二十三段目

 学校の最寄り駅から電車に乗り、帰り道とは逆方向に二駅過ぎたところで降りる。そこから近いファミレスが、一番空いている。


 帰り道方向の駅にもファミレスがあるのだけれど、そっちの方が駅が大きく、他校の生徒もよく利用するためにいつも混んでいる。電車代分少しかかってしまうが、落ち着いて話せる方を優先したかった。


「わたしは、いつも通りオムライスかな。杏子はどうするの」


「またオムライスかぁ。あたしは、何にしようかな」


 メニューを見る杏子の眼を、なんとなく観察する。文章を読んでいるかのように、左から右にはゆっくり、右から左にはサッと動く眼球が気持ち悪くて面白い。


 教科書を見ている時は、こんなに熱心な動きはしないだろう。舐めるように見るとは、まさにこういうことなのだろうか。


「あたしの顔に、なにか付いてるの」


 すごい。見られていることに気づいた。普段からスポーツをしている人は、いわゆる野生の勘というやつが研ぎ澄まされて、気づくようになるのかもしれない。


 それとも単に、杏子が鋭いだけだろうか。


「杏子はまるで、野生動物のようだね」


「突然なによ。意味わかんなくて怖いんだけど。ちょっと待ってて、食べ物には優柔不断なの。知ってるでしょう」


 そういうと、杏子はまたしばらく眼をせわしなく働かせ、ぱたりとメニューを閉じて呼び出しボタンを押した。すぐに店員が来る。


「オムライスと、デミグラスハンバーグセットライス大で。それから、ドリンクバー二つ」


「そんなに食べるの?」


「だっておなか空いたし」


 注文を繰り返すと、店員は下がっていった。


 じゃんけんをして、負けた杏子が飲み物を取りに行く。


「わたしは、烏龍茶でよろしく」


「この前紗英に「いつもグーだね」って言われたから、今日はパーにしたのに……」


 ぶつくさ文句を言いながら席を立った。わたしは、杏子が戻るまでの間に、メニューを片付けておく。


「はい、烏龍茶」 


 氷の入ったグラスに、溢れそうなほど烏龍茶が入っている。よく席に戻るまでこぼさなかったものだ。


 これも、日頃の運動のおかげで、バランス感覚が養われているのだろうか。


「こんなイタズラもどうかと思うけどさ、今からハンバーグ食べるのにメロンソーダはどうなのよ」


 対面の席に座った杏子の手元には、炭酸の気泡が踊るメロンソーダが入っていた。


「運動部員は、普通の女子高生よりカロリー摂取しないといけないの」


「それにしたって、その食べ合わせはどうなの」


 わたしの言葉を無視して、杏子は嬉しそうにジュースを飲む。一度口をつけただけでもう半分は減ってしまった。


 恐る恐る口に運んだグラスから、わたしの烏龍茶は一滴もこぼれ出て行かなかった。


「そういえば、なんであたしのこと見てたの」


「杏子の眼球の動きが、面白いなと思って。わたしが見てたの、よく気づいたね。さすが運動部」


「野生動物から文明的になってなによりだよ」


 呆れたようなため息をついて、杏子はグラスに付いた水滴を指で弄び始めた。


「まあでも、あたしはもっと運動少女にならないといけないわけよ」


「運動少女?」


 顔を上げないまま、話しだす杏子。さきほどよりも、声のトーンが少し低い。


「文学少女とか言うでしょ? それの派生版みたいな感じで、運動少女」


「今でも充分、運動女子だと思うけど。それに、『文学』なんだから『体育学』のほうがそれっぽいよ」


 わたしの細かい指摘に、少し不服そうな顔をした。「細かいことはいいんだよ」とでも言いたいのだろう。


「部長っていうのは、全体を見る人だと思うのね。チームとして、部を動かしていく人。副部長になったあたしは、部員にとって身近な人になりたいわけよ。後輩目線とか、他の部員目線でいたいわけ。


 でも、部長や顧問の補佐をきちんとこなすのも、副部長の役割だと思うの。だからあたしは、もっと練習がんばって「副部長が動いてくれるから、他の部員も動ける」を目指したいの」


「指示を出して、全体を見る部長。指示通り真っ先に動いて、他の子に示す副部長。そういう風に、杏子は考えてるんだね」


「まあ、そんなところかな。難しいかもしれないけれど、今から楽しみで仕方がないんだ」


 杏子の責任感が、そういった考えをもたらしたのだろう。


 うちの学校は、スポーツ強豪校というわけではない。けれど、任命された以上期待には応えたい。


 落ち着いて話していながらも、杏子の眼は獲物を狙うかのようにぎらぎらと光っていた。


「裕美は、野生動物のようだね」


「文明は退化したのかな」


「いやだな、褒め言葉だよ」


 そして、そんな杏子の眼をみて、ここへ来るまでの違和感の原因に気づいた。嫉妬していたのだ。杏子のこの眼に。


 わたしの濁った眼ではなく、これからを見ている杏子の眼を羨ましく感じている自分がいたのだ。


 そんな嫉妬をしてはいけない。わたしは、これからを見た結果、自分の人生を終わらせると決めたのだから。


 こんなことで乱されてはいけない。ただ誠実に、実直に、死ぬことだけを見据えていなければいけない。


 わたしの人生は、この夏で終わる。覆ることはない。


「お待たせしました。こちら、オムライスです」


 わたしのオムライスが、テーブルに運ばれてくる。その後、すぐに杏子のハンバーグもやって来た。


「それじゃあ、新たなあたしに向かって。いただきます」


 特に考えもなく発せられた杏子の言葉。言った後の杏子は、つまみ食いが見つかったお父さんのように、バツの悪そうな照れ笑いを見せた。


 その言葉が、笑い方が、わたしの喉に引っかかる。

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