十一段目

 商店街の入り口の角から少し逸れたところ、淡いピンク色をした十五階建てのマンション。サクラマンションというのが、建物の名前。そして私の目的地


 田舎の小さな商店街の直ぐ側にありながらも、街の景観から枠線を引いたように浮いて見えないのは、時間が経って外壁のペンキが色あせているからだろうか。


 それとも、ただ見慣れというやつなのだろうか。それはそれで、なんだか愛着が湧いてくる。うちのペットが一番かわいいと言う人は、こんな心境だろうか。いや、違うな。


 心の中で、子供の一人遊びのような笑いをくすくすと漏らした。


 わたしが幼稚園児の時に生まれたこのマンションは、正面玄関がオートロックになっている。そして、このオートロックには抜け道がある。


 少し重たい扉を押してくぐると、その先は小さなエントランス。エントランスから中に進むための自動ドアがオートロックになっている。


 そのドアの隙間に宅配ピザなんかの薄い広告を通すと、挟まり防止のセンサーに反応してドアが開くのだ。


 中学にあがるまでここに住んでいた友達が、まだ小学生の時に時に教えてくれた。


 ドアの前に立つ。ガラスに映る、見えない真っ黒に覆われた自分の姿を見た。


 着替えもしていない制服に、スッピンの顔。昔から姿勢はいいから、こんな時でも背筋はすっと伸びている。けれど、なんだか自分じゃないように見えた。


 いつだったか「自分の顔って、実は他人の顔より見ること少ないよね」なんて杏子が言っていたのをなぜか思い出した。


 確かに、自分の似顔絵は見ないと書けないけれど、杏子やお父さんの顔なら、かけるかもしれない。それから、淳斗の顔も。


 手にした宅配ピザの広告を、ドアの隙間に通す。何年か経った今でも、ドアはすんなりとわたしを通してくれた。こういうところも含めて、商店街周辺はずっと変わらない。


 わたしはこのマンションに、飛び降り自殺をしに来た。お父さんにとって荷物になるくらいなら、そのほうがいいと思ったからだ。


 勘違いして欲しくないのは、これは誰かに何かを訴えたいというわけではなく、わたしの我が儘ということ。誰のためでもなく、自分自身を通すためだけにやる。


 みんな好き勝手に生きているんだ。わたしだって、もう我慢したくない。その証明のために、わたしはわたしの身体を叩きつける。いつか、スプーンの裏で潰した苺の果肉みたいに。


 お父さんが何も話してくれないのは、とても辛い。出て行ったお母さんのことだって、悔しくも悲しくも思う。けれどそれは、何を言ったって仕方のないことだ。


 仕方ないけれど、受け入れがたい。唐辛子が甘そうだと思って齧った五歳の時、裏切られた気分になった。その時に似ている気がした。


 ここに来るまでに、文房具屋さんに寄ってペンと便箋を買った。遺書のようなものを書くためだ。


 けれど、真実を書くつもりはない。優しいお父さんのことだから、自分や家庭が理由で飛び降りたと思うだろう。


 ひどい場合は、後追いだって考えられる。というのはさすがに、自惚れ過ぎだろうか。


 遺書には、淳斗のことを書こうと思う。「大好きな彼に騙されていたのが、耐えられないから死にます」なんてことをつらつらと書いておこう。


 実にいまどきの女子高生らしくていいじゃないか。この前杏子に教えてもらった『メンヘラ』というやつだ。


 四股できる程図太い神経があるなら、耐えられるだろう。わたしの駄作と言える短い男歴にも、なんとか意味を持たられて悔いはない。


 良心が傷まないこともないけれど、お父さんが辛いよりは全然マシだ。天秤にかけるまでもなく、手で測れば重みの差がわかるだろう。


 私の代わりにお父さんが淳斗を殴ってくれるかもしれない。残り三人の彼女に、晴れた頬を撫でてもらえばいい。


 などとぶつぶつ考えながら、黙々と階段をのぼる。


 一段ずつ階段を踏みしめるのは、気持ちがよかった。まるで足に羽が生えたようで、無限に登り続けられる気さえした。


 その羽根はおそらく、黒い靄でくすんでいるけれど。


 自殺にこのマンションを選んだのは、オートロックが外せるのとは別で理由がある。


 それは、十階より上に入居者がいないということと、屋上に簡単に上がれるということ。


 私が中学一年生の頃、このマンションで飛び降り自殺があった。その自殺した人物が、十一階のある一室に住んでいた大家一家の子供なのだそうだ。


 それ以来、十階より上の階にある部屋では、飛び降りた息子の姿を見かけるという噂が流れた。


 真実のほどはともかく、噂というのはたくさんの装飾をつけて駆けまわるものだ。この噂も、例外ではない。


 最初は見かけるだけという話が、肩を叩かれるだとか、部屋に入ってくるなどに進化していった。


 そうなってくれば、住み続けていたい人はよほどの物好きくらいのもので、当時住んでいた人の中に物好きはいなかった。


 そしてもの好きは、今でもまだ現れていない。


 お祓いをしたい大家さんだったけれど、自分の息子だということでなかなか踏み切れず、やっとお寺にお願いに行った頃にはもう上階に入居者がいなかった。


 それでもなんとか無くならずにいるのは、九階より下には何も出ないという謎の信頼感にお祓いまでしたお墨付きということで、下の階の評判が良くなったからだそうだ。


 お祓いをしてくれたお寺に感謝しつつ、わたしは無事誰にも見つからずに最後の階である十二階を登り終えることが出来た。

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