互換性ハルマゲドン

千鳥すいほ

平凡な一日

 目覚ましの音で目が覚めた。重い体を引きずってアラームを止める。

 7時半。今日は日曜で予定もない。そんな日に早起きをするような大学生はいない。仮に存在したとしてもここにはいない。部屋は明るいが静かだ。

 二度寝をすることにした。


 次に目が覚めたのは12時過ぎだった。

 さすがに空腹を覚えて起きあがる。寝すぎたのか頭が痛い。

 なんだか重心がおかしい体を引きずって冷蔵庫にたどりつく。


 そういえば米がなくなったんだった。

 しばらく考えた末、とりあえずヨーグルトだけを持って茶舞台へ運ぶ。


 閉めたままのカーテンを夏の日差しが貫通して、部屋の中は明るい。

 愛すべき6畳のワンルーム。18年の我慢の末にようやく手に入れた我が城だ。多少散らかっているが、天然の照明の効果で爽やかさも3割り増しだ。


 しかし静かだ。

 鳥の声もしない。いつもこの時間帯に掃除機をかける隣人の部屋からも物音一つしない。

 動きを止めて耳を澄ますと、しぃん、と耳鳴りがした。


 ああ、またいつものあれか。


 食べ終わったヨーグルトの容器をゴミ箱に突っ込んで、窓まで歩く。カーテンを開けると、いかにも暑そうな無人の道路が見えた。空は見事に晴れ渡っていて眩しい。鳥の姿はない。


 ああ、これはいよいよあれだなぁ。

 米がないというのに困ったことだ。一抹の希望にかけて、一応確認をしてみよう。



***



 ジャージより2段階ほどましな服に着替えて外に出ると、アホみたいに暑かった。駐輪場にたどり着く前に汗が滲んでくると多少うんざりする。


 自転車を漕いで近くのスーパーに走る。車がいないのをいいことに全力疾走、店の前のガラ空きの駐輪スペースに愛車を留めて、スーパーの自動ドアをくぐる。


 冷房が効いていて涼しい。

 ため息をついて店内を見回すと、案の定誰もいなかった。明るい店内はいつも通り商品もきちんと並んでいるのに、レジにさえ人がいない。全くの無人だった。


「あー……」


 予想していたとはいえさすがにがっくりした。

 米が食いたい。腹が減った。


 落胆しつつ腹いせに店内を回る。

 バナナが安売りしている。3割引きの菓子パン、値段の変わらない米。実にいつも通りだ。商品を手に取ることもできるし、何一つ不審な点はないのに、レジに人がいないので買うことができない。

 いや、お金を無人のレジに置いて持って帰ればいいような気もするが、やっぱり何だか後ろめたいのでやったことはない。

 米に未練はあったが、やはり諦めることにした。どうせ数日我慢すればまた元に戻る。


「暑い中出てきたのになぁ……」


 呟いて、店を出る。暑い。道路に立って、周りを見回してみる。

 いつも通りを行きかっている車、自転車、人影が一つもないというのは、何度見てもやはり不気味な光景だった。駐輪スペースにも他人の自転車はない。スズメやカラスもいない。生き物の気配が全くない。とても静かだ。


 こうしていると、全部の生き物が一晩で全滅してしまって、うっかり自分だけ生き残ってしまったのではないかという変な想像が頭をもたげてくる。もしくは箱舟に自分だけ乗せてもらえなかったんじゃないか、だとか。


 とはいえ、まさかそんなはずもなく、数日もすればいつだって世界は元に戻っている。友人たちにそれとなく聞いてみたことがあるけれど、他の人はこっちが不便を強いられている間も普通に生活しているらしかった。この近くに住んでいるクラスメイトのチカちゃんに確認したので、間違いない。


 みんなが気付かないうちにどこかに移動していて自分だけが取り残されているのか、自分だけが気付かないうちにどこかに迷い込んでいるのか。

 まあ多分、後者なのだろう。


 疑問を挟む余地がないほど経験していることだけれど、それでも時々不安になるのは確かだ。


──ぃぃにいてみことこいいいににれつとりれれりいととにいて?


 あ、きた。


 ふぉんと音を立てて、何かが近くを通り過ぎた。この状態のときには時々あることだ。多分、見えていないだけで、こっちの世界にも何者かが住んでいるんだろう、と勝手に思っている。

 時々良くわからないけれど何かの言語のような音を発している。何をしゃべっているのかは分からないので、少し怖い。危害を加えられたことはないけれど。


──おぉあわにあおになぁ?


 また聞こえた。なんか、見えないけど増えてきたっぽい。暑いし帰るか。



***



 初めてこの状態になったのがいつだったかは覚えていない。子どもの頃はもっと短い間だけで、一瞬こちら側に迷い込んでしまうくらいだった。


 目の錯覚かと思っていたけれど、大学に入って一人暮らしになってから、たまに一日以上続くようになって、どうもそういうレベルの話じゃないらしいと気付いた。学生ならまだいいけど、社会人になったら大丈夫なんだろうか。まあせいぜい数カ月に一回の話だけど。


 初めて丸一日こちらに放りだされた時、慌てて実家に電話してみたことがある。電話口から聞こえてきたのはあの謎言語だった。怖くなってすぐ切った。以来、こうなった時は、携帯の電源は切ることにしている。


 別に、この異様な世界が嫌いなわけではない。静かだし、家から出なければ大した害はない。誰とも会いたくない日に当たればむしろ好ましく感じることさえある。

 ただ、いつだって前兆も何もないので、心の準備もできやしない。


 ここへ来ると、昔読んだパラレルワールドの小説を思い出す。

 詳しい話の筋は忘れてしまったが、特定の条件が揃うと元の世界とチャンネルが合って、そのタイミングで撮った写真の中でだけ家族と再会できるのだ。そのシーンだけをいやに鮮明に覚えている。


 ここがどこかはわからないが、きっとそういう場所なのだろうと思う。ラジオのチューニングのように、世界にも周波数みたいなものがあって、少しダイヤルを回せば違うものが見えるのだろう。霊能者とか超能力者とかいう人達は、ひょっとしたら自在にダイヤルを回せるのかもしれない。


 声だけが聞こえて姿の見えない住人たちも、本当は普通に生きているのではないかと最近は思っている。いつかもっとちゃんとチューニングできれば、姿を見ることもできるだろうか。それでものすごくグロテスクな姿をされていても困るんだけど。


 ちなみに、この世界でもテレビはちゃんと映る。言葉も普通だ。電波の偉大さに乾杯だ。唯一元の世界とのつながりを感じさせてくれるものなので、こちらに来た時はなんとなく点けっぱなしにしている。

 突如何も映らなくなったらどうしようとか、正直たまに思う。ビックリ系ホラーは嫌いなので、そんな日が来ないように願っている。


 そういえばラジオの電波は入るのだろうか。試して変な音入ったら嫌だなぁ。


 仕方ないのでカップ麺をすすりながら、明日は米を買いに行きたいなぁと思った。



***



「あ、チカちゃん! おはよ~」

「あれ、おはよ! これから部活?」

「うん。ミキは?」

「バイト~」

「わー、お疲れ~」

「やー、ほんとしんどいわ……あ、そういえばね、昨日スーパーでキョウコちゃん見たよ」

「あー、チカちゃんちの近くの?」

「うん、そうそう。そんで手ぇ振ったんだけどスルーされちゃった」

「あらら。まああの子時々ぼーっとしてるからねぇ」

「うんうん、なんかねぇ、こっちのこと全然見えてない感じだったよ~」

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互換性ハルマゲドン 千鳥すいほ @sedumandmint

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