Mission8 突き進む者。打ち倒す力を持つが故に。その背を支えるは『後衛』

「イザヤ君! イザヤ君!」


《イザヤ! 返事をして!》


 ヒイラとアンリの呼び掛けに、応答する声は無い。


 意識の喪失。気絶というシャットアウト。その負担は防衛を伴っていながら、大きなダメージでもある。


《イナミ! ムツキを引っ張って退がりな! 露払いは任せろ!》


《──お願いします!》


 深紅の機体──サツキのオーグナイザーであるディナ・ゴールドハートが、即応した僚機の道を開くためにライフルを撃ち続ける。


 その下で、宙を飛び交うヴェクターの残骸に怯まず進むA.U.G──ヤヨイは、鎧武者然としたデザインに見合う猛々しさで、ムツキの回収へと走った。


 空中戦に特化したサツキに対して、地上戦を得意とするヤヨイは、マッシヴな体型に適う見合った力強い運動性能を有している。


 クロッシング・ファイバーを大量に用いられた機体は、イナミの筋運動による電気信号をパワフルに出力して、荒武者さながらの猛進っぷりを発揮していた。


 施設内での接近戦をコンセプトとした機体──けれど、その力強さに満ちたスペックは、あらゆる場所での障害を問わず踏破する。


 巨大な合金の盾と、たっぷりの弾丸を装填した軽機関銃をショルダーハンガーに収めていても、その推進力はまったく衰えない──ヤヨイという機体が備える凄まじいタフネス積載能力


 その行く手を阻む形で、死に損なったヴェクターの触手が振るわれる──悪足掻きであっても、一撃の威力は決して侮れない。


 ヤヨイはそれを──軽々と飛び越えた。太く絡み合った無機質な筋肉をバネとして。


 八メートルもの巨大な陰りが、半死半生のヴェクターを覆って盛大に踏み潰す。ゼリーが入った容器を叩き付けたみたいに、ヴェクターから内蔵機器が噴き出して飛び散った。


 A.U.Gは仕様上、搭乗者の神経伝達が反映されるクロッシング・ファイバーの量が多いほど正確な動作を実行する。


 その性質が天才と呼ばれるイナミの身体操作能力によって引き出され、ヤヨイは機械の構築物でありながら、アスリート並みの運動機能を発揮していた。


 けれど、設計としてクロッシング・ファイバーが多ければ良いという訳でもない。機敏な反応を示す機体は、時としてオーグナイザー自身を振り回す。一般人がアスリートの運動能力を身に付けたとしても、それを制御する術を知らなければ意味が無いみたいに──。


 A.U.Gを身体の延長さながらに扱える天才だからこそ、ヴェクターという異物を踏み潰した後の反応も速い。着時事のフィードバックから、体勢をコントロールするための瞬間的な硬直すら無かった。


 イスルギ重工が製造したA.U.G──ヤヨイは、イナミの才覚を最大限に出力する最適なスペックを持っていた。それでも、標準機よりずっと性能を向上させた改造チューンアップが施されているのだけれど。


 そんな剛健極まりない機体が、イザヤを救出する──ヴェクターの自壊による分解状態から力強く引き剥がして。


《ムツキを回収! 下がります!》


 半壊状態の上、ヴェクターの体液に塗れているムツキはあまりにも凄惨だった──クロッシング・ファイバーは千切れ、それを保護するためのアーマースキンすら機体そのものにめり込んでいる。


 たった一度──それでも激戦の一度を切り抜けた機体と少年に──この場にいる誰もが驚嘆の想いを寄せた。特に、幼馴染みであるアンリは息を飲んで、イザヤを気にしている。


《──ムツキのバックアップをされていた方……アラクヤ・ヒイラ君でしたね》


 ヒイラへの静かなコール呼び掛け──グチャグチャの姿に成り果てているムツキに、ショックを受けていたヒイラがハッと意識を戻す──そうだ、まだ終わってなんかいない──。


《すぐに搭乗者の生体反応バイタルに関するデータを送って下さい。当社グループの医療スタッフに診断して貰います》


 どんな出来事にも物怖じしそうにない、ハッキリとした声。強い意思と決定力を持ったの指示が、今のヒイラには有り難かった。


 ──集積したデータをリアルタイム含めて送信──ヒイラに次の行動を指示した彼女こそ、彼と最初に通信したドロシー・マイヤーズというアンリの秘書だった。


《……一時的な自律神経障害による気絶との事です。ヘッドカムとジャケットを通した精査から見ても、命に別状は無いでしょう。脈の不整もインジェクションで対処可能です。アラクヤ君、コックピット・ブロックを展開して下さい。02、処置を》


 淡々とした指示に従って、ヒイラが遠隔操作でコックピット・ブロックを開く──既に前線から離脱し、合金の盾をカバーポジションにしているヤヨイから、イナミが姿を現していた。


 モニターに写し出されるイザヤの姿──外見には何の異常も見られないけれど、その内側はボロボロに擦りきれている。


 常に死が隣接する戦い──それは、生き延びた人間を、何時かは壊してしまう猛毒だ。


 だから、オーグナイザーはインジェクションに頼る。精神的な支柱──或いは折れかけた心に再起を促すために。


 コックピット・ブロックに飛び移ったイナミが、インジェクションのカートリッジを装填しても、イザヤは微動だにしなかった。


 気絶という意識の消失──程度はあっても、処置をしないという選択は無い。放っておけば障害を招く恐れだってある。


《インジェクションの注入量はこちらで設定済みです。アラクヤ君、起動を》


 ドロシーから送られたインジェクションの設定に従い、遠隔でジャケットを操作する。イナミのヘッドカムと視界共有ビジュアル・リンクしたモニターでは、イザヤのジャケット・カラーが医療パッチを正確に打ち込んでいた。


 生体反応を緻密に読み取るジャケットのデータを参照にした、最適な投薬処置──モニタリングされていた脈拍と呼吸が安定──規則正しいリズムを刻む。


 イザヤの容態は眠っていると言って良い状態にまで回復した──彼は助かった。その事実に、ヒイラは目が潤む程の安堵を感じずにはいられない。


「皆さん……本当にありがとうございます。これで、彼は……」


《安心するのは未だです。我々はヴェクターを殲滅していません》


 そう──敵はまだ居る。戦いは続いている。脅威を完全に排除するまで、闘争の心を鎮めてはいけない。


 涙を浮かべていたヒイラの眼差しが、強く、鋭い光を放つ──イザヤに代わり、今は自分が出来る事をするべきだ。


 彼が目覚めるまでに──状況を終了させる──させてみせる。情報系担当であったムーンチャイルドとしての経験が、脳裏でシステムと成って立ち上がっていた。


 全部、終わらせる──戦い抜いたイザヤをゆっくりと眠らせてあげるために。彼が守り通したものを、今は自分が引き継がなくちゃいけなかった──。


危機的状況コンディション・レッドは変わらず。これの打破のため、貴方に協力を要請します。バックアップをお願いできますか? アラクヤ君》


 掌を差し出す様な、ドロシーの誘い──それを断る理由なんて無い。彼女は子供だからといって、状況から閉め出すなんて事はしなかった。


 当事者なら──最後まで尽力したいという意思。それを汲んで、協力関係を持ち出してくれた。大人として保護下に置きつつ、致命的な危害とはならないギリギリの地点まで──ヒイラの協力を求めてくれた。


「勿論──勿論です! やらせて下さい!」


 コンソールを前に姿勢を正す。情報の収集と、その処理というヒイラの戦場──そこから逃げ出す訳にはいかない。絶対に役に立ってみせる──おちょくられたメイド服のまんまでも──友達として格好つけてみせる。


《感謝します。アンリ──許可を》


《フフッ! オッケー! 責任者としてシステムの共有を承認します! 皆──ヴェクターをやっつけよう!》


 アンリの明るい掛け声──それと同時に、ヒイラが籠るコントロールルームは夥しい情報郡に溢れた。


 連なった全面モニターが、ヤヨイとサツキの現ステータス──並びに収集する情報全てを表示する。


 武装・弾数・ブースト状態・エネルギーの生産・消費・余剰──etc。


 ヒイラが着けているスマートグラスのAR上では、彼自身を囲い込む形でオーグナイザーの入力パラメーターが映し出されている。


 それは──常時変動するA.U.Gとオーグナイザーの接続状態コネクション・ステータスを表すものであり、リアルタイムで機体動作に関する入出力調整を行うシステムセットだった。


 機体運動によって生じる熱量とその冷却指示──ジェネレーターが生産するエネルギー総量の把握──細やかな運動補正と火器管制の調整──例として挙げればキリのない後方支援としての仕事が、ヒイラの目の前に広がっていた。


 イザヤにはしてあげられなかったサポート──学校の資産である以上、踏み込めなかったシステムの根幹。これに触れる事を許可された信頼に、身震いしてしまう。


 視線入力だけではとても捌ききれない仕事量──だから、ヒイラはAR上でのタッチパネルを片手に一つずつ用意して、


 現実の情報と仮想空間での情報──重なり合ったそれらは、常に変動してオペレーターによる最適化を期待している。


 ドロシーはたった今まで、一人でこれをこなしていた。溜め息が出る程の優秀な情報処理能力──並みのオペレーターじゃ、これだけの情報量を目にした途端、をしてしまうだろう。


 その点を裏返せば──ヒイラはそれだけ期待されている。あくまでも可能な範囲に限った要請として 。


 無理強いも強要もない共同作業──得意な分野を任せてくれる快適さ。いっそドロシーのフォローに回るという安心するやり方だって正解だと、情報郡の介入可能な処理状態から提示してくれていた。


 ──好きにやって良いんだ。デジタル情報から読み取った、言葉以上の理解。現行一級品のシステムに触らせて貰える興奮──高度な情報処理能力を有する子供にとって、つい熱っぽい溜め息が溢れてしまう程の環境が、目の前に広がっていた。


 ──絶対に応えてみせる。ムーンチャイルドとしての経験が疼く。イザヤがそうであった様に、今度は自分が──彼女達の助けとなってみせる──。


「皆さん──よろしくお願いします!」


 姿勢を正して放った快活な言葉と共に、システムに介入──A.U.GのAIが独自に組み立てるスレッドを


 オーグナイザーが入力する優先動作に平行して動く、多くのプログラム──けれどそれ等は、場合によっては余計な負荷でしかない。


 オーグナイザーの入力に対して、人工知能の思考は、あくまでも最適化という優等生的なものだ。それは次第に齟齬となって、ごく僅かなラグを発生させてしまう。


 その積み重ねが反応遅延の原因となって、A.U.Gの動きを鈍らせる。オーグナイザーが受ける疲労の多くは、動かしづらいというストレスだ。重装備の歩兵にも通じた負担を、搭乗者は常に受けている。


 だからこそ、オペレーターはバックアップとして状況の俯瞰を他に、システムのコントロールも行わなくてはいけない。


 そしてそれを、同時に可能とするのは──突出した技量を持った一部の者だけだ。AIの処理能力に追い付けるだけの、機械的な脳を持った人材でなければ出来ない。


 ヒイラは皮肉にも、そんな少数の人材──ムーンチャイルドとして、AIの情報処理に劣らない脳を想定して造られていた。


 月という故郷の地から墜ちた場所で──その本領が発揮される。


 A.U.Gの動作によって生じたパルス──それはディナとイナミが入力する異なった筋反応の信号だ。ヒイラはそれを、ほとんど同時に安定化した。A.U.Gの複雑なシステムを運用する上で、担当するオペレーターは一機につき、二人以上が適任とされた常識があるというのに。


 一人で二機分の制御をしてみせるという神業──ドロシーが諸々の処理を担ってくれていたとはいえ、とても並みのオペレーターに出来るものじゃない。適正を持って造られた──特殊な産まれだからこそ可能とする、超人的な能力だった。


《お、良いねぇ──軽くなったよ!》


 感心の笑みを含めた反応──前線でヴェクターを蹴散らすディナの陽気な声。機関銃の反動制御が容易になったイナミも、相槌の言葉を口にしている。


 それを聴いて、ヒイラは僅かにでも彼女達の負担を減らせたんだと喜んだ。安定化し続けなければいけないという、ストレスを受けても──。


 突出した処理能力──けれど、彼は秀でた人間でしかない。機械との決定的な差違として、精神の有無がある。


 視線と手動を交えて続ける忙しない入力。伝う一滴の汗すら煩わしく感じてしまう強いストレス反応──ヒイラの顔は徐々に疲労の色を滲ませていった。


 ドロシーは何も言わない。ヒイラの作業を見て、どれだけの負荷を受けているのか解っていても。だからこそ──それが有り難かった。たった一言でも掛けられれば、きっと今の集中力は瓦解してしまうだろうから――。


《02! バックアップが利いているうちに、本丸を叩く! 半殺しの奴は任せた!》


《了解しました、01!》


 ヒイラが行った──それを、時限的なものとした熟練の判断。積み上げた経験による即決が、短時間での決着を選ぶ。


 サツキが絨毯爆撃さながらにヴェクターを攻撃しつつ、アンテナへ接近──半死半生となって転がる大量のヴェクターは、ヤヨイによって悉く撃破されていく。


 空から一方的な攻撃を繰り広げる悪魔と、地上で不動を貫く鎧武者──そんな二機をヴェクターが破壊するなんて、ヒイラには不可能に思えた。


 状況を全て預けてしまいたくなる安心感──けれど、弾丸は有限で、敵対する脅威に際限は無い。どんなに小さな協力であっても、惜しむつもりなんて無かった。


 サツキが殆どのヴェクターを蹴散らしても、アンテナのプラズマは再び活性化を始めている。それが意味するのは──ヴェクターの更なる増援だ。


 それを見越した速攻──サツキがライフルをアンテナに撃ち込む。硝子片の様に剥がれ落ちる表皮──けれど、プラズマは消失しない。


 A.U.Gのセンサー系統が拾う情報の精査──それによって検知されたディメンション・シールドの存在。


 微量な損壊しか与えられない理由──250mmの弾丸ですら、確実なダメージとならない。ターゲットの愕然とする巨大さが、そのままシールドの強度として繋がっていた。


《堅ェ! これでも火力不足か!》


 ディナの唸り。それを嘲笑うかの様にプラズマは強まっていく。


 β型を薙ぎ倒せる威力すら通らない異質な〝オブジェクト〟。これまでの交戦記録には無い、新たな障害──。


《01、残弾四十パーセントです。撃ちきっても破壊は不可能だと判断します》


《ああ! 倒せないってんなら、やるまでだ! オプションを使うぞ、ドロシー!》


《……了解、こちらでも補正します》


 オプション──それの使用を躊躇った一瞬の間。了承を得たサツキはアンテナに沿って高々と飛翔し、目標を見下ろせるポジションへと到達する。


 ヒイラは動作補正の合間、サツキのステータスに載っている装備表記を横目にした。そしてそれが──250mmのライフル弾すら常識的な物とする〝超兵器〟だとしてしまった。


 サツキが背面腰部に手を掛ける。A.U.Gの腕力で引き抜かれた巨大な物体は、淀みの無い動作で自律展開していった。


 A.U.Gの全長に近い砲身──武器自体が排熱のシークエンスを必要として、機構を広げる。それは、機体の半身を覆う程の規模でもって、ようやく実現する大口径兵器──グラビティ・キャノン超重力砲だった。


 ヒイラは唖然とした想いを押し潰しながら、自分の役割に集中する。ドロシーがグラビティ・キャノンのFCS調整を始めたけれど、それの補助をする余裕なんて無かった。


 サツキとヤヨイの動作補正だけで精一杯の自分──未熟さを痛感しても、今は出来る事をやるしかない。


《──あ!? 野郎ォ……マジかよ!》


 ディナの吐き捨てる様な悪態。グラビティ・キャノン自体の動作は滞りなく行われている。


 口にした問題は――サイトのロックがターゲットを捕えていない事だった。


《コイツ──! AIの補正が利かねぇ!》


 電子的な介入──ディメンション・シールドの波整をすり抜けたシグナルの発信。ターゲットは驚くべき事に、A.U.Gの基本システムとして共通するシグナル機能を放っていた。


《マニュアルでやる! 狙いは保持するから、補正を任せた!》


 ディナの提案。同時に切断されるAIのシステムリンク。整えていた動作補正が激しく波打って乱れ、サツキのバランスが大きく変動した。


 ヒイラの動揺──隠しようもない焦り。AIが構築した機体動作のベースを使用できず、それ自体の構築を始めなくちゃいけなくなった。


 AIに代わって、A.U.Gのバランスをリアルタイムで調整する──それは、これまでに行われたディナの入力を基にしたプログラムの再構築だった。ドロシーは既にレコーダーの情報を開示して、構築作業を始めている。


 AIが使えないという異常事態──なのに、ドロシーは全く怯んでなんかいなかった。


 オペレーターとしての圧倒的な経験の差──それでも、ヒイラは必死に追う。自分が出来ることを果たすと決めていたから──。


 AIによるバランス補正が利かなくなった機体を、卓越したテクニックでコントロールするディナ。それに集中して貰うために、防衛線を上げて敵を引き付けるイナミ──。


 誰も状況を悲観なんかしていない。押し返されそうな状況に怯まず、戦う意志を萎えさせたりなんかしない──彼女達は絶対に諦めない。


 そこに立っている未熟な自分──いくら足掻いたって補えない、経験の不足。


 何が出来るのかという自問。ヒイラは自身のキャパシティに見合った、取捨選択をしなくちゃいけなかった――。


「ヒサキリさん……ごめんなさい。僕の……力不足です。僕にはこの状況コンディションで、貴女をサポートできる余力が……ありません……」


 優先すべき問題に取り掛かるため、イナミへの補助を切るという選択。A.U.Gの操作に高度なセンスを持つ彼女なら、助力を必要としないと判断して──。


《任せて下さい! 私もサポートのおかげで、だいぶきましたから!》


 イナミの快い承諾──フィードバックの馴染みを独特に表現するのが、反って頼もしい。力不足の申し訳なさを、彼女は〝任された〟と受け止めてくれていた。


 子供だからと状況から突き放さず、後ろに下げてくれる大人達──月での暗い記憶には存在しない、涙ぐみそうになる優しさがあった。


《ベストな判断です、アラクヤ君。もう少しだけ、私達に付き合って下さい》


 ドロシーの言葉に引っ張られて、ヒイラも補正作業に入った。泣いてる場合じゃない。最適な場を与えてくれた彼女のから、学ばなくちゃいけない。


 今想えば、ドロシーが用意してくれた環境は全部、やり易さに満ちていた。実作業に肝要なのは下準備というベースの構築だと解っていて、彼女はそれを投げてくれた。


 自らの労力を相手に委ね、育てるという精神──優れた人材というだけじゃない、洗練された心をドロシーは持っている。


 言葉にならない感謝を今は留めて、ヒイラはプログラムの構築に専念した。今度こそ、絶対に上手くやってみせる──彼女達の期待に応えたいという想いが、ヒイラを衝き動かしていた。


 ──スラスター・オールスタビリティ。


 ──アティチュード・コントロール・アクティブ。 


 ──FCS・ノーマライズド。


 ──シールド・レンジ・エクスパンディッド。


 ──ウェポンサーキット・クローズ。


 ──ゲットレディ射撃可能体勢


《──01、ファイア》


 瞬く閃光──そして、轟音。


 ドロシーの指示と同時に発射された超兵器の弾丸──その衝撃は集音装置の機能を落とし、射撃許可を出したドロシーの声をノイズで塗り潰した。


 A.U.Gのエネルギーや推進材として使われるエーテル・パーティクルを高密度に圧縮し、500mmの弾体を超加速させて撃ち出すという大規模な質量兵器──超重力によって発生するマイクロ・ブラックホールは、重力ポテンシャルによって物質を内部に引き込んで崩壊させる。


 その威力は、ビクともしなかったオブジェクトをガラス細工みたいに容易く砕いてしまった。


 世界中の鏡が割れて、空から降り注いだら──こんな光景になるんだろうか。そんな荘厳なまでの破壊美を、深紅の機体は静かに見下ろしている。


 火の粉を纏う悪魔──ヒイラはそう錯覚してしまった。凶悪ともいえる機体デザインのせいだけじゃない。ディメンション・シールドに沿った形で、重力赤方偏移したエネルギー粒子を纏っているからだ。


 放出されたエネルギー粒子の波動が、重力場によって引き延ばされた現象──それが赤い可視光となって破壊的な火の粉を演出していた。


 純白の天使さながらの怪物を呼ぶ、神秘のオブジェクト──そんな神々しいまでの脅威を打ち砕いたのは、人の手によって造り出された傑作品という悪魔だった。


《目標が形成していた力場の消失を確認。ヴェクターの大多数が、崩落に巻き込まれて消滅しました。残存も間も無く自壊を始めて──》


《よっしゃあ! 想定通りの威力や! な! なっ!? やっぱ、ウチって天才やろ!? なはははっ!》


 ドロシーの通信に割り込んだな口調──今となっては珍しい、方言というものをヒイラは初めて聴いて、ちょっぴり面食らった。


 そのうえ、そんな愉快な口振りをした彼女こそが超兵器を設計した技術者なんだと知って、ますます驚いた。どうやらイスルギ重工のスタッフは、上も下もらしい。


《そうですね。天才ですね。流石ですね。キサラヅ主任》


《うーわっ、なにそれぇ!? めっちゃ淡白やん! ドロシーは豆腐屋の娘さんなん!?》


《そうですね》


《えっ!? ドロシーの実家って、そうだったっけ!?》


《違いますよ、アンリ》


《豆腐……冷奴……いえ、暑い日だからこそ、むしろ麻婆豆腐が……》


《これスゲーっ! なぁなぁ、もう一発くらい撃てたりしない!?》


《すいません。収拾がつかなくなるので、少しだけ静かにして頂けますか?》


 オープン回線で全員が好き勝手に言うのを、ドロシーが抑える。ブレーキ役の人がいないと、エネルギッシュ過ぎて何処までも突っ走ってしまいそうな人ばかりだ。ゴテゴテに武装した装甲列車にだって、きっと負けてない。


《お疲れ様でした、ヒイラ君。全ての事情説明は我々に任せ、休んで下さい。ご協力、有り難う御座いました》


「あ……! は、はい!」


 ドロシーの労いに、ヒイラは浮ついた返事しか出来なかった。緊張からの解放と達成感で、すっかり気抜けしてしまっている。床に座り込んで漏れ出た吐息なんかは、とても長い。


《ありがとう、ヒイラ君! 凄い活躍だったね! 君とイザヤが、みんなの事を助けたんだよ! これって本当に──二人とも凄いよ!》


 興奮と感謝の想いが混ざりあったアンリの言葉に、ヒイラは照れ笑いした。かつての月面基地で、イザヤと仲良くしていた女の子に褒められるなんて不思議な感じだった。


 けど──嫌な気分じゃない。仲良しの二人を遠巻きに見ていたあの頃は、もうずっと昔の事だ。友達が知らない誰かと親しくしているのを、もう苦くは思わない。


 そして──その内に入れたらと今は思う。月から離れたこの地球で、新しい繋がりを紡げたら、と。


《君は……ムーンチャイルドなんだってね。イザヤと同じ……。二人がどれだけ苦しい想いをしてきたのか、私には想像もつかない。話に聴いたって、私は解ったつもりにしかなれないもの……。だけど……君達は絶対に負の遺産なんかじゃないよ。辛かった経験が、こうして誰かの助けになったんだから……。ヒイラ君、本当にありがとう……!》


 アンリの抑えた声──心地の良いトーン。それはヒイラだけに向けられたプライベート・チャンネル。感謝の音色に、過去が報われた気がした。


 滲む涙は心地好くて、こんな風に泣けたのは初めてだった。


 オペレーターとして聴いていた悲鳴──恐怖でしかなかった日々が、ずっと遠くに行ってくれた気がする。イザヤまで死んでしまうんじゃないかという気持ちは、跡形もなく消えていた。


「ありがとう……アンリちゃん……」


《えっ!? いやいや、そんなぁ! こちらこそだよ!》


 照れ隠しに笑うアンリに連れて、ヒイラも嗚咽を隠しながら笑い返した。彼女が言ってくれた言葉は、負ってきた過去をどれだけ救ってくれただろう。


 閉じたチャンネルを前にして、ようやくヒイラは泣き声を上げられた。誰も死なず、殺されなかった安堵に、緊張の糸が切れてしまった。


 戦えないからこそ、誰かに戦って貰わないといけない自分。そして、そんな勇敢な子供達を死なせてしまった過去。月から落ちて、イザヤの支えであることを理由に、のうのうと生きていた日々を許された気がした。


 ヒイラもまた、ムーンチャイルドとして──決して忘れられない運命を負っていたから。

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