同情するなら本を買え

 脂の滴る分厚いステーキ! 熱々で山盛りのパスタ!ほかほかの白いご飯! パリパリの唐揚げ!これ全部食べていいの?いいよね? なんたってうちの本がみーんな売れたんだから! これで好きなもの食べられるしいくらでも遊びに行ける……自由だ! 私は自由なんだ! じゃあいっただっきまーす!


「残念、昼休みはまだだぞー槙野」

 目を開けると、誰かが目の前に立っていた。目の焦点が合うにつれて、槙野ハジメは自分の置かれた状況を理解した。

 つまり、ここが教室で。

 目の前に広がっているのは、ごちそうではなくて。

 ハジメが店番する本屋の在庫ははけておらず。

 ばんざいの格好で立ち上がった自分を、青筋の浮かんだ笑顔で見下ろしているのは、副担任の堀川だということを。

「嘘……」

 恥ずかしい。そして夢の中のごちそうが、空っぽの胃に辛い。

「後一限、頑張れ」

 ねっとりした声と共に出席簿の角が頭に落とされ、再び机に沈んだ。遠慮のない笑い声で、耳が赤くなる。おまけにお腹が大きく鳴った。

「さあ、他にねぼすけはいるかー? いないなら杉田ァ! 57ページの問題を解きなさい」

 げらげら笑っていた男子生徒が慌てて教科書をめくっている間に、隣から手が伸びてくる。

”これ、寝てた間の板書。後でジュース一本”と添えたノートが差し出され、ハジメは右横の女子生徒に手を合わせて拝んだ。

 持つべきものは親友だ。


「ありがとー、詩織。でもおごらせるの? お金ないの知ってるでしょ」

 待ちに待った昼休みの食堂。ハジメは購買で買った焼きそばパン(税込み107円)に一口かぶりついてから口を尖らせた。

「あんたが居眠りするの何回目だと思ってるの。少しは反省しなさい。授業料よ」

 呆れた顔で首を振ると、赤い眼鏡の奥からじとりと睨んでくる。

「でも、詩織はいつも見せてくれるじゃん」

「あのねえ、私が休んだらどうすんのよ」

「それは考えてなかった! どうしよう?」

「……ハジメって卒業したらまともに生きていけるのかしら。本気で心配になってきたわ」

 うんざりしたように首を振りながら、詩織は奢らせたイチゴ・オレのストローで吸い上げた。

「おい槙野! お前のとばっちりでやられたじゃねえか!」

 二人のテーブルにずかずかと詰め寄ってきたのは、先ほど職員室に連れて行かれた杉田だった。今度は何を没収されたのだろう。

「あんたが授業中に遊んでるからでしょ」

 詩織が鋭く言い返せば、

「うるせえ、マンガなしで堀川の念仏が聞いてられっか」

 と口を尖らせる。

 言われた当のハジメは、

「分かるよー当てるときはやたら熱心なのに板書中はお経みたいだもんね。ところでマンガ没収されたんならウチに暇つぶしの本買いに来ない?野球の本もあるよ、安くしとくからあ痛っ」

「ハジメは反省しなさい、あと、校則違反を助けないの」

 のんきに商売話をしていて頭のてっぺんにチョップを食らった。

「ひどいよー、さっきも出席簿で叩かれたのにー頭悪くなったらどうしてくれるのよ」

「今以上悪くならないでしょ」

「それ以上悪くならねえだろ」

 真顔で二人に言われ、ハジメは本気でショックを受けた。

「うそ……」

「諦めな、ハジメ」

「つーか槙野んちの本ってやたら古くてでっかい本と時代遅れのグリモアばっかだろ? もっと今時のマンガとか雑誌とかおけよ」

「うっ……置いてるよ! 新しい本!」

 ハジメ一人で切り盛りしている「槙野よろず書店」だが、両親に対する彼女の必死の訴え(壮絶な親子喧嘩)によって現行の雑誌や流行の書籍も僅かながら入荷出来る。ただし、業者がいい加減で数日から数週間遅れてしまうのだが。

「はあ? ふつーに二ヶ月前のが残ってるじゃねえか、そんなんで……」

「あれ? なんで杉田くんがウチの売れてない雑誌のこと知ってるの?」

 首を傾げると、急に彼の顔が青ざめた。

「お、お前んちじゃそんなとこだろーと思っただけだよ!」

 杉田がなぜか焦って言ってきた言葉に、

「うう……どーせウチは万年赤字ですよ。毎日来るのはクロスケだけだし、ご飯たかられるし」

 ハジメはうなだれた。そのままぐすっと鼻を鳴らす。

「杉田くんがいじめるよー詩織ー」

 親友の肩にすがりつく。なお、詩織の表情は硬い。

「お、オレが悪いのかよ」

「悲しいなー、貧乏本屋とか言われて。杉田くんが本買ってくれたら嬉しいのになー」

 チラチラと視線を向けると、彼はばつの悪そうな顔になったが、

「はいはい、嘘泣きがバレバレよ」

 親友の冷たい一言。

「ひどいー」

「泣き落としは止めなさいって言ったでしょ、みっともない」

「じゃあちゃんとするから本買ってよ」

「あんた私がどんだけ毎月買ってやってると思ってんの。おかげで金欠になりそうなんだけど」

「毎度ありがとー詩織大好き」

 ふざけて抱きつくと、「暑苦しい」と片手で押しやられる。

「まあ、クラスメイトにも買ってもらわないとこの子干上がっちゃうの。あんたもたまには買ったげな、今度はこそこそせずに」

 適当にハジメの白い髪を撫でながら言ってのけると、杉田はさらに青ざめた。

「何言ってんだよ! 誰がいくかよっての」

 詩織は意地悪く口の端を釣り上げた。

「なにニヤニヤしてんだよ」

「べっつにー? そこまでして見たいもんなのかなって」

「なんのこと?」

「喜びなさいハジメ、少なくとも成人雑誌の売り上げは毎月あるわよ」

 したり顔の詩織に頭を撫でられ、ハジメはとりあえず焼きそばパンを飲み込んでからにへらと笑った。

「なんだか分からないけど、わーい」

「あのなあ」

 名誉に関わることらしく、杉田が食い下がろうとしたとき。

 ハジメは身震いして詩織から離れた。背筋に氷が触れたような感覚。

「どうしたの?」

 この感覚、この冷たさは。

 周囲の〈伝子〉が、魔導書によって支配下に置かれたことを示す、魔術攻撃の予兆に他ならなかった。

 

                           〈続く〉



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