第三十八話 若者

 バカなことをしたのかもしれない。

 真夏のアパートで、小熊は今さらながら自分のカブを見た。

 割れたヘッドライト、ステーごと無くなったウインカー、レッグシールドやフロントフェンダー、サイドカバー等の樹脂パーツはことごとく破損していた。

 礼子は車体そのものとエンジンは無事だと言っていたが、灯火の不備等の整備不良が赤切符の違反であることを思い出した小熊は、同じく車体のあちこちが傷つきリムの変形したハンターカブで帰ろうとした礼子を押しとどめた。

  

 走れないカブを抱えてどう帰ろうか迷った小熊は、このカブを地元の中古バイク屋で買った時、契約書に手書きで事故時の引き揚げ無料と書いてあったことを思い出し、携帯で中古バイク屋に電話した。

 電話に出た中古バイク屋の店長に、バイクが自走不可能であることを伝え、現在位置を聞かれたので須走五合目だと言うと、近くだから今から行くと言って電話は切れた。言葉通りそれから一時間少々で、ユニッククレーンの付いた1トン積みトラックがやってくる。

 トヨタ・ダイナのトラックから降りた禿頭の店長は、五合目の駐車場に停められた二台のカブを見て言った。

「そのカブで空でも飛んできたのかい?」

 無料サービスの範囲とはいえここまで来てくれたことに深々と頭を下げ、感謝を述べた後、小熊は答えた。

「もっと高いとこです」

 ここからほんの数km、セスナ機やヘリコプターが飛んでいくところを眼下に納められる富士山の頂上は、小熊と礼子にとって宇宙より遠い場所だった。

 

 礼子のハンターカブもついでに運んでくれるというので、さっそくトラックにカブを積み込み始めた。大型バイクならクレーンが必要になるところだけど、カブならトラックから地面に渡す道板と言われる傾斜板を出すまでもなく、小熊と礼子で持ち上げて載せることが出来た。

 二人はついさっき、足を滑らせただけで命に係わるような急傾斜の道で、真冬と同等の寒風に吹かれながら同じことを繰り返してきたばかり。

 店長が荷台に載せたカブを、タイダウンと呼ばれる帯状の荷物ストラップで手早く固定している。小熊は次にこういう事が起きた時に自分で出来るように、手順をよく観察した。

 礼子は固定作業中のハンターカブをポンポンと叩きながら言う。

「ご覧の通りです。いい部品取り車は入っていませんか?」

 店長は作業をしながら少し考えるように頭を俯かせながら言った。

「ハンターなら勝沼の解体に一台入ってたな、AA01もあるだろう」

 店長が自分のカブに触れながら言っているので、小熊はそのAA01というのがスーパーカブの型番名であることはわかった。たぶん部品の注文をする時には役に立つんだろう。


 とりあえず引き揚げにきてくれた店長の恩に報いなくてはいけないが、どうすればいいのかわからないと思った小熊は行った。

「その解体屋の部品は」

 そういいかけてから、小熊は自分が購入時に、そして今も世話になっている店の名前を知らないことに気づいた。店長の着ているツナギのネームに目を走らせながら言う。

「篠原、さんのお店を通して買います」

 篠原さんという呼び方は間違っていなかったらしく、店長はカブの固定を確認しながら言う。

「これを直すならゴム部品とか新品のパーツも幾つか必要になるだろうから、それだけうちの扱いにしてくれればいいよ。たぶん通販の二割引きくらいに出来るから。解体屋の部品はkg幾らで買えるように話をつけとくよ」

 小熊が感謝を伝えている横で、礼子が「シノさん三割引きで出してよ~」と無礼なことを言うので、帰りはトラックの車内じゃなく荷台に縛り付けて行こうと思った。

 


 小熊たちのカブ登山をサポートした後も、頂上まで往復する仕事していた山小屋の主人が、キャタピラ車に乗ってやってきた。   

 このままでは帰ることも出来ない様子だった小熊と礼子が、無事カブと共に引き取られたことに安心した様子の山小屋主人は、中古バイク屋のシノさんに言った。

「まったく、若者は無茶しますなぁ、バイクに乗る若者はみんなそうなんですか?」

 シノさんはくっくっと笑い、小熊の横に立って言う。

「ええ、僕らバイクに乗る若者はいつもムチャばかりです」

 二十代の頃に凍傷で足の指を全て失い、それからは富士山を訪れる登山者のサポートをしている山小屋主人は、礼子の横で白髪頭を振りながら言った。

「私たち山に登る若者もそうですよ」

 小熊と礼子の無茶で傍迷惑な挑戦は、もしかして一人の年齢だけは少し余分に付いた登山少年を、山の世界に復帰させることになるのかもしれない。

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