『レイ』


 その時、彼の真上に降り掛かった攻撃は影になって消えて、空だけが残った。

 目を見開いて見上げると、そこには、粉々に砕け散った翔機のかけらが舞っていた。


 ――時を戻す。

 レーザーが戦乙女から降り注いだ時。

 最後の同胞が、彼に覆いかぶさるようにしてかばった。

 直撃して、彼は死んだ。

 残骸は、その時のものだ。

 鉄と肉がない混ぜになって、白みかけている空に飛散している。


「……――」


 彼は手を、届くはずもないのに伸ばした。

 すると、その欠片が機体に触れた。


 瞬間――全てが伝わってきた。

 それは音楽により増幅された効果かもしれない。

 とにかくその時、彼は、その同胞の、死んだ同胞のこれまでを、一瞬に圧縮された彼の人生を垣間見た。

 そこにはいくつもの通り過ぎていく死があり、苦痛があった。

 彼は音楽によって陶酔していたが、恐怖を忘れたわけではなかった。

 抑え込まれていたに過ぎない。

 さいご、レイが駆けつけるまでの間、その感情は開放され、得体のしれないものに打ち震えた。

 だが、そこから先を、彼は噛みしめるように生きた。

 そうして、残りの時間で、自分が何をすべきかを決めたのだ。


 ……最後のひとかけらには、閃光の中に消えていく彼の表情が刻まれていた。

 彼は笑っていた。

 塵になるだけ、あとには、歴史にすら残らない彼は、笑っていた。


 ……その瞬間に、彼は彼の全てを生きたのだ。



 ――そうか。そうなんだ。生きるって、そういうことなんだ。


 暗い演奏部が続く。

 世界は冬に向けて暗雲に呑まれ、流転する運命の中で激しく揉まれていく。

 その過程で多くのものが失われていく――少女はそんな情景を、指先だけで紡いでいく。

 もはや周囲が見えていない様子だった。

 そこには少女だけが居る。

 何かが宿っているようだった。

 観客の全ては息を呑んでいる――。



 うすぐらい部屋の中で、少女は涙を流していた。

 その正面には雪のように白い肌の青年が立っている。

 彼は笑っていたが、彼女は泣いていた。

 なぜなら彼の背中にはいくつもの十字架が突き刺さり、真正面に切っ先を突き出して、足元に血溜まりを作っていたからだ。


 そんな彼は、泣き続ける彼女に言った。


「小夜子。俺は生きる」

「レイ、私、貴方が居ないと……」

「お前はもう、一人で翔べる。だから」


 彼は、きしむ身体を無理やり前に進ませる。

 苦痛に表情を歪ませるが、それでもなお進んだ。


 その時、彼の背中の十字架は一斉に白い羽根になって、部屋中に花びらのように溢れた。

 彼は、動揺する彼女を安心させるように、抱きしめる。


「だから。俺が生きるのを、手伝ってくれ。さいごの仕上げだ」

「さいごって。レイ……レイ……」


 その後少女は、唇になにかが触れて、言葉を塞がれたのを感じた。

 何も言えなかった。

 翼の中に居る彼を探そうとしても、とうとう見つからなかった。

 彼は翔び立った。



 翼竜たちの一部は既に、不死鳥が戦闘力を失ったものとして撤退しようとしていた。

 他の群れにも、その空気が伝わっていた――悪魔が、血の花を放ちながら、落ちて行く。

 もう手出しはいらない。

 誰もがそう考えているようだった。

 しかし――戦乙女だけが、違った。


『簡単に終わらせてなるものか。この戦いを――そんなやすやすと、運命のままに終わらせてなるものか』


 しばらくして、すべての翼が、その言葉に頷いた。

 自分たちもまた、運命に逆らうべきなのだと、ようやく悟った。



「っあああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーっっ!!!!」


 小夜子は叫んだ、獣のように叫んだ。

 涙が汗に変わって、喉の奥から血が吹き出す感覚がした。

 それでもかまわない。

 全身に力のようなものがどくどくと流れ込んでくる。

 指先の感覚がこれまでよりもずっと、ずっと鋭敏になっていく。

 それでいい。


「っ、レイ、レイ………レェーーーーーーーーーーーーイっ……」


 そのまま、演奏を再開する。

 狂ったような勢いで、まるで取り憑かれたように。

 刹那が過ぎゆくたび、命が削られていくのを感じる。

 しかしそれでも構わない。

 今からにすべてをかける。

 このあと、どうなっても構わない――。


「生きる、生きる、生きるのよ……私も、あんたもっ……生きるんだッ!」



 ――そうだ、俺達は……生きるんだ。


 レイは墜落していく一方の身体を立て直し、無理矢理起き上がる。

 羽を鱗のようにざわつかせる。

 四割近くが焦げ付いている。

 操作してパージ。無防備な内部機構を晒す――上等だ。

 そのまま、真上を見据える。


 空は藍色を超えて、灰色を晒そうとしている。

 暁が近い。

 口の中にできた血豆を噛み潰す。

 温度を感じた。生きているという実感を。


 戦乙女は咆哮し、翼竜たちを従えてこちらに加速してくる。

 容赦など無かった。

 だが、それでいい。

 そう、彼は呟いた。

 レイは静かに、微笑む。



「これは……」


 ドクターは画面を見つめて驚愕する。

 同調率が、閾値を超えている。

 これまで何度もシミュレーションを重ねてきた。

 その数値を、覆した。限界を超えたのだ。


「今、世界が変わるぞ……レイ……!」



 何もかもが愛しいように思えた。

 今自分の居る世界のすべてを、抱き締めたくなるような気持ちになった。


 ……だが、もしそれが叶わぬのなら。

 やるべきことはひとつだった。


 再点火する。

 数秒もすれば、一気に火がついて、驀地に敵集団に特攻する。

 決着は一瞬で着くはずだ。


 ……それまでの、僅かな時間。

 彼は、叫んだ。


「なぁ――そうだよな、小夜子。お前が、教えてくれたんだよなぁ!」



「先生……」


 生徒たちが、言った。

 兵士たちも皆、呆然と舞台の上を見ている。

 光が降り注いでいる。

 もう誰も、その領域に入り込む事はできない。


「笑ってる…………小夜子ちゃん」



 レイは加速して、翼の集団に向けて飛び込んでいく。

 ボロボロの醜悪な異形の翼が、全身からオイルという名の血を噴き出しながら迫ってくる。

 恐慌が流れ込み、隊列が乱れる。

 戦乙女が叱責し、攻撃を続けさせる。

 だが、なおも奴は加速してくる。

 こちらに向けて、無数の翼をはためかせて。


 ――その時戦乙女は見た。その無数の翼に浮かんでいるのは、羽根ではなく……。


『五線譜…………?』

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