024 再び新入社員の女の子の家で

 高見さんへの恋愛感情の件で色々と戸惑っていた。

 そのせいで俺は、口数が少なくなっていたみたいだ。

 俺のそういう様子は、周囲にも影響を与えてしまった。新入社員たち三人の雰囲気が重いのである。


 過去に戻って来る前に開催された飲み会と今回の飲み会とでは、違いが明らかだった。

『同じ参加者』で、『同じ洋風居酒屋』で、『同じ日』の『同じ時間』に開催された飲み会なのに、食べ物と飲み物がテーブルに並んでも、前回と違って楽しい雰囲気にならない。

 俺が空気を重くしてしまっているからだろう。


 やがて、この集団のムードメーカー的なポジションの高見さんが、状況に変化を与えようと動いてくれた。


「大沼さん……もしかして、緊張しているんですか? ふふっ」

「そ、そうですね。俺、ちょっと緊張しているかも。すみません」

「もっとリラックスしてくださいよ。大沼さんが緊張していると、アタシたちだって緊張しちゃうんですからね」


 高見さんの言うとおりだった。

 飲み会をやろうと言い出した俺が、場の空気を緊張させてどうする?

 明るく振る舞わなくちゃいけない!


「よし! 俺、もうちょっとリラックスしますね」


 高見さんへの恋愛感情が消えてしまったことで戸惑っていたわけだけど、俺はいったん頭を切り替えることに集中した。

 目の前の新入社員たちを楽しませなくてはいけないのだ。


 ミルクティー色の髪を揺らしながら、高見さんが尋ねてくる。


「ねえ、大沼さん。後輩と接するのが苦手だって話、二人には打ち明けたんですか? 話していないのなら、アタシの方から二人に打ち明けちゃいますよ? たぶん、伝えた方がいいですよ」


 いや……高見さん……。

 そこまで言ったら、もうほとんど二人に打ち明けちゃっているみたいなものなんですけど?


「大沼さん、今日の飲み会って、みんなで楽しむことも目的のひとつですけど、大沼さんの苦手を克服するための飲み会でもあるんですよね?」


 そう言うと高見さんは「後輩が苦手だって話、アタシから二人に説明してもいいですか?」と再び訊いてきた。

 俺は思わずうなずいてしまう。

 そしてなぜか高見さんが、俺の代わりに市柳さんと黒浜に上手く説明してくれたのだ。


 説明を聞き終わると市柳さんも黒浜も、なんとなくやさしい目つきで俺の顔を見つめてきた。

 美男美女がこちらを眺めながら、やんわりと微笑む。


 ああ……。きっとこれは、俺を受け入れてくれる人たちの目だ……。

 新入社員たちは三人とも、本当に良い子たちだなあ……。


 飲み会の雰囲気が決定的に変わった瞬間だった。

 市柳さんも黒浜も、後輩に苦手意識を抱く俺に気をつかいながら、飲み会を盛り上げようと努力してくれる。

 まあ、二人とも物静かなタイプなので、実際にはそれほど盛り上がらないのだけど……。

 それでも、市柳さんと黒浜のやさしさが素直にうれしかった。


 市柳さんが黒髪を揺らしながら俺に尋ねてくる。


「そ、それにしても大沼さんって、本当にお酒をお飲みにならないんですね?」

「はい。実は俺だけじゃなくて、父親もお酒が弱いんですよ。遺伝なんですかね?」


 俺は辛口のジンジャーエールをごくりと喉に流し込みながら思った。


 あれ……この会話?

 この過去に戻って来る前の飲み会でも、まったく同じ話をしたような……。


 アルコールのせいで、ほんのりと顔を赤らめている市柳さんに向かって俺は話を続ける。


「俺が社会人1年目だったから22歳のときかな。夏に実家に帰ったとき、350ミリリットルのビール1缶を親父と二人で半分に分けて飲んだんですよ。本当に1缶だけ。それで、気がついたら二人とも朝までリビングで眠っていました」


 高見さんが軽く吹き出した。


「ぷっ! 親子でどんだけ弱いんスか」


 ミルクティー色の髪を揺らしながら彼女はニヤニヤ笑う。

 俺の隣では、黒浜が栗色くりいろの髪を静かに揺らしながら両目を細めて微笑んでいる。

 もし俺が女性に生まれていたら、彼の笑顔をおかずにごはん二杯くらい食えそうだなあ、と前回と同じような感想を抱く。


 みんなのおかげで、すっかりなごやかな飲み会となった。

 このまま、新入社員たちの心に踏み込めるような話ができたらいいのだけど……。


 そう思ったところで、ふと、余計な考えが頭の中に浮かんでしまう。


 もし、ここで俺がビールを飲んで、前回のように眠ってしまうようなことがあったら?

 やっぱり高見さんの家に連れて行かれることになるのだろうか?

 そこで、彼女と抱き合うことができたら? 失われたあの夜の記憶や、高見さんに対する恋愛感情を、俺は取り戻すことができるのか?


 試してみたくなった……。


 俺はグラスビールを一杯注文してしまう。

 前回は中ジョッキだったのだけど、今回は中ジョッキよりも量が少ないグラスビールにしたのだ。


 今夜の行動を一杯のグラスビールにけてみようと考えた。


 もしも、グラスビールで俺が酔っ払って眠ったら? 前回と同じように高見さんと抱き合えるかもしれない……。

 酔わなかったら? そのときは高見さんと抱き合うことはきっぱりあきらめよう。


 自分で自分の行動を決められなかった。

 そこで、酒に運命をゆだねたのである。


 そんなわけで俺は、グラスビールをちびちびと時間をかけて飲んだ。


 やがて視界がぼんやりとしてきた。

 両耳が熱くて、頭の血管がドクドク鳴りはじめる。

 そして、俺は眠った……。



   * * *



 気がつくと俺は、高見さんの肩を借りて歩いていた。


「ほら、大沼さん。お家に着きましたよぉ~。アタシの家ですけどねぇ~」


 グレーのスーツを身に着けた高見さんが、俺の身体を支えながら器用に鍵を使って玄関の扉を開ける。

 俺はぼんやりとした意識のなかで靴を脱ぐと、彼女の家にあがった。


 高見さんに連れられて3じょうほどのキッチンを通り過ぎると、ベッドのある部屋にたどりつく。

 見覚えのある部屋だった。


 ただ、高見さんとここでどんなふうに愛し合ったのかは、まったく覚えていない。彼女の下着の色さえ覚えていないのだから。


「大沼さん、大丈夫ですか? 座椅子に座りますか?」


 こんな酔っぱらいの俺に、高見さんはやさしく話しかけてくれる。

 今回はグラスビールにしたおかげか、前回と違って俺はそこそこ意識を保っていた。


「大沼さん、とりあえず上着を脱ぎましょうね? ネクタイも外しちゃいますよぉ~」


 高見さんは、ベッドの前で突っ立っている俺の上着を脱がせるとハンガーにかけた。

 続いて彼女は、ネクタイに手を伸ばす。


 ミルクティー色の髪が俺の鼻先で揺れていた。ほんの少しだけ汗の臭いがした。

 俺の汗だろうか?

 それとも、俺をここまで運んでくれた高見さんが汗をかいているのだろうか?


 高見さんは手先が器用なはずなのに、俺のネクタイを外すのにはなんだか手間取っていた。

 おそらくだけど、男のネクタイを外した経験がないのかもしれない。

 胸が少しきゅんとなった。急に、彼女のことが愛おしく思えてきたのだ。


 ようやくネクタイが外されると、高見さんが言った。


「はい、じゃあ大沼さん、どうします? 座椅子に座って休みますか?」


 それは、突然だった。

 ろうそくみたいなものが俺の胸の中にあって、ぽっと火が灯ったような気分だった。


 高見さんへの恋愛感情が、どうしてかこのタイミングで急によみがえったのである。

 自分でもワケがわからなかった。

 ちょっとしたパニックだった。


 蘇った恋愛感情は、最初はろうそくの炎程度のものだと思っていた。

 だけど、それはすぐに俺の中で大爆発して、抑えきれないほどにあふれ出す。


 ずっと強制的にふたをされてきた感情だったから、吹き出したときにこれほど胸の内側で暴れるのだろうか?

 高見さんを抱きたくて抱きたくて仕方なかった。


 気がつくと俺は、スーツ姿の高見さんをベッドに押し倒していたのである。

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