③
「いける、いけるぞ」
ナンバー・エイトはコクピットの中で一人呟く。
自分には音楽がついている。
今まで聞いたことのないものだ。
しかし、その上に乗って戦うことの、なんと気持ちのいいことか。
自分たちは、『蛮国』を、これ以上進めないように押し留めている。
自分だけの力じゃない。
ゼロの背中が見える。歓喜と、安心。
もしかしたら、もしかしたら――自分は、この先も。生きて、生きて……。
そう思った時。彼のコクピットの通信回線が、砂嵐の中に入った。
同様のことが、他の翔機にも起きた。
◇
「……っ!?」
レイは気付く。
まさか。
視界を巡らせ、遥か前方へ。
そこにあったはずの、不気味な気配が消えている。
突如、ナンバー・エイトの翔機がバランスを崩し、その身体から火を噴いた。
紅い光の照り返しで気付く。
彼はこちらの真横に、寄り添うように翔んでいたからはっきりと分かる。
そして、その光の中、緩慢になる視界の中、捉えた。姿を。
銀色の、四肢の生えたヒトモドキが、片腕から鋭い刃を突き立てて、ナンバーエイトに真上から覆いかぶさり、貫いているさまを見た。
次の刹那に翼を広げて離脱し、物言わぬ同胞が地に堕ちていく瞬間に、時間は戻った。
彼の断末魔は、ザザザという音に紛れて聞こえなかった。
――法術士。この嵐の正体。
知っている。そのスキを狙って、このバケモノは。
……そいつの瞳が見えた。甲冑のような全身。
その頭部の装甲の奥に二対の光。湾曲し、笑っているように見える……。
レイは、聞こえないことも承知で叫んでいた。
「逃げろ、みんな……逃げろ!」
同時に、その異形に、ついにヒト型にまで至った翼竜に向けて加速する。
迎え撃つように、やつは翼を、両手を広げる。
◇
「……いかん」
ドクターの危惧が漏れる。
「何がです」
食いかかるように、霧崎は聞いた。
「その音楽が奏でる先は、破滅だ」
彼らの見るモニターに表示された『同調率』が、低下していく。
◇
レイはその怪物に向かった。
小夜子も、共に向かう。
彼女の中に、脳髄のしびれを通して、指先に向けて、彼の思いがハッキリと伝わってくる。
悲壮、悲嘆、いらだち。そして恐怖。
不死鳥が光の鞭を同時に複数射出。
その切っ先の全てが異形に向かう。
銀色の刃が閃いた。
光の鞭が切り払われ、閃光が視界に広がる。
目を覆う。
その一瞬で奴はこちらの目の前に。二対の瞳。
切り返さなくては……そう思った時には既に、翼の一部を斬り裂かれている。
姿勢を崩す、空中でたたらを踏んで高度が下がっていく。
ぐるりと巡る視界で異形の背中を追う、奴はこちらを掠めるように斬った後、向かった。
翔機。複数。翼竜たちと交戦している。
乱れている、動きが。
停滞していく。そこに突っ込んでいく。よせ、やめろ――……。
そう。だから小夜子は、悲惨な曲を弾き語るしかない。
短調のソナタを連弾する。
下降するトリルが、一瞬で逆転した形勢を描く。
頬に汗が垂れる。レイは手をのばす。
……眼の前で、更に一機、撃墜される。
炎の照り返しの中で、異形が微笑む、やつが告げている。
――『これが復讐だ』。
レイは下唇を強く、強く噛む。
異形による撃墜を受けて、翼竜たちも活発に翔機を追い回し始めた。
生き残った僅かな同胞たちが逃げ回る。
その様子は全天周モニター越しに見えるだけだ。
全てを救うことはできない。
やつの背中を追いかける。届け、届け。
――駄目だ、小夜子。俺は負ける、俺たちは負ける。
俺に復讐しに来たあのバケモノに、全部潰される。
そうなる前に、次の音楽が必要なんだ。
――分かってる。分かってるけど、どうすればいいかわからない。
――わかるんだ。今の音楽のままだと、俺たちは……。
◇
一機、また一機。
追う側から追われる側へ追い立てられていく。
じわじわと生傷を負いながら空中を逃げ回っている。
巣を潰されたハチのように。
レイの翔機は必死にその渦中に飛び込んでいくが、追いつけない。
相手の声が聞こえないから、鈍くなるのは当然だ。
それに、音楽だって聞こえなくなってきている。
法術士を潰さなければならない。
だが、そこまで思考が巡らない。
◇
「彼女にとっては経験のないことなのだ。状況を変革するための音楽など」
「つまり……これまで『台本』通りにしか奏でて来なかったことが原因だと」
「そうだ。運命を変えるための音楽を彼女は知らない。そして既知の音楽のままでは、奴らのジャミングを受け続ける……やがてレイには、彼女の音色が一切聞こえなくなってしまう」
同調率、六十%、五十%……。
「そんな……」
天井がゆれる。室内の電灯がちかちかと点灯する。
「……ここも限界が近いらしい。君、去るなら今だぞ」
「……っ」
◇
背中から汗が吹き出して、垂れ続けている。
先生がこちらに向けて何かを訴えているように思える。
気のせいではないと思う。
生徒が先生を押し留めている。
だがこちらには聞こえない。
ひんやりした鍵盤の感触がやけにクリアに感じられる。
――小夜子。小夜子、助けてくれ。みんな、皆消えていく。
そう、それが運命なのだ。
だから自分は、その遡上に則った音楽を奏でている。
分かっている、そんなことをすればレイは余計に不利になる。
しかし、止まらないのだ。指先が。
他の音楽を、自分は、知らない。
◇
「小夜子……小夜子――――っ!」
レイは叫んだ。
いま目の前で、ナンバー二十九が死のうとしている。
翼竜たちが群がって、その黒い身体を次々と斬りつけていく。
ボディが傷ついて羽が折れて、その狭間から抜け出そうとする彼を、目の前に立ちふさがった存在が絶望させた。
……あの異形だ。
奴が、その片腕を振り下ろした。
鈍色の光を放つ刃が翔機のコクピットをえぐり、内部の同胞の肉体をぐしゃぐしゃに粉砕して、その身体から赤黒いものを噴出させるさまが、いやにはっきりと見えた。
無限の静止画が、彼の目の前で連なって、こちらに届くようだった。
ジジジ、ジジジ。音楽が聞こえなくなっていく。
世界が真っ暗になる。
レイは自分でも何を叫んでいるのか分からなかった。
ただ彼は、伸ばした腕が届かなかったことを後悔し、その感情を機体に乗せた。
光の鞭を拡散させながら加速し、機体先端の砲口からレーザーを発射。
それはその場で崩れ落ちていくナンバー二十九の亡骸と、逃げ遅れた棘翼竜と魔道士を飲み込んで消滅させた。
しかし、その真上に奴は逃げていて、レイは反応が遅れた。
戦乙女は腹部の装甲を脱ぎ捨てて、赤黒い肉のような部位を露出させたかと思うと、そこから巨大な砲口をむき出しにし、不死鳥に向けて、濁流のような炎を浴びせた。
意識を喪失する寸前、暗闇に堕ちていく前に、レイは壇上で一人、呆然とする小夜子を見た。
彼女の手は止まっていて、音楽を奏でることをやめていた。
今すぐ行って、その手を温めてやりたかった。
それがかなわないから、レイはただ、言葉をかけた。
――小夜子。あきらめるな。
◇
「負けたのか」
モニターを見つめる市民の顔、顔。
暗く沈んでいた。
立ち上がっていた者が脱力して座り込む。
泣き続ける子供を抱きかかえる母親。
薄暗く、蒸し暑いシェルターの廊下では、現状を認めない者たちが叫んでいる。
だがそれは、諦めを先に引き伸ばすだけだった。
◇
翼竜たちはもう、残った翔機たちを追い回すことをやめていた。
皆、地に落ちていた。
空の上を翼の異形たちが旋回し、その麓には炎のくすぶり続ける大地があり、更に向こう側には、廃墟の並ぶ街が構えている。
彼らは、墜落し、力なく残骸となって横たわる翔機たちを一瞥した。
とどめを刺していない者もそこに残っている。
レイの不死鳥も、その中にあった。
鉄の瓦礫の中に埋もれて地面に突き刺さる銀色の翼。
その中で彼は意識を失っていた。
◇
「う……っ」
今、僅かな生き残りのうち一人がコクピットの中でうめき、顔を上げる。
モニターはひび割れていて砂嵐になっていた。
声が聞こえてくる。
『……コエルカ、皇国ノ兵士タチ』
外の音だ。確認すると、通信回線は復活していた。
あの妨害のような攻撃はやんだのだと理解する。
その代わりに今聞こえてくるのは無限の風のさざなみと、その声。
聞き慣れないそれは……確かに、こちらの言葉。
同時に、頭上を仰ぐと見えてくる銀色の軍勢から発せられる宣告だとわかる。
『我々ノ目的ハ貴様タチノ殲滅デハナイ。多クノ物資ヲ消耗シスギタ。コレヨリ最後ノ制圧ニ向カウ。貴様タチハソコデ見届ケルガイイ。皇国ノ最期ヲ』
最後に自分たちを見下ろしたのは、あの四肢を持った翼竜だった。
そのぎらついた四つの瞳が、あざ笑うかのように歪んだ後、敵の軍勢は、炎の街へと向かった。
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