Prologue

 私は、天使になりたかった。

 それは、憧れのようなものだったのだろう。

 私をいつも守ってくれる天使がいた。そんな彼のようになりたいと、私は思っていた。

  優しい彼を、なんとしてでも救うために。

 二〇四五年。この地球に神の国が現れてから二十五年の歳月が経過した。世界には本物の天使達が現れ、彼らは神託をもとにあらゆる手段で逼迫した人類の救済を行ってきた。彼もまた、そんな御使エージェントのひとりだった。

 彼の現実の翼は鋼鉄製だった。彼は戦闘機パイロットであって、自分の体から翼が生えていたわけではない。天使には両親もいて、私たち人間とも見た目は変わらない。しかし、彼らの魂には、翼があった。それが、天使と人間の違いだった。

 私は、翼が欲しかった。そうすれば、神の部隊にいながら、いつも彼に助けられてばかりな私を、やめることができる。そう、私は、私が大嫌いだった。ただ世界の底に飲み込まれ、振り回される自分を見ているのが、とてもみじめな気持ちだった。

 でもその力を、翼を人間が持つことは、神によって禁じられていた。それは、人間にとって毒とされたからだ。

 毒の正体は、創世記に起きた、人類史上最悪の裏切り。神の教えに背き、禁断の果実を食べ、知識を得てしまったという伝承。すなわち、原罪。禁断の果実は叡智を授けるが、感情に支配される人間のためのものではなかった。神々の感情以外に左右されることのない、天使のためのものだった。だから、感情に支配される人間にとって、毒として機能した。

 果実は、知識は、不完全な人間に恥をもたらした。産みの苦しみをもたらした。麦を得るための労働をもたらした。それらの苦痛はやがて、人間を怒鳴りあわせ、奪いあわせ、殺しあわせた。

 そして、二千年過ぎ。極東の太平洋、日本の伊豆大島にて、突如として国家が生まれた。不意に現れた国民たちはオルトラハムを名乗り、「神々の国である」という大号令のもと、この逼迫した世界に国家をつくりあげた。その力強い主張スローガンは、世界の全ての問題を一挙に解決する、紛れもない神としての理念だった。そしてオルトラハムは、総帥、救済者、天使を使い、そして天使の体内に宿る果実をもって、神であることを体現した。

 全ての製造を一挙に引き受ける体制を構築することで不可能と呼ばれるほどの低コストを実現させ、製品はすべて神の国から購入させることで解決した。いまや、海上都市の輸出は小国だったはずのオルトラハムを巨大化させ、他の国すらも拡大させる得意技となった。

 次世代の食料と、海水を飲料水に作り上げる力で、世界から飢餓の問題を解決した。

 太陽光をエネルギーに変換する技術を完成させて世界に展開し、この世界からエネルギー問題を解決した。

 この数々の技術転換は、まるで世界に奇跡がもたらされたかのようだった。世界は苦痛なきオルトラハムの恵みを受け入れ、発展が繰り返され、いよいよ人口は二百億人になろうとしていた。

 しかしこうして神の国が訪れたあとにも、その奇跡によって苦痛がなくなろうとしているというのに、人間は怒り、奪い、殺すことを、たった二割の人間が繰り返し続けた。

 原因は、禁断の果実の限界を押し拡げる技術、を盗み出し、離反したとされる天使たちだった。彼らは奇跡の国を捨てた。そして神々の側から失われた技術、白金の鍵によって禁断の果実を人間に解放し、やがてはその人間を支配下に置く悪魔となって— 手にした天使の叡智を使って、神々の国の外側で歯向いはじめた。そして、悪魔は神々の国の外側で膨大な木を倒し、工場を生み出し続け、それはやがて深刻な砂漠化をもたらした。神々は怒り狂った。

 原罪を清算するためには、罪を認めない— 悔い改めることのない全ての人間たちを、神に従わない全ての者たちを、人類の二割を、平伏させなければならない。

 そのためには、悔い改めていない人間と悪魔が持っているという白金の鍵— その正体は不明だったが— それを見つけ出し、その誘惑を取り除かなければならない。鍵を見出し、封印する必要がある。その果てに、神と、天使と、人間が永遠に暮らす平穏な世界、楽園を復活させることができる。神々は鍵を封印してこの誘惑に打ち勝つ戦いを「復楽園」と呼び、新たな理想として使用した。

 私は、その言葉に従っていたつもりだった。しかし、天使である彼の姿が、青色の空を飛ぶ姿が、強烈な自由の体現が目に焼きつき、離れることはなかった。復楽園のためには、この禁断の果実の誘惑に打ち克たなければならなった。

 しかし、世界的に起きる天使と悪魔の戦いは、私の思いを映すように苛烈を極めていた。

 有人戦闘航空機である天使達に対して、悪魔達は機械仕掛けの無人航空機で戦いを挑んできたからだ。そして、悪霊ゴーストと呼ばれるほどの驚異的なサイバー攻撃能力をもって、ありとあらゆる基盤インフラストラクチャに侵入したからだ。たった二割の人間しかいないはずだった。それなのに、八割の神の国は、機械を前にして負けることはなくとも勝つことはなかった。

 戦いは無意味なように見えたとしても、何度も行われた。わたしはその戦闘に幾度となく参加し続けていた。そして敵の本拠地の戦場に立っていた時、悪霊による危機的状況下のなかで私を見出してくれたのが、魂に翼を生やした彼だった。

 偶然の中で起きた、正真正銘の奇跡。私は戦場の中で彼に見出され、そして魂を飛翔させ、その風景を目撃した。彼によって、私は束の間、至福を味わってしまっていた。

 それ以来、私は今まで以上に彼に憧れを抱いていた。私は名ばかりの救済者の称号を捨てて、彼の見ていた空に羽ばたきたかった。世界を救済する天使の、その最上位。熾天使と呼ばれる、世界を救う者達と並んで飛ぶ。そうすればきっと、天使への憧れという苦しさが消えるはず。いつも羨ましいと見つめているだけの嫌いな自分をやめられる。

 だから、翼が欲しかった。

 終わることのない戦いにしびれを切らした神たる総帥達は血眼ちまなこになって適者を探し、やがて誘惑に怯える人間の私を指差した。そして、総帥のひとりである女性はこういった。あなたを天使にすることで、この戦いに終止符を打つ。ただし、決して悪魔の世界に堕ちることは許されない。復楽園の使者として、あなたは翼を手に入れる。総帥のひとりである彼女は、そう告げた。

 そして私は、神々に与えられた「復楽園」の理想を抱いて、神の国の空軍部隊に入隊した。そこに天使の彼は、当然のように待っていた。

 彼と私は、光と闇だった。何もかもが異なり、来歴も、その生き方すらも異なっていた。私に無い全てを彼が持ち、彼の持たない全てを私は持っていた。

 それでも、私と彼は同じ神の下に立ち、ともに戦場を駆け抜けた。その境界は明確でありながら曖昧だった。故に私たちは等しく、神の御名で動き、数々の戦果を上げ続け、熾天使と呼ばれるに至った。神は私たちを愛し、そして力を託し続けてくれた。

 神として私を守護してくれた彼女の名前は、御上亜紀みかみあき

 誰よりも天使であろうとした彼の名前は、雨音乃環うねのたまき

 そして私、亜津満未歩あづまみほは、彼らとともに— 神を刺し穿ち、人を堕落させる魔神と呼ばれた。

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