4.夜のブランコ

「お姉ちゃん」

「和揮……」

「やっぱりここだったんだね」

「うん」


 小さい頃、僕とお姉ちゃんが遊んだ近所の公園。

 砂場と鉄棒とすべり台、そして、ブランコがあるだけの小さな公園に、お姉ちゃんはいた。

 お母さんに怒られたときとか、僕とケンカしたときとか、お姉ちゃんは困りごとがあると決まってここに来て、ひとりでブランコに揺られるのだ。

 そして今日も、お姉ちゃんはブランコに揺られていた。

 もうとっくに陽が暮れて辺りはすっかり暗くなっていた。

 僕は、お姉ちゃんの隣のブランコに腰かけ、同じように揺らした。


「ケプラーさんの言った通りだったよ」

「うん」

「天野先輩、ヤリチンだった」


 僕とお姉ちゃんのブランコが、揺れる度にキーキー鳴る。


「ヤリチンのおしりかじり虫だったよ」

「お姉ちゃん……」


 青白い月の光が、二人並んでブランコに乗る僕とお姉ちゃんを照らす。

 そう言えば、今夜は満月だったか。


「あのあと、ひとりでカラオケに行ってさ」

「うん」

「『仮免ライダー』の主題歌、初代から全部歌ったんだ」

「そっか」


 嬉しいことや、困ったことや、悲しいこと。

 いつもと違ったことがあると、お姉ちゃんは決まって『仮免ライダー』シリーズの歌を歌うのだ。


「和揮」

「うん?」

「私から告白したけど……逃げ出して正解だよね?」

「かな」

「ヤリチンのおしりかじり虫だもん」

「だね」


 キーキーとブランコが鳴る。

 その音が、なんだか物悲しく聞こえた。


「お姉ちゃん、和揮のがいいな」

「え?」


 一瞬、耳を疑う。

 ひょっとして、お姉ちゃんも僕のことを――

 僕の心臓が倍速になったのも束の間。


「尖ったヤリチンなんて、ヤダ」


 ああ。


「和揮のみたいな、ω←こんなのがいい」


 なんだ、そっちかよ。

 ガッカリしたのと同時に、なぜかほっとする。

 月の光が、僕とお姉ちゃんを照らした。


「夏にさ、クラスの友達に誘われてバスケ部の試合見に行ったんだ」

「そうなんだ」

「応援したんだけど負けちゃってさ」

「うん」

「それが天野先輩の引退試合になった」

「そっか」


 青白い光を振り注ぐ満月を見上げ、お姉ちゃんがブランコを漕いだ。


「負けが決まったとき、必死に涙こらえててさ」


 ブランコが揺れる度にキーキー鳴って、


「でも、こらえきれなくて、ぽろぽろ零れてさ」


 その音が悲しくて、


「かっこ悪くて」


 淋しくて、


「でも、かっこよかった」


 まるで、泣いているみたいだった。

 キーキー、キーキー。

 満月を見上げたまま、お姉ちゃんがブランコを漕ぐ。

 そして、

 不意にブランコが止まり、

 お姉ちゃんが、僕に顔を向けた。


「ねえ、和揮」

「なに?」

「これは失恋なのかな?」


 その答えは、僕が返すまでもなく、お姉ちゃんの表情が物語っていた。


「お姉ちゃん」

「なに?」

「胸、貸そうか?」

「弟のクセに、なま言っちゃって」


 でも、お姉ちゃんの笑顔は、笑顔になり切っていなくて。


「和揮」

「うん」

「ちょっとだけ借りるね」

「どうぞ」


 お姉ちゃんは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を僕の胸に埋めた。

 僕とお姉ちゃんが乗るブランコが絡まって、キーと鳴る。

 胸に押し付けた、お姉ちゃんの体温は温かくて。

 肩は細くて抱きしめたら折れそうで。

 愛しくて、大切で、大好きで。


「お姉ちゃん」

「なに?」

「僕のお嫁さんになってよ」


 口走った台詞に、自分自身でびっくりする。

 でも、

 きっと今のは素直な気持ち。

 お姉ちゃんが僕のことをどう思っているのか。

 ただただ返事が聞きたかった。

 願わくば想いが叶うことを祈りつつ。

 どきどき、どきどき。

 返事を待つ僕の心臓が、早鐘を打つ。

 しかし、


「ヤダ」


 お姉ちゃんの返事はつれなくて。


「和揮のお嫁さんなんて、ヤダ」


 目の前が一瞬で真っ暗になって。

 でも、

 その先には続きがあって。


「和揮がお嫁さんがいい」

「お姉ちゃん――」

「和揮のが可愛いもん。和揮がお嫁さんがいい」


 ぐしゅぐしゅハナをすすりながら言った斜め上を行く答えに、僕は苦笑した。


「じゃあ、僕がお嫁さんね」

「結婚式には、可愛いウェディングドレス着てね」

「わかったよ、着るよ」

「お色直しは、三回だからね」

「はいはい。三回ね」


 苦笑しながら、ほっと胸を撫で下す。


「ありがとー」


 お姉ちゃんが涙と鼻水に濡れた顔を、僕の胸にぐしぐしと擦りつける。

 やっぱり僕は、まだまだ可愛い『弟』なんだ。

 いつになったら、僕のことをひとりの『男』として見てくれるんだろう。


「和揮が弟でよかったよー」

「はいはい」


 それがいつかはわからないけれど。


「ずっと弟でいてね」

「わかった、わかった」


 お姉ちゃんが僕のことを、男として見てくれるときまで。

 僕の想いに気づいてくれるそのときまで。


「かーずーきー」

「なんだよ」


 それまで、

 お姉ちゃんの一番そばに居られるのなら。


「だいしゅきー」

「僕もだよ、お姉ちゃん」


 弟でいるのも悪くない。




 了

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弟でいるのも悪くない へろりん @hero-ring

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