1.Angel of Death 2


『助けて、六翼の御使様。私はここに……』

 鈴を転がすような声が聞こえた。

「また、この声か……」と彼は少し微笑みながらも、ため息交じりにつぶやく。

 時々聞くこの声は、とても心地いい。だから何度もをしてしまったものだった。しかし、最近はとても不吉な予感を彼に与えるようになりはじめた。なぜならば、この声を聞いた時、大抵作戦に想定外が起きていて、どうにもならない状況になっているからだ。最近はよく聞くようになった。よく考えれば聞かない日はなかった。つまり、今日もこの復楽園の大義名分の中で誰かを失うかもしれない。そう思いながら、彼は周囲を見渡す。

 自身を含めて六機で隊列を組んだ戦闘機たち。そのうちの一機の天蓋キャノピーから見つめる大地は、人間のすべての希望を打ち砕くかのように、砂に塗れた大地だけが広がっている。海上都市と同じくらい、この世界に広がってしまった景色だ。ここはすでに荒野だったとしても、どこかわずかなオアシスを探そうとしてしまう。そんな世界では、夕焼けが落ちかかっているだけだというのに、神々の黄昏という慣用句フレーズを思い起こさせる。

 神々の黄昏。今の状況と合わせるならば、人々の黄昏だ。

 世界にはオルトラハムによって豊かになった。だというのにこの世界は砂漠が広がり、テロが起き、まだ聖霊としての、熾天使セラフとしての使命を捨てることができない。

 自らの使命が、硫黄と炎を生み出す稲妻になることならば、我々は再び、地獄の底で同類を、実体を持たない悪魔を見つけて、殺すことを運命付けられている。我々は人間ではない。総帥という主に従う天使であり、聖霊という力そのものであり、運命に否定の感情を持つことも許されない。この受け継がれてきた運命が、雨音乃環を、戦闘機S-35Vの操縦者パイロットたらしめた。そうして指示された通りに悪魔に取り憑かれた無垢な人々を殺し続けた果てにあったのは、悪魔なき真の平和ではなく、熾天使という天使の最上位の称号と、熾天使を示す六枚の翼のロゴマークだけだった。 

 幾度となく、自らの存在意義に疑問を持った。死をもたらす稲妻。神の怒りをもって人を殺しに行く傀儡。どれもこれも、神々が求めていることでしかなく、真に平和をもたらす力を持つこともない。

 口から外され、ぶら下げられたこの酸素マスク。手に握られた操縦桿を操るだけの力。そして機械にも人間にも侵入できる力。こんなもので一体いつ、どうして、世界が救えると思ったのだろう──

「セラフワン、聞こえていますか……明星ルシファー、いえ、たまき

 鈴を転がすような声が無線から聞こえていたことに気づき、彼は、環は応答する。「ごめんミカエルさん、もう一度お願い」

 ミカエルと呼ばれた女性の声はため息をつき、「操縦しながら寝るってどうやったらできるんでしょうね」

 無線から様々な声色の笑い声が聞こえる。僚機達の笑い声だ。許してほしい、もう一回だけ、明星ルシファーと呼ばれた環は笑いながらそう言うと、おもむろにかちかち、という了解を示す無線スイッチ音と同時に呆れた声で語りかけてくる。

「現在我々の向かっている中東拠点は、すでに電源が落とされ、ほかの天使によって制圧クラッキングは成功したようです。あとは作戦通り、我々が司令塔、戦闘機格納庫、滑走路を破壊すればすべて完了となります」

「ここまでは順調、というわけですね」

 寝起き早々に変なことを言わないでください、とミカエルは不満げに、「確かにいつも計画通りになることはありませんが、それでも我々は任務をこなさなくてはならない」

 先輩をいじめるのはよせ、と新たな声が入り込んでくる。「環、お前は考えすぎだ。何度も言っているが、総帥たる情報統合局IIAと同じ思考をすることではなく、我々の意向を叶えるということだ」

 声に対して環は、「失礼しました、ラファエル殿。私が昔やっていたことはあなたに任せるしかなさそうですね」

 そのときミカエルが続く。「私からも聞かせてください、情報統合局IIA。本当に今回こそ大丈夫なんですよね。またあの無人機達を相手にはできませんよ。でないと……」

 そのとき、環は無線のスイッチから手を離し、激しく咳をする。その最中、服に飛び散った血を見つめる。

 ラファエルからの応答はなかった。だが、少しして無線が再び開かれ、「前回の流出先は、すでに更生施設にいる」 

 なるほど、と咳を終えた環は言って、「相変わらず尻尾を捕まえるのがうまい。しかしトカゲへの捕獲方法にはまだ改善の余地がありそうです」

 数百の苦言を飲み込むだけの時間が空いたのち、「環、お前の活躍はよくわかっているつもりだ。欠番だった明星ルシファーの力を若くして、特例として情報統合局IIAのお前に託した。だが、それ以上言うようならば、提言は俺に向けたものだけではなくなる。あのとき亜紀を説得して終わりかけのお前をパイロットにした恩は……」

 噛みつき過ぎたようだ。「そうですね、決して忘れたつもりではありません」

 ラファエルはふん、と鼻を鳴らし、「それでいい。今度こそ、作戦を完遂しろ」

 通信が途絶える。

 ミカエルは訝しみながら訊ねる。「また、門……白金の鍵のことと関係しているの」

 その後、無線は新たな声が楽しげに響く。「情報統合局IIAの神々の腹を探るのはご法度ですよ、ミカエル殿。それにしても……さすが元情報統合局IIA。我々だったら一発で指導行きだ」

「本当に指導しなきゃいけないのは私ではなく、トカゲの捕獲職人だということは双方理解しているからね」

 無線で五人の笑い声が響く。そのなかで最後の一人、ミカエルが割り込んでくる。「冗談はここまでです、これより戦闘区域に突入します。各員準備を」

 環は外していた酸素マスクをつける。そして、多機能ヘルメット《GENⅤ》の投影型バイザーを下げる。その瞳が、表示された数字の羅列を見渡す。そうしてわかる結論は、まだ異常なしということだけ。だが環にあの言葉が蘇ってくる。

『助けて、六翼の御使様。私はここに……』

 そして、今まで感じていたあの悪意を、悪魔が訪れるときのあの感覚がないことに気づいた。そのため、彼は無線を開いて伝える。

「私の予知はもう働いていないようです」

 ミカエルが反応する。「もう、長くないって言いたいの……」

 環は沈黙し、「私がここで終わらせれば、ミカエルさんたちももう大丈夫ですから」

 そんなことを聞いたんじゃない、というミカエルの声が、無線に入り込む。だが、環はCOIL上から取得した、誰かが使っていた技術で、世界を広く見つめる。点ではなく、線で。線ではなく、面で、世界を見渡す。

 そのとき、遠くの地上にひとつの点が見えた気がした。コックピット上の液晶画面をタッチしながら出た画像を見て、環は急速に操縦桿を引き上げ、そしてひねりながら、天蓋キャノピー全体で地上を見渡そうと視界を真っ逆さまにする。強烈な重力に歯を食いしばる。それでも、首まで含めて身体中に張り巡らされた補強衣装エクソスーツによって、かなり重力の負担は削減されているというが。ミカエルが抗議のために無線から語りかけてくる。「セラフワン、何をしている」

 そして、環は地上からそれを見つけた。そして、攻撃対象として座標を多機能ヘルメット《GENⅤ》でロックし、それをミカエル達味方へとデータリンク上で共有する。そこは現在飛んでいる場所の先だ。そして、対象は航空機を撃ち落とすための地対空誘導兵器Surface to Air Missile。つまり我々を落とすために準備された敵の武器だ。

セラフワン敵性地対空兵器SAM目視ビジュアル

 それを聞き、ミサイルアラートを感知した全員が、回避行動を開始する。S-35Vから誘導兵器欺瞞装置フレアを発射しながら、思い思いに散らばっていく。ミカエルが無線から叫んでくる。

「全機体、前回使用した地対空誘導兵器SAM電子妨害ジャミングプログラムを実行せよ」

 環はその言葉を聞いてタッチパネルで地対空誘導兵器SAM電子妨害ジャミングを選択し、実行する。それと同時に再び地対空誘導兵器SAMでのアラートが発せられる。そして、鳴り止むことはない。舌打ちをする。やはり対策されていた。環はレーダーで我々を狙っているのは敵性地対空兵器SAMそのものであることを確認しつつ、座標に向かって落下しながら無線を開き語りあげる。

セラフワン交戦開始エンゲージ

 そして、空対地誘導兵器Air-to-Ground Missile— つまり地上を破壊するためのミサイルを使用武器として選択し、敵へ向かって発射する。敵とこちらのミサイルはほぼ同時に放たれた。だが、見ていた場所とはひとつ違うところから何かが近づいているのが見える。敵の数は二つ。そして、敵のうちのひとつは破壊された。さらに新たなレーダー波をもとに敵の地対空誘導兵器SAMへともうひとつ空対地誘導兵器AGMを、補強衣装エクソスーツによる体の圧迫感を抱えながら叩き込む。地上側の敵ミサイルの一つは宿主を失ったのか、ミサイルはあらぬ方向へと消え去っていくのを、機体を上昇しながら確認できた。さらにもうひとつの地対空誘導兵器SAMの発射台の破壊も確認できた。だが敵の放ったミサイルは— そう思って見渡せば、回避しようとあがく空の一機— 我々の僚機に食らいついている。

 回避できない。回避できない。そう僚機は繰り返していた。やがて、機体にミサイルが近づくと炸裂し、ミサイルから飛び出した巨大な金属の輪が見えた。その輪は放射線状に広がり、瞬く間にその縁が戦闘機に直撃する。それと同時に更なる爆発が起き、戦闘機はひしゃげ、一瞬にして轟音を立てながら燃え盛り、地獄の底へと落ちていく。そして、ミサイルのアラートが鳴り響く。戦闘機達の迅速な空域の離脱が開始される。

 そのとき、突如として許可された無線から声が入り込んでくる。その声は若い女性の声だった。

「神託を授かっただけの機械仕掛け達に告げる。。直ちにこの空域から撤退しなさい。さもなければ、炎と硫黄で燃やし尽くされるのは、あなたたちだ。繰り返す……」

 環はその声にひどく覚えがあることに気づいた。どこかで聞いたことがある。

 ミカエルは切羽詰まっていた。「現在のデータリンクに侵入されている。現在のデータリンクを放棄、予備のデータリンクを使用する、セラフワン使

 ミカエルによって提供された無線の切り替えの指示によって、若い女性の声は聞こえなくなる。

 それと同時にラファエルから新たに無線で連絡が入る。

「たったいま、空挺部隊で被害甚大のため、緊急近接航空支援Close Air Supportを要請すると飛んできた。なんとしても同胞の撤退を支援しつつ、白金の鍵を奪い取るか、ここで封印しろ」

 そして即座に通信が切られる。相変わらず、とぼんやりつぶやいていると、ミカエルの無線の声は苛立ちに震えていた。

「悪魔供が……なぜ私たちに歯向かえる……」

 全員で敵ミサイルの地雷原から離脱しつつ、僚機は怒りを抑え、思索を続けながら、口を開く。

「……ただの二割の人口が歯向かうにしては、この技術能力は尋常なものではないと考えられます。オルトラハムの外で、あれだけの兵器や技術を用意するのはすでに難しい。そのはずなのに、彼らは無人機を含めた兵器を取り揃えてきました。そして、電子妨害ジャミングも対策できる技術を持っています……」

 環は表情を険しくする。レーダーに示されていた敵性レーダー波は、空軍基地だからというには、あまりに多すぎた。全てを撃ち落とす、その意思すら感じさせるほどの圧力。ミカエルの声は重く、怒りがこめられている。「禁断の果実COILの漏出が起きたあと、悪魔はその力を拡散すらしているのか……」

 もうひとりの僚機は、今まで環が言っていた冗談を思い出す。「ここにいる仲間はトカゲというより……龍の類。おまけに、あの地対空誘導兵器SAMも、そもそも無人かもしれない……」

 ついに同僚が罵倒の声を上げながら、「次はあいつがいなくなるなんて……」

 そのとき、目の前に敵を識別する航空機が現れ、旋回していることがレーダーの情報から頭部装着画面HMDを通して確認される。過去のものと同じく、これも無人戦闘機であり、進めばこれらとも戦わなくてはならない。その情報を見つめて、ミカエルの怒りも加速したようだ。

「禁断の果実、無人機……いつまで私たちを苦しめるつもりだ……」

 その時、環は無線を開く。

「苦しめられているのは目の前の彼らからではなく、情報統合局IIAからでしょう」

 その言葉にミカエルの無線が即座に開かれて「いま相手にしているのは、悪魔たちです」

「いえ。緊急近接航空支援CAS情報統合局IIAが知らせなければ、我々はまず苦しむ必要はありません。今、ミサイルアラートは鳴っていますか?」

 ミカエルはそこから応答がなかった。しかしそのあと、「そう……あの空域から離脱してから攻撃がない……」

 これは今までとどう違いますか、と聞くと、「違わない。。空域に入らなければ攻撃は来ない」

 そういうことです、と環は続け、「我々は、ここで戦わなければこれ以上死ぬこともありません。しかし、情報統合局IIAは作戦の失敗を棚上げし、そして作戦の続行を、いつも通り緊急近接航空支援CASを理由にしてやらせようとしている」

 そして、ミカエルが結論を語る。「つまり我々は、情報統合局に苦しめられている……」

 そういうことですね、と環は淡々と返したあと、おもむろに語りかける。

「ですがみなさんはもう心配しなくていい。私が、ここですべてを終わらせる。『』である以上、情報統合局IIAはそれを望んでいる」

 ミカエルが即座に応答する。「また情報統合局IIAの身内話ですか、なんでそれを説明しようと……待ちなさい、環っ、待てっ」

 環の戦闘機は、地獄の底へと再び向かっていく。ミカエルは呼び止める。

「行かないで、環っ」

 朽ちかけの熾天使はその声に答えることなく、自らの死ぬべき場所へと消え去った。

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