第14話・処刑場

 夢のようなときは容赦なく終わりを迎える。

 上の階に複数の足音が響き、ざわめきが近づくのを感じて、私たちは遂にそのときが来たのを知る。

 エーディは最後に私を力強く抱き締め、軽く唇を触れ合わせると、さっと立ち上がり、まだ湿った騎士団長のマントを纏う。女神よ、とかれは呻いた。

 女神よ、と私も心の中で呟く。どうして私たちをこんな目に遭わせるのですか? こんな事が起きなければ、私は愛を知らないままだった。でも、知らないでいた方がましだったのかも知れない。知った途端に私は死を与えられ、引き離されてしまう。

 それに、私は愛するひとを苦しめてしまうという事もわかった。さっき、処刑人がエーディでよかった、と言った時は本当にそう思っていたけれど、エーディが私と同じ気持ちで私を想ってくれているならば……もし私がかれを殺さなければならないとしたら、自分自身が死ぬことよりもずっと辛いと感じたから。


「女神の国で待っているわ……」

「……長く待たせはしない」


 かれがそう答えた時、扉が叩かれて、神官が入って来た。外には幾人もの兵士の影が見える。


「魔女よ。最後の懺悔をなさい。そうすれば、あなたの魂は女神の慈悲により……」

「懺悔など致しません。わたくしは魔女ではありませんから」


 神官の言葉を遮った私に、兵士たちは騒めき、神官は眉をひそめた。


「……では、邪神の国で醜い魔物となり、永遠に罪の炎に焼かれたまえ」

「わたくしの行き先は女神の国。お間違えにならないで下さいまし」

「女神は穢れた魔女を受け入れたりなさらない。だがこれ以上の口論は時間の無駄のようだ。所詮魔女、悔い改める事を知らぬ」


 そう言って神官は下がる。代わって兵士たちが部屋に入って来て、私の腕を掴むと、荒縄で後ろ手に縛りあげようとする。


「痛っ……」


 腕を捩じられ思わず悲鳴をあげる私を見ていられなくなったエーディは、


「彼女は逃げたりせぬ。縄は不要だ!」


 と兵士を制する。だけど兵士はその言葉に不審そうに、


「閣下? 処刑される罪人はこうして引き回すのが定めですが……それに、こやつは魔女。自由にさせておけば何をするか分かりません」

「だが」

「いいわ、縛りなさい。無実の者を縛り、引きまわしたと後で思い知るだけだわ」


 私は慌てて口を挟む。エーディが私に情けを見せれば、処刑人が変更されてしまうかも知れない……それだけは嫌……かれを苦しめるのは辛いけれど、これは私の最後の我儘。

 私の意図を感じたらしいエーディは唇を噛み、引きさがる。部屋の隅に立って、私が縛られ、大きな鋏で長い金髪を耳の下から切り落とされるのを、蝋のような顔色で黙って見ている。ずっと、傍に居るという約束だから。

 頭を乱暴に押さえられ、毎日手入れを欠かさなかった自慢の髪がばさばさと石床に落ちていくのを見て、惨めさに涙がとまらない。


「閣下、お具合でも?」


 魔女を成敗するという興奮に湧く中でひとり沈痛な面持ちのエーディに、兵士のひとりが声をかける。エーディの頬が束の間紅潮し、かれは何か言いかけたが、何とか自分を制して、


「なんでもない」


 とだけ答えた。


 そして私は表へ引き出される。最後に見上げる空はどんよりと曇っている。


 天蓋もない粗末な護送用馬車が曳かれてくる。

 私は否応もなく乗せられて。王宮を出て、市中を引きまわされる。かつて、お祭りやパーティの時に、王太子にエスコートされて王室専用の馬車の中から眺めた王都は美しくかがやかしく、人々は幸福な笑顔に満ち、私たちの馬車に恭しく礼をとってくれた。時々、馬車には一緒にユーリッカも乗っていた。私たちは、互いの衣装を褒め合ったり、流行の髪型についてお喋りしたりして楽しく過ごした。

 いま。私は粗末な囚人服を着せられ、不揃いに短く刈られたみっともない髪で、後ろ手に縛られ、人々の罵声を浴びている。俯く私に暴言や汚物が投げつけられ、人々は異様な興奮に包まれ、魔女の首が斬り落とされる瞬間を待ち望んでいる。

 馬車の傍には、騎馬のエーディがぴたりと付いている。私の方は見ようとはしない。


 霧雨に濡れて震える私が顔を上げると、馬車は広場にさしかかるところだった。広場の真ん中に、木造の処刑台が建てられている。処刑台から程遠くないところに、特別席が設けられ、国王夫妻やアルベルト王太子、そしてユーリッカの姿が見えた。

 この処刑は、いわば国を救う為の儀式。だからかれらは私の死を確実に見届けるために、そこにいるのだ。

 馬車は処刑台の傍で停まる。私は乱暴に引きずり降ろされ、いくつもの腕が強引に私を台の上に押し上げる。大剣を腰に佩いたエーディがその腕を振り払い、私の手をとった。


「懺悔させろ!」


 ひときわ大きく放たれたのはアルベルト王太子の声。拷問が行われなかった事を知ったのだろうか。


「わたくしは魔女ではないわ!」


 精一杯の声で叫び返したが、その声は彼に届いたかどうか。

 そして私の心の糸は今にも切れそうだった。憎しみと喜びに沸く群衆に押し潰されて。


「エーディ……早く、早く終わらせて」


 エーディは哀しげな顔で私を見て。


「こんな所へ連れて来て……こんな惨めな思いをさせて」

「あなたが約束を守ってくれたから、ここまで我慢出来たのよ……」


 私は広場を見渡す。埋めつくす数千人の観衆の憎悪の目。


「わたくしは魔女じゃない」


 だけどその声は、エーディと、処刑台の傍にいた数人の兵士にしか届かなかっただろう。


「もういいわ……さあ、あなたの手で、わたくしを女神の国へ……」

「マーリア……済まない」


 その言葉に、いよいよそのときなのだ、と思った。だけど……エーディは動かない。


 霧雨はだんだんと本降りになり、やがて激しい雷雨になる。顔を叩きつける雨が私たちの涙を流していく。見つめ合い、動かない処刑人と囚人に、群衆は訝しさと不満を声高に叫び始めた。


「なにをしている。懺悔させられないなら、さっさと首を斬ってしまえ!」


 兄の叫びに、エーディはゆっくりとそちらを向いた。


「朝までは、どうしてもそうしないといけないのならば、わたしは出来ると思っていた。たとえわたしが罪に堕ちようと、彼女の為に、わたしの手で楽にさせてあげなければ、と。しかし、出来ない……出来ないのです。そして、無駄と知りつつも、やはり言わずにはいられない!」

「なんだ。はっきり言え、エールディヒ!」

「彼女は、無実だ……兄上、あなたの隣にいるその女が魔女なのだ……!!」


 緑の髪の魔女の唇に、さっと笑みが走るのを、私はたしかに見た。

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