第30話 刻まれるデッドロックカウンター。
プオリジア暦637年。夕刻から降りだした雨は一向に止む気配を見せず、時折雷の唸るような音が空を鳴り響いている。
「………。」
私は頬を滴る涙の熱さに目を覚ました。
…目覚めの悪い夢だった。私が死んでしまうような生々しい悪夢だ。とても痛くて苦しくて─哀しい。
…頭が混乱する。どうもあれから記憶があやふやだ。あの後コンステラ様のガウ車に乗せてもらって宿を出発したはずなのに、気付けばここは宿の寝室。隣には呑気に眠るアルケイドも居る。
「…やっぱり夢なのかな。」
『夢』とは『過去の追体験』だとディニオスが言っていた。経験した出来事を元にして、回避策やらなにやらを考えるのが夢の仕組みだと。だから経験したことのない出来事は夢の中で曖昧になったり、途切れてしまったりするらしい。
私は小さい頃、ディニオスに命を救われた経験がある。あの夢はきっと、そうした出来事を元にして作られた追憶のようなものだったのだろう。夢とは思えないほどの生々しさだけは、未だに納得できないが。
「……アルケイド。」
不安になった私は、隣で熟睡しているアルケイドの背を揺すった。別に雷が怖くて寝付けないわけじゃないのに、外が雷雨だったせいで変な誤解もされてしまったが、それはまあ気にしない。
「…ねぇアルケイド。私ってさ、いつのまに寝ちゃったのかな?」
私は一先ず、腑に落ちない点を尋ねた。そもそもガウ車に乗っていたはずの自分がどうして宿屋に戻っているのか。これがおかしい。
「んー…。ベッドに潜って即グッスリだったぞ。雨が止んだら明日こそガウ車に乗るんだって意気込んでたし。」
「え?…そんな事、私言ってないよ?それにガウ車なら今日乗ったじゃん…。」
「寝ぼけたのかエリー?…確かに俺達はガウ車に乗ったけどさ、出発する直前にデカい雷が落ちてきただろ?それで危険ってんで、今日は宿で泊まる事にしたはずだぞ。」
「そんなわけ……。」
やっぱりおかしい。がう車に乗ってからの出来事は全部夢だとしても、記憶が全然噛み合わない。自分が馬鹿になったとは思いたくないけど、こんな経験は生まれて初めてだ。
「私がヘンなのかな…。」
「お前が変じゃない時なんてあったか?」
「うわ、ひどい…。」
結局、いくら言及してもアルケイドに話を茶化されてしまうので、私はすっかりふて寝を決め込んでしまった。
「それにしてもデカい雷だったよな。あれがリギアで流行りの大規模魔術ってやつか?まるで光の柱みたいだった。」
「……光の、柱。」
薄っぺらい窓枠を叩く嵐の音。鳴り止まない雷の音。
光の柱。─光の剣。天成剣。理由は分からないけれど、私に秘められた記憶が容易にとその言葉を連想させる。
天成剣。もう少しでもあれを上手く扱えるようになれば、アルケイドの負担も減らせるはずなのに。未だに甘えてしまう自分が情けない。
…もしかしたらあの残酷な夢も、力を使いこなせない自分への戒めなのかも知れない。そう思えば、自然と納得が出来た。
「早く寝とけよ。」
アルケイドが私に毛布を掛ける。ありがとうと呟く私の声は、激しい雨音がかき消した。
*
翌朝、コンステラ様の厚意を受けてガウ車に乗り込んだ私達は、雨でぬかるんだばかりの柔らかい道に車輪を走らせて亡霊の谷の方面へと進んでいく。亡霊の谷はその名の通り日中を深い霧に包まれた薄暗い渓谷だ。初めて訪れる場所のはずなのに、何故だかここには妙な既視感がある。まるで同じ出来事を繰り返し見ているかのように、私は御者ゴブリンの持つカンテラの形状もはっきりと覚えている。
「あー…コンステラ様、この先は通れそうにありません。」
しばらくして御者ゴブリンが急にガウ車を停め、前方の道を指さす。昨夜の大雨で地盤が沈んだのだろうか。道の先には巨大なクレーターのようなものが出来ている。それを見た私はなぜだか奇妙な気分になった。ずっと感じていた既視感が唐突に途絶えたような気がする。なにか悪い事が起きなければいいのだけれど。
「たわけめ。妾に通れぬ道なぞ無いわ。者共下がっておれ──いでよ氷盾スヴァリン。」
コンステラ様が権杖を掲げると、地盤の沈んだ道に大きな氷の橋がぱぱっと掛かってしまった。本当にあっという間の出来事だ。
「なんつうか…規模が違いすぎるだろ…!!」
「ふん。この程度の事…多少疲れるだけで造作もないわ。」
「多少疲れはするんだね…。」
コンステラ様の作ってくださった橋を渡って私達は青龍の領地へと急ぐ。そうしなければいけない理由がある気がして、私は躍起になりながらガウ車を急がせる。
「どうしたエリー?そんなに急いでも亡霊は出ないだろ?」
「でも…。ものすごく嫌な気配がするんだよ…。」
「その気配、どの辺りから感じるんだ?」
「後ろの方…霧の奥からずっと。」
そう言って、ガウ車の後ろを確認する私達。霧で覆われた道のどこかから微かな気配を感じる。殆ど気のせいと変わらないくらい微弱な気配だ。
後ろだけじゃない。左右からも。前方からも似たような気配を感じる。…いいや、もうとっくに囲まれているんだ。
「アルケ───!!」
誰かの手が叫ぼうとする私の口を塞ぐ。アルケイドじゃない。彼の腕がこんなに冷たいはずがない。
……夢で見た光景と同じだ。暗殺者が私の命を狙おうとしている。腕は振り払えず、魔術の剣の鍛造も間に合わない。次の瞬間にも私は背中を一突きされて……。
「──功を焦ったな。暗殺者共よ。」
貫くような音と共に、凍てつく冷気が背筋を通り抜ける。…血は流れていない。次にどさりと音がして、私の背後に氷漬けの黒装束の男が崩れ落ちた。
「…これ、って……。」
「フム…おそらくは王位継承者を狙う魔王直属の暗殺部隊か、その一派であろうな。二人ともガウ車に身を隠しておけ。貴様らの命はこの妾が責任を持って預かっている。」
コンステラ様が氷漬けの黒装束をガウ車から蹴落とすのを見て、私はようやく我に返る。あまりにも一瞬すぎる出来事だったので、アルケイドも抜刀をしたまま唖然としている。
「…すまない、コンステラさん…。本当なら俺が一人で相手にしなきゃならない状況だってのに……。」
「気にするでない。無論貸しにするがな。」
アルケイドのお礼にさも同然のような顔で答えるコンステラ様。王の候補に貸しを作るなんてちゃっかりしてるなと私は思った。
*
薄暗い亡霊の谷を抜け、谷の大きな関所をくぐり抜けると、そこはもう草木の生い茂る緑豊かな青龍の州だった。昨夜の雨粒がしずくのように残る林道を通り抜けた先に、最初の目的地である青龍の都が見えてくる。
「すげえ…森に囲まれた自然の城塞って感じだ…。」
「大したものであろう?…もっとも南方守護の要であるエンオーザー山脈の地形には流石に見劣りするがな。」
「エンオーザー……。朱雀の州だよね。隣国テオスとの国境沿いにある山脈。」
テオス。…人間の王国。その名を呟いて思い出すのは、やっぱりデュミオスの事。今はまだ内乱で国がメチャクチャだけれど、魔族の私もいつしかお父さんの生まれ故郷に行ってみたいなと、ちょっとだけ憧れてみたりもした。
E.S.R.I.1 《Deadlock Chronology》 築山きうきう @kiukiu9979
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