第15話・小さな芽

 民衆はどよどよとざわめいている。

 騎士団長として民からの信頼も厚かったかれだけど、『気でも狂ったのか』『魔女に操られてるんじゃないのか』という声がそこここから上がり、胸に刺さる。

 無駄なのに……建国からこれまで、この国を育んだ女神の恩恵を肌で感じながら育ったこの国の民、そしてその頂点の王家の人々にとって、女神の神託を否定するのは『神への反逆』……。王太子たちへの説得は無駄だと、自分ではっきり言っていたのに。


「エーディ、やめて。あなたまで罪を被ることになるだけだわ!」


 私は思わず叫ぶ。王太子は怒気をあらわに立ち上がり前へ出る。土砂降りの雨に打たれてもなお、その赤毛が炎のように燃えているように感じるほどに。


「今の言葉をすぐに撤回しろ! でないと」

「王子と騎士団長の位を剥奪し、反逆者として投獄するぞ。……むすこよ。そなたをこう呼ぶのを、最後とさせないで欲しい」


 王太子の言葉を、国王陛下が引き取った。今や、広場は静まり返り、ただ激しい雨が石畳を打つ音だけが響く。


「エールディヒ……そなたは、魔女の誘いに乗り、同じく邪道へ堕ちたのですか」


 王妃陛下の声は、努めて冷静を保っているようだったけれど、母親としての情が捨てきれずに涙混じりにも聞こえる。


 そして、どういうつもりなのか、ユーリッカはただ無表情にこちらを眺めている。でも、確かにさっき、一瞬笑った……。


「邪道へなど堕ちはしません。わたしの誇りは、護るべきものを護ること。わたしは敬虔な女神ラムゼラの信徒であり、騎士団長に就任した時、その誇りを命ある限り貫き通すこと、女神に誓いを立てたのです」


 エーディの声は嵐にも負けず、よく通った。


「では、先ほどの世迷言は、そこな魔女のまやかしで思わぬ事を口走っただけ、というのだな?」


 と陛下は念押しするように問いかける。


「エーディ! そうだと言って!」


 そうではない、女神は信じるけれど巫女姫は信じられない、とエーディが言おうとしているのを感じた私は、思わずかれに近づき、叫んでいた。


「マーリア? しかしわたしは」

「わたくしの無実を主張してくれようとするあなたの気持ちはありがたい……だけど、ここであなたまで反逆の罪を着せられたら、真実を知る者がいなくなってしまう」


 そう言って私は、自分の処刑台から広場を埋め尽くす国の民を見渡した。度重なる厄災に疲弊し、なにかを憎まずにはいられなくなった人々。心弱きはひとのさが。でも本当は信心深く優しい人々だったのだ。打ちのめされたのは彼らの罪ではない。


「いま。目が覚めたわ。あなたが命を賭しても真実を伝えようとしたことで」


 そう言って私はユーリッカに向き直った。


「この国の民はわたくしが愛し、護りたかったもの! たとえわたくしが濡れ衣を着せられ憎まれて殺される運命を変えられないとしても、本当の魔女に支配されたままにしていい訳がない! エーディ、民のために、リオンクールのために、生きて。リオンクールの民は、こんな憎しみに、苦しみに囚われてはいけない。わたくしは、もとの、幸せな笑顔に満ちた民に戻ってもらう為ならば、いまここで命を捧げましょう……この国の王妃となる筈だった者として。そして女神の国へ行き、ラムゼラにこの窮状を訴えるわ!」

「!!」


 ざぁっと強風が吹き、私の刈られた金髪を絡ませる。ユーリッカは表情を変えない。


 ……人々には、植え付けられた思想を変える事は難しいようだった。傍近くにいた兵士のひとりが、エーディに向かって、


「閣下! 私は巫女姫が魔女などというお言葉を許せません。私の妻は、五年前に瀕死の床から巫女姫の祈りによって救われました。私にとって、ユーリッカ姫は女神そのもの。それを、魔女だなどと……!」


 その兵士の言葉を口きりに、あちこちから非難の声が上がり始める。


「そうだ! 巫女姫ユーリッカさまの正しき御業を我々は皆知っている! ユーリッカさまが巫女姫に就かれて長い間、国は平安だった!」

「魔女は助かりたい一心で綺麗ごとを言っているだけだ!」

「首を斬ってみれば判るぞ!」

「騎士団長は騙されているんだ!」


「どうなんだ、エールディヒ。マーリアは、殺してよいと言っているぞ」


 ふたたびざわめき始めた中、王太子は真剣な面持ちで問う。私の言葉に動揺しているエーディは咄嗟に答えられない。


「エールディヒ。巫女姫の求心力はこの国の要。マーリアは国の為に首を差し出すと言うておるのに、緋のマントを纏うそなたがそれを解らぬか」

「この国をたて直すのにはそなたの力が必要です。私情を捨てなさい、エールディヒ!」


 ……もしかしたら。国王夫妻は薄々感じているのかも知れない。私が無罪かも知れないと。けれど、その上で、私を殺さずには事態を収められない、と、私を切り捨てると決めている……。

 だったら尚更、いくらエーディが私の無実を叫んだとしても、なんの意味もない。


「エーディ、わたくしの無実は、わたくしが知っていればそれでいい。だからもういい! 辛くても、わたくしを処刑して使命をまっとうして……そして生きて」


 私の運命に愛するひとを巻き込んではいけない。


『女神の国で待っているわ』

『長く待たせはしない』


 いいえ、かれには長く生きて貰わなければ。私はいくらだって待てる。


 だけれど、エーディは私の両肩を掴むと、皆に向かってこう言った。


「いまこの時も、きっと女神は見ておられる。無実の乙女を犠牲に国を救う? それは間違っている! 本当にわからないのか、誰も?! そんな選択をしては、女神はきっと、本当にこの国をお見捨てになるだろう! たしかに、以前のユーリッカ姫はわたしだって尊敬していた。しかし、彼女はまるで人が違ったようになってしまった。わたしはこの目で見た。彼女がセシリアさまを手にかけるのを!」


 雷鳴が轟いた。国王夫妻は顔を見合わせる。「嘘だ」「出鱈目だ」「どこに証拠がある」といった声があがる……が、なかには「もし……ほんとうだったら?」「間違いで魔女でない者を処刑してしまっては……女神の怒りが下るのでは」という声が出始めていた。最初は小さな声が、やがて大きくなってきた。


「処刑は延期して、セシリアさまの件を調べるべきではないのか」


 私とエーディは思わず顔を見合わせた。


 だが。ここで、ユーリッカは静かに立ち上がった。

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