Mission9 青の時代。重なった小さな歯車二つ。回る『運命』
──『こいつも失敗か』
ガラス越しに吐き捨てられた短い言葉。父親達である一人の声。
失望と諦念。自分に向けられる視線や声の冷たさ。
見放されるかもしれないという焦り──それが何よりも怖かった。
次はもっと上手に出来るから──そんな言葉は、実績を作り出せない〝失敗作〟の言い訳でしかない。
父達の期待に応える──それだけが自分にとっての全てだった。
──『……集積した戦闘適正を与えるだけでは、やはり足りんか』
――『しかし、この個体はこれまでに無い閾値を出している……そろそろ次の段階に移る頃合いではないか?』
――『……少々性急ではあるが、管理局の動向を無視する訳にもいかん。計画への介入は阻止せねば……』
理解できない父達の理想。求められている何か。
どうすればそれに応えられるのかなんて、解らない。けれどその何かを出せなければ──自分はゴミと同じだ。
失敗作と呼ばれ、二度と顔を見せなくなった子供達──彼等がどうなったかなんて、考えたくもなかった。
──『では、実戦の投入を? 精神負荷を更新したところで、〝オーバーテイク〟が発現する根拠になるとは思えんがね』
――『長時間にわたって戦闘データを収集可能な手駒が少な過ぎるのだよ……残念だが、現段階における我々の想定は夢想で終わるやもしれん……』
聞き覚えの無い言葉。計らずとも父の一人が提示してくれた目標──オーバーテイク。
それを発現すれば、父達は愛してくれるだろうか? 書類越しに見せてくれた、あの微笑みを──もう一度与えてくれるのだろうか?
解らない。求められているものも、自分にそれだけの価値があるのかも。
産まれた理由そのものですら──。
「いや、実現する。〝オーバーテイカー〟は必ず造り出せる。もしかすれば存外──我々の悲願は、既に目の前にいるのやも知れんぞ?」
はっきりと、その父の言葉だけは聞き取れた。イザヤにとって、最も恐ろしく感じられる父の声を。
まるで、この世界の全てを俯瞰して嘲笑っているような──そんな恐ろしい声だけは。
「我々は子供が持つ可能性を信じ、ひたすらに尽力すれば良い。期待を持って与えられる全てを注ぎ込み、成長を促すのが育成というものだろう。この子はきっと──我々を失望させたりなんかしないさ」
穏やかに押し付けられる期待という名の脅迫。けれど、そんな認識をこの父が持っているのかは疑問だった。
残酷なまでに無意識な強要──柔和に歪ませた眼差しは宇宙よりも暗く、底なんて見えない。
「さぁ、イザヤ。君が持つ可能性を見せてくれ。君ならきっと、我々を真理の世界へと導けるさ。出来るだろう?」
解らない。判らない。分からない──俺にはそんなこと──出来ないよ、父さん。
それでもやらなくちゃいけなかった。求められているものが何なのか理解できないまま、暗闇の中を手探りで進まなくちゃいけなかった。
背中に走る激痛。実験型コネクティブル・ジャケットの起動──脊柱に突き刺さった電極から、送られる信号に呻く。身動き出来ずにもがく度、固定金具が手足に食い込んだ。
フルフェイスの暗闇。何も見えない世界の中で苦しんだ。独りぼっちで、誰も助けてくれないまま。
どうして――自分は産まれたんだろう。一度だって、幸せだと思ったことすらないのに。
それでも死にたくなかった。怖いことばかりでも、死にたくはなかった。産まれたという事、それ自体だけは否定できなかった。自分自身までも見捨ててしまえば、もう何も残らないから――。
棄てられたくない――どんなに冷たく扱われても、どれだけ失望されても、忘れ去られてしまいたくはなかった。
記録としてではなく、オイガミ・イザヤという一人の人間として──誰かに覚えていて欲しかった──。
▼
戦闘。戦闘。戦闘。初めての戦いが何時だったかなんて、もう思い出せない。
ただ、全て終わった時、フルフェイスの中で吐いてしまったのは鮮明に覚えている。グロテスクな怪物の中身を眼にしたというだけじゃなく、それ以上に殺し合いという精神の圧迫が辛かった。
死んでしまった方がずっと楽なのに──あんなに死にたくないと願っていた日々は、すっかりいつ死んでしまうのだろうかという失意に変わっていた。
父達にとって、これも考えの内だったんだろうか。死の間際に追いやる事で、自分達が望んでいる何かを得られると、本当に思っているんだろうか。
叶えられないだろう望みを期待されて──自分は生きている。
生きていたって何も無いのに──どうして、自分はこうまで生きようとするんだろう。
それでも、U.N.Sが一般開放しているA.U.Gの搬入口を見下ろしている時──縋るしかない人型兵器に、何かを期待していた。
これしかない──これだけしかない。自分の全部はこれだけなんだ。
だから、こんな日々を変えてくれる大きな切っ掛けを与えてくれるんじゃないかと――鋼鉄の巨人に望んでいた。明日死ぬんだとしても――。
けれど、もし──大切な何かが出来た時──きっと、今よりも死ぬ瞬間が怖くなるんだろうとも思った。
欲しがっているくせに、今度はそれを失うのが怖くなるだろうなんて──物凄く贅沢な我が儘だ。
自分が嫌になってくる。生きるために──生き延びるには怖がってなんかいられないのに。
大切に思える何かを手にしてしまったら、きっと自分は死んでしまうだろう。死にたくないと思うほど、怖い気持ちが強くなるのを知っているから――。
──何も要らない。何も欲しがったりしちゃいけない。明日も、明後日も生きていたいのなら──。
死んでしまった方がずっと楽だったとしても。明日も明後日も生きていたかった――。
それだけだった。それだけの人生だった。その他には何も無い。
ただ、生き残るためだけに産まれ──そして、いつか死んでいく。積み重ねた明日という虚無の中で──。
ふと――座っているベンチから廊下の角に、見慣れない姿が映った。
自分と変わらない年代の──女の子。十歳と少しぐらいの子供が、何か言いたげに廊下のこちらを覗き込んでいた。
「あ、ねぇねぇ。私のお父さん、見なかった? 大人なのに、迷子になっちゃったみたいなの。まったくもう、世話が焼けるよねー」
跳ねる様に廊下に出てきて早々、その子は可笑しな事を言った。まず、君のお父さんを知ってる筈がないし、そもそも迷子になっているのは君の方だろうに。
でも、何故だかそんな事──言いたくなかった。今日、この日だけしか会わない子なのに──何故だか嫌われたくなかった。
「あ! 私が迷子だと思ってるでしょー! 違いますー! 私は探検してるの! だから迷子じゃありませーん!」
妙に鋭い。指を立てて、言い分を正当化する仕草に──つい笑ってしまった。父達に〝良い結果〟を提供できた時以外、笑った憶えなんてなかったのに。
「A.U.Gの搬入口から出たいなら、この廊下を突き当たって右に──」
指を指して道を教えていると、さっきまでのお喋りはどうしちゃったのか。その子は相槌もなく、とぼけた顔をした。
ちゃんと解っているのかな──不安混じりにそんな事を考えていると、まるで良い事を思い付いたとばかりに少女は突然、手を叩いた。
「よし、決めた! 君を助手に任命しよう! ではでは、案内してくれたまえよ!」
「…………えぇ……?」
何か言う間も無く、『さぁさぁ、立って立って!』と促されて、腰を上げる──当たり前のように手を握られて。
身体が強張った。検査以外で、誰かに触れて貰う事なんて無かった。それも、女の子と手を繋ぐだなんて──尚更、初めてだった。
「よぉーし、行こう! ここから先の危険な道は、隊長である私が前に出ます!」
「先に行くの……? 迷子なんじゃ……?」
「え? なに? なんて?」
「いえ……何でもないです……」
どうしても、この子は探検家気取りでいたいらしい。意地でも迷子だって認めない気だ。早速、『床のガイドラインから外は崖!』だなんて言い始めてるし──。
仕方ないなと思っていながら、何だか楽しくなっている自分がいた。見慣れた筈の廊下が、知らない場所に感じられるなんて――不思議だった。
きっとそれは──この子の明るさと、繋いでくれている手の温かさのおかげだろう。知らない世界を教えてくれるような──そんな気持ちになっていた。
ここではない何処か──自分の知らない世界。そして、知らなくても良い世界。なのに、この子と一緒なら──そこへ行ってみたいと思った。
この無機質な場所から連れ出してくれるんじゃないか──そんな思いが胸の内に満ちていた。
「……あれ? 俺が教えた道、ちゃんと覚えてるね?」
何気なく口にした言葉に、女の子は突然、顔を赤くした。足を止めてしまったのも変だ。急に具合でも悪くなってしまったんだろうか──。
「だって……同年代の子、私の周りにいないんだもん……」
さっきまでの元気な口ぶりからは、信じられないくらい小さな声だった。もじもじと足首を気恥ずかしそうに動かす仕草に、何だかつられて照れてしまう。
「……なんだ、遊び相手が欲しかったなら、そう言ってくれれば良かったのに」
「だって……何だかムズカしそうな事、考えてそうだったから。話し掛けても良いのかなーって……」
難しそうな事──生きている意味。死なない理由。考えても、考えても、解らない難しい事。何時も頭の中で繰り返し囁かれている疑問。
──それを考えたりしていなかった。今、この子と一緒にいる時、一瞬だって考えたりしていなかった。
少女を見て想う。同年代の子達はきっと、皆こうなんだと。本当はこうある筈なんだと──。
生きるとか死ぬとか、そんな事考えている暇なんて無いくらい――毎日がキラキラと輝いている筈なんだ──。
──世界が初めて綺麗に見えた。モノクロじゃない、色のある世界。今日初めて出会った──たった一人の女の子が、輝いている世界へと連れ出してくれていた。
──この胸の内にある、暖かい気持ちの意味にも気付かないまま──。
「……あの……ありがとう……」
「え?」
「話し掛けてくれて……俺、本当は嬉しかったんだ……」
告白にも似た呟きに、気恥ずかしくなった。お互いに握っている手が、妙に熱い。そんな感触を意識してしまうと、何だか顔まで熱くなってくる。
「あ! 助手君、手榴弾! 向こうに敵がいるよ!」
「……どういう世界観なんですか、隊長」
照れ臭さを誤魔化すように笑った。小さな空間で、大きな世界を共有しながら。
お互いに名前すら聴くのを忘れて──ただ、この日が大切な思い出になる事を二人で喜んでいた。
▼
──短い時間だった。それでも、今まで過ごしてきた日々よりも、ずっと記憶に残る時間だった。
「あ、この場所知ってる! はぐれちゃったら、この先で待ってようねって、お父さんと約束したんだ!」
施設のエントランスに出た時、少女がそう言った──別れの時。
仕方ない事なのに、不思議と彼女がもう恋しかった。きっとこれは、二度と会えないだろうという予感のせいだ。
産まれた場所も、住んでいる場所も──自分と彼女では何一つとして重ならない。
「ねぇ、君ってひょっとして……A.U.Gのあれなの? えぇっと……オ、オーグ……?」
こちらを見る目に浮かんだ暗い色と──ちょっぴり不安げな声。
なんとなく思った事が、当たる時だってある。けど──そんな顔を君がする必要ないんだよって、声を弾ませてみた。まるで『ハズレ』だよと、からかうみたいに。
「オーグナイザーの事? あはは、違うよ。少し興味あるだけ。……普通の子供はA.U.Gに乗らないんだ」
小さく呟いた──嘘。君と同じ子供なんだよというふり。
ほんのちょっぴり痛んだ胸。それは初めて出来た〝友達〟に、本当の事を隠した罪悪感の痛み。
ただの友達でいてもらうために──自分が誰なのか偽った。
『ふぅん』と返された声は、それ以上の言葉を紡がなかった。ホッとした気持ちになったのは、きっと自分が後ろめたくて堪らないからだ。
――本当はA.U.Gに乗って戦ってるんだ。そのために俺は産まれてきたんだよ──。
そんな事を言って、この子がどんな顔をして自分を見るのか──考えたくもなかった。
「あ! いたいた! お父さーん!」
少女は大袈裟なくらい手を振って、落ち着きなくオロオロしている父親を呼んだ。どうやら最後の最後まで、自分が迷子だったなんて認めないつもりらしい。〝お父さん〟の方が『いたいた』って言いたいだろうに。
「もー! 勝手に離れちゃダメでしょ! 知らない人に連れて行かれちゃったら大変なんだからね!」
少女は腰に手を当てて、何故だか叱る立場になっていた。なのに、お父さんの方も『まいったなぁ、ハハハ』と何故か申し訳なさそうに笑っている。絶対に──ちょっとは何か言った方が良い。
「あのね、お父さん! この子が──」
そこまで言って、少女はピタリと動きを止めて硬直した。複雑な演算に戸惑う機械だって、こうも見事に固まったりしない。
そして──唇をわななかせて声を放った。まるで自分だけが、衝撃的な事実に気付いたと言わんばかりに。
「名前、訊いてなかった!」
今さら感たっぷりに驚かれて、膝から崩れ落ちそうになった。お父さんの方も、呆れ気味に前のめりになっている。
前向きな子だな、と改めて感じた。けれど──そんな子だからこそ、自分は救われた気持ちになれた。
今という瞬間の中でしか生きられない自分──だから、彼女が眩しいくらいに輝いて見えた。〝未来〟という在り方そのものであるみたいに──。
「私はアンリ! イスルギ・アンリ! 君は?」
アンリ――明日という幸福に微笑む君の名前。それを知れて嬉しく思う。だから、同じように君にも知って欲しかった。君に、〝俺〟という存在を覚えていて欲しくて――。
「……イザヤ。俺は……オイガミ・イザヤだよ」
精一杯の不器用な笑顔で伝えた名前。誰かに伝えたことすらなかった名前。
明日には消え去ってしまっているかもしれない名前がこの時──確かなものとなった気がした。
きっとこの子が──イスルギ・アンリという女の子が、ずっと覚えていてくれるだろうから──。
「イザヤ! ふふっ! よろしくね、イザヤ!」
あどけない笑顔と、もう一度与えてくれた手の温もり。腕が千切れそうなくらい振り回されているのに、それが何だか心地好かった──。
『そろそろ、行こうか』──アンリの父は俺にお礼を口にすると、娘の手を取った。
『うん!』という彼女の快活な返事は、俺の父達とは違う良好な関係を見させてくれた。
きっと、アンリはお父さんの事が大好きなんだろう。それと同じくらい、お母さんの事も。
俺には無い、家族愛という暖かさ。羨ましくて、絶対に届かない幸せな世界──それを見送った。
「ねぇ! イザヤはA.U.Gが好き!?」
振り返ったアンリの無邪気な問い。それは言葉を詰まらせる大きな問い掛け。
考えた事も無かった――乗って、戦って、生き残るためにしがみつく機械の巨人。それを好きかどうかなんて、考えたこと無かった。
「……俺は……」
自分にとっての全て。それしかないという全て。これを否定してしまったら、本当に何も無くなってしまう気がした。
アンリが持っている全てと比べれば、あまりにも、ちっぽけだけれど──それでもそれが、自分のアイデンティティーなんだと頷いてみせる。
「うん……好きかな。きっと俺は……好きなんだと思う……」
存在意義を証明する鋼鉄の分身──どんなに辛くて苦しくても、否定しきれるものじゃない。自分にとって全てだというのなら、受け入れて生きていくしかない――それが自分を愛するということなんだろう。
運命という戦いから逃げ出さないために──俺は、俺をもう否定しない。
「じゃあ、私もA.U.Gを好きになる! たくさん勉強して、イザヤともっとお話しできるように!」
胸の高鳴りに飲んだ息。喜びを言葉に出来ないもどかしさに──ただ微笑む事しか出来なかった。アンリが与えてくれた優しさに──ちゃんとした応え方を今の俺は持っていなかったから。
そう、今だけは――。
「バイバイ、イザヤ! また会おうね!」
遠くなっていくアンリの姿。それを何時までも見送っていた。振ってくれた小さな手が、もっと小さくなってしまうまで。
別れの寂しさなんて無い。自分の胸に、彼女が暖かな気持ちを灯してくれたから。
それを抱いて、歩き出す。アンリが自分の道を進んで行くのと同じ様に、俺にも進むべき道があった。
この先で──きっとまた会える。生きる事を、もう諦めたりなんかしない。
『またね』という約束が、二人の間にあったから──。
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