第三楽章
①
細い路地の裏側に、銃声が響いた。
いま、一人の男が道半ばで血を流して倒れている。
彼は大きな荷物を背負っていた。
小夜子は銃を、かばんにしまい込んで、端末に仕事の終了を告げた。
雪が降る。
あれから、一年が経過した。
◇
あの冬が終わって春が来て、卒業生を見送った。
卒業式で答辞を読み上げる代表の生徒は、当局に勤めに行くことを誇らしげに語っていた。
誰もが万雷の拍手。
涙ぐんでいる者も居た。
紙吹雪が舞い、みんなの門出を祝った。
誰も彼もが、皇国のために飛び立っていく。
ある者は胸をぐっとそらし、ある者は不安を抱えて。
しかし、全員が一つの統一された高揚を胸にはばたいていく。
桜の木の下、遠ざかっていく彼女たちの姿を、小夜子は見た。
そして、教室から出る。
廊下まで足を踏み出した時、練習用オートコフィンの音色が聞こえてきた。
あれから、音楽室には入っていない。
それでも、何度か顔を覗かせたことはあった。
オートコフィンの前には既に、自分の知らない下級生が座っていて、先生の指導を受けながら、演目の練習をしていた。
緊張し、こわばった手付き。しかし、使命感に満ちていた。
かつて小夜子が行っていた役回りというのは、代替わりが激しい。
その難しさというのも一因だが、それ以上に大きいのは精神的負担だった。
小夜子以前の生徒たちも、多くは自身の演奏が戦争の直接的な成果に関与しているということに頭を悩ませて、やめていった。
それは皇国への忠誠だけではどうしようもないことだった。
……さて、あの子はどれだけ長続きするのか。
そこまで思った時、我に返る。もう自分には関係ないことなのだ……。
逃げるように教室を後にしたのを覚えている。
それは、未だ未練のようなものを残している自分への情けなさと、こちらに気付く先生の視線から遠ざかるためだ。
季節が変わり、何もかもが一新されて、これまでのことはすっかり古くなった。
だから小夜子も、鍵盤に触れる指は用済みになった。
そして、もう――レイのことを、誰も覚えていない。
あれから何度も、新しい奏者のもとで戦闘が、出撃があった。
彼らは相変わらずひとつだったけど、そこから欠けたひとりのことは、記憶処理によって全くなかったことになっていた。
No.ゼロなどという、予定調和を乱す欠陥兵器など、はじめからいなかったのだ。
……学校を出ると、上空を甲高い音で通過していく翔機たちの編隊が見えた。
そこに彼はいないし、自分もいらない。何一つ、変わっていない。
◇
季節はめぐる。夏と秋が終わって、再び冬が来た。
小夜子の第二種職務実行者としての実力は確かで、鍵盤よりもトリガーを引くほうが似合っていると言われた。だからこうしている。
今日は、皇国から脱走しようとしていた者を始末した。
その亡骸が今、暗い路地の影のなかで横たわっている。
荷物の中身は道に飛び出ていて、一通りの生活用品などがぶちまけられていた。
――この国はもう、終わりだ。終わりが見えている。
撃たれる前、その男は、必死にそう叫んでいた。
「……」
顔を上げる。路地を出て、入り組んだ貧しい工業地帯の町並みに戻る。
……一瞬は、以前と、変わらないように見える。
しかし、明らかに違っていることがある。
並んでいる建物が、以前より粗末になっていた。
路上に転がっている人々が増えていた。
僅かだけれど、確実な変化。
人々と目があう。彼らの瞳は、以前よりも濁っていた。
皇国の変容は、ゆっくりだが、確実にあった。
あれからも、『戦争』は、ずっと続いている。
終わりなき経済活動と、生産のために。
それからも続いていくはずだった。
しかし、皇国の基盤は、市民が知っている以上に、ずっと脆弱なものだった。
原因は色々ある。細かい部分は、小夜子の知るところではない。
しかし、兵士たちと、音楽と、プロパガンダ、粛清に頼る『戦争』に、いずれ限界が来ることは目に見えていることだった。
それは彼女にも察しが付くことだ。
いつしか、兵士たちの生産が損耗に追いつかなくなっていき。
同時期に、相手の国からの『要求』が、膨れ上がっていき。
帳尻を合わせるかたちで、『戦争』が続いて。
結果として……これまでの『戦争』は、あくまで皇国と利潤関係を結びたいがための、相手の国による『譲歩』であることが徐々に明らかになってきていた。
それは、明らかな国家間のパワーバランスの格差。
向こうの国には、こちら以上のうるおいがあった。
それは安定した生産と政治体制のもとでゆっくり積み上げられていき、やがては、皇国との関係性を維持しなくとも確保できるようになっていったのだ。
残酷な真実。
いつの日にか、皇国は用済みになる。
そうなった時が、最後だ。
ここは侵略され、支配される。
空っぽの玉座に、腰を下ろす存在が現れる――。
分かっている。小夜子にも分かっている。
スピーカーが流す当局のメッセージは日に日に、まるで強がりのように過激な論調になっていく。
食料配給の統制は以前よりもぐっと厳しくなった。
ある程度の恩恵に預かれるはずの小夜子の食事も、いくらか貧しくなってしまった。
滅びへの道が、舗装され始めている。
短命に生まれ、最期には空で散ることが運命づけられている、あの純真無垢な彼らと同じように。
そう、何も変わらないのだ。小夜子には分かっている。
運命というものは向こうからやってきて、一方的に道筋を押し付ける。そこから逃げ出すことはできない。
分かっていた。
「……なのに」
だというのに。小夜子は……手が震えていた。
とっくに音楽を奏でることをやめて、人を殺すばかりになった手が、まるでそれを拒絶するかのように。
どうして。とっくに、それしかないと諦めがついているはずなのに。
そう自分の内側に問いを発してみた。
すぐに、おかしくなって噴き出した。
なぜなら、分かっているからだ。諦め気味に、笑ってやる。
――自分はまだ、レイのことが、忘れられない。
かさぶたのように、ずっと心にこびりついて離れないのだ。
いっそ、死体が見つかればいいのに。
あれから一年が経って、もうすぐ自分も学校を卒業するという段階になってもなお、彼は行方不明のままだった。
見つかったところで意味はない。
ろくな支援も受けられないうえに短命な存在にしてやれることなど、なにもない。
だから当局は放置している。
しかし、それがゆえに、小夜子はいまだに、忘れられていない。
同じだ……呪いと、同じだ。
鬱陶しい、いつまで自分の中に居座るつもりなのか。
あなたさえいなければ、私はまだ。
……歯噛みして、わだかまりを抱えたまま、家に帰る。
郵便受けに手紙。実家の、妹からだった。
母の体調がすぐれないらしい。
おまけに、経済的にも厳しくなってきたということだ。
予想は出来たことだけど、いざ妹の丸っこい、かわいらしい字で訴えられてしまうと、胸が苦しかった。
そこで、ふと湧いた思い。
そうだ、家に、帰ろう。一度、ここから離れてしまおう。
忘れるのだ。あまりにも多くのものが積もってしまったこの場所から、離れなければならない。
そうしよう、休暇を申請して、帰ってしまおう。
少しの期間でいい。彼と彼らのことを忘れることができれば、それでじゅうぶんだ。
もちろん監視はつくだろう。一度は多くを知った身だ。
それでもいい。そのほうが、理性的でいられるにちがいない。
小夜子は、決めた。部屋に帰って、さっそく準備をしようとした。
だがその日、たずねてくる者が居た。
扉を開けると、そこには、先生が立っていた。
その戸口の向こう側の空を、翔機の編隊が飛んでいく。
◇
黒い翼の群れが飛ぶのを、彼は濁った目でぼうっと眺めた。
ふらふらと歩き、ついには膝をつく。何もかもが限界だった。
墜落した機体に積まれている携帯食料は、一年もたなかった。
ペース配分もなにも分からない。
レイは、というより兵士たちは、戦うこと以外は何も知らないも同然だった。
どれくらいの時間が経ったのか。
おそらくは一年だ。
なぜなら、冬が終わった後、もう一度寒くなった。
それだけだ。このまま朽ちて、死んでいくのか。
周囲に散らばっているのはゴミや瓦礫で、どこなのか判然としない。
だが、ここなら、まだましかもしれない。
何かの中に埋もれて死ねば、孤独を感じずに済む……。
倒れて、意識を失う寸前――彼は、自分を覗き込む誰かがいるのを見た。
そして再び目を開けて身を起こしたとき、自分は木造のあばら家の中に寝かされていたことを知った。
粗末なシーツとベッドと……窓際に居て、こちらに気づいた一人。
「起きたんだ。メトセラでも、ヒゲって生えるのね」
フード付きの外套を着込んでいる、若い女性だった。
「わたし、蔵前侑李。悪いけど、色々聞かせてもらうから」
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