そして、不死鳥は覚醒する。

 機体周囲に浮いた光の粒、一斉に。

 小夜子が奏でる無限の連弾の、激しい下降音を、まるで地獄の世界を描き出すような音楽の中で。


「行くぞ」

「ええ」


 一斉に、周囲に向けて拡散した。

 球体から光の鞭が伸びるように、レーザー光へと変化したそれらは互いに絡み合う軌道を描きながら、個々の目標へ、自身に攻撃を仕掛けてきた翼竜たち、魔道士たちそれぞれの居場所へ向けて殺到し始めた。

 ビルディングの角を曲がり、死角から現れるように。

 ただひたすら炎を浴びせるばかりで、逃走を考えていなかった彼らは、自分たちに向かってくる光を真正面から受けることになった。


 彼らは、逃げ始めた。


「――逃さない」


 小夜子は目を光らせて、更にその先の音色を奏でた。

 白鍵と黒鍵に指を叩きつけ、頭を振りながら――『超絶技巧練習曲』。

 あまりにも激しい旋律が矢継ぎ早に襲いかかるその楽曲こそが、取っ掛かりとしてもってこいだと思った。

 ゆえに今、その光の拡散に音楽を乗せて放つ。

 次々と翼竜達は逃げ惑っていく。

 そして、後方へ後方へ。街から離れていくように。

 ばらばらに位置どって、いつでも翔機たちを取り囲めるように展開していた彼らは、異形の翔機から伸び、どこまでも追跡してくる光の鞭に怯え、しだいに同じ方向へ逃走を余儀なくされていた。



『・・・・・――……(後退だ、体勢を立て直す)!!』


 そして今、翼竜のうち一体が、そのレーザー光に穿たれて翼を灼かれた。

 バランスを失った身体は狂ったようにぐるぐると回りながら地面へと墜落していく。

 悲鳴のような咆哮とともに、苦し紛れの炎が吐き出されたが、何も残さない。

 彼が大地と接触して爆発を起こした時には既に、街の真上に巣食っていた翼竜たちは、はるか後方へと引き下がっていた。



 地下、モニターで戦いを見る誰もが沈黙し、釘付けになっていた。

 どこの、誰からの映像か。

 それはどうでもよかった。

 ただそこには音楽があり、ナンバー・ゼロが居た。


 音楽が、流れている。同調率が上昇していく。

 霧崎は固唾を呑み、ドクターは沈黙していた。


 小夜子は完全に、音楽の中にあった。

 ファイバーと同化した髪を振り乱しながら、オートコフィンとひとつになるように鍵盤を叩き、凄まじく激しい旋律が紡がれていく。


 暗い観客席で、生徒の一人がぽつりと「すごい」と漏らした。



 連弾、連弾。

 そしてレイの視界で、目の前から撤退していく敵たちの、小さくなっていく姿を見る。

 一旦指を止める。


 彼は大きく息を吐く。

 いま一瞬の、ほんの数分ほどの戦闘。胸が高鳴る。

 しかしこれからだ。わかっている。

 周囲を、左右を上下を見る。


 光の鞭が、機体内部にするすると戻って消える。

 不死鳥はその場で急制動をかけて停止。

 全身に小さく分布するスラスターが逆鱗のようにばたばたと泡立ち、機体を急激にその場に押し留めて、そのままそこに強引に押し止める。

 激しいGがかかる。


 そしてアラート。敵ではない。

 真下には炎に灼かれた廃墟の街。

 見るも無残な、故郷の姿。

 もはや大部分は機能していない。

 その中にあって、自分に接近してくる者たち。

 モニターの中から視認。

 それは兵士たち、生き残った同胞。

 翔機が続々と、自分のところに集ってくる。

 はるか後方に後退していった敵たちと対立構造を作り出す。


 不死鳥の左右前後を取り囲むように翔機たちが並び、それ自体が巨大な翼であるかのような隊列を形成する。

 通信が割り込んでくる。


『レイ……俺たちは』


 ――俺は、どう言えばいいんだろう。

 ――わかってるでしょう。もう、やることは決まってるはず。

 ――そうだよな。


「状況は」

『……残ってる俺たちは……もう、十一だけだ。たったそれだけで、俺たちは奴らと……』

「それだけじゃないだろ」


 レイはコクピットの中で微笑み、振り向いた。


「俺たちには、音楽がある」


 ……それ以上、誰も口を挟まなかった。


 翔機たちはレイの傍に寄り添い、ともに戦うことを決めたようだった。


「――行くぞ」


 小夜子は楽譜をめくる。

 敵は向こう側に集合し、体勢を整え始めている。

 次はない。その場にいる誰もが悟っていた。

 次に会敵した時、彼らは本気でこちら側を潰しにかかるに違いない。

 だとすれば……決着がつくのは、そう先のことではない。


 レイが心のなかで合図をすると、小夜子は第二幕にふさわしい次なる楽譜を選び取った。

 向こう側の空にぼつぼつと刻印された無数のシミが近づいてきて、大きくなってくる。

 静寂を切り裂くように、小夜子の指が再び鍵盤に触れる。



 次の曲を弾き始める。エチュードだ。

 革命の名を持つそれは、かつての西洋にて、歴史的な暴動に際し生み出された楽曲。

 込められるのは『怒り』。

 独奏曲として仕上げられているがゆえ、多くのパッセージが矢継ぎ早に飛び交う。

 たった今よりはじまる第二幕にはおあつらえ向き。

 迷いなく選んでいた。


 先頭を行くレイの不死鳥が二連の天使の輪から炎の帯をたなびかせると、彼の残り少ない同胞たちが、それにつづいて加速。


 ナンバー三十一。セブン。エイト。二十六。二十九。八十五。七十七。六十八。九十。

 不死鳥の後方にVの字を描き、彼の双翼となるように隊列を組み、向かい側から怒涛のように押し寄せてくる翼竜たちを迎え撃つ。


 誰もが傷を負っていた。

 翼が折れて満足に速度が出せていない者もいれば、腹に背負ったミサイル射出口が焦げて塞がっている者も居る。


 ――大丈夫。俺たちは一緒だ。


 囁かれる言葉に合わせて、不死鳥の翼から、帯のように五線譜のヴィジョンが広がった。

 それは残り僅かな同胞たちの足元に伸びてきて、レールのような役割を果たした。

 彼らはひとつとなり、そして音楽が聞こえてくる。


 ……またもやそれは、激しい旋律。

 片手は激しいアルペジオを奏でる。

 もう右手が、憂いを含んだメッセージを矢継ぎ早に送り込み始める。

 双方が重なって音がにごり、まるで曇り空から降り注ぐ天啓のごとく、不死鳥のコクピットに、そしてそれを通して同胞たちの翔機に溢れ始めた。

 同時に敵が目視できる程に近づき、そこから無数の炎の矢が飛び込んでくる。


「……行くぞっ」


 彼らは、その炎の弾とビームの濁流の只中に、雄々しく突っ込み始めた。



 アルペッジョは止まらない。

 連続的に音を空間に、黒色の空の上に塗り込め続けていて、その狭間を、地鳴りのように断続的な短いフレーズが乱舞する。

 そして皆も乱舞し始める。


 翼竜たちが炎の弾丸を吐き出す。

 その援護を受けて棘翼竜が加速して最前線に躍り出て、真正面から向かってくる愚かな生き残りたちを仕留めにかかる。

 更に彼らの背後からは、魔道士によるレーザー光の支援もあった。


 やはりそれを受けて、無事では済まない。

 街に近づけさせない――その一心で、数で圧倒的にまさる、まるで雲の群れのような彼らに向けて突っ込んでいく集団。

 うち一体。ナンバーセブンがいま、炎の弾丸とレーザーの束を翼に受けた。

 一瞬バランスを崩し、彼はコクピットの中で「あっ」と叫んだ。

 音楽はまだ聞こえている、体勢を立て直せ――前を見ると、左斜め前に不死鳥は居て、その中に存在するレイを感じ取る。するとたちまち恐怖は消え――……。

 ……彼は次なる炎を受けて撃墜された。


「散れっ!」


 一人、死んだ。

 レイの一言をうけて、翼の陣形が崩れた。

 同時に、ここから先に向かうあらゆる攻撃を、自分たちの身体以外に触れさせないように立ち回り始めた。


 エチュードが奏でられる。

 決して成就しない革命が空を彩り続けている。



 翼竜たちが、愚かにも空中で散開し始めた黒い鞘の一体一体を狙って牙を研ぎ澄まし、口腔の奥から熱を吐き出すため展開した。

 そのまま彼らは食らいつき、一体一体を噛み砕こうとする。


 だが……空中での第二戦は、少しばかり様相を変えていた。

 彼らは魔道士たちの援護を受けながら、無防備な異形たちに襲いかかる。

 杓子定規な陣形などありはしない。

 楽な殲滅戦。

 しかし、そのやわらかな黒色に牙を立てる寸前に。


『……!』


 前方にあらわれるのは、あの異なる姿を持った存在。

 銀色の、自分たちによく似た――そいつは黒い鞘をかばうように現れると、脇の下から光の粒を溢れさせ、それを鞭のような長く伸びる姿に変質させ射出してくる。

 たちまち翼竜は逃げざるを得ない。

 だがそこにもう一射――……翼竜は撃墜される。

 不死鳥は翔機を一瞥して離れると、次の翔機のもとへ向かう。

 彼もまた撃墜される寸前だった。

 複数の翼竜たちに追いかけ回されている。

 光の鞭を展開……まっすぐに。

 翼竜たちが気づき、追い払われる。

 更に加速。

 身体に鱗のスラスターをざわつかせ、方向を転換。急激な重力に悲鳴を上げそうになる。

 だが、意に介している暇はない。

 全てが見えるコクピットの中で、状況を確認する。

 真っ黒な空の中に、小さな光の粒がパノラマで広がっている。

 そのそれぞれが翔機で、それぞれに敵が群がっている。

 いのちを、うばわれようとしている。



「……させるかよ」


 レイはこぼした。

 その言葉は小夜子にも伝わっている筈だった。

 だから躊躇いはない。彼は、同胞のもとへ急いだ。



『……――……』


 彼らは苛立っていた。残り僅かな敵を縊り殺すだけの簡単な仕事の筈だった。

 しかし、これはなんだ。

 翼竜たちは広がって、それぞれ手近に居る存在に食いかかるだけだ。

 なのに、必ず。

 必ず、そいつが現れる。そして今もまた。


『・・・……――……(くそっ、なんだこいつ……離れろ)!!』


 声が聞こえた。

 棘翼竜の後方から光が追いかけてきて、彼はそれに斬り裂かれて撃墜される。

 銀色の、彼らとはまるで違う翼竜もどきが光を腹の中にしまい込むと、別の場所に向かう。

 そうして、黒い鞘は命拾いする――その直後に、再び翼竜が現れると、別の場所で『救助』を終えた翼竜もどきがまたやってきて、妨害する。

 その、永遠なる繰り返し。

 いたずらに、黒鞘たちの寿命を伸ばしているだけの。


 ……無意味なことだ。その証拠に、翼竜もどきは二度間に合わない。

 そして二機失った。それでも彼は諦めなかった。相手は既に九体。

 その不規則な動きのせいで、すぐ目の前にまで見えている街に再び攻め入ることも難航している。  まったくもって不愉快だった……理解に苦しんだ。


『・・・……――・・・(死ぬと分かっているのに)』

『…………――・・・……(一体、なんのために)』



 そして今、また一機。


『……レイ、後は、頼む……!』


 彼の目の前で、翔機が爆散して、果てた。

 その残骸をくぐり抜けて、棘翼竜が街の方向へ急いだ。


「……っ」


 強く、強く強く奥歯を噛み、その後、声にならない咆哮を上げる。

 機首を小さくなっていく相手の背中に向ける。

 先端の、龍の顔になっているような部分が上にスライドし、胴体との間に空洞。

 そこからシリンダーのような砲口が露出……桃色の光が内側から漏れ、周囲の大気を吸収し。

 ……放った。

 光の帯はスパイラルのように渦巻きながら棘翼竜に伸びて、そのまま機体をまるごと飲み込んで、消滅させる。

 その先端はまっすぐ大気の向こう側まで届き、いくつかの小爆発を起こした後に消えた。

 ……残りは、九。


 ――分かってる。こんなことは無意味だって。それでも。



「大丈夫……大丈夫だから」


 小夜子はその痛みを直接感じ取った。

 心が冷えて、穴が空いて、腹が締め付けられる感じは、自分の臓腑が失われた感触だ。

 同胞を失うとは、命を失うとはそういうことなのだ。

 これまで知らなかったレイの痛みを、小夜子は共に味わっていた。

 知らない筈の誰かの顔が流れ込んできて、頬に涙を、唇から血を伝わせる。

 そうして全身がしびれた後は、指先の感触がより鋭敏になり、鍵盤の硬さが更に伝わった。


 ――それでも、守りたいのよね。


 ――そうとも、ショウは、続けなきゃいけない。

 ――だったら、最後まで、付き合ってあげるわよ。


 小夜子はもう一度頭を振りかぶって、エチュードを奏で続ける。



「見ろよ。ナンバーゼロの動き。まるで先に進めちゃいない」


 人々は固唾を呑んで、戦いを見守っている。


「違う、あれは守ってるんだ。残り少ない仲間を」

「そうか、奴らも全然進めちゃいないじゃないか」

「これは、もしかしたら……」


 彼らはいつしか、スローガンを連呼することも、作り物の高揚に身を任せることもやめていた。

 ただ、祈った。その戦いを、趨勢を。



 その時、戦乙女が動いた。

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