1.Angel of Death 2
2
『助けて、六翼の御使様。私はここに……』
鈴を転がすような声が聞こえた。
「また、この声か……」と彼は少し微笑みながらも、ため息交じりにつぶやく。
時々聞くこの声は、とても心地いい。だから何度もおせっかいをしてしまったものだった。しかし、最近はとても不吉な予感を彼に与えるようになりはじめた。なぜならば、この声を聞いた時、大抵作戦に想定外が起きていて、どうにもならない状況になっているからだ。最近はよく聞くようになった。よく考えれば聞かない日はなかった。つまり、今日もこの復楽園の大義名分の中で誰かを失うかもしれない。そう思いながら、彼は周囲を見渡す。
自身を含めて六機で隊列を組んだ戦闘機たち。そのうちの一機の
神々の黄昏。今の状況と合わせるならば、人々の黄昏だ。
世界にはオルトラハムによって豊かになった。だというのにこの世界は砂漠が広がり、テロが起き、まだ聖霊としての、
自らの使命が、硫黄と炎を生み出す稲妻になることならば、我々は再び、地獄の底で同類を、実体を持たない悪魔を見つけて、殺すことを運命付けられている。我々は人間ではない。総帥という主に従う天使であり、聖霊という力そのものであり、運命に否定の感情を持つことも許されない。この受け継がれてきた運命が、雨音乃環を、戦闘機S-35Vの
幾度となく、自らの存在意義に疑問を持った。死をもたらす稲妻。神の怒りをもって人を殺しに行く傀儡。どれもこれも、神々が求めていることでしかなく、真に平和をもたらす力を持つこともない。
口から外され、ぶら下げられたこの酸素マスク。手に握られた操縦桿を操るだけの力。そして機械にも人間にも侵入できる力。こんなもので一体いつ、どうして、世界が救えると思ったのだろう──
「セラフワン、聞こえていますか……
鈴を転がすような声が無線から聞こえていたことに気づき、彼は、環は応答する。「ごめんミカエルさん、もう一度お願い」
ミカエルと呼ばれた女性の声はため息をつき、「操縦しながら寝るってどうやったらできるんでしょうね」
無線から様々な声色の笑い声が聞こえる。僚機達の笑い声だ。許してほしい、もう一回だけ、
「現在我々の向かっている中東拠点は、すでに電源が落とされ、ほかの天使によって
「ここまでは順調、というわけですね」
寝起き早々に変なことを言わないでください、とミカエルは不満げに、「確かにいつも計画通りになることはありませんが、それでも我々は任務をこなさなくてはならない」
先輩をいじめるのはよせ、と新たな声が入り込んでくる。「環、お前は考えすぎだ。何度も言っているがいまお前のやるミッションは、総帥たる
声に対して環は、「失礼しました、ラファエル殿。私が昔やっていたことはあなたに任せるしかなさそうですね」
そのときミカエルが続く。「私からも聞かせてください、
そのとき、環は無線のスイッチから手を離し、激しく咳をする。その最中、服に飛び散った血を見つめる。
ラファエルからの応答はなかった。だが、少しして無線が再び開かれ、「前回の流出先は、すでに更生施設にいる」
なるほど、と咳を終えた環は言って、「相変わらず尻尾を捕まえるのがうまい。しかしトカゲへの捕獲方法にはまだ改善の余地がありそうです」
数百の苦言を飲み込むだけの時間が空いたのち、「環、お前の活躍はよくわかっているつもりだ。欠番だった
噛みつき過ぎたようだ。「そうですね、決して忘れたつもりではありません」
ラファエルはふん、と鼻を鳴らし、「それでいい。今度こそ門が開かれるその前に、作戦を完遂しろ」
通信が途絶える。
ミカエルは訝しみながら訊ねる。「また、門……白金の鍵のことと関係しているの」
その後、無線は新たな声が楽しげに響く。「
「本当に指導しなきゃいけないのは私ではなく、トカゲの捕獲職人だということは双方理解しているからね」
無線で五人の笑い声が響く。そのなかで最後の一人、ミカエルが割り込んでくる。「冗談はここまでです、これより戦闘区域に突入します。各員準備を」
環は外していた酸素マスクをつける。そして、多機能ヘルメット《GENⅤ》の投影型バイザーを下げる。その瞳が、表示された数字の羅列を見渡す。そうしてわかる結論は、まだ異常なしということだけ。だが環にあの言葉が蘇ってくる。
『助けて、六翼の御使様。私はここに……』
そして、今まで感じていたあの悪意を、悪魔が訪れるときのあの感覚がないことに気づいた。そのため、彼は無線を開いて伝える。
「私の予知はもう働いていないようです」
ミカエルが反応する。「もう、長くないって言いたいの……」
環は沈黙し、「私がここで終わらせれば、ミカエルさんたちももう大丈夫ですから」
そんなことを聞いたんじゃない、というミカエルの声が、無線に入り込む。だが、環はCOIL上から取得した、誰かが使っていた技術で、世界を広く見つめる。点ではなく、線で。線ではなく、面で、世界を見渡す。
そのとき、遠くの地上にひとつの点が見えた気がした。コックピット上の液晶画面をタッチしながら出た画像を見て、環は急速に操縦桿を引き上げ、そしてひねりながら、
そして、環は地上からそれを見つけた。そして、攻撃対象として座標を多機能ヘルメット《GENⅤ》でロックし、それをミカエル達味方へとデータリンク上で共有する。そこは現在飛んでいる場所の先だ。そして、対象は航空機を撃ち落とすための
「
それを聞き、ミサイルアラートを感知した全員が、回避行動を開始する。S-35Vから
「全機体、前回使用した
環はその言葉を聞いてタッチパネルで
「
そして、
回避できない。回避できない。そう僚機は繰り返していた。やがて、機体にミサイルが近づくと炸裂し、ミサイルから飛び出した巨大な金属の輪が見えた。その輪は放射線状に広がり、瞬く間にその縁が戦闘機に直撃する。それと同時に更なる爆発が起き、戦闘機はひしゃげ、一瞬にして轟音を立てながら燃え盛り、地獄の底へと落ちていく。そして、ミサイルのアラートが鳴り響く。戦闘機達の迅速な空域の離脱が開始される。
そのとき、突如として許可された無線から声が入り込んでくる。その声は若い女性の声だった。
「神託を授かっただけの機械仕掛け達に告げる。ここにはすでに門が開かれた先だ。直ちにこの空域から撤退しなさい。さもなければ、炎と硫黄で燃やし尽くされるのは、あなたたちだ。繰り返す……」
環はその声にひどく覚えがあることに気づいた。どこかで聞いたことがある。
ミカエルは切羽詰まっていた。「現在のデータリンクに侵入されている。現在のデータリンクを放棄、予備のデータリンクを使用する、
ミカエルによって提供された無線の切り替えの指示によって、若い女性の声は聞こえなくなる。
それと同時にラファエルから新たに無線で連絡が入る。
「たったいま、空挺部隊で被害甚大のため、
そして即座に通信が切られる。相変わらずお戯れが過ぎるな、とぼんやりつぶやいていると、ミカエルの無線の声は苛立ちに震えていた。
「悪魔供が……なぜ私たちに歯向かえる……」
全員で敵ミサイルの地雷原から離脱しつつ、僚機は怒りを抑え、思索を続けながら、口を開く。
「……ただの二割の人口が歯向かうにしては、この技術能力は尋常なものではないと考えられます。オルトラハムの外で、あれだけの兵器や技術を用意するのはすでに難しい。そのはずなのに、彼らは無人機を含めた兵器を取り揃えてきました。そして、
環は表情を険しくする。レーダーに示されていた敵性レーダー波は、空軍基地だからというには、あまりに多すぎた。全てを撃ち落とす、その意思すら感じさせるほどの圧力。ミカエルの声は重く、怒りがこめられている。「
もうひとりの僚機は、今まで環が言っていた冗談を思い出す。「ここにいる仲間はトカゲというより……龍の類。おまけに、あの
ついに同僚が罵倒の声を上げながら、「次はあいつがいなくなるなんて……」
そのとき、目の前に敵を識別する航空機が現れ、旋回していることがレーダーの情報から
「禁断の果実、無人機……いつまで私たちを苦しめるつもりだ……」
その時、環は無線を開く。
「苦しめられているのは目の前の彼らからではなく、
その言葉にミカエルの無線が即座に開かれて「いま相手にしているのは、悪魔たちです」
「いえ。
ミカエルはそこから応答がなかった。しかしそのあと、「そう……あの空域から離脱してから攻撃がない……」
これは今までとどう違いますか、と聞くと、「違わない。いつも通り。空域に入らなければ攻撃は来ない」
そういうことです、と環は続け、「我々は、ここで戦わなければこれ以上死ぬこともありません。しかし、
そして、ミカエルが結論を語る。「つまり我々は、情報統合局に苦しめられている……」
そういうことですね、と環は淡々と返したあと、おもむろに語りかける。
「ですがみなさんはもう心配しなくていい。私が、ここですべてを終わらせる。『すでに門が開かれた先』である以上、
ミカエルが即座に応答する。「また
環の戦闘機は、地獄の底へと再び向かっていく。ミカエルは呼び止める。
「行かないで、環っ」
朽ちかけの熾天使はその声に答えることなく、自らの死ぬべき場所へと消え去った。
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