「『彼ら』は既に逃げている。市民たちも既に地下だ」


 警告の赤い光のなかで、霧崎は告げた。

 同時に、レイと小夜子は、地面に激しい揺れを感じ取る。

 足元がおぼつかなくなる。

 視界がブレる、互いに支え合いながら、空を見た。

 ひどく曇っている。小夜子はレイを見た。

 彼は震えていた。寒さとも、痛みとも違う。

 何かを、感じ取っている――。


「奴らが来る……」


 その時、衝撃が迸った。

 小夜子は視界の端が真っ白になって何も見えなくなり、めまいを感じ取った。

 その頭を殴られたような衝撃の直後、自分とつながれているレイもまたそれを感じていることを知った。ということは、何かが起きた。


 顔を、見上げる。

 空を切り裂いた一筋の光が、暗い空の下、麦畑の遠くにある摩天楼の一角を、完全に撃ち貫いていた。

 鉄の焦げたような匂いが待機中に充満して、直後、激しい風が穂を揺らし、波のようにこちらにまで伝わった。

 スカートとコートがめくれ上がり、冷たさを感じる。

 ……風が収まると、長いシルエットの先端が欠けて、崩れ落ちるのが見える。

 周囲を染めていた赤い警告の光は、切り裂かれた空のどす黒い青と混ざって、不気味な紫色になっている。

 事態が、急速に、欠片の猶予もなく、進み始めている。


「先制攻撃だ、彼らの。もう間もなく、『範囲内』に到着する」


 霧崎の口調は何かを押し殺したような平板さがあった。

 そこに反感をおぼえる余裕もなく、小夜子はただただ胸のざわつきを押さえられない。

 ……そして。かたわらで、レイが血を吐いた。


 とっさに、小夜子は崩れ落ちる彼のもとにしゃがみこんで、その口元に自分の手を持ってきた。

 彼は咳き込んで、生ぬるい赤黒い液体をごぼごぼと吐き出した。

 指の隙間から、崩れた果実のようにぼたぼたこぼれて、雪を彩る。

 感じたのは熱さで、それはまるでレイの体温そのものが口から逃げていくように感じられた。

 彼はそばにいて、自分の肩を借りていた。

 その存在が、急に軽くなるように思えて。

 小夜子は遅いくる不安から、彼の顔を覗き込む。

 笑っていた。ただし、死人のように真っ青に青ざめていた。


「レイ……」

「くそっ……ようやく、何かを……掴みそうだってのに」


 ――レイは。生きたがっているのだ。

 不意に降り注いだ想念。天啓ではない。

 では、道はどこにある。

 この先にあるのは皇国の滅び。

 そこに、レイの生きていく道はあるのか。

 彼と再会し、一度目の吐血を目の当たりにした時、よぎったはずだった。

 このままでは……レイは死ぬ。定まっていた運命。予定調和の楽譜のように。


 小夜子は、何も言えるはずもないのに、口を開こうとした。

 その時だった。

 聞き覚えのある、空を引き裂く音が、何度も重なりながら耳朶を激しく打ち据えながら、自分たちのすぐそばの空を通過して影を作り、そのまま向こう側へと向かっていった。

 顔を上げる。


「『翔機』……!?」


 今まさに。見間違えるはずもない。

 確かに今、『兵士』たちを乗せたあの黒い棺が、フェンスの彼方へ飛んでいくのが見えた。

 すでにその姿は、黒い点の残滓の連なりであるようにしか見えない。

 だが今、幻のように見えたのは、間違いない。


「なんだと」


 霧崎が呆然とした口調で携帯端末を見つめ、呟く。

 彼は顔を上げて、二人に向けて言った。


「『当局』の指令が、既に出ていた――残存する翔機すべてに、たった今、出撃命令がくだされたようだ。老人たちの……置き土産らしい」


 その言葉に顔を見合わせる暇もなく。

 レイは、小夜子の腕から外れて、駆け出していた。


「レイっ……!」


 基地の入口へと向かっていた。

 既に身体の動きはおぼつかないはずなのに。

 小夜子はそれを追う。

 霧崎は少しだけ逡巡した様子を見せたが、すぐに二人のあとについていった。



 ゲートは既に無人になっていて、簡単な認証だけで入ることが出来てしまった。

 レイは途中で膝をついて息を吐いた。

 小夜子が肩をかつぎ、霧崎が先頭になって、赤いアラートを悲鳴のように垂れ流している基地の内部を進んだ。


 建物の中に入り、長い廊下を抜けて、いくつもの部屋を覗き込む。

 そのたび彼は不快そうに顔をしかめ、首を振る。

 もう既に……大半の人員は、避難を行っているということだ。


「駄目だ。既に彼ら以外は、ここには居ない。整備担当すら」

「ちょっと待って。それなら、彼らはどうやって飛んでいるの」


 霧崎は振り返って、レイの顔を見た。

 はじめて見る表情。言うべきかどうか迷っているような。


「答えて」

「……既に、オートコフィンは機能していない。彼らは、『音楽』なしで翔んでいるようです。何の後ろ盾もなく、ただ迎撃せよという命令だけを与えられて」


 愕然とする。更に問いを重ねる。


「そんな、それじゃ。彼らは戦えない」

「……恐らくは。平常時の半分のスペックも、発揮できないでしょう。戦意も隊列も、まるで統一されていないはずだ」

「なんで、なんでそんなことを」

「敗戦は決定しているようなものです。必要以上の街の破壊を避けるためでしょう。そしてそれ以上に……彼らの戦いの様子を、『ひとびと』が見ている」


 足元から気持ちの悪いものが這い登ってきて、がんじがらめにされるような感覚。

 何年も前からそれは足元にあった。

 その不快さに、今気づいてしまったかのような。その、罪深さ。


 小夜子が、何も言うことが出来ないでいると、レイがそばから離れていて、すぐ近くの部屋――既に入り口は開けっ放しになっている――に入り込むのを見た。


 あとを追う。そこは『第三司令室』とあった。

 モニターがいくつも並んでいる無機質な部屋だった。


「レイ、何を」

「あいつらが……戦ってる」


 彼はモニター前のキーボードをめちゃくちゃに叩いて、苛立ち紛れに何度も拳を打ち付けた。

 何をしようとしているかは明白だった。


「……」


 後ろから霧崎の手が伸びてきて、キーボード操作を変わった。

 ……暗い部屋が、ぱっと明るくなる。

 三人の目の前に、巨大な画面が投影された。

 モニターの映像をうつすための、全面スクリーン。

 まもなく彼らは、そこに展開されているものに釘付けになった。



 翔機たちは群がりながら、雪が降り続ける空を翔んでいた。

 しかし、そこに規律はなかった。

 かつてあったはずの隊列も今はなく、ふらふらと乱れながら、ただ前を目指しているに過ぎなかった。そこには『敵を迎撃する』という異様な熱量だけがあった。

 音楽はいま、彼らの傍になかったが、誰も気にしてはいなかった。

 そのように条件付けされているということすらも。


 やがて予備機あわせて三十機の群れ、その戦闘を翔ぶ一機が、向こう側の空からやってくる敵を視認する。

 既にはっきりと、モニターの補助なしでも気付くことが出来るほどに近づいているらしかった。

 彼らは互いに鼓舞しあった。

 俺たちは負けない、皇国を守るんだ、俺たちは最後まで戦い続ける――。


 しかし、そんな彼らの気勢は、間もなく削がれることになった。

 機体の動きは急激に乱れ始める。

 狂ったハチのようにふらふらと動き、前進すら放棄して、降下しはじめる者もあらわれた――糸が切れたように。

 それだけではない。

 彼らは、互いのコクピットが『見えなく』なり、互いの声が『聞こえなく』なり始めていることに気付いた。

 彼らは戦慄し、恐慌した――かくして、敵意だけで統率されていた『前進』という隊列すらかき乱され、翔機たちは空中で大混乱になり、糸のように機動が絡まり始めた。


 『法術士サイオニック』のジャミング。

 通信を阻害し、彼らの要である『連帯』を突き崩す。

 それが、足がかり。

 特異なフォルムの機体が円盤の頭の奥で瞳を光らせると、それを合図に、翼竜たちが一斉に加速。

 全ての火器が口を開き、まもなく彼らは――街の上空へと、完全に侵攻を開始しようとしていた。



 上空の様子と、いくつかの機体内部の映像。

 切り替わりながらせわしなく映し出されている。


「始まったのか……戦いが」


 レイが、ぽつりと呟く。その顔は前を見ていなかった。

 小夜子にはハッキリと分かる。

 彼が『視て』いるのは、今まさに、この街の真上で起き始めている光景そのものだ。


 統率を失った翔機たちを押し込みながら、街に攻め込んでくる翼竜たち。

 混乱からようやく回復した兵士たちは、事態が最悪の状況に陥ったことを悟ると、果敢に彼らに対して迎撃を開始する。

 だが、軍勢はあまりにも強大で、確認できるだけでも、こちら側を遥かに上回っていて。

 今まさに一方的な蹂躙は始まって。

 あの一撃をきっかけに、この街は、炎と地震に呑み込まれはじめる……。

 

「どうすれば……」

「――逃げていい」


 モニターから目を離し、小夜子は目を丸くして霧崎を見た。

 ……いま、この男は、なんと言った?


「逃げていい、と。そう言ったのです。もう、この戦いには何の意味もない。あなた方にとっても……私にとっても」


 顔を背けながら話をしている。

 唇を噛み締めていた。

 血が顎に垂れていて、拳を固く握って、キーボードに叩きつけると、前方のスクリーンから映像がかき消えて、また暗い部屋に戻る。


「ここにいて、彼らに捕まればどうなるか――」

「こんなの見せられて……そんなこと、出来るかよ」


 声を発したのは、レイだった。

 モニターから離れて、霧崎のもとに歩み寄る。至近距離で、問い詰める。


「あいつらはどうなるんだ」

「出撃した以上――もう戻ってこれない。敗北は必然だ」

「そんなの……酷すぎるだろ」


 レイは霧崎の首元をつかもうとしたが、出来なかった。

 その前に彼は、よろよろとモニターの端にもたれかかって脱力する。


「……あいつらは」


 俯いたまま、レイは呟く。


「あいつらは。きっと信じたままだ。何もかも。それで、何も知らないまま死んでいくんだ……相手が、人間であることも知らずに」

「それが戦争です」

「戦争なんて、あいつらは知らない。あいつらはただ、生きてるだけだ。必死に。それさえ奪われるなら……あいつらは」


 沈黙の後。


「あいつらは――俺の、大切な、かけがえのない、同胞たちは、なんのために生きていたんだ?」


 霧崎は、答えられなかった。

 ただ、言葉に詰まったような顔をしている。

 あいだに挟まる形で、小夜子は二人のやり取りを見ていた。

 何も、言えることがない。


「俺には……時間がないんだ。はやく、やることを見つけなきゃいけない。なのに、あんたは黙ったままなのか」

「……」

「答えろよ。あんたが、あんたらが始めたことなんだぞ。それなのにだんまりか」

「レイ、落ち着いて――」

「答えろよ。考える機能だけ付けて、何にも教えてくれないのか。答えろよ……翔機もないままで、俺は、今から、どうすれば、いいんだっ!」


 その叫びが部屋中に響いてたち消えて。

 再び、無力感に沈もうとした時。


「ひとつだけ、方法がある」


 部屋にもうひとり入ってきた。

 ……ドクターだった。


「ついてきなさい、レイ。それに……お嬢さんも」

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