「もはや、隠し通せない」


 『顔』のひとつが、闇の中に浮かぶ円卓で発言する。

 ほかの『顔』たちは、その言葉に渋面を作る。

 彼らの注ぐ視線のただなかには、巨大なモニター。

 緑のグリッド線で描かれた広大な世界。

 規則正しい四角形が並ぶ青い領域に、無数の赤い点が浮かぶ。

 これまでにない数。

 彼ら以外の誰も、まだ感知していない。

 それらはまだまだ遠い場所にあったが、海鳴りのように近づいてくるだろう。

 その時、『顔』たちは、これまで通り命令をくだすだろう。戦え、と。


「勝てると思うか」

「いや。はっきり言って……無理だ。奴らは痺れを切らした。他国からの制裁などものともしないだろう。早期の決着を望んでいる……そのための電撃戦だ」

「では、どうなる。この国は。我々の築き上げてきたものは」


 その時、当局の出した結論は、単純明快なものだった。


「滅びるほかない。この国も……彼らも。それは止められない」



「いいの。悲しい結果に終わるかもしれない」


 蔵前は、バイクでレイを街はずれまで連れてきてくれた。

 後ろからおりて、彼女を見た。その目には呆れと、心配。


「いいんだ。それでも」


 そう言うと彼女はため息を付いてから、苦笑した。


「あなたのそういうところ、もっと早く知りたかったかも」


 彼女はヘルメットを被って、バイクに座り直す。

 それから車体を反対側へ。

 雪が、ふりはじめた。


「あんたは、これからどうする」

「逃げるわよ。だけどその前に、きっと見届ける……」


 彼女はこちらを見て、続けた。


「私の知っているあの子たちが、ただ死んでいくだけの存在だなんて、絶対に思えない。だから、どう生きていくのかを、きっと。あなたも、そうよね」


 レイは、少し考えてから、掌に舞い落ちた雪をぎゅっと握り、答えた。


「ああ。きっとそうだ」


 それだけ聞くと、蔵前は満足そうに目を細めた。


「じゃあ、元気で」

「ああ」


 手を挙げると、それを合図に蔵前はバイクを反対側へ向けて走らせた。

 そのまま彼女は、小さくなっていく。

 きっとこれから、小夜子に生かされた意味を背負い続けていくのだろう。

 完全に姿が見えなくなるまで、レイはじっと視線を注いでいた。


「……俺も、やらなきゃ」


 レイは踵を返して、走り始める。


 雪はどんどん激しくなっていく。走る、走る。

 寒さが身体を貫いていく。

 でも、レイは平気だった。

 全身に『意味』が満ちていた。

 疾走のさなか、何度も肚が痛くなって、殴った。

 それすらも、実感だった。


 ――俺は生きている。もっと早くにくたばってもよかった。それを生かされている。

 ――小夜子によって生かされた存在に、生かされた。


 走るたびに口から白い息がほとばしって、後ろにたなびいた。

 灰色の景色が、粗末な作りの建物が流れていく。

 自分はここにいる。

 かつては曖昧だったその感覚が、今ははっきりとクリアに感じられている。

 この寒さも、身体の痛みも、本物だ。


 ――小夜子。お前はまだ、諦めちゃいない。何もかもを捨てちゃいない。

 ――それは苦しいことかもしれない。だけど、それだけじゃない。

 ――お前は翔べる、翔んでいける。お前が俺に、それを教えてくれたように。


 ――だから今度は、俺がお前を、迎えに行く。


 そこから数時間後、彼はすべてを背負って空を翔ぶ。

 最期の時は、着実に近づいていた。



 霧崎は苛立たしげに、長い回廊を進んでいく。

 足音がやけに大きく聞こえる。

 焦燥、焦燥。

 先程、あのモザイク状の顔たちに告げられた言葉がガンガンひびく。


「おい、さっきの話本当なのか……」

「ああ。準備をしろと。シェルターから遠い地区から、順次流していくよう言われてる」


 途中、放送局を通った。スタッフの声が漏れ聞こえてきた。


「条約はどうなったんだ。一方的に仕掛けてくるなんて……」


 彼らの声は、こちらを見つめる霧崎に気づくと消え入った。ぎくりと背筋を伸ばす。

 だが霧崎はそのまま放送局を通り過ぎて、先に進む。

 混乱だ。これから起きるのは、否が応でも。

 この国のなかでは、決して起きるはずのなかったことが、起きようとしている。

 全てを封じた代わりに得られた平穏が、いま破られる。

 いや、あるいは……いつか来るはずだった時を、徒に先延ばしにしていただけなのかも。


 ――あまりにも一方的すぎます。それでは、これまでの平和はなんだったのですか。


 確かに霧崎は、彼らにそう問うた。

 だが、返ってきた答えはそっけないものだった。


 ――そんなものは、はじめから無かったのかもしれん。この国は強引で在りすぎた。


 怒りで震える拳をおさえて、流動する顔に向けて再び問う。


 ――では、あなた方は。どうするおつもりか。全てを帳消しになど、出来ない。

 ――我々は遠くへ行く。そこで再び種を蒔く。さすれば、皇国はまた芽生えるだろう。

 ――逃げるのか。こんな大掛かりな茶番を仕掛けておいて、逃げるのか!


 そこから先はあまり覚えていない。

 取り押さえられて、追い返されたことはハッキリしている。

 何より、自分は、自分たちは、これから見捨てられることになるということも。


 足が早まって、目的地についた。叩きつけるようにしてドアを開ける。


 ドクターの部屋。

 彼はそこにいた。

 背を向けて、コンピュータをしきりに操作している。

 そばには、いくつも酒瓶が転がっている。


「ああ……君か、霧崎」

「何をしているんです。その図面は何なのですか……」

「なぁに、個人の趣味さ……最も、それなりに賛同者はいたがね」


 画面の中に表示されているのは、翔機のように見えた。

 だが、それにしてはあまりにも異形だった。

 まるで、翼竜のようにも見える……。


「聞いているはずだ。逃げなければ。逃げて、生きて……彼らの技術を、存続させねば」

「何故だね。これから始まるのは、戦争じゃあない――一方的な、侵略だろう」



 皇国の本土に向けて迫る、重なり合った赤い点の群れ。

 それこそが、かつて蛮国と呼ばれていた者たちの送り込んできた大舞台だった。

 いま、海を、荒野を、そして廃墟に住まう者たちの頭上を暗雲のように覆い尽くして通り過ぎながら、着実に侵攻しつつあった。

 翼竜たちの群体、それに複数の棘翼竜から成される編隊。

 加えて、あの日レイ達に大きな痛手を与えた魔道士たちも複数随伴している。


 更に今回は、これまで決して多くは見られなかった戦力も姿を見せていた。

 翼竜の頭部を肥大化させ、その頭上に扁平な円盤のようなものを取り付けた姿をとっているのは『法術士サイオニック』。

 戦場を撹乱する力を持つ敵だ。

 そして、彼らの最後方に位置し、守られるように飛翔しているのは、これまでのいずれにも似て非なる存在だった。


 翼竜の身体に、人間と同等の四肢を生やし、両腕に長剣のようなものを保持した姿。まるで、翼の生えた鋼鉄の天使。


 名を『戦乙女ヴァルキリー』。

 今より少し後に火蓋が切られる戦場で、その力は猛威を奮うことになる。

 そしてなにより。


『――……・・・・・…………――』


 その異形の戦士の内部に搭乗する兵士は、かつて同胞を大勢失い、レイへの敵討ちに執念を燃やしている、あの棘翼竜の乗り手であった。



「理屈ですよ、それは」


 霧崎は呆れたような身振りをとった。

 しかし同時に、目の前に居るこの小さな背中の男を見放し切ることができないことを、自覚していた。


「理屈でも感傷でも、なんだっていい。ここに残って、最後の飛翔を見届けなきゃならない」

「翔ぶ……? 何をバカな。彼らはもう役目を終えた。多勢に無勢、かなうわけもない。それなのに、彼らが翔ぶというのですか」

「翔ぶさ、彼らは……間違いなく」


 その時。霧崎はドクターの目を見る。

 言葉が詰まる。

 そこにある光は純粋なものだった。

 疲れ切って、擦り切れていたが、その奥にある信念のようなものは、何一つ消えていなかった。


 そこで、霧崎は、かつて自分が彼の研究から離れた理由を思い出した。


 そうしなければ、自分の行動に迷いが出ると思ったから、自分は去ったのだ。



 しばらく話した後、先生は帰った。

 泣き止むのを待ってくれた。


 小夜子は立ち上がって部屋を出る。

 勢いで行動したせいで、忘れ物を学校に取りに行く必要が出てしまったのだ。


 自転車のロックを解除しながら、気付く。

 学校に向かうためには、兵士たちの基地の真横を通らなければならない。


 雪がふかく、濃くなっていく。

 耳元でごうごうという音が聞こえてきて、雪の白色と、アスファルトの黒色で、視界が灰色になる。 コートの襟を立てながら、自転車をおす。

 こんなことなら、徒歩のほうがよかった。

 雪を踏みしめるたび、奇妙な音が鳴る。

 ふわふわした感覚が足元に残る。

 それがずっと連なって、自分の後ろ側につづいていく。


 距離感が、くるう。

 灰色の世界の中で、歩けども歩けども、到着しない気がした。

 なにか、自分を責めているような。

 鼻が痛くて、喉の奥が乾燥した。


「寒いな……」


 ふいに、口に出した。

 受け止める者は誰も居なかった。自分が、失わせた。


 基地のすぐ近くの道まで来る。

 視界に入れることをためらって、下を向きながら自転車を押していく。

 麦畑はすっかり雪に染まっていて、地面との境目が曖昧になっている。


 ……風が、ひときわ強く、ふいた。

 小夜子は力を入れていなかった。

 だから、その身体はあっさりとふらふら横倒しになり、フェンスに打ち付けられた。

 とたんに、自転車が足元に転がってからからと音を立てる。

 咳き込んで、寒い空気が肺の中に入り込む。

 身体を抱きしめてうずくまる。


「怖いな……」


 つぶやいた。

 自分の行ってきたこと、決断の過ちが一斉に襲ってくる感覚。

 そこでそのまま、雪の中に埋もれてしまえたら楽なのだろうかと、そんなふうに考えた、その時。


 ひとつの手が、自分に差し伸べられた。

 小夜子は、顔を上げる。


「何やってんだ。風邪、ひいちまうぞ」


 そこに、レイが立っている。


 あのときとは、何もかもが逆だった。

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