1.Angel of Death 4

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『御使様……そんな……』

  環はその声を聞いて彼女が無事だったことに安堵していた。だが同時に激しい咳に襲われる。

  他の無人機たちが環の戦闘機に気づいたように飛んでくることがHMDの情報からわかり、環は眉を潜めながらも応戦する。

  結局、前と同じように一人で来てしまった。前回と違うのは、敵の声が何一つ聞こえてこないこと、そしてすでに先ほどの地対空兵器SAM以外の敵の目を欺瞞して全てを終わらせることができなくなっていることだった。

 敵の欺瞞手段は、先ほどのようなハードウェア的なステルスコーティングでも、妨害電波のランダムな発信でも、あげく曳航えいこうデコイでもない。

 今まさにCOIL上から脳へと知識を取得しながら、このS-35Vに搭載された人工知能用のリソースを活用して無意識的に再構築を繰り返して欺瞞攻撃のプログラムを送り続けている。この機体は未知のウイルスが大量に培養される工場であり、レーダーに乗ってウイルスが解き放たれている状況ということだった。機械からすれば、病魔を撒き散らす災厄そのものだ。

 敵の戦闘機から逃れるように飛んでいても、ミサイルアラートが連続で鳴り響く。自分の背後に無人機が張り付いていて、それがミサイルを放ってきた。だが、発射された距離から考慮すれば、まだ回避不能領域No Escape Zoneからの攻撃ではない。機体の高度と、その速度を維持しながら機体を横に倒し、機首を引き上げて、強引に旋回を行う。体に襲いかかってくる体重の数倍の重みに耐えながら敵の攻撃を回避し、その最中に次の脅威になるとみられる無人機へと空対空誘導兵器ミサイルを選択、機体をもとの水平に戻して、発射する。機体が軽くなったかと思えば空対空誘導兵器ミサイルは飛んでいき、やがて無人機と一体となり、爆発を巻き起こす。

 無人機たちの力そのものは、戦闘機からすれば大したものではない。けれど、撃墜するたびに羽が失われ、軽くなっていくこの機体S-35Vが、不安を駆り立て、環に引き伸ばしたくて仕方なかった決断を迫っていく。

  敵を攻撃するときに使っている空対空誘導兵器ミサイル。それは敵一体に対して、一つしか使用することができない。なによりも、今見えるだけで敵の数が空対空誘導兵器ミサイルの数を超えていて、反撃には限界が来る。そのことを、再び訪れるミサイルアラートのけたたましい音を聴きながら、そして急旋回を続けながら考えていた。もとよりこんな誘導兵器の使い方でどうにかなると思って戦いに来たわけではなかった。敵の目を欺瞞し、地上にいる彼女を避難させながら攻撃を実行するだけのつもりだった。けれどその手段すらすでに役に立たなくなっていた。こうして敵の防壁を強制的に突破して支配するいたちごっこを続けたとして、今までのように敵の目を掻い潜り続けられるかはかなり怪しい。

 けれど敵への侵入において使用されているウイルスの精製速度を見て、衰えたものだ、と環は自嘲的に笑う。自分の意思が、まもなく機械たちに反映されなくなろうとしている。

 まだ自分の見た目は世間で言えば若くしか見えないだろう。けれどこの体はすでに寝たきりの老人よりも、ずっと深刻な身体機能しか残っていない。そんな状態の入力では、並列に接続して対処できる量も徹底的に劣る。ほかの通常のCOILの使い方をする天使よりも並列接続量が桁違いだった全盛期に比べ、現在はおそらく、通常の天使たちと接続可能数は同じか、それ未満だ。通常のCOILを使う天使は、それでも現実世界においてCOILの情報に踊らされ、行動に支障が出る領域となる。だから救済者と呼ばれる主導者を使用して、彼らを導かなければならないのだ。

 そして自分もまた、行動に支障は出ないにしても、その攻撃能力を喪失しかかっていた。並列処理を意識的に行わなければならない状況とは、言ってしまえば日がな内臓を動かすために手を動かさなければならない状況であり、いままさに自分の体の中と脳では、生命維持にリソースが割かれている。戦闘においてウイルス生成で無理をすればするほど増える全体のタスク処理は、綱渡りの状態に近い。それなのに、敵は永遠に追いすがってくる。

  もうすでに全力だ。それすらも、敵は数で超えようとしている。

  まだ覚悟ができていなかったことに、それなのにここまで飛び出して来たことに、環は自嘲気味に笑う他なかった。

  限界を目ざとく悟るように、彼女の声だけが届く。

『御使様、ここから逃げて、お願い』

「そうするわけにはいかない」環は空を駆けながら歯を食いしばる。みんないつもそうだ。助けたいと強く思った人ほど、そうやって言ってくるんだ。

『あなたがいまとても無理をしているのを、さっき知った』

  不器用だからね、と環はいつものように、彼女に聞こえないようにと願いながら呟く。時々自分の弱音が彼女のもとに届いていたのかもしれない、だからこそ、彼女にこれ以上弱音を晒すわけにはいかなかった。

『どうしてっ、どうしてそうまでして、あなたは戦っているの』

 そんなの、はずかしくて言えるわけないじゃないか。聞こえないように祈ったそのとき、『はずかしいだとか、そんな答えは聞いてないっ』

 その声に、環はついにが実現不可能だったことを悟る。

 ただ一つの希望を手にするならば、もはや道はひとつだけになった。

  いよいよ決断の時だった。空対空誘導兵器を放って無人機を撃墜したことで、ミサイルは残り二発になった。この体も限界に近く、もう引き返すことはできない。

  そう、この体のままでは。

 だから、最期に伝えておかなければならないと思った。

「君に、COILの真実を教えるよ」

  環はもう一度敵の無人機に向き合い、あるシステムを起動する。それの名前として記されていたのは、この世界の誰もが探し求めていた、だった。

「白金の鍵はね、悪魔に盗まれてなんかいない。そして、これはCOILを使用可能にするだとかいうものじゃない。COILの本来の力を解放するシステム。使えば自我を喪失し、やがて悪魔に堕ちていくもの」

 環は、結論を述べる。

使

 相手から驚きの声が聞こえる。環は、何かを諦観したように呟く。

「真理に通ずる究極の門はすでに目の前にある。けれど、僕達はまだ、この鍵を使っても、悪に堕ちるしかなかった。だから、この鍵を使ったとしたら半端に自我が残っている状態の間に、終わらせるしかない。それが、情報統合局IIAの出した、最終手段の結論だ」

 まって、という声が重なって聞こえた気がした。けれど、環は宣言する。

「今度こそ、消し去ってやる。大切な人たちを奪い続けた悪魔を、技術特異点シンギュラリティを!」

 白金の鍵のシステムを起動される。同時にシステムは無人機へとS-35Vのレーダーを使って無線に情報を乗せ、何かを送り込んだ。機敏に動いていた無人機達は途端に旋回を止め、滑空状態になる。

 環の血管の内側から、何かが暴れまわる感覚がした。強烈な頭痛が襲いかかる。自分の体全てが分裂していくような感覚。目の前が暗くなって、消え落ちていく。痛みだけで世界が遠くにかけ離れていく。それでも環は宣言する。

「僕の体は限界を迎えている。けれど、この機械達は、この六枚の翼は、砕けていない……」

 最期に、彼女の声が聞こえた気がした。

 行かないで、環。

 そうして、体の感覚の全てが焼け切れたかに思えた。

 無人機達の反応は復活する。機敏に旋回を続け、環の戦闘機へと近づいていく。それはぶつかってくるのではなく、機体を隊列として組み直した。

 環は、すべての無人機の感覚が、その視界が、同時に理解できることを、そして自分の体の感覚が、完全に回復していることに驚いた。

 信じられない。これが、COILの本当の力だということか。そしてこの力が悪を導くという真実が、到底理解できなかった。

 だが、準備が整った。声を聞かせてくれた彼女へ、一言語りかける。

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メリクタウス・エクス・マキナ【Melik Taus Ex Machina】 倉部改作 @kurabe1224

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