第4章 これからのこと

4-1 「天使と戦争した」

「天使と戦争した」

 声に出すとあらためて異常な経験をした気がするが、かつての人間は総力戦でそれをやったのだ。

「ふうん。それでいくら入ったんだい」

「ゼロ」

「ばかかい」

「うん」

 おれはサービスの1杯を例によって目の高さまで持ちあげる。なみなみと注がれた琥珀色の液体だけが、いまのおれをねぎらってくれる。

「じっさい愚かぞ」

 隣のストゥールに腰かけた大柄の男が、そう言ってぐびりと何杯めかを飲みほす。うらやましい。

「魔法少女をかくまうまではよい。悪霊の力を借りるのもな。しかし、わが身に天使をとりこんで倒すというのは……」

「おまえの小言は聴き飽きたよ」

 しかたないので、おれも手にしたグラスの中身を胃の腑に流しこんだ。うまい。

「え、団員さんそんなことしたの。だいじょうぶ? おなか壊さないのねそれ?」

「もと団員。しかもいまここにはふたりいる」

 おれとボルバは貴重な子守タイムを離れ、わずかな憩いのひとときを過ごしている。

『世界じゅうを敵に回してもきみを護る』みたいな定型句があるが、あれはどうなんだろうな。世界じゅうを敵に回すというのは一秒一瞬たりとも油断ができないということだ。おちおちトイレにも入れないし、もちろん酒なんてもってのほか。

 ムリだろ。

 ただ、Qが重傷から快復して以来3日めになるが、1日のなかでおれがかのじょから大きく離れるのはこのときぐらいだ。

「たとえあのちびの身に危険が増すとしても、この時間だけは喪えない。それは命をなくせと言っているようなもんだ」

「せめて払ってから言っておくれ」

 ママさん……

 口を開けば金の話しかしないが、おれはその声からにじみ出るかのじょのやさしさがわかる。おれが死んでしまえばつけも支払われない。だからこその気づかいだとしても、それで気にかけてもらえるなら、おれはいくらでもお代をつけておいてもらおう。

「なんか虫のいいことを考えてんじゃないのね、ハンバートさん」

 娘も鋭い。

「アルファバートだ。だいたいそれ、たしか中学生ぐらいの娘にいれあげて破滅した男だろ。おれはちがう」

「ではむしろ光源氏か、気分は」

「そんな長期的にめんどう見る気ねえよあんなやばいの。死んじまうよ」

「なにを前提に会話してるのね、おっさんたち?」

 娘がトレイでおれたちをチョップしながら言った。ふつうに痛かった。


 痛み。

 魔法循環を高めて以来数十時間が経過するが、回復も早いものの、まだまだこの苦痛には慣れることがない。

 世界を敵に回すような覚悟はまるでないが、おれはこんなことで今後ついていけるんだろうか。

「……死んじまうよ」

 グラスの氷がいくらか溶けて、酒の味のついた水になっている。おれはそいつを飲んで気をまぎらわせた。


 アジトであるマンションのセキュリティは万全だったが、このまえの天使みたいに屋上に降りてくることも警戒しないといけないので、とりあえず警報装置を購入する必要があった。

 その買いもの帰りに、べつの用事をすませてきたボルバと合流して、飲んでいたというわけだ。

「以前のアパートよりだいぶ遠いが、やはりこの店がいい」

「それはよいが、どちらも留守にすることになって1号……Qだったか。あれはだいじょうぶなのか」

「そのためのアジトだしな。おたがい尾行もついてないし、わざと泳がされてるとなれば、ちょっとは息抜きしないともたないだろう。あいつだって気づまりなはずだ」

「あの子にそういった感情があると思うか」

「見たとおりだ」

 おれは即答した。天使だろうと、天界でつくられた魔法生物だろうと、あいつはただの子どもでもある。なんのためにおれたちみたいな人間と組んだのかは知らないが、行動がともなう以上そこには心が介在すると考えるのがおれだ。

 すべてがほんとうではないかもしれないが、むしろ、ほんとうでないぐらいのほうが気楽。


「なぜ人間の魔法には限界があるのか?

 そもそも魔法というのは不完全な世界を完全という概念に近づけるものじゃ。

 だが完全の定義はしょせん人間が決めることであって、千変万化。人間はおのれの考えた完全さの負荷に耐えられないんじゃ」

 師匠はおれにかつて、そんなことを言っていた。

『世界じゅう敵』なんていう完全なことばに現実が耐えられないように、無償の好意なんてものにも心が耐えられないように、ひとは弱い。

 天使をうらやましく思った。


「おかえり、だんいんども」

 帰ったらQがいなかった、などということもなく玄関でふつうに迎えられた。

 アジトのマンションは数階に分かれていて、不意の襲撃にも対応できるよう、日によって使用する部屋を変えることにとり決めた。数日して事態が収束するならアパートに戻ればいいが、もっと長期にここを使うことになれば、掃除やらなにやらについてまた考えなおさなければなるまい。

 そのときは、まだそんなことをのんきに考えていた。

 問題は、部屋に入ってからだった。


 Qはいなくなったりしていないが、来客を勝手にもてなしていた。

「おじゃましている」

 ロードシップ。淡桃の髪と赤銅の肌の天使。

「こんちわ」

 よれた白衣を着たままの女医。

「これはこれは、どうも」

 政府関係者らしい、スーツ姿の男。

「やあ」

 われらが宿敵、『英雄さん』。


 脳の許容量を超えるメンツがそこに待ちうけていたので、あやうく卒倒しかけた。


「そちゃだ」

 おれとボルバも含めた7人ぶんの湯呑みを盆に載せ、堂々とQは言ってくれたもんだ。

「まずいぞ」

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