Angel of Death

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 私の危機のたびに現れる彼は、力強くて、恐ろしくて、だからこそ、天使のようだった。

 救済者である私の右手には、短機関銃のようなもの。左腕には同胞の亜紀を抱え、彼女から溢れる熱い液体が、白い装束を赤く染めていく。

 それらを顧みながらも、私は、未歩は、暁の空を駆ける鋼鉄の天使達を眺めていた。敵の基地すべてが破壊され尽くしたなかで。

 六枚の翼。自らを空へと擬態する形状。背負われた太陽のような熱機関エンジン。今ならその天使が、オルトラハム軍産複合体Military-industrial complexが開発した戦闘機、Spirit - 35 Viper──S-35Vであることが未歩にもわかる。先頭の戦闘機に一瞬だけ見えた六枚の翼のロゴマークは、自らの同胞であることを示唆させている。

 いや、それ以前に、彼をよく知っていた。

 なぜなら、こうして私が死の淵に立つたびに、そして祈るたびに、その胴に提げた稲妻とその全てを制御する力で、目の前の敵すべてを支配し、あるいは消し去ってくれたのだから。

 彼は、全てを見通している。それはあの機体に載せられている、大量の電子探知機レーダーによるものでも、パイロット自身の目や、あげく彼の経験でもない。彼の、天使の頭の中にのみ存在しうる叡智のつながりが、それを成し遂げている。

 それは、かつてこの世界に預言をもたらすために使われてきたもの。天使が預言者たちに御言葉すべてを誤ることなく伝える、究極の器官。神々はそれを、COIL— The COllective Intelligence cLoud— と呼んだ。

 天使は生まれたその時から、叡智の渦COILを使うことで、魂を高位へと飛翔させる。神と人間が生み出し続けた数多の叡智の道具を使いこなし、その叡智によって自らの魂をより高度なものへと変貌させていく。そこには、自由があるのだと知った。

 私は、天使になりたい。

 この理不尽な戦場を、どうしようもない私を終わらせて彼を救える、その叡智が、翼が、欲しかった。

 しかし、私は人間だった。つまり、その力を得ることは叶わないはずだった。

 何よりも、求めることすら禁忌に値すると、多くの人は言った。COILとは、毒であり、禁断の果実だ。と呼ばれる、今は失われた技術を使用して人間が禁断の果実を取り込みでもすれば、後世のすべてが原罪を背負うこととなり、さらに天使と同じような運命を— 永遠に人間に蔑まれ、戻ることのできない不可逆の運命をたどることとなるという。

 それでも、私は止まらなかった。

 それは彼が私を、何度も助けてくれたからだった。そして、彼も助けを求めているかのようだったからだった。

 私は弱かった。私はとても内気で、怖いことは大嫌いだった。なのに、何度も怖い目に遭って、そのたびに怯えて、泣くことしかできなかった。みんな、震えたり、泣いたりしている私を見て、いじめてきた。

 私の周囲には、いじめてくる人たち。彼らは、彼女達は、私にこう言ってきた。

「泣いても済むわけないじゃん」「あんたのために教えてあげてるんだよ」「オルトラハム人じゃないからついていけないんだ」

 そんなあるとき、私は男の人に襲われそうになった。声も出すことができず、心の中で助けを求めた。そのとき、自動運転の小さな車が暴走して男の人を跳ね飛ばして、足止めしてくれた。私は怖くても、逃げ出すことができた。

 同じ学校でいじめてくる人達がわたしにいつものように嫌がらせをしようとしたときに、彼らの端末を一斉に彼ら同士で電話を鳴らして嫌がらせを止めてくれた。

 彼は機械を乗っ取りながら、悪い手段を使いながら、弱い私を助けてくれていた。誰かが私を守ってくれていることは気づいた。けれど、こんなに何度も機械への乗っ取りができることが私は信じられなかったし、同時にもっと恐いものが、私に取り憑いたんじゃないかと不安になった。周囲からも幽霊付きと呼ばれていじめられることはなくなったけれど、幽霊は怖くて嫌いだった。

 そのとき、私はいま空を飛ぶ彼の声を、心の内側から、聞いた。

「この争いを、その理由になっているこの無価値な争いの種の僕達も、終わらせなくてはならないだろう。そうしなければ、いずれこの争いは無限に広がって、すべてが滅ぼされることになる。僕たちは、おしまいなんだ」

 会ったこともない。話せたこともない。そして、この声は幻覚なんだと、私は何度も思ってきた。けれど、気づけば彼の言葉に違うと伝えたい私がいた。私は必死にこう言った。

「おしまいなんかじゃない。あなたは無価値なんかじゃない。あなたは争いの種じゃない。あなたは、私を争いから助けてくれたでしょ」

 心のうちにも、声に出しても、何度も言った。彼は私の声に応えてくれることはなかった。やがて彼の独白はもっと深刻なものになっていた。

「僕たちは、この世界にはあまりに早すぎたんだ」

 そんなはずはない、と私は言った。この声を伝えているのが幽霊だったとしても、私は違うと言い続けた。

「弱い私を見出して救ってくれたのは、あなただけだったんだから。あなたが、私を何度も助けてくれた御使様だったんだから。だから、早すぎただなんて言わないでよ」

 彼の語る、その強大な力とは似つかわしくない言葉の数々。気づけば、彼の声が愛おしくも感じはじめていた。彼の意図していないところで声が届くことを、ずっと私は期待し続けてもいた。そんな自分が恥ずかしくなってきて、それを紛らわせるために声が届く理由を求めて文献を求める旅を続けた。

 数々の文献を読み漁っていくうちに、脳と密接に絡むCOILによってもたらされている可能性に、私は気づいた。

 彼は、COILを使う天使かもしれない。

 彼に会いたかった。COILというものを知って、彼を助けたいと思った。

 気づけば、私はCOILに関する研修室のある大学院にいた。最難関と呼ばれたCOILの研究開発の試験を越え、COILの研究者として参加して、ついに天使たちのCOILを解析する部隊に辿り着くことができた。そのなかで、現在最も高難易度と呼ばれる最前線、戦場におけるデータを収集・解析する部隊に入り込むことができた。

 けれど私は、彼にいまだに会えていないことに焦った。たくさんの天使達に会っても、そして解析部隊から救済者という天使を総括して戦場を駆ける人間になっても、いまだに彼に会えなかったからだ。焦りは、周りの人の死によるものでもあった。共に働いてきた友人も戦場で死に、両親もなぜか早くいなくなって、ついに私はひとりになった。

 私は以前の戦場で、彼と似て非なる者、悪霊ゴーストと呼ばれるサイバースペースの攻撃者に出会った。

 それもまた目に見えないものだった。悪寒を走らせ、私が怯えていたその時、周囲の天使達にも同様に襲いかかっていた。彼らのCOILによる通信を妨害し、恐怖で喰らい尽くして動けなくすると、やがてショックで絶命させ、また銃弾によって殺されていった。

 そのとき、空を駆ける彼と出会った。

『危ないよ』という彼の声が、その戦闘機から来ていると感じた。同時に、彼は戦場の中枢に爆弾を投下して、その戦場を、その悪霊を鎮圧したのをついに見た。その機体のロゴマークを一瞬だけ見て、私は自分が絶対に会えなかった理由に気づいた。彼は、空軍の熾天使だった。天使の中での最上級の戦果を持つ人物。その特務ゆえに一般人との接触をほとんど禁止され、会うことはほとんどできない人物だった。会うことができるのは、軍のなかでも将校のみに限られ、もしも私でも可能であるとしたら、彼の空軍の部隊に参加するしかなかった。

 COILの力を、自分に取り入れたいという欲求が強くなり続けた。

 彼に会いたい。彼を助けたい。そのために、COILの力が欲しい。だから、白金の鍵を手にした暁には、それをなんとしてでも自分に使いたい。

 そうすれば、この世界にあまりにも早すぎたと絶望していた彼を、本当に助けられる。それだけが、この悲惨な戦場のなかでも、軍にしがみつき続けている理由だった。

 彼によって、熾天使によってもたらされた稲妻はあまりに激しく、この基地はもはや、廃墟と化していた。それは硫黄が降り注いだかのようであり、今後、ここには人が暮らすことはなく、その場所すらも忘れ去られてしまうのだろう。聖書に書かれる悪徳の街のように。

 神の支配は、ほとんどの国家に適用された。すべては神の庇護にあっても、こうした飛び地には、結局は天罰を下しに行かなくてはならない。その天罰とは、神の稲妻ライトニングと呼ばれる戦闘機での制圧であり、その権能をもたらすためには、諸処の虐殺が必要とされた。

 その虐殺を巻き起こすべく投入されるのが、私たち。強力な感情で天使を誘導する者。上位たる神への思想を反映させる者。神秘と悟りを統合した誉れ高い攻撃者であり、様々な出自の人間を束ねる、救済者だった。

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