ナンバー・エイトは、明らかな異常を戦いの中で感じ取っている。

 だが、それがなんなのかを説明できるほど、彼は物事を知らなかった。


「ちくしょう、ちくしょう……!」


 透明な子宮の中で、彼は呻く。

 加速して重さを感じると、左右を景色が流れる。

 翔機はいま、炎にまみれているビルの群れの狭間を駆け抜けていた。

 黒い紡錘形が震えながら、四枚の羽が進行方向に合わせて気が狂ったように動き回る。

 目まぐるしく天地が交代していく。

 ……後方から、蜂の大群のような音が聞こえてくる。

 それは敵の音だ。わかっている。

 炎。回避する。

 傍らを通り過ぎて前方へ。

 また、爆発が起きる。

 巻き込まれないように制動をかけて、別の方向へ。

 灰色の金属で形成されたジャングルの中を彼は逃げ回る。

 死が、満ちていた。

 至るところで黒煙が上がり、その麓には必ず黒焦げになって、あるいはついばまれて無残な姿を晒した同胞の残骸がある。

 彼の胸中を満たすのは未知の感情。

 戦意は未だにあった。

 だからこそ彼は、墜落したふりをしてやり過ごすなどとは考えもしなかったし、逃げた先で、反撃の機会を伺い続けていた。


 だがそれでも、彼は後方から、明確に気配として迫ってくる翼竜を感じ取った時、これまで味わったことのない奇妙な感覚をおぼえていた。

 それは、『音楽』とともにあった時にはありえないもの。

 はやく、その感覚から逃げたかった……。


「なんだよこれ、みんな死んでる、俺たちは勝つんじゃないのか、今日も、あしたも、あさっても、勝ち続けるんじゃないのか……」


 それが、周囲の酸鼻によるものだということにも気づかない。

 生と死の狭間に至る時、必ず湧いてくる筈の感情であることにも。

 彼は逃げ続ける。左右のビルの森。

 自分たちが絶対に行き着くはずのない場所、その卒塔婆の群れ。

 間隔が狭くなってくる。気づかない。燃えている、どこもかしこも。


「俺は――俺たちは、どうしたら勝てるんだっ!」


 ゆえに彼は、その先が行き止まりで、そこにもう一体の翼竜が待ち構えていた時も、自分が死ぬことなど、想像もしていなかった。


「……――」


 目の前で、翼竜が口を広げて、火球を吐き出した。

 本能的に、コクピットの中で身体を腕で覆い隠そうとした。

 光が視界を包み込んで、何も見えなくなる――……。


 ……全く別の光が覆い被さって、翼竜はその中に溶け込んだ。

 ナンバー・エイトが視界を取り戻した時、立ち塞がるものは居なかった。


 鮮明になる。

 翼竜の身体には大穴が開いてぶすぶすと黒煙を流しながら崩れ落ちていった。

 ややあって、後方を、いや、その別の光をもたらして、自分を救った存在の居る方向を見る。


「……!」


 彼は目を見開いた。

 その時、先程まで自分に巣食っていた未知の感情は消えていた。



 ステージの上には瓦礫が転がっている。

 天井の一部が崩れて、そこから炎にまみれた空が見える。

 カーテンはずたずたに裂けている。


 かつん、かつん。小夜子は歩く。

 黒のドレスに、今度は赤いアクセント。血の色。


 後ろから後輩生徒が歩くのを支えている。

 というのも、小夜子の頭部には寡婦のベールのようなヘッドセットが装着されていて、そこから後頭部、さらには背中にかけて無数のコードが垂れ、舞台袖から引きずって伸びていたからだ。

 戦いの轟音が、絶えず遠くから聞こえる中にあって、小夜子はオートコフィンを目指す。


 ――翔機特型『不死鳥フェニックス』は、音楽との交信機能を更に強化したものだ。


 ドクターの事前説明を思い出す。


 ――受信した『音楽』を、この羽根を通じて……周囲に増幅した状態で拡散する。それにより、兵士……仲間たちに、更に音楽を届けられる。


 ――そのために必要なのは、君の腕だ、小夜子さん。


 ――機体と連動する、このヘッドセットを取り付けなさい。これは乗り手との同調率を高め、状況に即した音楽を奏でる力を、飛躍的なまでに向上させる。


 ――君が、彼と一緒に翔ぶのだ。


 オートコフィンが見える。

 変わらず、そこにあった。

 見た目は変わらない。重厚な黒色。

 だが、それはもはや自分では音楽を奏でられない。

 すべては、これからの小夜子にかかっている。


 客席をちらりと見る。先生が、座っている。

 そのそばを、数人の生徒たちが固めている。

 皆、小夜子が去ってから、『候補』となったたちだ。

 そして、合いた席のところどころに、花束がそっと飾られている。

 来ることが出来なかった者たち。

 もう二度と、来ることのない者たち。


 皆、こちらを見ていた。

 何も要求することも、期待することもなく、ただありのままを。

 小夜子はその全てを背負って、シワだらけの楽譜を携えて、オートコフィンに向かった。



 夜よりも昏いコクピット、羊水の中で、彼は呼吸を続けていた。

 全身に染み渡るように、ゆっくりと。

 ふーっ、ふーっ。緊張が高まっている。

 それすらコントロールする必要がある。

 指先を弄ぶ。身体の先端隅々にまで、『感覚』を行き渡らせる――。


 霧崎はドクターとともに部屋に残り、モニターを見ている。

 『不死鳥』の機体構造を表す映像の傍らに、『同調率』の表示。


 

 後輩が引き下がっていくのを確認する。

 小夜子は座席に座り、その物言わぬ棺桶を見た。

 深く呼吸する。

 いま、最初の一音を奏でるため、指を鍵盤に乗せる――。



 数機の棘翼竜と魔道士が、がら空きになった敵基地を発見した。

 口部を開き、あるいはその魔法杖の先端を光らせて、一斉に攻撃を発射した。


 次の瞬間に、広い敷地を持つ彼らの本拠地は爆炎に包まれて、跡形もなく消え去る。

 ……筈だった。


『・・・……――(待て)』


 確かにそこは黒煙の中に包まれて、何もかもが破壊されていた。

 コクピット内部に表示されている情報がそう告げている。

 しかし棘翼竜のパイロットは、コンピュータ補正されたその映像だけでは信じられない感覚をかんじとっていた。

 ……何かが、来る。爆炎を突っ切って。

 煙が晴れた瞬間に、やって来る――。



 ――行こうぜ、小夜子。

 ――ええ。レイ。


 次の瞬間――黒い爆発の光の中から、不死鳥が飛び出した。

 それは翼を広げて、一斉射を終えたばかりの敵軍の中に、猛然と突撃する。

 同時に小夜子は目を瞑り、開いた。

 そこには炎の塵が無数に浮かぶ空と、うろたえる敵の姿。


 いま、完全にレイと世界を共有し、音楽がはじまる。

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