同情するなら本を買え(2)

「誰っ」

 伝子は魔力の導線。熱を奪いながら、魔力を流す回路を形作る。そのためどんな魔術であろうと、仕掛けられる側は一瞬「非常に冷たい」と感じる。

結果ハジメは寒気のために誰かが自分に魔術をかけようとしている、と気付いた。

「なんだなんだ?」

 首を捻る杉田はまだ気付いていない。術者の腕前が高いと、対象を限定して魔術を行使することも可能だ。基礎魔導術で赤点すれすれのハジメなどとは比べものにならない実力者が相手ということになる。

「ハジメ、私が相手しとくから」

 いちはやく立ち上がり、ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出した詩織が、早口で指示を出す。

「早いとこ本を開きなさい。杉田、あんたは盾代わりよ」

「ちょ、ふざけんな!」

 慌てて杉田も尻ポケットに手を伸ばす。

 ハジメはと言うと、バッグから辞典並みの分厚い魔導書を引っ張り出すと、苦労して目的のページを探していた。

「えーとえーと、あれでもないここでもない……」

 慌てて「一般防御術」の章をめくる。が、一瞬早く相手の魔術が発動した。栞を持つ右手が、何かに縛られて動かなくなる。見ると、手首に金色に光る細い鎖が絡みついていた。

「うぇっ? と、取れない……」

 引っ張っても、振り払おうとしてもびくともしない。

「ハジメ! もう、鈍くさいんだから」

 振り向くと、詩織は手にしたスマホの画面を親指でドラッグし、素早く魔導式をささやく。手の平に赤い線が小さな三角形を描き、僅かな厚みと鋭さを備えた実体に変化する。そのままそれを金鎖に叩きつけ、切り裂いた。

「やった! ありがとー」

「あんたね、もうちょっと早くしなさいよ……って無理か、それじゃ」

 ハジメが抱える魔導書「汎用基礎魔術大全――改訂第三版」は片手で持っていると腕が抜けるほどで、実戦においては極めて取り回しが悪い。

「うう……アプリ版が羨ましい」

 ハジメの持っている携帯電話は古式ゆかしい、アンテナのくっついた二つ折り型のもので、スマホ用アプリケーションには対応していない。買い換えない理由のひとつは、資金不足である。

「おい、やべえぞ……」

 魔力の防壁を張った杉田が怯えている。ハジメと詩織がその視線を辿って食堂の反対側を見ると、黄金の髪をした少女と目があった。その手にあるスマホは金のクローバーの飾りがついている。

「クレエ・ファガルドじゃねえか」

 名を呼ばれた少女は、淡い緑の瞳に敵意を漲らせて三人の元に歩みよる。スマホの他、彼女の腰のポーチには小振りな魔導書も収まっており、万全の体制だ。

 クレエ・ファガルド。魔導術研究の大家であり、世界各地の大手企業を傘下に納めるファガルド財閥の令嬢。学年での成績は、魔導術を筆頭にトップクラスの優等生。一年生にして学校一の魔導書使いに匹敵する実力を持つ。

 そんなとんでもない存在がいきなりハジメのような凡人にその術をぶつけてきた。食堂にいた誰も彼もがハジメがいったいどんなことをしでかしてクレエの逆鱗に触れたのか、興味津々で注目し、口々に囁き合う。

「お嬢様が何の用かしら」

 ざわめきの中、詩織が険しく問う。

「あら、河野さん、貴女に用はないわ。用があるのは、そこの詐欺師さんよ」

 棘々しい言葉と共に、憎々しげな視線が突き刺さる。

「詐欺師? 杉田君何かしたの?」

 首を傾げると、

「ちげーよ! どう見てもお前を睨んでるだろ」

 小刻みに首を振る杉田に言われ、ハジメはようやく、

「え、わたし?」

 と自分の顔を指差した。

「そう、貴女ですわよ槙野さん。この後に及んで分からないと仰るのかしら」

 剣呑なクレエを見ても、ハジメにはわけが分かっていなかった。

「そう言われても……? クレエさん私と遊んだことあったかな……?」

「なら、思い出して頂けるまで続けるしかないようですわね。大人しくなさい」

 言い切らないうちに、ハジメの足下から金の鎖が三本飛び出した。が、赤い炎が全て絡みとり、灰に変える。

「この子は嘘がつけるほど頭良くないわ。アンタが因縁つけたいなら最初から説明しなさい、ハジメでも分かるように」

「詩織ちょくちょくひどくない? そこはもっとかばってくれてもよくない?」

「あら、槙野さんの付き人さんには関係ないと申し上げたはずですけれど?」

「じゃあはっきり言ってあげましょうか。私はアンタが気に食わないのよ」

「そう。後悔しても知らないわよ」

「お、おい……」 

 扱いに抗議するハジメと、二人の間を視線を往復させておろおろする杉田をよそに、詩織とクレエは火花を散らす。

 無言で睨み合い――同時に手にしたスマホに指を閃かせ、言の葉で術式を紡ぐ。

「――我が外敵を焼き尽くせ」

「――愚か者に裁きを」

 スマホにインストールされた魔導書によって圧縮・変換された二人の詠唱の最後の部分だけが、ハジメの耳に届いた。二人の周囲に、伝子がきらめきながら集まり、魔法陣を描く。

 詩織の足下の赤い魔法陣からは、激しく燃え上がる炎が飛び出し、長い体をくねらせる竜のように宙を舞う。

 クレエの背後の金の魔法陣からは、大量の金の鎖が飛び出し、寄り集まり、溶け合って優美な弓と矢を作り出す。

 竜が牙を剥き、クレエが弓を引きしぼる。金の矢が放たれ、炎の玉を竜が吐き出す。

「おい、みんな伏せろ! やべえぞ」

 杉田が警戒するまでも無く、集まった野次馬は咄嗟に防御魔術を固めていた。

 ぶつかり合った魔術が弾け、爆煙と金色の欠片が飛び散った。耐魔術加工の食堂の床に、還元された魔力が跳ね返る。

 二人の力量は互角かと思われたが。

 煙を貫いて、二の矢が飛んでくる。

 避ける暇はない。詩織は焦る様子もなく、空いた手を伸ばし、杉田の襟首を掴んで引き寄せ、矢に対してかざした。

「ちょ、ま」

 胸にクローバー状の鏃が突き立てられると、金細工の鎖が無数に飛び出し、杉田の全身を縛り上げる。

「なにすんだお前!」

「言ったはずよ、アンタは盾だって」

 にべもなく言い返し、詩織は煙の向こうを見据える。彼女の赤みがかった前髪から汗が一粒落ちた。

 歩み出てきたクレエは三本目の矢をつがえていたが、それが放たれることは無かった。

――昼休み終了のチャイムが鳴り、食堂の戸口に教師の桐山が現れたからだ。

「あなたたちー腕比べなら次の実技の時間にたっぷりさせてあげるわよ」

 にっこりとした笑顔。しかし額には青筋。

 急速に青ざめた詩織とクレエは、無言の圧力に耐えかねて、開いていた魔導書アプリケーションを閉じるしかなかった。

 

 一方重い魔導書に掛かり切りになっていたハジメは、

「よしこれでオーケー! クレエさん、いっくよー」

「槙野さん槙野さん、桐山来てるから! 早く本閉じて!」 

「え?」

 目を上げると、桐山のすさまじい形相と対面し、

「あ、はい閉じます閉じます」

 ようやく組んだ術式を放棄し、うなだれるしかなかった。

「がんばったのに~……」



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