最終楽章
①
たくさんの歯車が組み合わさった巨大な機械の前に父は居て、なにやらずっと鍵盤を操作していた。
小夜子はまだ幼く、学校にも行っていなかった。
鉄の機械がずっと動き続ける様子をただ見つめるのはとても怖くて、彼女は父の傍に向かった。
彼は眼鏡を掛けた痩せぎすの男で、いつも影を背負っていたが、娘に気付くと笑った。
彼は、鍵盤の上にあいた長方形の穴のような場所に、虹色にひかる円盤のようなものを差し込み続けていた。
すると、そのたび白と黒の鍵盤がひとりでに動き出すのだった。
小夜子は父から教えられて、それが『音楽』というのだと知っていた。
お父さんが作ったのと聞くと、父は笑って首を振った。
――これはみんな、ちがうひとが、違う時代に作ったんだよ。
小夜子は驚く。
「そんなにたくさんの人が、音楽を作ってるの」
「そうだよ。小夜子が生まれる、ずっとずっと昔から」
「みんな違うものを作ってるの」
「そうとも」
父の期待に答えようとしたが、口をついて出たのは正直な感想だった。
「でも、さっきから似たようなのばっかりだよ。違うとしても、ほんの少しきこえかたが違うだけ。ぜんぶ、いっしょだよ」
歯車の噛み合わせが、永久に運動を繰り返しながら、鍵盤を鳴らし続けている。
父のすぐそばにもたくさんの男たちが居て、みな働き続けていた。
「それは違う」
父は、優しくほほえみながら、答える。
彼の細いてのひらが、小夜子の頬をいとおしそうになでた。
「それぞれの人達が、それぞれの人生を生きて、そうして音楽を作ってるんだ。だから、同じように聞こえても、まるで違う」
「同じように、終わっても?」
「そうだよ」
不思議でならなかった。だとしたら。
次に出た疑問は、当然のものだった。
「私にも……作れるのかな」
しかし、その時の小夜子には分からなかったが、父は違うニュアンスにとらえていたらしい。
「それは――」
父は言いよどむ。
その時、彼のすぐそばで大きな悲鳴が聞こえた。
そちら側を見ると、父の部下らしい若い男が、歯車の隙間に服の袖を挟んでしまっていた。
彼は群がってくる同僚に向けて叫び続けている。
――たすけてくれ。にげられない。動けない。動けない。
「おとうさん……」
小夜子は怖くなって、父のそばにぎゅっと寄り添った。
しばらくして、別の部下が彼の袖口をハサミで切り取った。
若者は助かり、膝をついて荒く息をする。
歯車は白い布を闇の中に飲み込んでいく。
父はそこで、小夜子をぎゅっと抱きしめる。
「作れるさ……きっと作れる」
「どうやって、なの。お父さん」
「そうだな……」
最後の言葉を、小夜子は今、思い出す。
――どんな世界を描きたいのか。それを頭に描くんだ。そうすればきっと、見えてくる。
◆
藍色に僅かな薄明かりの溶けた世界が、音速を突破したレイの身体を歓迎する。
後方に帯のような雲を放ちながら、どこまでも加速していく。
それに、同胞たちが追従する。
この空の向こうに、奴らが居る。
待っている。
『敵の数は、わずか数機。だが中心にいるのはあの異形。奴は……君よりも遥かに強い』
通信が入る。霧崎からだ。
レイは、銀色の鎧の中で苦笑した。
「親切なことで――」
彼は前方を見る。
ちかちかと瞬くいくつかの光が、はるか前方に広がっている。
目を凝らさなくともその姿は簡単に捉えられる。
――見えるか、小夜子。
――うん、見えるよ。貴方を、待ってた。
傷だらけの翼竜たちに、復讐に燃える異形。そのすべてが、レイ達に向かってくる。
もう一度笑って、おなじく異形になった自分の中に、もうひとりの存在を感じ取り、その熱を共有し、その名を呼んだ。
◇
その彼女は、一秒、二秒――……少女は鍵盤に手をやる。
音色を、奏で始める。
お父さん。決めた。
描くのは――季節。この冬を、越えるための祈り。
私達が、先に進むための物語。
◇
警告音が鳴り響いて、レイの体は大きく揺れた。
視界が真っ赤なアラートで染まって、向こう側から無数の飛来物を確認する。
殺意に満ちた、レーザーの洪水。
空を横殴りに、爪で引っ掻いたように塗り込める。
その向こう側に翼竜たちがいる。
◇
はじめは穏やかな調べに。
もう、金管も弦楽器も使えない。鍵盤の旋律だけが頼り。
そうだ、描くのは春にしよう。
小夜子は心に決めたそれを、指先に投影する。
幼い頃の記憶だ。
父はオートコフィンの設計に携わっていて、私はその背中をずっと見ていた。
たまに母が手伝いに来たし、私と妹は、時折父をまじえて昼食をとった。
晴れた日には、みんなででかけた。
あの頃にはまだ、そういう場所があったのだ。
あれが完成するまでは。
その時のことを思い出そう。
野原があって、小川があった。
そのせせらぎを、白鍵と黒鍵で表現するのだ……ぽろぽろ、ぽろぽろ。
◇
レイは身体を傾けた。まもなく『雨』が到達。
耳の端で風を切る音が何度も聞こえた気がした。
空気の抵抗が重々しい岩を前方にしたように感じられ、レイは口の中で呻いた、それから大きく下降――桃色の雨はそれに追随した。
同胞たちと共に、重い空気を強引に突っ切りながら進む。
殺意は、焦げたような不快なにおいを後方へと放ちながら、レイ達のもとへと殺到する。
その軌道を全て、レイは読んでいた。
だから、どのように回避すればいいかがすぐにでも理解が出来る。
体を捻って、風の中で流れていく雲のようにしなやかに……その怒涛を、回避し始める。
右へ左へ――縦横無尽。
分かる。
翼の群れは動揺したように身を震わせて、光景を見やる。
こちらの攻撃が――まるで効いていない。
やがてレーザーのなかに実体弾が混入し始め、それらは蛇のようにのたうち、後方にドス黒いものを波打たせながら自分たちを執念深く追い始める。
そのすべてが、今や緩慢に見える。
軌道の先すら、見えていた。
だから、その波の上に乗って、流れていけばいい。
ずっと繰り返していたことだ。
今までよりもずっとダイレクトに、自分の意思が機体に伝わる。
今や、風が、機体が、音楽が……完全に、同義語になっている。
――しかし。
『くそおおおっ』
割れた絶叫が聞こえる。傍らを見る。
一機の同胞が、レーザーにその身を引き裂かれながら堕ちていく。
別の一機がかばい立てようと、火線の前面に出ようとした。
だがレイは、すぐにそれをやめた。
……撃墜し、爆散される寸前、その同胞はコクピットハッチを開けた。
そして、鉄色の殻の向こう側に居るレイを見て、頷いた。
まもなく、一人目が死んだ。
残りは五人になった。
◇
自然には、音楽が溢れていた。
違う大きさの、種類の音が溢れていた。
木々のざわめき、小鳥のさえずり。
父はそれら全てが音楽になりうるのだと言った。
ごらん、耳をすませるんだ。
小夜子は、かえるの鳴き声が不快だった。
しかし妹は、それが低い声の歌だと感じた。
それを訴えると父は、その感覚こそ大事だと言った。
それぞれに、それぞれの音楽がある。
一つにしようなんて、しちゃだめだ。
バラバラで、まとまりがなくって。
でも、原初の音楽とは――。
父の、その残響のような言葉を心に留め置きながら、旋律を紡いでいく。
春、すべてがあふれかえる豊穣の季節。
刻印するのだ。いま、一人死んだ。
その死すら呑み込んで、循環するように、祝うように……春を、描ききるのだ。
小夜子の指はとまらない。
◇
レイ達は回避状態のまま加速して、前方へと突撃していく。
悲鳴のような風の音が聞こえて、自分の体は何本もの帯の雲を従えている。
濁流はなおも彼に追いすがるが、その殆どが追いつけずに途中で墜落していく。
目の前に黒い集団がある。
レイは加速――集団も……いよいよ、動き始めた。
攻撃が始まる。
空中は既に殺戮の舞踏会となっていた。
翼竜たちは牙を、口腔の砲口を全開にして、嵐のごとく全てを浴びせにかかる。
身をひねり、風と同化しながら回避。
その時後ろを振り返る。
何人かの意思が見えた。
紡がれる春の音楽のなか、彼らはその場に留まった、まもなく翼竜が目の前にやってきて、自身に牙を突き立てる。
それが分かりながら。
彼らは伝えていた――その挙動で、雄弁に。
『お前は、やつのところへ』。
頷く。
身を引き裂く後悔と罪悪を後ろに流し、彼は二体の翔機を従えながら雨をかいくぐり、先に進むことを選んだ。
まもなく、後方に残った二体の翔機は、翼竜達と凄惨な食い合いを始めた。
進む、進む。
弾幕をきわどくかわし、どこまでもまっすぐに。
いくつもの薄い層の雲を超えて、音速の向こう側。
奴が見えた。戦乙女。
傍らに翼竜を二体従えて、こちらを待っていた。
レイは歯を軋ませた。
自分が笑っているかどうか分からなかった。
だが、ぞくぞくする。
傍らの二人に合図。
同胞たちは己の腹から兵装をむき出しにし、スピードの中でミサイルを、レーザーをすべて前方に吐き出した。
弾幕が形成され、双方にぶつかりあった。
いびつな炎の華。その時。
『――行けっ!』
レイは、再び送り出された。
もう二度と戻らぬ時間と命が、彼を前に進ませる。
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