第42話 清香、人生最長の一日(8)

「はあぁぁぁ――っ!」

「ちょっと、清香ちゃん!」

「落ち着いて!」

 慌てて周りの男達が、腰を浮かせて清香を止めようとしたが、清香はその目の前で、共に立ち上がった総一郎の前に踏み込んで体を沈めつつ、為すがままの相手の脇の下に自分の肘を入れて、勢い良く肩越しに投げた。


「とりゃぁぁ――っ!!」

「ぐわぁぁぁっ!!」

「お父さん! 大丈夫ですかっ!?」

 見事な背負い投げをされた総一郎は呻き声を上げ、それを見た雄一郎は慌てて駆け寄ろうとしたが、素早く移動して来た清香が、その横に移動して腕を取る。


「自分の心配を、して、下さいっ!」

「うわあぁっ!」

 思わず逃げようと体を引いた雄一郎だったが、清香は叱りつけながら、素早く相手の脇の下に手を差し込み、体を引っ張ってそのバランスを崩しつつ、右足で相手の足を払い上げた。


「兄さん! 清香ちゃん!?」

 払腰を受け、布団に転がって呻いている兄を見て、真っ青になった和威だったが、清香は容赦無かった。


「はい、もう一丁!」

「ちょ、うえっ!」

 あっさりと組んで足を引っ掛けつつ、和威を横向きには跳ね上げると、彼女は最後の獲物に向かって、躊躇う事無く足を進める。


「さ、清香ちゃん、ちょっと待って!」

「問答無用ですっ!」

「うおぅっ!」

 過去に柔道の経験があると聞いていた義則に対しては、清香は全く手抜きをするつもりは無かったらしく、勢い良く引いて相手の体を引き付け、真後ろに身を捨てつつ、ワンピース姿ながら片足相手の腿の付け根に当て、押し上げる様に頭越しに投げて見事な巴投げを披露した。

 一連の動きを見ていた男達の、思わずといった感じの拍手が沸き起こる中、仁王立ちになった清香の呆れた声が響き渡る。


「はぁ……、すっきりした。全く、良い年をした大人が、揃いも揃って何をコソコソと。反省して下さい!」

「わ、分かっておる」

「清吾さん達は、もっと酷い怪我をしているしな」

「二人には、本当にすまなかった」

「心から反省しているから」

 それを聞いた清香は、疲れた様に溜息を吐いた。


「何、勘違いをしているんですか。お父さん達をボコボコにした事については、もう良いですよ」

「どうしてじゃ?」

 思わず不思議そうに見上げた総一郎に、清香は当然の如く言い切った。


「だって、本人達はもう気にしていないと言っていましたし、第一お母さんにこっぴどく怒られて、ずっと親兄弟の縁を切られていたじゃないですか。十分、罰は受けてますよ」

「……清香」

 思わず涙ぐんだ総一郎に、清香が苦笑交じりに続ける。


「だから、今投げたのは、すっかり怖気づいて、長年私との関係を打ち明けなかった事に対する罰です。お陰で私、生まれて二十年以上も、こんな素敵な親戚が存在している事を、知らなかったんですからね?」

「本当に、許してくれるかの?」

 恐る恐る尋ねた総一郎に、清香はわざとらしく考え込みながら、条件を出した。


「そうですね……、あと一つさせてくれたら、許してあげても良いんですが……」

「なんじゃ? お前がやれと言うなら、犬の真似でもなんでもするぞ?」

 勢い込んで申し出た総一郎に、清香が冷静に告げる。

「いえ、そんな事じゃなくてですね……。澄江さんにご挨拶をしたいんですが」

「は?」

 一瞬何を言われたのか分からない顔をした面々に、清香は困った様に付け加えた。


「死んだお祖母ちゃんに、今までお線香の一つも上げないで、不義理をしたなと思いまして」

 そう言われた総一郎は、堪え切れずに涙で顔をくしゃくしゃにしながら、何度も大きく首を縦に振った。

「…………おう、おう、是非挨拶してくれ、澄江も喜ぶぞ!」

 その前に清香は膝を付き、笑って告げた。


「お祖母ちゃんに、ちゃんとお祖父ちゃんを迎えに来てくれる様に頼んでおくけど、せっかくお祖父ちゃんに会えたばかりだから、お迎えはあまり早く来ないでとも、お願いしておくから」

「さ、清香ぁぁぁっ!!」

 感極まった総一郎が勢い良く清香に抱き付き、号泣を始めると、清香もその背中に腕を回して抱き締め返す。


「だから長生きしてね、お祖父ちゃん」

「勿論じゃとも! 清香が結婚して曾孫を産んで、その子が結婚するまで見守ってから、澄江と香澄に報告してやるからな! 儂はたった今、そう決めたぞ!」

(いや、流石にそれは無理なんじゃないだろうか)

 その場に居た殆どの者はそう思ったが、感極まって大泣きしている総一郎の台詞に水を差す真似はせず、ある者は貰い泣きし、ある者は苦笑して見守った。


 その後、何とか総一郎が落ち着いた所で、一同は揃って仏間へと移動し、灯りの中に浮かび上がった仏壇の前に横一列に並んだ。そして蝋燭に火を点けた総一郎が、清香を手招きする。


「清香、これが澄江じゃ。美人じゃろう。清香は若い頃の澄江にそっくりじゃぞ?」

「はあ……」

 示された遺影では、上品な初老の女性が優しく微笑んでおり、清香は内心で突っ込みを入れた。


(私……、こんな美人には、ならないと思うんだけど……)

 しかし余計な事は言わず、線香を立てて鐘を鳴らし、合掌して神妙に頭を下げる。


(お祖母ちゃん、初めまして。ご挨拶が遅くなって、すみませんでした。本当に私の周りには面倒くさい人間ばかりなので、私ともども、これからも見守って下さい。宜しくお願いします)

 そんな事をしみじみと考えていた時、背後からスルスルと襖が引き開けられる音と共に、どこかのんびりとした声がかけられた。


「あら、こんな所に居たの。探したわよ? お取り込み中の所悪いんだけど、清香ちゃん。もう八時半を過ぎてるのよね」

 途中からどこかに姿をくらましていた真澄が現れて、そう声をかけると、清香がピクンと反応し、慌てて腕時計で時間を確認しながら溜息を吐き出した。


「本当……、移動時間を考えたら、ここでタイムアップですね」

「その様ね。…………ところで清香ちゃん、ここに来てから携帯の呼び出し音とか、全然気にならなかったんだけど、電源を落としていたの?」

 ここで清香が持参していたバッグから、携帯を取り出して操作を始めた為、真澄はその手元を覗き込みながら尋ねた。それに清香が真顔で答える。


「当然ですよ。こっちは真剣に物事に取り組んでるのに、横からゴチャゴチャ邪魔されたら堪りません」

「まあ、それはそうよね」

 そう頷きつつ携帯のディスプレイを覗き込んだ真澄は、思わず棒読み調子で呟く。


「うわ~、やっぱり通話記録とメール着信数が、凄い事になっているわね~」

「その様ですね~」

 まるで他人事の様に応じた清香は、それから黙り込んで何やら操作を始め、一連の二人のやり取りを黙って見守っていた面々の中から、浩一が恐る恐る詳細について尋ねた。


「清香ちゃん、さっきから何の話? それに一体何をしているのか、教えて欲しいんだけど」

 それに対し、清香は携帯から目を離さないまま、あっけらかんと答えた。

「ああ、お兄ちゃんの異父弟さんからの記録が、凄い事になっていて。ウザいので、今纏めて消去してる所なんです」

「……それって、要するに聡君の事だよね?」

 思わず口を挟んで問い質した正彦に、女二人は首を傾げて顔を見合わせる。


「あれ? あの人、そんな名前でしたっけ? 真澄さん」

「さあ……、どうだったかしら?」

「ちょっ……、真澄姉!」

「二人とも、一体何を……」

 物騒な台詞を耳にした周囲は顔色を変えたが、清香は淡々と操作を続けた。


「さて、これで……、受信送信記録全部削除、メールフィルターや着信拒否設定をばっちり済ませた上で、アドレス帳からも綺麗さっぱり消去終わりっと!」

 頗る上機嫌で、携帯操作を終わらせたらしい清香の台詞に、真澄は笑顔で応じた。


「これですっきりして、試験期間に突入できるわね」

「はい、もう頑張ります! 全教科パーフェクト目指しますからねっ!」

 握り拳を作って力強く応じる清香に、真澄の笑顔が深くなる。


「その意気よ。何と言っても、学生の本分は学業ですもの。じゃあ帰りも送るわ」

「あ、良いですよ、真澄さんだって明日は仕事じゃないですか。散々付き合わせちゃったし、玄関先で失礼します」

「そう、それなら運転手には家まで送らせるけど、玄関まで見送らせて貰うわね?」

「そうして下さい。それじゃあ……」

 そこで一端話を区切った清香は、再び総一郎の前に正座して深々と頭を下げた。


「お祖父さん、伯父さん達も、今日はありがとうございました。今日はもう時間が無いので、また改めてお伺いします」

「……お、おう、気を付けてな」

「清人君に宜しく」

「はい、失礼します」

 そうして笑顔の清香が真澄と連れ立って玄関に歩いて行くのを、大人しく見送った面々は、微妙な顔付きで二人を眺めていた浩一に、視線を向けた。


「浩一、どういう事だ?」

 戸惑いを含んだ父親の視線を受けた浩一は、ここで溜息を一つ吐いてから、徐に語り出した。


「それが……、清香ちゃんを待っている間に、車内で姉さんに説明されたんですが……。清香ちゃんは明日から金曜まで、期末試験期間なんだそうです」

「それで?」

「その前に、少しでもすっきりして試験に臨みたいので、限られた時間で物事を効率的に片付ける為に、対応する優先順位を付けたとか」

「……因みにどんな?」

 周囲から怪訝な顔を向けられた浩一は、居心地悪そうに話を続けた。


「清香ちゃんにとっての最優先事項は、勿論清人に関する事なので、小笠原家に乗り込んで由紀子さんを連れ出して、清人と対面させました」

「確かに、君からの電話で、清人君と小笠原の関係までばれてしまったいう事は聞いたが……」

 和威がまだ少し要領を得ない顔付きで呟き、浩一が続ける。


「次に老人優先と言う事で、お祖父さん達へのお仕置きですね」

「茶化すな、浩一君」

「それで、タイムアップと言うのは?」

 僅かに笑いを含んだ声に義則が溜息を吐き、雄一郎が続きを促すと、浩一はこの場に居ない人物に対し、心底同情する表情をその顔に浮かべた。


「……そうこうしているうちに、清香ちゃんに嘘を言って近付いていた、聡君に対応する時間が無くなったんです。試験期間中は十時就寝だそうですし」

 そう言われた面々は、漸く正確な事情を悟った。


「それが残っていたか……」

「うっかりしてたな~、俺らこっちの方だけで、頭の中が一杯だったし」

「時期が悪かったとしか、言いようが無いな」

「……ちょっと待て。何か清人さんとお祖父さん達をあっさり許した分、聡君の方に余計に怒りが向けられてる気がしないか?」

「そうだな……、試験期間中はこのまま放置する気満々みたいだったし……」

 口々に重い口調で感想を述べ合う中、ふと思いついた様に正彦が問いを発し、それに考え込みながら友之が応じた。その途端、室内に再び不気味な沈黙が満ちる。

 しかし何分も経過しないうちに、清香を見送りに行っていた真澄が戻り、固まっていた室内の面々に呆れた様に声をかけた。 


「何やってるのよ、あんた達。明日仕事でしょう? いつまでも呆けてるんじゃないわよ。さっさと帰りなさい。清香ちゃんも帰ったわよ?」

「あ、ああ、そうですね」

「じゃあ、そろそろ帰るか」

 もぞもぞと動き出した従弟達から、今度は真澄は叔父達に視線を向ける。


「叔父様達も、向こうで叔母様達が待ちくたびれてますよ? 私から簡単に、経過を説明しておきましたから」

「そ、そうか、すまなかったね」

「じゃあ帰らせて貰うとするか」

 申し訳無さそうに叔父達が腰を上げるのを認めて、真澄は残った二人に声をかけた。


「お祖父様、お父様、疲れたのでもう休ませて貰います。お休みなさい」

「……おう、手間をかけさせたな」

「……お休み」

 言うだけ言ってあっさりと踵を返した真澄に、男達はとんだとばっちりを受ける羽目になった聡の事を思い浮かべつつ、僅かな罪悪感を覚えていた。

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