第6話・希望と絶望

 何も言えないでいる私の側を通り過ぎて、王太子は、鉄製の棘がついた鞭を手にした。


「こいつの痛みで気絶した者は多いと聞く」

「お願い、わたくしは絶対に負けないわ。だからそんな事をするのは無駄よ、やめて」

「最初は皆、そう言う。だが結局は痛みに耐えかねて罪を告白するんだ。だから、そう、確かに無駄なことだ。邪神になど義理立てしていないでさっさと言ってしまえ」


 段々と王太子の意図が見えて来た。こうやって私を脅す事で、拷問を回避しようとしている。要するに、お綺麗な王子様は本当は自分の手を汚すのが嫌なのだ……。

 でも。そう思い至った途端。私のなかに怒りが湧いてきた。こんなの、卑怯過ぎる。こんな脅しに屈して、私が誓うと思っているなんて……馬鹿にしている。

 私は王妃になる筈だった者。女神への信仰篤い者。脅しに負けて、邪神に身を売ったと告白するなんて、そんな事をしたら、私がこの17年、公爵令嬢マーリア・レアクロスとして常に誇り高くあるべく生きて来た事がまったくの無駄になってしまう。


「わたくしは絶対に嘘は言わないわ。見くびらないで」


 私の言葉に、王太子は軽く目を見開いた。


「わたくしは女神ラムゼラの敬虔な信者。そして、この国の為に尽くせるように努めて来た誇りがある。私的な感情で国に厄災を招いたなどと嘘の告白なんて、殺されてもしない。それこそ女神に対する不敬行為だわ。決して脅しや拷問には屈しません。さあ、早くそれでわたくしを打ちなさいよ! 全身が裂けたってわたくしはやってもいない罪を認めたりはしないと、女神に誓うわ!」


 そうだ、しくしく泣いた所で運命は変わらない。ならば、せめて最期の瞬間まで、私は私の誇りを貫きたい……!


「そうまでしてしらを切りとおすか。最早救われんな、マーリア……」

「気絶したって起こして鞭打てばいいわ。そして、わたくしの返り血を浴びながら、自分が何をやっているのかよく考えればいいわ!」

「……わかった」


 王太子の声は微かな動揺を帯びていたが、それだけだ。

 彼は私の背後に回り、ドレスの首元に手をかけると一気にそれを引き裂いた。露わになった背に、彼は鉄の棘をゆっくりと押し付ける。ちくりと痛みが走る。


「こいつで精一杯ぶっ叩いてやるぞ。最後の機会をやる。綺麗な死体になりたいか、醜い死体になりたいか、選べ」

「何度言ったって無駄よ。さっさとやればいいじゃない! 本当は怖いんでしょう、臆病者!」

「っ、付けあがるな、生意気な口を!!」


 私の挑発的な言葉は、彼の自尊心を相当傷つけたらしい。ささやかな仕返し……だけど、彼が背後で鞭の試し振りをし、宙が唸り、金属が床を打つ音と共に、削げた床の破片が私の足にぶつかるのを感じると、私は思わず唇を噛んだ。


「いくぞ」


 その声に、私は目を瞑り、歯を食いしばる。本当に耐えられるだろうか? とてもそうは思えない、そのまま死んでしまうかも知れない。でも、ここで人知れず殺される方が、民衆の前でやってもいない罪を懺悔し、惨めに首を刎ねられるよりかは幾分ましにも思えた。


 だけど。王子が鞭を振り上げたその瞬間。

 誰も開けてはならない筈の扉がばたんと開かれ、知った声が聞こえたのだった。


「兄上!」


「エーディ!」


 私と王太子はほぼ同時に叫んだ。


 第二王子エールディヒ。父王と兄を支える騎士団長。銀髪に細面で男性にしては華奢だけれど、その剣の腕前は体格ばかりの兄よりずっと上。実力と、誠実で温厚な人柄から皆に慕われる人物。

 そして、私とは幼馴染の間柄。

 息せき切って現れたかれは、きっと女神が遣わした救い主に違いない、とさえ私には思えた。

 だけど。


「何しに来た、エーディ」


 不審そうな王太子の声にかれは、


「先ほど被災地から戻りまして、事情を聞きました。マーリアが魔女との神託が下りたとか」

「うむ、そうだ」

「彼女を処刑すれば、このリオンクールは救われるんですね?」


 と言うのだった……。


「ああ。俺にも責任はあるが、いまの厄災の全てはこの女が起こしたことだったのだ」

「違うわ! なにかの間違いなのよ。エーディ、わたくしを信じて!」


 けれどもエールディヒは縋るような私の言葉を無視し、


「兄上が自ら拷問して自白を引き出すおつもりと、父上から伺いました」

「ああ。俺の元婚約者だからな。俺がけじめをつけねばなるまい。処刑は、騎士団長のおまえに託すが」

「兄上、兄上の決意は王族として見習わせて頂かなくてはなりません。そして兄上、将来王となられるあなたが、そんな魔女の血で手を汚すなど、あってはならぬとわたしは考えます」

「なん……だと?」


 エールディヒは、兄である王太子に対して膝をつき、


「汚れ役は全てこのわたしが引き受けましょう。その為にわたしがいるのですから……兄上には、清らかなまま、玉座に就いて頂きたいのです」


 と言ったのだった……。


「おまえがマーリアを拷問すると言うのか」

「はい、必ず自白を引き出します。騎士団長の名にかけて……」


 王太子は少し考え込んでいたようだけど、


「わかった、おまえがそこまで言うのならば、おまえに任せる」

「兄上はこんな穢れた場所に長居されてはいけません。それに急にお姿が見えなくなったので、ホールでは皆が待っています」

「……わかった。しかし、手を抜くなよ? いくらおまえにとって幼馴染でも、国難を招いた魔女なんだからな」

「承知しております。我らが王国の為に」


 ……私は、希望を掴みかけたところで、また悪夢に引き戻された思いだった。エーディは私を助けるつもりも、話を聞いてくれるつもりもないんだ……。私を拷問する為に、慌ててとんできたのだ。

 かれとは子どもの頃には、実のきょうだいのように仲良く過ごした。婚約者だったアルベルト王太子は、いずれ王に、私の夫になる人と思うと、少し遠く感じられたけれど、同じ年齢の従兄弟のエールディヒは、両親から離れて暮らす私にとって、たった一人の家族みたいな存在だった。マーリア、エーディ、と呼び合って。

 でも、年齢を重ねるうちに、過ごす場所も移され、騎士になったかれと個人的に話すこともいつしか殆どなくなって……私も王妃教育をこなすのに忙しく、自然に遠い存在になってしまっていた。


 アルベルト王太子は、手にしていた鞭を弟に手渡す。少し、ほっとしたのか、額の汗を拭っている。


「すまんな。もうここの臭さにはうんざりしてもいたんだ。じゃあ、あとを頼む」


 そう言って、私の方を見る事もなく出て行ってしまった。


「エーディ……」


 天井から吊り下げられ、背中も露わにされた惨めな格好で、私は啜り泣いた。


「あなたも同じなのね。あなたは違うと思ったのに……わたくしの話を聞いてくれるかと……」

「話……か」


 エールディヒは私をじっと見つめる。その銀の瞳には、なんの感情も籠っていないように感じられた。


「もう……もう嫌。怖い……。どうして……わたくしは女神に誓ってなにもしていないのに。でも、国の為にわたくしを拷問し、処刑するのがあなたの役目……騎士団長の名にかけて誓ったあなたは、その通りにするのでしょう……もう、一撃で気を失い、女神の国に召されるその時まで、眠っていたい……」

「…………」

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