第五章

 ナンバー・ゼロは両目を開き、広がる光景を確認した。

 周囲、左右上下にあるもの。

 コクピットのレイアウトは以前と全く同じだった。

 ぬるま湯の中に居るような感覚。

 足元はなく、世界がそのまま見える。

 空の上にぽつりと浮いているようだ。

 首をわずかに動かして視線を動かすと、景色も一緒に見えた。

 そうして、今置かれている状況を見る。


 たった今、炎に包まれる基地から出撃した。

 もう戻れないだろう。

 足の隙間から、はるか真下にその残骸が見える。

 炎やレーザーで引き裂かれ、黒煙のくすぶる敷地が見えた。

 更に、視界を拡大する……双眸が、機首と同化する。


 時が止まっていた。誰もがそこに居た。

 ある者は、翼竜のあぎとに機体を翼ごと食いちぎられながら、ビルの外壁に押し付けられていて。

 またある者は、全身を激しく焼き焦がしながら、無限の逃走劇を続けている。

 なにもかもが、黒い塔のように屹立し燃え盛るビルディングを背景に、灰色の街の真上で展開されていた。前方を注視する――敵は、無数に居た。

 レイは眉根を寄せて、集中を眼球の裏側に込めた。

 すると網膜に、透明なディスプレイにもう一層レイヤーを重ねるようにして、電子表示が現れる。

 数字。無情な。


 暫定する敵の数――『四十三』。

 翔機の数――『十六』。


「……っ」


 強く奥歯を噛む。あまりにも、あまりにも多くの命が失われた。

 自分は、遅かったのかもしれない。

 しかし、それでも、何もかもが終わったわけではないのだ。


 出現した自分に気付いた翼竜たちが、魔道士たちが、こちらを見て瞳を光らせて、こちらに向かってくるのが見えた。

 さらに、自身の後ろ側に、数多くの機体が集っていることもわかった。

 翔機の群れだ。突然現れた自分に呆然としているのだ。


 機体底部のスラスターを吹かせ滞留する不死鳥に向けて、翼竜たちの砲口が一斉に向いたのを感じた。

 既に取り囲まれている。

 そして、全てが一斉に放たれた。



 火線が一斉に殺到し、その激しい明滅が空を真っ白に染め上げる。

 地下に潜る人々は、モニター越しにその光を見た。

 その場にいる誰もが、目をそむけた。

 しかし、先生は違った。

 ドクターもまた、目をそらさなかった。



 レイと小夜子は、互いの後頭部から伸びるファイバーを通じて、互いを接続した。


 強烈な感覚が頭の中に響いた。

 その瞬間に流れ込んでくるのは情報。

 今ここでレイが見ているもののすべて。情景。

 その轟音や重力。極彩色の濁流となって頭の中で暴れまわり、狂おしい嘔吐感となって襲いかかってきた。

 小夜子は背中をのけぞらせてガクガクと震え、その衝撃を逃そうとした。

 口を開いて、からからになった喉奥から声にならない声を吐き出した。

 そうしなければ、きっと気が狂って死んでしまう。

 ああ、なんて。レイは、こんな感覚を、いつだって……。


 その時、鍵盤に触れる自分の手のひらの上に、もうひとつ、手が重ねられるのを感じた。

 細くて骨っぽいのにあたたかい、よく知る手だった。


 何も語らなかった。だがはっきりと、『大丈夫だ』と告げていた。


「レイ……」


 同時に、夥しい殺意の奔流がやみ、光が黒煙とともにかき消える。

 小夜子は――頭を思い切り真下に打ち付けるように姿勢を強引に引き戻す。

 獣のような大きなため息が漏れるのも構わず、汗が放射状に飛び散るのもいとわずに、食いかかるようにして、そのまま、オートコフィンの鍵盤に、いま、指を叩きつける。

 今度こそ、音楽が始まった。



 激しく叩きつけられる鍵盤の下降音とともに硝煙から現れた不死鳥は、機体側面のスリットを全開にする。

 無数の小さな光の粒が展開されて機体の周囲を包むように淡く発光する。

 機体後部、二連装に強化されたエンジンから天使の輪のような炎が噴き上がり、加速した。

 まずは前方、明らかにうろたえた様子の翼竜二体に向けて。

 炎はその突撃を止めようと再び降り注いでくる。


 レイにはその軌道が、向かってくるそれらが『線』のように見えた。

 全てが掌握できた。頭部に繋がれたファイバーが虹色に光って、未来を予測。


 わかる――回避だ。


 鍵盤の連弾と同期して、不死鳥が身を翻しながら、追従してくる炎の群れを熾烈に回避し始めた。

 前方の二体は恐慌状態のまま後方に引き下がっていく。

 通常よりも大型化され、鋭くなった翼が機体側面と平行にスライドし、更に加速した。

 強烈な重さがかかる。

 レイは歯を食いしばる。

 鍵盤を奏でる指がひきつる。

 しかし更にそこで、踏み込んだ。


 大量の炎が接近してくる。それだけじゃない。

 魔道士の放つレーザー光のたわんだ桃色の線が蛇のようにのたうちながら彼を捕らえようとして襲いかかり始めた。

 不死鳥の、空中舞踏がはじまった。

 迫ってくる炎を少しだけ機体を傾けてかわす。

 対象を失ったそれはビルを焦がし穿つ。

 その時には既に彼は向こう側へ。

 追跡――更に、そこへ光条。天と地を逆さまにかき回され、主観と客観がぐちゃぐちゃになりながら、炎の街の中をまるでジャングルのごとく駆け巡って、燃え盛る建物の合間を縫って、速度を上げていく不死鳥に追いすがるように迫る。

 レイは全てを水際で回避する。

 炎は機体を動かして。

 レーザーは機体を先に進ませて。

 フィールドはこの街の上に広がる空全体だ。

 時折こちらの視界を遮るようにビルディングが並んでいるが、その狭間を抜けるのは今の彼には容易かった。

 その動き。完璧な予想。

 翼竜がうろたえるように身を揺する。

 魔道士が前方にたち、更に撃つ、撃つ。

 だが、そのことごとくが回避される。

 いま、レイはたった一機で、その場に居た何体もの敵を同時に相手取っていた。

 柵の中で暴れまわる猛獣をまるで手懐けられないかのように。



 そんな光景に気付いた、他の翔機を相手取っていた翼竜達は突如として攻撃を中止――今やるべきことを最速で実行する決意を固めた。

 追跡し、翼をちぎり、機体側面を焼くことをやめて、空の只中にあらわれた異形に注力する――魔道士から、全員に共有された、たったひとつのメッセージ。


 ――『今すぐこいつを殺せ』。


 狂ったハチのように、やつは蠢いている。

 戦乙女は、傍観をやめる。


『――・・・(俺たちと、同じだ)』


 彼もまた、動き出した。



 彼は逃げ回っていた。

 モニター内部に示された機体エネルギーも残りわずか。

 残された手段は特攻だけ。

 そんな翔機のパイロットは、顔を上げると、自分を追跡している翼竜が自分から注意をそらして、まるで別の場所に向かっていることに気づいた。

 兵士は機体を反転させて、敵が向かった側を見た。


「……!」


 異様な光景。

 翼竜たちがみな、空の一点に向けて集結していた。


 ある一点に向けて、あらゆる攻撃を集中させている。

 激しい花火が空の中央を染め上げている。

 灰色にただ一点、極彩色の墨が流されている。

 そのただなか、集中砲火をひらひらと回避している異形の翔機を見た時、彼は、あるいは、同じように生き残り、満身創痍になりながら追跡からのがれ、体勢を立て直した同胞たちは、それが誰であるかを認識した。


「レイ……?」


 ……とたんに、彼はズシンと頭が痛むのを感じ取る。

 その名前を呟くのは初めてのはずだった。

 しかしそうではないと本能が告げている。

 自分はあの存在を知っている。

 全ての注意をひきつけて、まるで自分たちが形勢を取り戻す時間を稼ぐように振る舞っている奴のことを……知っている。


「そうだ、俺たちは……『彼』を」


 彼を、殺した。裏切ったから。

 だが彼は生きていて、戻ってきた。

 自分たちを守っている。

 その事実が、同じ貌を持つ兵士たちの間で共有される。

 行き渡っていく。

 そうして、自分たちが次に何をすべきかが自明のものとなった時、彼らは、耳にしこりのようなものが出来ていることに気づいた。

 空中に何かが舞っていて、それらが自分たちに効果を及ぼしている。

 彼は――兵士のひとりは、コクピットの中でひとり、つぶやいた。


「音楽が……聞こえる」

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