エピローグ-coda-

 少女は背中にフェンスを押し付けて、立ち続けている。

 誰かを待っている、というわけではなさそうだった。

 少女はただそこに居た。何かの習慣のように。


 じきに春が来る。

 冬の嵐はとうに過ぎ去っていた。

 寒さの中に少し暖かさが混ざっている。


 しばらくして、彼女のもとに一人の男がやってくる。

 彼は何も言わずに隣に来て、顔を合わせず、手紙をよこした。

 少女はそれを読み、息を呑む。


「ドクターが……」

「自室ごと、全ての翔機の機密ごと全焼しましたよ。それが彼の覚悟なのでしょう」


 彼女にはそれ以上、何も言えなかった。

 手紙を返すと、彼は丁寧に折りたたんで、懐にしまい込んだ。


 二人はしばらく、沈黙の中に居た。

 合間には、無数の喪失が挟まっている。


 ――先生、こっち。

 ――はいはい、急がないで。先生はまだ完治してないんだから。


 ころころと笑う可愛らしい声が、目の前を通り過ぎた。

 少女が顔を上げると、そこには見知った先生と、生徒たち。

 手を引っ張り合いながら、もう既に春の中に居るように笑顔だった。


 少女はそちらに手を振る。彼女たちと目があった。

 ……期待していた反応はなかった。

 みんな、知らない人間に会ったように一瞬で目をそらして、すぐに遠くに消えていった。


「……」


 まだ刺々しさの残る大気に手を伸ばしたまま、何も掴めなかった。

 そのままゆっくりと下ろしていく。


 エンジン音が響いて、物々しい黒い車両が目の前までやってきた。

 男に促されると、少女は乗り込む。



 がたがた揺れる車内で、物々しい武装の男たちに囲まれながら、少女は窓の外を見る。

 手首には手錠。

 その身柄は安全に『保護』されている。


 すべては、様変わりしていた。

 かつて、街を染めていた街宣のプロパガンダは消え去って、かわりに、この街の新たな指導者の顔写真が、あらゆる装飾とともに、至るところに貼り出され、覆っていた。

 灰色の倦怠はもはやそこにはなく、寒々しい工業地帯にも、今まで一度も見たことのないような服装の人々が出入りして、知らない言葉を使っている。


 そして、音が溢れている。

 世界が塗り替えられたことをしめす、けたたましい金管楽器。

 道を行く人々はその音色に耳を傾けると、うっとりとした表情を浮かべるが……彼女には、理解できそうになかった。

 何もかもの定義が、変わったのだ。

 ――では。変革は、これまでの全てを、消し去ったのか。


 がたがた、がたがた。

 タイヤが地面とこすれて、音を鳴らす。

 それもまた、音楽だ。


「……そんなこと、ない」


 呟き、顔を上げる。

 そして、向かい側に座っている男を――霧崎を見た。

 互いに無言だったが、意図は伝わった。


「さぁ、停めなさい」


 指示を出すと、部下らしき大柄の男は狼狽えた。


「いいんですか。彼女は重要な参考人で」

「構いませんよ。どうせ逃げやしません」


 そう言うと、傍らの部下に合図。

 少女の手錠は外されて、自由になった。

 小さく「ありがとう」と告げると、霧崎は鉄面皮のまま肩をすくめた。


 道の端に停められた車両から降りると、荷台から自転車がおろされた。

 懐かしいそのサドルにまたがる。


 ……すぐ真横は、かつて、この街の基地だった場所だ。

 今は、フェンス越しに、全く違う何かが運び込まれているのが見える。

 これまでとはまるで違う『兵器』。


 ――自分の目が狂っていなければ、それはヒト型をしていた。


 だとしたら、この先の戦いは、もっと常軌を逸したものになるのだろうか。

 彼女は、前を向く。

 すぐそばに、霧崎が来た。


「アパートまで行く」

「本気で言ってますか、それ。おおかた、解体済みでしょうよ」

「それでも行く。あるかもしれないもの」

「……なるほど」


 霧崎のそばに、部下がやってきて耳打ちした。


「良いのですか」

「コースから外れたら拘束しろ。それだけです」


 ……丸聞こえだった。あるいはわざとか。

 苦笑して、ペダルに足を乗せる。



 風が吹いて、彼女の身体を柔らかく打った。

 身を震わせて、もう一度空を見る。

 それは数秒前と変わらぬ調子で、そこにあった。

 少女は、白い息を吐いた。


 小さなさえずりとともに、ハンドルに小鳥がとまった。

 白いふわふわした毛が生えた、本当に小さな子だ。

 吹けば、かんたんに飛んでいってしまいそうな。


 だけど、その黒い瞳は、彼女のことをじっと見てくれていた。

 くすりと笑って、その子に告げる。


「いいよ。一緒に行こうか」


 小鳥はもう一度鳴いて、先導するように両翼を広げ、前に翔び立った。


 新たな国の、新たな街の標識はいくつも前方に立ち並んでいて、かつての面影は数えるほどしか見えない。

 どれも空気の向こうで霞んで見える。


 道はどこまでも続いている。

 どのように進んだとしても、どれだけ時間をかけたとしても、誰も咎めるものは居ないようだった。

 寒空の下、ゆきさきは、いくらでもあった。



 小夜子は小さく微笑んでから、ハンドルを握る指先に力を込める――。

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銀細工とセレナーデ 緑茶 @wangd1

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