第41話 清香、人生最長の一日(7)

「真澄さん、浩一さん、お待たせしました」

 窓ガラスを叩いて知らせる必要も無く、車内で待ち構えていた二人によって開けられたドアから、清香はスルリとリムジンに乗り込み、待たせていた相手に軽く頭を下げた。それに二人が、笑って頷く。


「お疲れ様。じゃあ行くわよ?」

「お願いします」

 そして真澄が再びインカーフォンの受話器を取り上げ、運転席に指示を出すのを横目で見ながら、浩一が幾分心配そうに問いかけた。


「清香ちゃんが一人で出て来た所を見ると、心配要らないとは思うけど……。あれからどうなった?」

 その問いに、清香は小さく肩を竦めた上で、苦笑しながら答える。

「それが……、散々ぐだぐだ言った後で、『生意気な弟の母親として、認識してやっても良い』だそうです」

「なるほどね」

「相変わらず、ひねくれた奴……」

 そこで小さく息を吐いた二人が、呆れ半分苦笑半分の表情を見せると、清香は笑いを堪える様な表情になって付け加えた。


「それで……、『後二・三十年したら他の呼び方をしたくなるかもしれないから、身体に気をつけろ』とかも言っていました」

 清香がそう言った瞬間、二人は揃って失笑した。


「はは……。あいつ、どこまでも素直じゃないな」

「あら、上出来じゃないの」

「はい、私もそう思って、頭を撫でて誉めてあげました」

「それは何よりだわ」

 そうしてひとしきり三人で笑い合った後で、笑いを収めた清香が真澄に問いかけた。 


「それで真澄さん、お願いしておいた事は?」

 その短い問いかけに、真澄も真顔になって頷く。

「言われた通り、家の者に指示しておいたわ。遠慮なんかしないで、思い切りやってね?」

「ありがとう、真澄さん」

 そう言って力強く頷き合う女二人を眺めた浩一は、深い溜息を吐いた。


 それから三人を乗せた車は大した渋滞にも引っ掛からずに再び柏木邸へと戻り、車寄せで運転手に恭しく開けられたドアから、真澄達が颯爽と降り立った。そして彼女達の到着を知った使用人達が玄関の内側に勢揃いする中を、真澄が清香と浩一を引き連れ、脇目もふらずに真っすぐ奥へと進んで行く。


「お、お帰りなさいませ、真澄様。それで、その……」

「三郷さん。私の指示通り、準備はできた?」

 長年執事として柏木家に仕えている初老の男性が、真澄に追い縋りつつ、その背後を歩く清香にチラチラと目を向けながら真澄に声をかけたが、真澄は冷静に問い返した。それに彼が慌てて答える。


「はい、できております」

「お祖父様達は? 別館に居るわよね」

「はい、お揃いですが……」

「それなら良いわ」

「あのっ! 真澄様!」

 確認したい事だけ聞き終わると、真澄は焦っている忠実な使用人を振り返りもせず、目的の場所へと急いだ。そして三人は廊下を抜け、別館の入り口で靴を脱いで上がり込み、何時間か前に清香が走り抜けた廊下を再び逆方向に進む。

 そして目的の部屋に到達した清香は、前を譲ってくれた真澄に軽く頭を下げてから、障子の引き手に両手をかけ。思い切り左右に引き開けながら雄々しく叫んだ。 


「たのもぅ――――っ!!」

 バシィッッ!!と障子が悲鳴を上げた音と、清香の雄叫びを耳にして、現れた清香に対面する形で正座していた面々が、全員怯えた様にびくっと全身を震わせた。それを清香の背後から眺めた真澄は、先程まで宴席が設えられていたその部屋が綺麗に片付けられ、一面に敷布団が敷かれているのを確認して、満足そうな笑みを浮かべる。


「あぁ~ら、雁首を揃えている上に、白装束なんて気が利いていますね、お祖父様。万が一、このままぽっくり逝っても、着替えさせる手間が省けて楽ですわ」

 そう言って敷き詰められた布団の真ん中で、白の単衣に白の腰紐の出で立ちで正座している祖父や、その一歩後ろで上着を脱いで一列に正座している父と叔父達を見下ろした真澄は、コロコロと楽しげに笑った。それを見て、その部屋の隅に神妙に控えていたその他大勢が、心底肝を冷やす。


(姉貴……、容赦なさ過ぎ)

(笑顔が怖いな、真澄さん)

(何やら、清人さんの方でも一悶着あったって、浩一さんから連絡があったし……)

(清香ちゃんの機嫌が、直ってる様にも見えない)

 荒事になりそうな予感に、女性達は別室で待機という事になり、妊婦の奈津美と共に修も、帰宅した後であった。従ってその場には一癖も二癖もある男達しか存在していなかったが、不気味な笑顔の真澄と無表情の清香を交互に見ながら、緊張感漂う室内の空気に何とか耐えていた。そしてここで真澄が動く。


「さあ清香ちゃん、どうぞ? 思う存分好きな様にして頂戴」

 その声を受けた清香は小さく頷いて足を踏み出し、再び体を強張らせた総一郎達の眼前に立った。そして腕を組みながら冷静に頭の上から声をかける。


「さて……、さっきは勢いに任せて飛び出してしまったので、改めてお伺いしたいんですが。弁解があるなら、先に聞いておきましょうか。総一郎さん?」

 冷え冷えとした声が降ってきた為、総一郎は顔色を更に悪くしつつ、布団に両手をついて俯きながら声を絞り出した。


「……儂が悪かった」

「そうですね。他には?」

(清香ちゃん……、姉貴以上に容赦ないな…)

(普段ほよほよしてる人間程、本気で怒らせると怖いって事か)

(祖父さん達、全く逃げ場無しだな)

 流石に乱闘沙汰になったらどうにかして清香を押さえる腹積もりはしていた面々だったが、その破局の瞬間を恐れて戦々恐々としていた。そんな心境など全く理解しない風情で、清香が淡々と話を続ける。


「清人……、君、に頭を下げ、て、謝る」

「それだけですか?」

 微妙につっかえながら言った言葉に、清香は僅かにピクリと眉を寄せながらも、冷静に先を促した。


「香澄と、……清吾君、にも、だ」

「遅過ぎましたね。もう死んでこの世に居ませんし。どうして今になって、漸く頭を下げる気になったんですか。せめてお父さん達が死んだ時にでも頭を下げに来たら、良かったじゃないですか」

 些か嫌味っぽく肩を竦めながら言い返した清香だったが、そこで総一郎が小声で呻く様に呟いた。


「…………行ったんじゃ」

「は?」

「……………………」

 両手をついて項垂れたままの総一郎の言葉を、聞き取り損ねた清香は怪訝な顔を向けたが、総一郎はそれきり口を噤んだ。するとその背後から、恐る恐るといった感じで雄一郎が口を挟んでくる。 


「あの……、清香ちゃん。実は父も、香澄達の通夜に出向いているんだ」

「え? だって、確かにあの時、おじさま達はいらしてましたけど、総一郎さんは来ていませんよね」

 そこで一気に疑わしげな視線を向けた清香に、兄弟揃って口々に弁解を始めた。


「それが、その……、車に同乗していたんだが、土壇場になって父がなかなか車から降りなくて……。『香澄の死に顔など、見るのは嫌じゃ』とかごねたり、『あんな男と一緒になって、殺されおった』とか暴言を吐いたり、『清香にののしられたら、生きていけん』とか怖気づいて」

「あまり広い駐車スペースでもなかったから、長々と占拠していると周囲の迷惑だと思って、仕方無く父を置いて私達だけ降りて、会場の集会室に入ったんだよ」

「父は落ち着かせてから、翌日の告別式に、連れて行こうかと思ってね」

「そうだったんですか? まあ、それはどうでも良いですが」

 まだ今一つ納得しかねる顔付きの清香だったが、取り敢えずそれで話を終わらせようとした。しかし雄一郎がもの凄く言い難そうに、話を続ける。


「そうしたら……、車で大人しくしていると言ったのに、父が遅れてこそこそと、焼香しに集会場に入って……」

「は? お顔に見覚えが無かったんですが、お焼香だけして帰ったんですか?」

「いや、実は……、集会場に入った所で……」

「何ですか?」

 流石に驚いた顔を見せた清香だが、その問い質す視線を受けた雄一郎は口ごもって黙り込んだ。それを訝しげに、徐々に眉を顰めて睨みつける清香を見て、和威と義則が兄以上に気まずそうな表情と口調で、補足説明を行う。


「その……、清香ちゃん、その時、ご近所の手伝いの女性と何やら話していて……」

「えっと……、色々、叫んでたよね? 母親の親族云々について……」

 それを聞いた清香はキョトンとして、当時の情景を思い返した。


(えっと……、確かおじさん達から、当座のお金を預かったってお隣のおばさんに言われて、受け取って……。あの時、話の流れで『あの人で無し野郎ども』とか『焼香に来たって一歩たりとも上げさせるか』とか『もし来たら頭から灰をかぶらせて叩きだしてやる』とか叫んだ覚えが…………、ちょっと待って!!)

 そこまで思いだした清香は、総一郎を指差しながら力一杯叫んだ。


「あ、あそこに! あの場所におじさん達の他に、総一郎さんも居たんですか!?」

「………………」

 無言で揃って小さく頷いた男達に、清香は盛大に顔を引き攣らせた。


(それは流石に……、目の前で散々自分の悪行を並べたてられたら、自分がその当人ですって、名乗り難いかも。その後大泣きしちゃって、お兄ちゃんに迷惑をかけた位だし……)

 一気に気まずい気分に陥ってしまった清香が、どう話を続ければ良いか困惑していると、総一郎がボソボソと清香の足元で呻き始めた。


「清香が、憤慨するのも尤もじゃ。あの時のお前は、本気で怒った香澄に瓜二つでの。死んだ香澄に絶対許さないからと叱責されている気持ちになって、とてもそのまま名乗り出る事ができずに、焼香もせずに黙って帰ったんじゃ」

(そんなに怖い顔で、叫んだつもりは無いんだけど……)

 ちょっとだけ憮然とした清香だったが、総一郎はそこでしみじみと呟く。


「それからは、こっそり清香の生活を見守るだけで良いと思っていたから、何か困った事があったらすぐに助けてやれる様に、ちょくちょく様子を見に行っていたが、あの男は万事そつが無くて、手を貸す必要も無くての……」

 そこで清香は怪訝な顔をして、独り言の様に語る相手を見下ろした。


「あの男って言うのが、お兄ちゃんって事は分かるんですが……。ちょくちょく様子を見に行ってたって、何ですか? 家には来てませんよね。来てたらお兄ちゃんが言う筈ですし」

 そこで総一郎が何か言うより先に、真澄の呆れ果てたといった風情の声が割り込んだ。


「文字通り、近くに様子を見に行っていたのよ。お祖父様ったら、清香ちゃんが高校の頃、そこの理事に金を掴ませて事務員の服と身分証のパスを入手して、時々校内に潜入して様子を窺っていたの。あと、大学のキャンパス内を、白衣姿でうろうろしているそうよ」

「はあぁ!?」

「ま、真澄っ! お前、何故それを知っとる!」

 流石に驚きの声を上げて自分を見つめて来た二人に、真澄は軽く肩を竦めながら補足した。


「清人君から聞きました。校内で変装したお祖父様にばったり遭遇して、曲がり角の向こうから清香ちゃんの様子をこっそり窺っているのを見た時には、思わず涙を誘われたと言っていたわ。ああ、その時どうして清人君が校内に居たかは、ここで突っ込まないで。この話にはあまり関係無いし、時間の無駄だし」

「…………」

 さらっと事も無げに言ってのけた真澄を、清香と総一郎は何とも言えない表情で凝視したが、すぐに総一郎は下に顔を向け、清香もそれを眺めた。


「そんな風に、もうこのまま名乗りを上げず、こっそり見守っていくだけで良いかと思っとったんじゃ。どうせいつかは向こうから折れて、頭を下げに来るじゃろうと思って、胡坐をかいてふんぞり返っていた罰が当たったんじゃろうと思ってな。そうしたら……、半年近く前の事だが、澄江が夢枕に立ったんじゃ」

「はあ……」

 何とも言えずに曖昧に相槌を打った清香だったが、ここで総一郎がキッと顔を上げて、清香を見据えながら訴えた。


「そうしたら澄江の奴、久しぶりに会えて喜んでいる儂に向かって『あなたはもう八十になるんですよ? いつぽっくり逝ってもおかしくない年なのに、まだ意地を張っているんですか。そんな人、私、お迎えになんか来ませんからね』と冷たく言ったんじゃ! あんまりだとは思わんか!?」

「あの……、私にそういう事を言われても……」

「お父さん、落ち着いて下さい!」

「ごめんね、清香ちゃん。両親は夫婦仲が良かったから」

「そ、そう、他の人間に対しては傍若無人でも、母さんに対してはだけは昔から弱くて」

 いきなり清香の片足を掴んで、涙目で訴えてきた総一郎に、清香は思わず体を引き気味にし、雄一郎達が慌てて総一郎を宥めつつフォローしようとした。しかし総一郎の訴えは更に続く。


「その上、『死んだら香澄に会えるから、そこで謝るなんて調子の良い事を考えているんじゃないでしょうね? あの子も私も、勿論極楽に来ましたけど、あなたの顔なんか見たくないって、あなたの地獄送りを画策して、香澄が閻魔様に直談判していましたよ? だからあなたが地獄に行ったら、こうして会えなくもなりますから、今のうちにお別れに来たんです』と言ったんじゃ! 澄江の奴、あんまりじゃあぁぁぁぁっ!!」

「……………………」

 錯乱した様に叫んで清香の足から手を離し、布団に蹲って号泣し始めた総一郎を、最早誰もフォローできず、黙って互いの顔を見合わせた。

 そのまま何分か様子を窺っていても、総一郎が泣きやむ気配が無い為、清香が溜息を吐いて疲れた様に会話を再開させた。


「……それで? 死んだ奥さんと娘に、これ以上愛想を尽かされたくなくて、こっそり見守る方針を方向転換して、告白しようと思ったわけですか?」

「そうじゃ。それで清香に孫たちの誰かと、早急に結婚して貰おうかと思って、皆に発破をかけたんじゃが……。どいつもこいつも甲斐性無しどもが」

 苦々しげに総一郎は部屋の壁際に控えている孫達を見やったが、清香はそれを一喝した。


「あなたが文句を言う筋合いじゃありません!」

「……すまん」

 再び萎れた様に俯いた総一郎に対し、清香は軽い頭痛を覚えながら話を続けた。


「第一、どうして祖父だと告白する事と、従兄妹同士で結婚する事が繋がってるんですか?」

「それは……、新郎新婦どちらにとっても祖父に当たるから、身内として紹介しやすいし、告白して怒っても亭主になる奴が、お前を宥めてくれるかと……」

 ぼそぼそとそんな事を説明する総一郎に、清香が呆れた様に断言する。


「……何ですか、その穴だらけの計画とも言えない計画は。確かに皆とは仲良くしていますけど、結婚云々は別でしょう。それに一日二日で、気安く結婚するわけありません!」

「それは儂も認める。清香もまだ若いし、下手したら結婚まで持ち込むまで一年二年かかって、その間に儂がぽっくり逝きかねない事に後から気付いてな」

(元気一杯で、後二・三十年は楽々と生きていそうなんだけど……)

 皺はあっても肌に艶と張りがあり、声にも力があっていかにも矍鑠としている総一郎を見ながら清香はそう考えたが、本人は大真面目で語り続けた。 


「しかしいきなり面識が無い人物に『お前のお祖父さんだ』と言っても、不審がられて通報されかねんし、お前の父親の事もある。罵倒されるのは仕方が無いとしても、関係自体否定されたくは無いから、打ち明ける前に何とか友好関係を築くか、あまり清香を怒らせない状況を作りたいと思って……」

「それで? 真澄さんがプリザーブドフラワーのアレンジを競り落としたのをきっかけにして、私を自分の誕生祝いの席にかこつけて、ここに招待する手筈を整えたんですか。………………残念過ぎる事に、私を最っ高に怒らせましたがね」

 尻つぼみになった総一郎の言葉に被せる様に、清香が冷え冷えとした口調で続けると、総一郎が必死の面持ちで訴える。


「すまん。それは全面的に謝る。お前の父親と兄の悪口を言うつもりは無かったんじゃ! ちゃんと過去の行いについて謝る心積りもしておった。本当じゃ! ……だが、小笠原の孫なんぞと付き合っとるなどと言われて、つい口が滑って」

「言い訳にもなりませんね」

「………………」

 冷たく弁解をぶった切られた総一郎は、再び俯いて黙り込んだ。そこに清香が念を押して来る。


「言いたい事は、それだけですか?」

「…………ああ、似るなり焼くなり、お前の好きにしてくれて構わん」

 それを聞いた清香は、溜息を吐きだしてから総一郎の前に屈み込んで静かに告げた。


「そうですか。それは結構な心掛けですね…………、お祖父ちゃん」

「え?」

 予想外の単語を耳にして、思わず顔を上げた総一郎だったが、清香は素早く両手を伸ばしてその襟元を掴み上げ、掛け声をかけつつ乱暴に引っ張り上げた。

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