第5話・拷問部屋

 前には拷問人らしき男、後ろには王太子がついて、私は狭く暗い廊下を歩かされた。二人のランプの光では足元はよく見えない。ただ、じめじめしていて所々柔らかく靴が沈みそうになる。私の足の上をなにかがさっと素早く横切った。


「きゃああっ!!」


 私は思わずアルベルト王太子にしがみつく。彼は大きな腕で私を抱きとめたが、


「ドブネズミだ、大した事はない。魔女の癖にこんなものが怖いのか? それとも怖がって見せているのか」


 と馬鹿にしたように言う。

 今から酷い目に遭うのに鼠なんかに怯えているなんて、と私は慌てて彼から離れた。けれどもそれからも、鼠らしきものや虫みたいなものが足元を這いまわり、何度もそれを踏みそうになっては私は悲鳴を上げずにはいられなかった。

 悪臭はどんどんきつくなり、闇の中からは相変わらず、呻きや泣き声が聞こえてくる。


「痛い!! 許して、許して……」

「ああ、やめて! 言います! だから助けて、助けてぇぇ」

「もう殺せ……!! このまま殺してくれ!」


 ……いったい、何をされているのだろう。ある部屋の前では、ぴしりぴしりと鞭打つ音が聞こえた。また、別の部屋からは焦げ臭いにおいがした。肉の焦げるような……。

 ……私は何をされるんだろう……。足が前に進むにつれ、恐怖感が増してきた。拷問と言われても、本当のところ、その内容は私にはさっぱり見当がつかず、得体の知れなさが却って恐ろしい。


 拷問人が足を止めた。彼はランプを持ち上げ、目の前の頑丈そうな扉を懐から出した鍵で開けた。ギギギ……と不快な軋み音を立てながら扉が開く。中には何があるのだろう。激しく打つ自分の心臓の音が、呻き声と混ざりつつもはっきりと耳に届く気がする。


「さあどうぞ、レディ」


 拷問人はそんな私に何の同情心もない様子で、慇懃無礼に私の手を引いて部屋の中に招き入れる。彼のランプの灯りで、室内の様子が薄ぼんやりとだけれど明らかになる。私は悲鳴を押し殺した。


 壁には鋭い棘のついた鞭や焼きごて、一回叩かれただけでも骨が折れてしまいそうな太い金属棒、大型のペンチのようなもの……様々な拷問具が並べられていた。そして何より私を震え上がらせたのは、それらの全て、そして部屋の壁や天井や床、そこかしこに、飛び散った血の跡が染み込んでいたことだった。そして部屋の中央には、天井から下げられた手枷。その下には、まだ乾ききっていない血だまりが僅かに残っていたのだった。


「いや……いや……怖い! この部屋はいやぁっ!!」


 血だまりをみた瞬間、遂に私は耐えられずに声をあげた。ほんの少し前まで、この部屋は本当に使われていたのだ……そして次には私に。


「拷問でもなんでも、すればいいじゃない、と言ったのはおまえだ」


 王太子は私の悲鳴にも動じた風を見せない。


「この部屋が嫌ならば、さっき言った事を誓え……そうすれば、普通の牢へ入れるよう取り計らってやる」

「ひどい、ひどい、ひどい! それも絶対に嫌!!」


 民衆の前で膝を折り、「わたくしは巫女姫を妬み、国に災厄が起こると知りながら邪神に身を捧げた魔女です」と告白するなんて、死ぬよりも嫌だ。


「犯してもいない罪を認めるのは絶対に嫌!! 首を刎ねられる瞬間まで無実を叫び続けるわ!」

「……繋げ」

「アルベルトさま! いや!」


 泣き叫んで王太子に縋ろうとする私を、拷問人はしっかりと捕まえる。王太子は顔を背けて一歩退いた。両の手首を上げ手枷を嵌められた私は天井から吊り下げられてしまった。


「王太子殿下、何を使いましょうか。焼きごての為の火は既に向こうに用意してありますが。こんな綺麗な肌を焼くのは滅多にない事で」


 嗜虐的な喜びを滲ませた無慈悲な拷問人の言葉に私はただ涙を流すしかなかった。耐えられるのだろうか、その痛みに? 想像もつかない。でも何をされても絶対に耐えなければ……女神の信徒として、一度口にした誓いを曲げる事は出来ないから。だから、私は絶対に嘘の告白をするなんて誓いは立てない。


 拷問人に返したアルベルト王太子の言葉は、少し意外なものだった。


「いや、ここにあるものでいい。そうだな……あの鞭がいいだろう。そして、おまえはもういい。ここから下がれ」

「えっ、殿下が自らなさるんで? お召し物が汚れます」

「かまわない。これは私が引き受けたこと。他人の手に委ねたくないし、彼女がいたぶられるのをただ見ているくらいなら、私が手を汚した方がましというものだ」


 王太子の言葉に拷問人は驚いたようだったけれど、


「はあ、ご命令とあれば。じゃあ別の仕事をして来ますが、ご用があればお呼び下さい」


 と答えて出て行ってしまった。折角美味い仕事だと思ったのに、と呟きながら。


 拷問部屋に二人きり。分厚い扉は他の部屋のものとは造りが違うみたいで、さっきまではっきり聞こえていた呻き声は、微かなものになっていた。

 王太子は私の傍にある小机にことりとランプを置く。ランプの光がかれの赤毛をぼうっと染め上げたけれど、その表情は陰になって見えない。


「アルベルトさま、助けて下さる……の?」


 彼が拷問人を追い払った事に一縷の望みをかけて、天井からぶら下げられたまま、私は涙声で尋ねる。けれど……彼は首を横に振った。


「もう手遅れだ、マーリア。神託がすべてを物語っている。だがそれでも、元婚約者のおまえがあのような下賤の者に拷問を受けるのをただ見ているのは俺も耐えがたい。おまえが受ける痛みを分かつ事で、俺も終生この事を忘れまい」


 これが、彼の答えだったのだ。

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