【序】Ⅷ『■■■■』


 土砂降りの中、泥濘に足を取られながらも必死に離脱を試みる人影が其処にあった。


 瀕死の重傷を負った身体を鞭打つように冷たい雨が絶え間なく降り注ぐ。


 思うように足が動かない。傷が痛む度、意識が黒く塗り潰されそうになる。此処で死ぬのか?と疑問を抱いては己の運命を恨んだ。


 物心ついた頃にはわけの分からない人間達に囲まれていた。自分の体を材料にして強化実験を繰り返し、兵器に仕立て上げた。


 気付けば戦場で多くの命を奪っていた。命令されるまま任務を全うして生きてきたが今日は違った。


 いつものように仕事をこなしていたら上空から『災厄』が大量に投下された。《アンノウン》である。


 生殺与奪の権は《アンノウン》に握られ、全ての生き物は奪われる側になった。無論、それまで奪う側だった自分や他の兵士達も例外ではない。


 あっさりと奪われる側になった自分達は《アンノウン》に襲われた。


 全身に幾多の風穴を開けられて地面を赤く染めながら転がる兵士もいれば、溶かされて服だけになった兵士もいた。《アンノウン》になって奪う側になった兵士もいる。


地獄と呼ばれる場所は此処なのだろう、とその時思った。


「!」


 足を滑らせて転倒する。うつ伏せで全身を強く打ち、口に泥水が入った。遠くから爆発音や悲鳴が聞こえるが今更どうでもいいことである。


 色も個性も奪われた自分に残るものなど何も無い。このまま目を閉じて最期を待つのみであった。


「このドッグタグ、君のかい?」


 嘲笑うように自分の体を濡らしていた雨が止み、代わりに頭上から問い掛けが降ってきた。

 

 視線だけを向けると、この場に似つかわしくないスーツ姿の青年が傘を差して見下ろしていた。


 何も刻印されてない銀色の認識票を自分に差し出して微笑む青年を見据えながら徐に口を開く。


「誰だ?」

「君こそ誰さ?」

「分からない。」

「じゃあアンノウンだね。」


 小馬鹿回しをする青年に僅かな殺意を覚えた。


 自分には家族や名前が存在したのか分からない。首から下げていたドッグタグは仕方なく身に付けていたに過ぎない。


 特に気にしなかった。気にしても無意味だと思っていたのに今まで無かった感情が堰を切ったように溢れ出す。


 冷えきった指先に力と熱が戻っていく。


 青年に覚られないように忍ばせていた予備のナイフを手に取ろうとした時である。


「死にかけなのに随分手際が良いね。」


 突然何かが腕を拘束した。急いで振り返ると黒い靄が自分の腕に絡み付いて動きを封じ込めていた。


「本当は《アンノウン》の監督役で来ただけだし、お土産とか考えてなかったけど。」


 その度胸気に入った、と青年の足下から出現した大量の靄が襲い掛かり、全身を拘束する。


 ナイフを手から遠ざけると畳み掛けるように全ての傷口に入り込み、体内への侵入を開始した。


 内側から食い尽くすように黒い靄が暴れ狂う。今まで味わったことの無い激痛に絶叫する彼を青年は笑みを浮かべて見据えた。


「これだけはどうしても適材適所なんだけど頑張ってね。運が良ければマスター・ダークネスに会わせてあげる。」


 青年の言葉が終わる直前に男の意識は途絶えた。

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星音彩韻ギャラクシンフォニア シヅカ @shizushizushizu

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