に「深夜」と「昼」。

 ならば人々が頻繁に自宅を出入りする「朝」と「夕方」は依然、犯罪者の魔手が届かぬ安全な時間帯として君臨しているのである。


 事実、多くの自宅警備員が、この『朝』と呼ばれる帯に仮眠の時間を設けている。

 特に意味のない導入が長くなってしまったが、その例に漏れず、新米自宅警備員・守宮継嗣やもり つぎつぐが本格的に活動を再開したのも午前10時過ぎの事であった。



 ■



 自宅警備継承の儀より数日。

 あれほど血気盛んに勇み、自宅警備員となった守宮継嗣やもり つぎつぐであったが、何故か一人、煩悶の日々を過ごしていた。


「……まずい。まずいぞ」


 日課である柔軟体操の最中、継嗣は充血した瞳を瞬かせながら、独り言ちた。


 体操中、目に入る自宅の壁はどれも白々と輝き、いささか寝起きの目には眩しい。

 それもそのはず。

 今、継嗣が起居している『自宅』は先月、完成したばかりの新築であった。



 自宅警備員が守護する地鐸本殿は、警備員が次代に継承される度に新設、転居する習わしになっている。

 仕来りに倣い、地鐸を継承したその日。継嗣は地鐸を懐に忍ばせると旧守宮家を後にし、予め用意されていた新守宮家へ転居していた。


 見渡す限り、全てが美しき新居。それはまさに継嗣の為に用意された物に他ならない。

 どこを見ても真っ新な自宅。見目麗しき白壁。鏡のように足下を映す床板。

 まるで全てが光に包まれ、この世の全ての差異が消えていくようにも思える。

 「さながら大いなる正午か」と継嗣が苦笑するほどの神々しさが満ち満ちていた。


 しかし、人間万事、塞翁が馬である。

 一見して華々しいその景色は、皮肉にも継嗣の身体を犯す『毒』として機能してしまっていた。



 ここ数日、継嗣は有り余る気の充実を感じていた。

 自宅警備という大任への重責など悩みの種も尽きないが、同時に、いや、それ以上に。

 念願の自宅警備員に成れた事への喜びが遥かにそれらを凌駕していた。


 背負う責任への奮起。崇高なる使命への忠節。

 それ自体は実に麗しい限りであるが、継嗣の身にそれ故の問題が生じていた。

 有り余る心の昂りが常に、しかも著しく継嗣の睡眠を妨害していたのである。



「……いかん。いかん。いかんぞ」


 継嗣の意識が途絶えなくなって、早くも六十時間が過ぎていた。

 先刻、二時間ほどしつこく床に伏してみたものの、浮かんでくるのは眠気ではなく地鐸への懸念のみ。

 眠る為に意識を手放そうとすればするほど意識は覚醒し、通りを走る車のエンジン音に、すわ襲撃かといたずらな警戒に走ってしまう始末。


(このままでは身体を壊してしまうかもしれん。もし、敵襲の際に体調を崩しでもしたら……)


 脳裏によぎる惨事も、このままではあながち妄想とも言い切れない。

 積もりゆく焦燥感。

 しかし頭を絞った所で打開案など見つかるはずもなく、継嗣は柔軟体操を終えると、何かすがるように自宅の最奥へと足を運んだ。



 新守宮家には、旧守宮家になかった地下道場が存在している。

 これまで不意の天災などを憂慮して設けられる事のなかった地下施設だが、近年、目を見張るほど建築技術が発達し、ついに当代、自宅警備員たちの念願でもあった地下道場が神州各地に設置されるようになっていた。

 トイレの横に何の変哲もなく設置された下り階段の先にある大部屋。

 継嗣はその扉を静かに開けると、無言で畳にへばりつき、平伏した。


 伏した先。道場の床の間には、箱にも収められず剥き出しのままの地鐸が豪奢な台の上に鎮座していた。


「おはようございます。……またしても御力にすがりたく参上仕りました」


 継嗣が道場を訪れるのは、今日でもう四度目になる。

 しかし、一心不乱に神頼む継嗣に対し、祭壇に祀られた地鐸は何も語らない。

 いくら地鐸を願い奉った所で、妙案など浮かぶはずがないのだ。

 すべては継嗣の心の問題であり、やはりそれを解決出来るのも継嗣自身なのである。

 継嗣当人にもそれが分かっている。しかし、分かってはいても悩めば悩むほど目は冴えていく。

 もはや地鐸の御神託にすがりつく他ないとばかりに、継嗣は時が許す限り、長々、地鐸と時を過ごした。




 ■




「……ありがとうございました」


 どれほど時間が過ぎただろうか。ようやく諦めがついたらしい。

 礼の言葉を述べながら、しばし地鐸に平伏した後で、継嗣は大きく溜め息をついた。

 機敏に立ち上がると地鐸にさらに一礼。何一つ得るものはなく、継嗣はとぼとぼ歩き出すと再び上の居住空間へ戻っていった。



 上に戻ると、時計の針が早くも14時を指していた。

 それを見た継嗣は少し慌てた様子で駆け出すと、急いでリビングに足を踏み入れ、椅子に腰掛ける。

 私物の運搬は全て配送業者に任せているので、今、自宅にある家具はどれも政府からの支給品である。

 ゆったりとした造りで、座り心地の良さからも上等な調度品である事が窺える。


 しかし、そんな椅子に腰掛けていても。

 ――もし、この部屋に敵が現れたなら、どう立ち回る。

 不穏な考えが頭をよぎる。

 室内のあちこちに浮かび上がる敵は、奇妙な白面を被った全身タイツの男たち――――超反社会的職業斡旋革命集団『破牢倭悪はろうわあく』。

 父・順敬じゅんけいとも幾度となく拳を交えた、自宅警備員の宿敵である。


 ――テーブルは邪魔にならないか? 飛びかかれる距離か? ここから拳は届くのか? この椅子の座り方は拙いのではないか? もし技が通用しない相手なら? 今の自分の力で倒せるのか?


 そこまで考えて、継嗣は妄念を振り払う為に頭を振る。

 それがどれだけ無駄な行為であるかを理解したからである。


「……すでに居ない相手を想定しても仕方ないか」


 そう、『破牢倭悪』は十年前、確かに壊滅した。

 彼らは組織人員の過半数を投入し、守宮順敬に文字通り蹴散らされた『ニコニコまっしぶ事件』を境に歴史上から姿を消した。

 事件当日、学校から帰宅すると、全身血まみれなのに上機嫌で鼻歌を歌っていた父の姿が今でも忘れられない。

 満面の笑みを浮かべ、隆々とした筋肉から湯気を立ち上らせる父は、まるで異形の怪物にも思えた。

 ――――しかし、今なら父の気持ちも分かる気がした。

 


 存在しない敵を前に脂汗を垂らすのはひとまず止め、据え置きの大型テレビのスイッチを入れる。

 映し出されたTV番組は、全国域で放送されている、よくある昼の低俗なワイドショーだった。

 流れてくる内容はどれも著名人の私生活や恥部に踏み込んだ下世話なものばかり。

 しかし、継嗣はチャンネルを変えようとしない。


 誤解なきよう記述するが、継嗣は誇り高き自宅警備員である。

 よって、このような下劣なニュースには一切、興味がない。


「……ほう、あの女優、結婚したのか」


 では、なぜ継嗣はこの番組を見続けているのか。

 本来なら、このような人の醜聞に目を通す事すら恥辱の極みである。


「やはり俺の予想通り、別れたか。あの男ではもっきゅんの相手は務まらん」


 継嗣は何故、自ら世俗の泥にまみれるのか。

 その答えは、この番組内の1コーナーにある。


「あっはっはっ! 奥多摩で二股とはっ! 上手い事を言う!」


 継嗣にとってあまりにも退屈な時間が過ぎていく。

 永遠とも思える苦痛の果て、ようやくお目当てのコーナーは幕を開けた。


「CMのあとは『本日のお犬様』です!」



 TVからアナウンサーの呑気な声が響く。

 だがその声とは裏腹に、継嗣の顔からはたちまち弛みが消えた。


 それまでとは一線を画す雰囲気が室内を支配する。

 気怠げな昼下がり。そこに一本の線が張り詰めたような緊張感が流れ始めていた。

 CMが開けると継嗣は無言でTVの音量を上げ、あとは静かに番組に傾聴した。



 『本日のお犬様』

 それは神州、津々浦々で飼われている市井の愛犬を紹介する、このワイドショー人気の目玉コーナーである。

 毎日、各圏にいる飼い犬たちにスポットを当て、その愛くるしい姿をお茶の間にお送りする主旨のミニコーナーなのだが、実はその裏にもう一つ、隠された真実が存在する。


 このワイドショーは基本的に局の管轄で自由に製作されているものだが、このコーナーのみ、ある下請け会社が独自に製作を担っていた。

 種を明かせば、その製作会社の正体は自宅警備員に従事する、政府直下の特殊工作機関に属する組織である。

 となれば、この番組に対する見方も変わってくる。

 

 『犬』とは番犬。即ち、自宅警備員を指す隠語である。

 犬の出身圏はそのまま対応圏に存在する自宅警備員を意味し、愛嬌たっぷりの犬の映像に添えられた紹介文は、その秘匿性ゆえに詳細を明かす事は叶わないが、神州全国に存在する自宅警備員、またはその関係者に発信される暗号文となっている。

 

 今日の『本日のお犬様』が発したニュースは以下の通り。


『最強の自宅警備員・守宮順敬、退任。以後、東都とうと圏の警備には守宮継嗣が任を継ぐ』

 



 ■



 それはまるで熱風だった。

 その報はたちどころに全国を駆け抜け、自宅警備員、またはそれを知る者たちの心を揺るがせる。


 活気ある西の大都市で、ある者は知己の友人に無言で拍手を鳴らした。

 粛然とした屋敷の奥で、ある者は深き情念から着物の裾を嬉し涙で濡らした。

 賑やかな大学の構内で、ある者は妬みから噛み締めた唇より血を滴らせた。

 枯れ果てた砂漠の地で、ある者はその名に激しく憎悪をまき散らした。

 照りつける太陽の下で、ある者は狂ったように哄笑をあげた。


 賞賛、憤慨、嫉妬、爆笑、呆然、後悔、痛惜、祝福。

 その報に、いかなる者も無関心ではいられない。

 その報に、いかなる者も感情の発露を抑えられない。

 様々な感情が渦巻き、それはまるで一つの熱風のように神州全土を吹き抜けた。



 無論、継嗣もその熱風の中にいる。

 かすかに燻っていた眠気は消え失せ、血走った目はもはや燃えるように赤い。 

 しかし、継嗣は燃え盛る気概の片隅に、不安と云う名のかすかな陰りを感じた。

 発奮すれど敵影、未だ見えず。己の空回る気概を打ち砕く術はあるのだろうか。


 そこにふと、ある人物の顔が浮かぶ。

 年が近い事から自宅警備員になる以前より交流を続けてきた、頼れる先輩である。

 その名も難波真なんば しん。またの名を『奮迅ふんじんの真』と渾名される自宅警備員の一角。


黄坂おうさか圏の真さんに相談してみるか……」



 ――本日も自宅に異常なし!

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