Mission10 夢の名残。確かな現実に息づいて。目覚めが導く『勧誘』
懐かしい夢を見ていた──覚えも曖昧な、心地良い夢を。
あの日から自分の中で、何かが変わった気がする。少なくとも、死ぬために戦ったりなんかはしなかった筈だ──。
ふと、イザヤは自分が何処に居るんだろうと思った。何となく、学校の保健室だと思える雰囲気がある。
消毒液の匂いと──清潔なシーツ──頭の上に並んでいるのは、メッセージが書かれた見舞いの品々だ。
そして何より──仕切りカーテンの狭間に──夢の中で見ていた少女がいた。
人目をまるで気にせず、山盛りに角砂糖をコーヒーに融かし、呑気な鼻唄を奏でている少女の姿──。
ずっと──ずっと会いたいと思っていた。けれど、それは決して叶わない事だと──諦めてもいた。子供の頃とは何もかも違ってしまっていたから──。
だけど──彼女は此処にいる。自分の目の前に。
夢でも、テレビの世界からでもなく──自分の目の前にいてくれた。
孤独にA.U.Gの格納庫を見下ろしていた──あの時と同じ様に。
「……アンリ……」
「わぁッ!?」
罪悪感たっぷりなコーヒーを隠そうとして、慌てる彼女と目があった。その瞳の色は驚きとも懐かしさとも区別できない、優しい煌めきがあった。
「あ……おはよう、イザヤ。久し振りだね」
照れ臭そうに小さく手を振る彼女に──イザヤは胸が締め付けられる思いがした。
あの頃と変わらない──変わってしまったと思い込んでいたのは、イザヤ自身だった。
会いに行けば──アンリはきっと快く迎えてくれただろう。記憶も曖昧になってしまった年月を言い訳に、再開を怖がっていたのは──イザヤだけだ。
「……アンリ……」
「ん? 何かして欲しい事ある? あれだけ頑張ったんだもん。何でも言ってね」
「……アンリ……」
「あ、コーヒー飲む? これね、引く程、砂糖入れたんだ。他の人に見られてたら絶対できない奴……。フフッ……飲んだら共犯──」
「──アンリ……!」
言葉だけじゃ足りない思いがあった。君が此処に居るんだと──信じたい気持ちがあった。
──腕の中の温もり。唐突さに戸惑いながらでも、背中を抱いてくれる優しさに、涙が溢れそうだった。
君が此処に居る。沢山の年月を重ねた先で──君はもう一度、俺に出会ってくれた。
俺は君に会いたかったんだ──月から落ちて、普通に暮らして良いんだよと言われた穏やかな日々の中でも──。
どんな幸せよりも、君にもう一度会える瞬間だけを──ずっと欲しがっていたんだ。
「……イザヤ……」
「……アンリ──」
「アンリちゃん、お昼持って来──何してるのさ、イザヤ君!?」
図ったかの様なタイミングで現れたヒイラに──二人して背筋が跳ねた。アンリの持っていたコーヒーが、背中に飛び散って肌に貼り付いてくる──。
「アッツッ!」
「きゃあ! イザヤ、ごめん! ごめんね!」
「みんな心配してたのに、それが寝起き早々にする事なの!? 不潔極まりないんだけど!?」
ランチボックスを提げた手をブルブルと震わせて、ヒイラが憤る。彼からすれば、疲労困憊の眠りに陥っていた友人は──起きて早々に少女に抱き付くケダモノ同然だった。
「……インジェクションの効果で、気が昂っているんでしょうか? でしたら──気を失わせてでも、もう一度眠って貰いましょう」
さらにバツの悪い事に──ヒイラの背後から暗い表情をして、ドロシーまでも現れた。
二人は心配して様子を見に来てくれたというのに──それが良くも悪くも取り越し苦労だったと──青筋を立てている。
「違っ……! これは感動の再会に……!」
「君は再会を喜んだら、会話の前に抱き付くの!? 犬なの!? 変態なの!?」
「……弱った態度をダシに、アンリが何も言えない所を付け込んだのは間違いありませんね……。大丈夫ですよ、アンリ──我が社の法務部は、そういった最低なセクハラ案件にも通じてますから」
離れざるをえなかったイザヤが必死に弁明するも、ヒイラの目は『見損なった』と暗に言ってるし──ドロシーに至ってはゴミを見る様な目付きをしていた。
「た、助けて、アンリ!」
『何でも言ってね』──その言葉を頼みの綱として、振り向くイザヤだったけれど──そこには赤くなった両頬に掌を当てて、頼りなく顔を緩めたアンリがいた。
「うへへ……イザヤってば大胆──」
「アンリ!?」
頼みの綱は──頼る前に切れていた。彼女はさっきの出来事を思い返し、余韻に浸る気持ちでいっぱいになっている。
イザヤの両肩を掴んだ二つの手は、信じられないぐらい力強く、どちらも逃がしてくれそうにない──。
「ちょ……ちょっと待ってよ! 俺は病み上がりで……!」
「「病み上がりの人は白昼堂々、不貞を犯さないのでは?」」
「うっわ……! 息ぴったり……!」
青ざめたイザヤが必死に強がって見せるも──小動物が猛獣二頭を相手に勝てる筈もない。
どんな言い訳も無駄だろうな──そう思いながら音を立てて飲み込んだ唾は、鉛みたいに重かった。
▼
当面、休校となった校舎に人気はほとんど無かった。当たり前といえば、それまでなのだけれど──それだけヴェクターがもたらした被害は大きかった。
事情聴取のため、教職員や政府機関の役人達に囲まれているイザヤとヒイラは傍目にも気の毒で──関わったイスルギ重工の面々は、対話の都度に惜しみ無いフォローを挟んだ。
それは当然すべき事だし、危険を省みず人命を救った彼等は少なくとも──勇気ぐらいは讃えられるべきなんじゃないかと、部外者である彼女達は思っていた。
全ては過ぎてしまった事だ。けれど、それをほじくり返し、自分達に非は無いのだと──イザヤとヒイラを槍玉に挙げるのは腹立だしいものがある。
そもそも、この非常事態に対処すべきだったのは政府であり、それに関する情報だって与えていた。
けれど──確証が無いの一言で知らん顔したくせに、今になって大騒ぎしているのは──どうかと思う。
勿論、全員が全員、そういった人ばかりという訳でもない。イザヤとヒイラの行動を、柔らかに諌めながらも、言葉の端々に称賛の思いを込めている人だっている。
しかし、そういった言葉は、地位を守るのに躍起な人達からすれば──ノイズみたいな扱いでしかなかった。
論争にも発展しかねない問答の着地点は、ドロシーが口にした──『オイガミ・イザヤとアラクヤ・ヒイラがムーンチャイルドとして実行した責任の所在』──というものだった。
U.N.Sにとって、事実として存在する負の遺産という存在の彼等──その追求は、地球政府と対等な政治力を持つU.N.Sの機嫌を確実に損なう。
その上、資金提供をしていたという関係が公に露見してしまうのは──地球政府にとっても物凄く都合が悪かった。
この一言で、嵐の様だった審問は凪みたいに静まり返り、ドロシーは呆れて物も言えないといった態度で場の主導権を握ってしまった。
『この事態に関するムーンチャイルド二名の処遇は、我々イスルギ重工社に一任するのものとし、U.N.Sへの対応もこちらでさせて頂きます。何か異論はございますか?』
毅然と周囲を見回す彼女に、言葉を返す人なんていない。寧ろ、厄介な問題を一手に引き受けてくれる落とし処の台頭に──安堵しているみたいだった。
責任を負わずに安泰した地位に居座る──それが社会構造の上位者にとって、何よりも大事な事なんだろう。
けれど、アンリはそういった態度に納得がいかなかった。守らなければいけない人達のために、下に降りても来ないというのなら──責任という務めは何処にあるというのだろう。
他所に重荷を放る事でしか、自分の役割を社会に果たせないというのなら、そんな人達に誰かを責める権利なんて無い。それも、自分から戦ってくれた人達に対してなら──尚更だった。
「浮かない顔ですね、アンリ」
形式的な場として使っていた体育館を後に、ドロシーが呟いた。今のアンリの内心にそれとなく触れられるのは──ずっと傍で支え続けてくれた、彼女だけだろう。
「だって、みんな酷いよ……。あんな風にイザヤとヒイラ君を言い詰めて……誰よりも傷付いたのはあの二人なんだよ?」
胸中に憤りを秘めていても、その哀しげな視線は、前を歩く二人の勇敢な少年達へと向けられている。アンリの気持ちとしては、諌めるのはともかく、『勝手な行動で被害が広まった可能性』──だなんて理不尽に怒られる謂れは無い筈だ。
「人は地位に固執するものです。それを責めても、残念ながら解決にはなりません。それより……アンリの手前で勝手な発言をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「え!? なんでなんで!? ドロシーはすっごく助けてくれたよ! 何も気兼ねたりなんかしなくて良いのに!」
思いがけず謝罪を口にするドロシーに、アンリは面食らって首を振った。そもそも、非常事態に関する責任を負う覚悟で来たのだから──何も間違ってなんかいない。
それでも謝るという姿勢を見せたのは──ドロシーが会社のヒエラルキーにあっては、アンリよりも下の存在であるという意思の表れに違いなかった。
「……あの二人にも謝らないといけませんね。解決の手段とはいえ、ムーンチャイルドという面を押し出してしまった事……彼等の境遇を逆手にしたのは、まともなやり方とは言えませんから……」
苦々しく呟いたドロシーに、アンリは胸を締め付けられる思いがした。
やっぱり──彼女はとても優しい人だ。やむを得ずで助けた二人に、申し訳ないと思えるだなんて──。
でも──ここで彼女に頭を下げさせてしまったら、やってくれた事を責めてるのと同じだ。ドロシーには胸を張って──自分の正しさを大事にして欲しかった。
「ねぇ、ドロシー。あの二人だからこそ出来たんだって証明すれば……今回の件は、誰にも文句なんか言わせないよね?」
アンリが口にした何らかの思案に、ドロシーは疑問がちにも頷いた。二人が居たからこそという解決策が──今のイスルギ重工にはある。
「そうですね……身柄は我々にあるのですから、U.N.Sに事情説明するのは我々の救出活動が終わってからでも──」
言葉を区切って、ドロシーがパッと顔を上げた──やっぱり、彼女は良き理解者だ。自分の考えに直ぐ気付き、優しく頷いてくれる。
ムーンチャイルドである二人の活躍を正当なものにすれば、ドロシーは悔やんだりしない。U.N.Sだって、当事者を前にすれば惜しみ無い協力をしてくれる筈だ。
──ここからは私の仕事。そして、それぐらいやらなくちゃ──誰かに支えて貰う資格なんて無い。
これが今の私に出来る──精一杯の舵取りなんだから──。
「ヘイヘーイ! そこのお兄ちゃん達!」
ギョっと振り向いたイザヤとヒイラに、怪しさ満点といった笑顔を見せて近付く。
こういった場合は、軽薄なぐらいが丁度良い。深刻さに関して言えば、自分は二人の足下にだって及ばないのだから──。
『えーやだぁ~ナンパですかぁ?』とか言って、気持ち悪く腰をくねらせるイザヤに、ヒイラの肘打ちが繰り出される。『どうしたの?』なんて朗らかなヒイラの口調は、話を聞いてくれる見込みアリだ。
フッフッフッ、と勿体振った笑い声をたっぷり聴かせ──唐突に両手の指を小気味良く鳴らす。二人の視線はピストルの形として向けられた指先に釘付けだ。
それは、さも──『君達二人を狙ってるんだぜ』といった態度を示し、重ねたウィンクには御誘いの愛嬌が込められている──ちょっぴり、オッサンくさかったかもしれないけれど──。
「私達と──月に行かない?」
エイミング・フォーミュラー/ジェネシス・ミッション 御笠泰希 @oldcrown
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