第16話・救いの手

「延期? セシリアさまの件を調べる? そんな必要はありません」


 不気味なほどにユーリッカは冷静だった。


「どういうことだ? ユーリッカ……」


 王太子が不審そうに問う。彼はまだ完全にユーリッカを信じているようだけれど、だからこそ、彼女を疑う声が出た以上、もう一度調査をして潔白を示した方がよいのではないかと考えている様子だった。


 民衆は、巫女姫の言葉を聞き逃すまいと、固唾を飲んで彼女を見つめている。彼女は言った。


「先ほど、新たな神託が下りました。たしかに、セシリアさまは亡くなったようです。ですが……わたくしが手を下したなど……おお、とんでもないこと。わたくしはずっと王宮におりました。皆さまご存知の筈」

「そ、そういえばそうだ。彼女が席を外していたのはほんの僅かな時間くらい。とても、大神殿まで行って戻って来られる訳がない!」


 ユーリッカの言葉に、王太子はほっとしたようにそう答える。対してエーディは、


「貴女は邪神の力を用いてセシリアさまの所へ行ったのだ。邪神は貴女に必要な力をくれる、とご自身でそう言ったではないか!」

「エールディヒ王子、あなたこそ、何故セシリアさまがお亡くなりになったとご存知なの? あなたは牢で魔女を拷問していた筈では?」

「……っ、わたしは拷問に納得がいかず、セシリアさまにお力添えを願おうと思ったのだ。この点は、父上や兄上を謀ったこと、謝罪する。しかしおかげでわたしは真実を見る事が出来たのだ!」

「あなたの見た真実。それはあなたの言葉が語るだけ。ですがわたくしは女神の言葉を語る者。神託はこう告げています。あなたはもとより兄王太子の婚約者であるマーリアと密通し、魔女となったマーリアの言うがまま、彼女が邪神から授かった力を借りて、セシリアさまを殺しに行ったのだと!」

「! 出鱈目を!! そう言えばその罪をわたしになすりつけるつもりだと、あの時言っていたな!」


 けれど、ユーリッカの言葉は『神託』という単語を添えるだけで、一気に人々の心を引き戻してしまう。国王夫妻は、信じられないけれど、そうなのか? と言いたげな顔つきで私たちを見、王太子はといえば、その赤毛と同じ程に顔を赤くして激怒している様子。そして、私は。この時、彼女の罠に落ちた……言ってはいけない一言を浅はかに口にした。彼女はこの時の為に、用意周到に罠を張り巡らせていたのだった。

 エーディを巻き込む事だけは避けたくて、土下座をしてまで、その罪をかれには着せない約束をしてもらったのに……最初から彼女は約束を守る気なんかなかった。私は、彼女の言いぐさに耐えられず、後先も考えずに言ってしまったのだ。


「ユーリッカ! それは言わない約束だったでしょう!」


「マーリア!」


 エーディの叫びではっとしたけれど、もう遅かった。私は自分の罪を自分で認めたとしかとれない発言を、この大事なときに、してしまった……!


 王妃陛下はわなわなと震えながらがっくりと膝をつく。第二王子が、騎士団長が、兄の婚約者である魔女と通じていたとは、流石に気丈な王妃にも耐えがたかったようだった。


「ちがう、そういう意味ではないわ!」


 でも、さっきまで射していた僅かな光は消え失せ、最早私たちの話を聞こうとする者は誰もいない。冷静に考えれば、私にそんな力があるならさっさと牢から逃げ出してこんな窮地に陥っていたりする訳もないし、わざわざセシリアさまを殺しにいく必要もなかったと解る筈なのに!


「おまえたち、二人して俺を騙していたのか。よくも……よくも抜け抜けと涼しい顔でいられたな!」

「違います、アルベルトさま! 絶対に密通なんて、そんなこと、考えたこともなかった!」

「そうです、兄上。女神に誓って……!」


 だけど、怒り狂う王太子に更に火に油を注ぐようにユーリッカは、


「そう言えば、先ほどからのお二人のご様子は、まるで悲恋話の主人公のようでしたわ。最近は、あまり会う機会もなかった筈ですのに……なんてこと」


 と悲しそうに言う。


「王太子妃の座と騎士団長の愛人……両方を失いたくなかった。だから邪神に……ああ、なんて業の深い」

「ちがう、ちがう、ちがう!! エーディはなにもしていない! かれは悪くないわ!」

「そう……貴女から誘惑したの? でも……ふたりとも罪には変わりないわ。将来の王妃の身で……女神がお怒りになるのも無理はないこと」


 民衆は今や、ユーリッカの言葉に扇動され、激しい怒号をあげていた。


「殺せ!」

「斬首じゃ足りん、二人とも八つ裂きにしてしまえ!」

「巫女姫を貶め、セシリアさままでも! 悪魔!!」


 エーディは息を呑み、わたしを庇って立つけれど、数千の群衆に囲まれて、どうにも出来る訳もない。おまけに、怒りに燃えた王太子が剣を取り、


「俺が自ら成敗してくれる!」


 と向かってくる。


「ああ……わたくしが余計な事を言ったばかりに……エーディ……ごめんなさい」

「貴女のせいではない……魔女には誰も敵わぬ、というだけのこと」


 エーディは天を仰ぐ。


「女神よ……何故、こんな事をお許しになる……」



 私たちは寄り添って立ち、最早王太子の剣が私たちを斬り裂くのを待つしかなかった。



 だけど、その時。

 広場の端で、大きなどよめきが起こった。王太子も思わず足を止め、何事かとそちらを見やる。


「エールディヒ殿下! 遅くなり、申し訳ありません!!」


 力強く放たれたその声は……、


「グレン!!」


 グレンの率いる騎士団の一隊が、民衆を槍の柄で追い払いながら、こちらへ向けて駆けてくる!


「グレン・バートン! 貴様、まさか、国を護る騎士団の副団長の身で、王家に反逆し、魔女と密通者を庇う気か!!」


 王太子は見るだけで身の竦む程の怒りを込めた目でグレンを見据えたけれど、彼はびくともせずに、


「はい、そうです!」


 とこの場にそぐわない軽い返事をする。


「僭越ではありますが、わたしは実の兄上であるアルベルト殿下よりも、エールディヒ殿下の事を理解出来ているようで。そして続く者たちも皆、最初は戸惑いましたが、最終的に、巫女姫よりも殿下を信じると決めたのです」

「グレン! お前たち……自分が何をしているのか解っているのか! 反逆だぞ!」


 思わずエーディは呆気にとられて叫んだけど、グレンは、


「日頃の殿下の人徳の賜物です。そうでなければ彼らは動きませんよ。もっと自信を持って下さいよ!」


 と叫び返す。

 騎士は約数十人でしかなかったけれど、精鋭中の精鋭たち。道を阻もうとする民衆を、なるべく傷つけずに追い払い、あっという間に処刑台の傍まで来た。


「ああ、グレン。女神があなたを遣わしてくれたのかしら……」


 感極まる私に、


「何でもいいから、この場は逃げますよ!」


 と言いながら彼は空馬をエーディに差し出す。


「……済まぬ」


 とエーディはグレンに一言言うと、素早く私の縄を切り、私を抱きあげた。


「エールディヒ! 騎士団長ともあろう者が、逃げ出すのか! 貴様は王家の恥だが、少しでも騎士の心が残っているならば、俺と勝負しろ!」


 王太子が駆け寄りながら叫んだが、


「残念ながら兄上、いまの兄上とは勝負出来ません。わたしの申し上げたこと、理に適うか適わぬか、ゆっくりとお考え下さい」


 そして、両親に向かい頭を下げ、


「わたしとマーリアは決して罪を犯してはいません。いまはこれだけを申し上げておきます」


 と言い、私を抱いたまま空馬に飛び乗る。


「弓を、弓兵を! 奴らを逃すな!」


 と王太子は叫んだが、私とエーディは騎士たちに守られ、広場の出口へ向かっていた。あまりの急な事に、私は茫然とするしかなかった。

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