Mission7 繋がれた手。声に触れて。想い重なる『旧知』


 全高八メートルの巨人が、揺らぐ熱気を切り裂きながら歩き出す。その振動と衝撃は、A.U.Gの無機質な筋肉がショックアブソーバーとなってイザヤを守った。


 左手で高所作業用のキャットウォークを引き千切り、長大な鉄棒として握り締める。右手には、機材の積み降ろし作業で使われる太いチェーンを巻き付けて武器代わりとした。


 とても武装とは言えないけれど、機械の巨人が振り回せば、それだけでその破壊力は充分に凄まじい。全てのヴェクターを撃滅するには、あらゆる手段を用いらなくちゃいけなかった。


 大挙するヴェクターの群れは、重なり合う様に破れたシャッターの隙間へ自身を捩じ込んでいる。


 人を殺すという行動原理のみに動く怪物達。だから、人が乗り込むA.U.Gを破壊しようとするのは、至極当然な反応だと言えた。


 あらゆる対話を受け付けない、決して相容れない存在──イザヤは際限なく突き刺してくる殺意を前に、改めてそう思った。


 その悪意に応えるための一撃を──躊躇なく凶悪な速度で振り落とす。天窓が砕け、梁という梁をへし折りながら、シャッターもろともキャットウォークだった鉄塊がヴェクターの群れに食い込んだ。


 純白の装甲片が飛び散り、黒銀の体液が夥しく広がる。ムツキはヴェクターの死骸ごと踏み砕いて、引き裂かれたシャッターから屋外へと歩み出た。群体と成って迫るヴェクター全てを撃破するために。


 ──日差しが近い。八メートルの巨体になった感覚に、強烈な熱気が伝わってきた。


 この熱量は、本当に季節のものだけなんだろうか。自分の内から込み上げてくる闘争心を意識せずにはいられない。


 掠れた記憶の中に刷り込まれた、ムーンチャイルドとしての日々──そのフラッシュ。


 俺がやらなくちゃいけない。俺にしか出来ない──その言葉全部が、都合の良い理屈だったんじゃないかと疑い始める。


 ──戦いたかったんじゃないか? この巨人の力で──。


 ゾッと怖気が走った。戦いの中に、存在理由を見出だそうとしていた過去が甦る。戦闘の適正を見出だされた少年としての軌跡が、閃光の様に脳裏で瞬いた。


 心の何処かでは敵を求めて、叩き潰したかったのかもしれない。自分の産まれた意味を証明するには、それしかなかったから──。


 不確かな記憶のフラッシュ。A.U.Gを動かす度に触れる過去の感情は、現在の自分とはかけ離れていて噛み合わない。まるで他人の記憶を覗き込んでいるような気分だった。


 ──何かがおかしい。何かが自分の中で歪んでいる。砕けた記憶の破片が、知らない誰かを映している様だった。姿


 頭を振るい、深く息づく。今はそんな事、考えなくていい。


 集中しろ──自分が迷えば誰かが死ぬ。自分が死ねば、誰かが必ず死ぬんだ。


 闘争心だけを研ぎ澄ました眼差しが、走り寄ってきたヴェクターを定める。凄まじい速度で多脚を打ち付け、触手を広げながら叫ぶその姿を──。


 マニピュレーター・グリップを力強く引き込む。フルフェイス・ヘッドカムが脳波を読み取り、行動パターンをAIが予測して精査。僅かな筋反応をコネクティブル・ジャケットが伝達情報として機体に送信し、増幅された電気信号が、A.U.Gの半有機結合筋肉バイオニック・メタマテリアルを動かす。


 全てのシステムが一連の動作を正確に読み取り、実行。右手のチェーンが火花を上げながら繊維補強コンクリートの上を走り、ヴェクターを下部からかち上げる。機械の巨人は空気を両断する程の暴風を作り出し、ヴェクターの外殻を容易に粉砕した。


 内蔵機器を完全に破壊され、漏れ出した集積回路の体液が、ヴェクターのエラーそのものである様に噴き出す。死にかけの昆虫みたいに四肢を痙攣させて蠢いたけれど、それもすぐに停止して自壊が始まった。


 質量の塊を叩きつけ、ディメンション・シールドを破るという単純な攻撃──だけど、それはどんなタイプのヴェクターにだって通用する。


 そして、同じく──ディメンション・シールドを持つA.U.Gにも。


 異層に物質の構成を崩して送るというシールドの性質から、イザヤはA.U.G周囲の被害を抑えるために、展開出来なかった。


 αタイプの打撃程度なら、A.U.Gは致命的なダメージを負ったりしないだろう。それでも、数に押されて補食行動までされれば、耐えるのは難しい。


 だからヴェクターとの戦闘は、どんな装備であっても囲まれないように距離を保つのがセオリーだった。そのためにA.U.Gは尋常じゃない火力のライフルを使って、一方的な攻撃を叩き込む。


 けれど、今はそんなご機嫌な物はないのだから、相打ちにならないギリギリの距離で戦わなくちゃいけない。ブランクはあっても、有難いことに染み着いた操作技術は錆び付いちゃいなかった。


 あるいは──忘れられないのかもしれない。小波のように押し寄せて来る確信を胸に、黒々と濡れたチェーンを引き戻す。


 闘い方を知っている、覚えているという経験の頼もしさ。実戦に触れながら、研ぎ澄まされていく感覚に酔いそうだった。何をすれば良いのかは身体が教えてくれる。


 ──だからこそ、イザヤは恐ろしかった。


 ムーンチャイルドとしての過去。能力は、決して身体から引き剥がせない。


 巡る血の様に、脳の電気信号の様に、意識しなくても動き続ける身体の一部としてA.U.Gでの戦いが馴染んでいた。


 優越感が脊髄から全身に駆け抜ける──敵を叩き潰してやれと、巨人の依り代が暴力的な衝動を誘発していた。


 ──落ち着け。これは一時的なコンバット・ハイだ。戦闘という危機感に精神が昂っているだけだ。


 インジェクションが恋しかった。冷静さを欠けば危険なのは経験則で知っている。限界点まで突っ走ってしまいそうな熱量を下げるために、鎮静剤が必要と感じるのは感情の制御が鈍っているからだ。ブランクはすぐにでも埋めなくちゃいけない。


 ただ、旧式とはいえ、A.U.Gに乗っているという有利だけは揺るがない。幸いにも敵はα型だけだ。巨人と成った身体を慣らすには、丁度良い。重量物だけを武器にしなくちゃいけない状況は、却って動作を慣らすのに好都合だと思った。


 長大な鉄棒と化したキャットウォークを振るう度に、強烈な打撃のフィードバックを感じる。数体のヴェクターが薙ぎ倒されては砕け散り、日差しに体液が煌めいた。こいつらの体液で虹がかかっても気分悪いな──とイザヤは呑気に頬を緩める。


 幾度かキャットウォークを振り回した瞬間、強度限界を超えた悲鳴が集音器から響いた。ものの見事にキャットウォークが〝くの字〟に折れ曲がり、『あ』と間抜けな声が出る。


 それをチャンスだとばかりに、ヴェクターが飛び掛かる──けれど、A.U.Gの機動力からすれば、大袈裟な挙動ほどノロいものはない。サイドステップだけで攻撃の線から回避すると、目標を見失ったヴェクターは中空で激突し、一塊になって転がりながら集団に突っ込んで吹っ飛んでいった。


 一見コミカルな様子ですらあるけど、それだけコイツ等は、がむしゃらにムツキを破壊しようとしている。


 粗雑なまでの暴力性──油断すれば一気に攻め込まれる。使えなくなったキャットウォークを集団に投擲して蹴散らしながら、イザヤは校舎へと向かった。もしかしたら今頃、既に取り付かれてしまっているかもしれない。


 そうだ、ヒイラ。ヒイラに校舎の状況を伝えてもらおう。回線チャンネルの表記に視線を向けると──《CALL》の文字が訴えかけるように点灯していて、イザヤは恐る恐るそれを開いた。


《やっと繋がった! 開くの遅いよ、もう!》


 少女じみた怒鳴り声に、耳がつんざいて頭が傾く。お怒りはごもっともだ。管制室との通信を閉じたまま、暴れているA.U.Gをモニターで見れば気が気じゃなかっただろう。


「ゴメン! それどころじゃなかったから勘弁して!」


《……まぁ、無事なら良いけどさ。校舎には来られそう?》


 流石、ヒイラ。こっちの考えを見透してる。管制室からの回線を開いた事で、A.U.GのパラメーターがヒイラのARとリンクされる。これでヒイラは、A.U.Gとコネクティブル・ジャケットを通じてイザヤの状態をモニター出来るようになった。オペレーターとしての本領はこれからだ。


「ああ! ヴェクターは!?」


《もう取り付いてる! かなり多いよ!》


 危惧が現実になった。チェーンを振り回している合間に、校舎へ向けてアイカメラのズームを寄せる──大して倍率をかける必要もなく、ヴェクターの群れがはっきりと校舎にしがみついてるが見えた。


「クソッ! やっぱり、もう!」


 イザヤが嫌悪も露に唸る。純白の虫に似た怪物が、校舎を斑に覆って──溶かすみたいに──食べていた。


 ディメンション・シールドの影響下にあるせいで、外壁が粒子状に、それがヴェクターの補食速度をあげている。固形物を水で解して、食べ易くするのと同じだ。


 有機物だろうと無機物だろうと、何でも構わずに取り込んでしまうヴェクターの性質。その貪欲な補食本能が、校舎という思い入れ深い建築物に向けられていた。


「まったく、とんでもないゲテモノ食いだな! そんなに旨いモンでもないだろ!」


《君がそれ言う!? ていうか建物を美味しそう、不味そうって考える君は何なの!?》


 ヒイラにヴェクターと並ぶ化け物みたいに扱われて、ちょっぴり悲しくなった。イザヤとしては日頃、食べられない物を食べてた覚えはないのだけれど、他の人からすれば、それはとても食べられた物ではないらしい。


 だとしたら、周りの人はコンクリートを齧るヴェクターでも眺めている気分だったんだろうか……。


 ヒイラが放った言葉のボディブローが、じわじわと効いてくるのを感じつつ、チェーンをヴェクターに叩き付けながら校舎へと走る。ちょっと八つ当たり気味だけれど、数を一体でも減らせるなら、それでも良いだろう。


 ──ふいに、チェーンが引き戻せなくなった。先端を見ると、ヴェクターの自壊機能に巻き込まれ、路面と融着していた。


 A.U.Gの腕力なら無理やりにでも引き剥がす事は出来るけれど、その隙をヴェクターが待ってくれる筈もない。咄嗟にチェーンを放り出してバックステップした瞬間──案の定、飛び掛かった数体のヴェクターが中空で衝突した。


 一瞬の判断ミスが、A.U.Gに重いダメージを負わせてしまう。有効な武器が無ければその可能性は高まる一方だ。このままだと、校舎を守るどころか、自機すら危うい。


 せめてもの抵抗としてフィストガードを滑り出す。集団戦には適応しない武装──多勢相手ではあまりにも頼りない。


 武器が必要だった。武器となる物が、要る──。


 囲い込もうとするヴェクター達から、バックステップで離れながら考えを巡らせる。遠ざかっていく校舎に、焦りを感じずにはいられない。


 このままじゃ、ヴェクターの進行は勢いを増していくばかりだ。武器がなければ食い止められない。


 何でも良い。何か──何か武器になる物は──。


《──資材倉庫に行って!》


 ヒイラのバックアップ──その声に押されて、瞬発的に駆け出した。人間の足なんかとは比べ物にならない走破力で、広大な滑走路を高速で横切る。


 追い縋るヴェクターを尻目に、イザヤは既に開け放たれた資材倉庫に飛び込んで、鉄骨を掴み取った。


 一昔前なら、航空機の部品が納められていた倉庫も、今となっては建築業者の資材置場として利用されている状態だ。A.U.Gの武器とするなら、十分に馬鹿でかい物体が所狭しと並んでいる。


 振り返り様に、キャットウォークとは比べ物にならないくらい単純で頑強な鉄骨を振るった。一振りで何体ものヴェクターが粉砕され、黒銀の体液が一面を染め上げる。鉄骨は本来の在り方とは違う扱いをされても、折れ曲がる気配もなくとしていた。


 流石のヴェクターも、これだけの破壊力を見せ付けられれば引き下がる──どころか、遮二無二突っ込んでくる勢いは変わらず、近寄る分だけイザヤに叩き潰されて、その数を減らしていった。


「クソッ! コイツ等──!」


 鉄骨から伝わる強烈な衝撃を感知しながら、虚しいばかりの悪態を口に出す。イザヤの戸惑う心境を嘲笑うみたいに、倉庫へ入り込む勢いは確実に増していた。


 武装する暇を与えないようにしているのか──その閃きに、ますますヴェクターへの異質感が強まった。


 個体としての生命ではなく、であるという研究説──ネットにも上がっているような与太話に、信憑性が帯びてきた。


 ムーンチャイルドとして戦ってきた霞んだ記憶。そこには確かに、突撃じみた、がさつな襲撃が何度もあったと思い返す。潤沢な装備で一方的に撃破していたから気にならなかっただけで、本質としてはやっぱりなのかもしれない。


 人間の意識とは、とことん交わらない白銀の怪物。押しきられる前に、此処から離脱しなくちゃいけない。


 イザヤは鉄筋を束ねたワイヤーを掴み、ブースターの勢いを乗せた突進で倉庫のコンクリート壁を砕き抜いた。推進材が少ないとはいえ、それを惜しんで潰されたんじゃ本末転倒だ。


 ヴェクターが倉庫の中いっぱいに雪崩れ込み、そのせいで支柱が砕けて屋根が崩落した。自分達が招いた結末に押し潰されて、盛大な断末魔が滑走路に響く。


 端から見れば間抜けにしか思えない自滅でも、奴等からすれば武器となる物をほとんど持たせなかっただけで大成功なんだろう。


 事実、イザヤが手に出来たのは、ワイヤーで束ねた鉄筋と、一本の鉄骨だけだ。粉塵と瓦礫にすっかり埋まってしまった資材の数々が、どれだけ手助けになったかと思うと酷く惜しい。


 ──切り替えろ。周囲のヴェクターが片付いただけでも、幸運だ。悔しがったところで状況は変わらない。可能な事だけを考えるんだ。


「ヒイラ! そっちは!?」


 イザヤの叫ぶ問い掛けに、静かな吐息が返ってくる。決して焦らせないように──そして、自分も冷静でいようとする気持ちが伝わってきた。


《……一階がもうすぐ破られそう。内部に入られたらA.U.Gじゃ対処できない……。あとは隔壁でどれだけ耐えられるか──》


 ヒイラが言い淀むのも解る。決定打を放てず、悪化していくばかりの状況にイザヤも歯噛みしていた。単純に、攻める手数が足りていない。


 これから校舎に向かって走るんじゃ遅すぎる。それに、ヴェクターを掻き分けていったんじゃ、時間だって掛かり過ぎる。一階を破られたらお仕舞いだというのに。


 空を飛んでいくのは──駄目だ。A.U.Gを浮かせて翔ばすだけの推進材が足りない。


 第二世代とはいえ、中期の機体はブースターの燃焼効率も、ジェネレーターのエネルギー生産力も未だ弱かった。後期の機体みたいにという芸当は、この機体には無理だ。


 速度を落とさずに進みながら、ヴェクターを撃破する必要がある。けど、どうすればそんな事できる? イザヤは、波さながらに校舎へと駆け寄っていくヴェクターへ気を引かれながら周囲を見渡した──。


「あぁー!!」


 調子外れの甲高い声を上げたイザヤに、ヒイラが『何なの!?』と訴える。きっと必死に状況の打開策を練っているところで、間抜けな声での不意打ち食らったんだろうから無理もない。


 発作的に駆け出したイザヤの耳に、疑問の声が注がれる。それもそうだ。校舎を横切っていく形で、まったく見当違いに走っていれば、オペレーターでなくたって何か言いたくなるだろう。


《どうしたの!? 何でそっちに行くの!? 遂に方向も解んないくらいアホに──》


「パラボラアンテナ!」


《……えっ……?》


「パラボラアンテナだよ! !」


 イザヤの提案に、ヒイラがポカンと間を空けた。その沈黙は、これからイザヤが何をやらかすのか察するのに充分だった。


《──学校のモニュメント壊す気なの!?》


「有効利用ってやつだよ! ──って、誰がアホだ! どっちに向かってるかぐらい解るよ! 俺は西に向かって走ってる天才でーす!」


《どっちも同じだよ! それとそっちは東だからね、バカ!!》


「なぁ──!? ア、アホのうえにバカとまで言ったな!?」


 学校には軍事基地だった名残から、通信衛星や宇宙艦とやり取りしたパラボラアンテナが、一基だけシンボルとして残されていた。


 それは、学校名の代名詞になってるくらい有名で、『あー、あのアンテナが置かれてる学校ね』と、名前もよりも先に出る程だった。


 ──それをイザヤは壊そうとしている。いや、彼の言葉を借りれば、旧い建造物の有効利用をしようとしている。誰の耳にもそれは、ただの屁理屈にしか聞こえないけれど。


《待って待って! 何か考えるから! それの管理修繕に、学校は凄いお金かけてるんだからね! 君が勝手に──》


「ヨイッショー! かったいなぁ、コレ!」


《聴いてよっ!》


 ヒイラの抗議も虚しく、イザヤは主軸を早々と蹴り登り、パラボラアンテナの骨組みを掴んでいた。


 A.U.Gの馬鹿力──もとい無機の筋肉は、滑らかにくっついた溶接も、食い込むように取り付けたボルトも、無意味とばかりに引き剥がしていく。


 装甲下に見えるエネルギーラインの激しい流れが、凄まじい力の伝達を無言で語る。それによってパンプアップした人工筋肉は、まるで力自慢が衣服を盛り上げるみたいに装甲を浮かせていた。


 引きちぎられた叫びとして、甲高い金属音が響く。骨組みから外れた反射鏡が雨みたいに降り注いで、純白の粉塵を巻き上げた。


「よっしゃあ! 取れた!」


《取ったんでしょ! あぁ……もう、何て説明したら良いのか……》


 悩ましく唸るヒイラを余所に、全長二十メートルものパラボラアンテナを担ぎ上げて、ムツキが飛び降りる。


 強烈な地響きに滑走路が隆起して砕け、近くで反射板を貪っていたヴェクターが垂直に飛び上がった。その個体が好戦的な──というより食事を邪魔された文句を叫びながら突っ込んで来るのを、パラボラアンテナで押し潰す。……ちょっと気の毒だったかもしれない。


 ムツキはヴェクターの体液が滴るパラボラアンテナに乗り込んで、スケートボードの様にバランスを取った。円盤状であっても、A.U.Gが備えたバランサーは完璧な舵取りを自動的にやってくれる。


 ──A.U.Gの機能を最大限に使う時だ。パラボラアンテナを間座スペーサー代わりに、重力加速度や摩擦の抵抗を排した推進力でヴェクターの大群を蹴散らす。


「ディメンション・シールドを使うぞ、ヒイラ! 整波の調整は任せた!」


《え!? ちょっ──》


 イザヤは呼び掛けの応答も待たずに、視線入力と脳波指示で、ディメンション・シールドのシステムを起動する。


 ──ムツキを中心に、あらゆる物質が極小の粒子として綻び始めた。土埃よりも遥かに細やかな物質の構成体は、イザヤ達が存在する次元から異なる次元層へと転位されて消失していく。


 重力の影響すら飲み込む異層空間のシールド──それは地球の引力からA.U.Gを解き放ち、パラボラアンテナを僅かに浮かび上がらせた。


「ブースト!」


 音声入力によって、A.U.Gの基本的な推進システムを許可する。ディメンション・シールドの波間を抜けたエーテルパーティクルと、推進材が混ざり合った淡緑色の燃焼が背面のブースターを染め上げた。


 ──瞬間、出力次第で時速千キロを越えられる物体が、超加速で滑走路を爆走した。重力や抵抗というあらゆる楔から解き放たれた質量は、加速し続けるという自由を与えられて突き進む。


「うぉおおお! ヤベェェエ!!」


 ただし──自由とは不便の中に宿るものなのだから、ほっぽり出されての自制は難しい。


 重力という保護者の手から離れて、等速直線運動の権利を放棄すれば、加速の勢いは留まるところを知らない。思ったよりも速く校舎に迫ったものだから、イザヤは酷く


 A.U.Gのバランス制御と力尽くな舵取りで校舎への直撃を避けると、瞬きする間もない勢いで数十体のヴェクターを轢き逃げ──もといバラバラに轢き潰しては、グロテスクな雨を降らせる。


 無重力状態で物体に接触しているのに、A.U.Gが彼方に吹っ飛んでいかないのは、ひとえにディメンション・シールドが最適なタイミングで都合よく保護者重力を頼るからだ。


 技術的に云えば、重力の押し付けを受け入れる波間をわざと造っているだけなのだけれど、そういう隙にこそ重力は世話を焼きたがる。世界の法則に抗いながらも、時に利用するという狡猾なやり口こそ人類の知恵だ。


 ともかく、イザヤは広大な滑走路を無理矢理な制御でしっちゃかめっちゃかに駆け回り、集積回路の塊であるヴェクターの反応すら追い付かない速度で轢殺していった──叫びっぱなしで。


 その声はコックピット内部に収まり、外には漏れない。例え外に出たとしても、それは状況からして掻き消され、聴こえないに決まっている。擬似的とはいえ、無重力の宇宙空間では誰にも悲鳴は届かない。


 超高速で動き回る巨大な質量が路面を砕く轟音。弾き飛ばされてひしゃげる金属音。遮断された空間に消失する空気の圧力。これらを前にしては、イザヤの叫びなんて虫の声も同然だった。


 そんな阿鼻叫喚の中で、我関せずとばかりに、一体のヴェクターが校舎一階へと入り込んだ。長い廊下のどちらへ進むか逡巡する素振りを少しだけ見せ、行き先を決める──それが隙となった。


「行くんじゃねぇえええ!!」


 ビビりまくった挙げ句にブーストを切り、突き立てた鉄骨でブレーキを掛けながらイザヤが迫る。黒銀の返り血に染まったA.U.Gとパラボラアンテナが突っ込んで来るのを、ヴェクターは鋭い足を上げて迎え討とうと──いや、驚きのあまりに人間が手を上げるのと同じ様子で、その腹部にパラボラアンテナの切っ先をぶつけられた。


 壁に挟まれて千切れたヴェクターの半身が廊下を跳ね飛び、校舎内にえげつないグラフィティを描く。パラボラアンテナが侵入経路となる穴を塞いだものの、その衝撃は校舎全体に走り、取り付いていたヴェクターを叩き落とせた代償として甚大な亀裂を生じさせていた。


 コントロールルームに居るヒイラにまで衝撃は届いたらしく、浅い悲鳴がスピーカーから出るのをイザヤは聴いた。見た目だけでなく、声まで女の子みたいだった。


《──メッッチャクチャだよ! 本っっ当に!! 君は!! やることが全部!! メッチャクチャだよ!!》


 ヒイラが怒っている。当然として怒っている。罵倒のフレーズを思い付いた瞬間から並び立てて、イザヤを怒鳴っている。


 何時もの調子で怒られたなら、ご飯もお茶碗二杯までしか通らないくらいショックだっただろうけど、非日常なだけに傷は浅い。


 ただ、非常時であっても馬鹿やっているのは問題だ。解決手段だって三段跳びかましている様なのを堂々と実行する点は、反省しなくちゃいけないだろう。


 そんでもって──まったく面倒くさい事に──イザヤは叩き込まれた罵倒に傷付いていない訳でもなかった。


「……じゃんか……」


 ポツリと呟かれた言葉。唇を尖らせていじけてるみたいなトーン。ヘッドカムの優秀な集音マイクはそれを聞き逃さない。


《は!? なに!?》


「──ちょ、ちょっとくらいは褒めてくれても良いじゃんか! 俺、凄ェ怖かったんだけど!!」


 絶句──ヒイラの。そして、言葉を探す短い唸りの後で、スピーカーが雷にも似た響きで震えた。


「はぁあああ!? 危なっかしい真似を褒められる訳ないでしょ!? 自分から怖い思いしておいて褒めてくれってなんなの!? 新手の自傷癖かなにか!? 大体君はねぇ! いつもいつも、自分から無茶をして──」


 全く止まる気配のない叱りつけに圧されて、イザヤの首が曲がった。涙目になっているのは、もう隠しようもない。ヒイラがただただ怖かった。


「チクショウ! ヴェクターども! お前ら絶対に許さねぇからな!!」


 マニピュレーター・グリップを勇んで掴む。ムツキが半分潰れたパラボラアンテナの上で指差しながら吠えた。設計思想通りに、今やイザヤとA.U.Gは一心同体だ。片方は付き合わされている様なものだけれど。


《ち……地球外生命体に逆ギレする人、初めて見た……》


「良かったね! 次からは初めてじゃないぞ!」


《二度目があってたまるか!》


 呆れて怒るヒイラを後に、地上で鉄筋を束ねているワイヤーを解く。けたたましい音を立てて、それはムツキの足下に転がった。


 ヴェクターの猛進が迫る。既に数はかなり減ったけれど、それでも校舎に取り付かれるはまずい。近寄らせる訳にはいかない。鉄筋を掴み、投擲姿勢を構える。


 イザヤとA.U.Gの視覚認識が一致。鉄筋の質量と形状を触覚センサーがして、投擲という行為に最適な動作をアイドリングする。イザヤの脳波を読み取る事で、A.U.GのA.Iはして必要なサポートを行った。


 A.U.Gのセンサーでマッピングされていたヴェクターの位置に、投擲のポイントが表示される。インターフェースに映し出されたそれに倣い、イザヤが神経を集中させた。


《──弾道シミュレート完了──!》


 システムの全体像を読み取っていた、ヒイラのバックアップ。それに呼応して鉄筋を投げた。A.U.Gのパワーがあれば、鉄筋はそれだけでフレシェット弾さながらの威力で撃ち出せる。


 ヒット。串刺しになったヴェクターが、その勢いで後方にも突き刺さる。インターフェースでは、マッピングしていたヴェクターが一本の筋となって消え去り、撃破判定を表示した。串刺しになって、丸まりながら機能停止するヴェクターの姿は、はや贄されたグロテスクな虫の死に様と変わらない。


「スゲー! なんか団子みたいになったぞ!」


《バカ舌なんだから、後で食べても良いよ! 集中して!》


「なにぃ!?」


《フィードバック確認! 誤差を修正! データの再入力完了──撃って!》


 イザヤは訴える間もなく、しどろもどろに最適なポイント目掛けて鉄筋を投げる。適正な動作入力でなくても、A.U.Gの補正がヴェクターを正確に撃破していった。人型搭乗兵器は、その万能性をもって、すっかり固定砲台としての役割を発揮している。


 それに反応したのか、ヴェクターの猛進が速まった。散開していた個体が集団となって雪崩れに変わる。塞き止めるためには、ムツキが鋼鉄の槍を間断なく連投するしかない。


 繰り返される投擲。積み重なる実行データによって正確さと効率が増していく。ヴェクターの回避行動すらも、A.Iとヒイラは先読みして、一本の鉄筋で纏めて串刺しに沈めていく。単純な威力でいえば、フレシェット弾代わりの鉄筋はA.U.Gの基本兵装を大きく上回っていた。


 質量という純粋な力。それは、ディメンション・シールドの防御性能も外殼の頑強さも関係無く、全てを突き破る──けれど、それでもヴェクターは止まらない。


 隣接した同機がやられようと、無機質な殺意は決して消失しなかった。人類種の天敵は、完全に破壊されるまで走り続ける。


 無謀なまでの攻撃性。生物らしい感受性を一切持たない金属生命体。殺戮のみを演算し続けるプログラムの群衆──だから、ヴェクターは敗れる。


 有り合わせの装備と、粗雑な戦術でもヴェクターには対抗できる。人間が〝個体〟としての力を尽くし、生きようとする限り──。


 ヴェクターにそんな力は無い。有るのは自己が集団というパーツに過ぎないという、個体を消失させたシステムだけだ。


 そんな怪物は、どんなに足掻いたって個人が持つ能力を上回れたりしない。ヴェクターは規定された存在でしかなく、には決して成れない。


 人間はヴェクターに負けたりしない。個人が能力を有し、その欠点を補い合う集団である限り、必ずヴェクターは撃破できる。どんなに不利な状況であっても。


 そして──最後の一匹に鉄筋が突き刺さった。その威力に、ヴェクターは僅かにもがきながら抵抗したけれど、やがて仰向けになって停止した。自壊を始めた機体の上で、鉄筋が旗の無い勝利の象徴であるみたいに聳えている。


 ムツキが固定砲台としての姿勢を解いた。オーグナイザーであるイザヤの脱力に倣った動き。センサーが拾う反応は無い。ヴェクターを全滅させたという実感があった。


 俺達は勝った──その安堵感がイザヤとヒイラを労った。喜びに叫ぶことも、反って半狂乱に陥る事もない。ただ、達成したという実感だけがあった。誰も死なせないという目標の達成だけが。


 ムーンチャイルドとしての経験――それがあったからこそ、ここまで戦えた。苦い喜びは、複雑な味がした。


 ──あの日々に助けられた。ムーンチャイルドとして引き剥がせない適正能力。それが、イザヤとヒイラを──そして、大勢の人々を助けた。


 利己的な生存能力。それが、明白な形として誰かの役に立ったのは初めてだったかもしれない。


 静かに沸き上がってくる感情──それを言葉に出来ないのがもどかしい。ムーンチャイルドであることに報われる日が来るなんて、想いもしていなかったから──。


 敵を倒せば良かった日々。朧気な記憶と、確かなトラウマ。アンリが居てくれたからこそ、存在していた命に自分だけの価値をようやく見付けられた気がする。


 生きていて良かった──そう自分自身にようやく胸を張れた。平和な日々が、過去の苦痛を力に変えるだけの時間を与えてくれていた。


 少しでもそれに返せるものが出来ただろうか――感謝の声も、讃えられる言葉も必要無い。自分の後ろに居る人達を守り通せたのなら、それで良かった。


 自分のためだけに重ねてきた戦いの経験。それが、誰かのために役立った──こんなにも嬉しい事は無い。


「……良いもんだな」


《うん?》


 独り言のつもりだった声を拾われて、イザヤは照れくさそうにシートへ凭れた。でも、ヒイラになら聴かれても良かった。戦友である彼も、きっと同じ気持ちだろうから──。


「誰かのために戦えるってのは、良いもんだ」


《なにそれ。ふふっ! でも……そうだね。誰かを守るために戦うのは──悪い気しないね……。お疲れ様、イザヤ君》


「あぁ、ヒイラもお疲れ。さーて、先生にドヤされる言い訳でも、二人でゆっくり考え──」


 ──アラート。一瞬の空白──血の気が引く。


 ──ヴェクターを出現させたアンテナが、プラズマを発している。α型を出現させて、虚だらけになっていたそれは、機能停止していた訳じゃなかった。


 樹木状のアンテナが、裂けるように巨大な虚を生じさせた──α型とは比べ物にならない巨大な異層空間を──。


《嘘だ……そんな……》


 呆然としたヒイラの声。気力が抜け落ち、乾ききっている。イザヤが戦場で何度も聴いた声音──それは生きる事を半ば諦めた絶望のものだった。


 A.U.Gを超える巨体──あらゆる建造物を一撃で粉砕する触手の鞭がうねる。分厚い純白の装甲は、かつて地上を制していた戦車の火力ですら撃ち抜けないほど分厚い。転がる鉄筋程度ではとても破れるものじゃなかった。


 ヴェクターβ型――それが出現した。月面都市を焼き付くしたあの怪物が──。


 高揚の叫び──爆走。芋虫の様な身体を持ち上げ、振り回す触手で付近の倉庫を粉砕しながら突っ込んでくる──校舎目掛けて。


「……行くぜ──ムツキ!」


 気勢を昂らせる声と共に立ち上がる。パラボラアンテナに凭れ掛けていた鉄骨を握り締めて、駆け出した──誰も殺させないために。


《イザヤ君! イザヤ君!》


 すっかり泣き声となってしまった、ヒイラの呼び掛け。それは引き留めようとする叫びだった。


 何を言えば良いのか──どうしようもない絶望の中では、掛けられる言葉なんて一つも見つからない。それが、痛いほど伝わった。


 大丈夫――俺が守る──絶対に守るから──。


 口にして、約束できるだけの自信は無い。だからせめて、心の中で繰り返し言い続けた。誰も死なせない──誰も殺させない──まるで、自分にもそう言い聞かせるかの様に──。


「カタパルトを上げろ! ヒイラ!!」


 バックアップの要請。戦う背中を支えてくれと叫ぶ。涙を飲む声と共に、前方のカタパルトが起動した。


 ヒイラは信じてくれている。どんな無茶な事でも、俺ならと信じてくれている。


 それに応える。応えてみせる──親友を絶対に死なせたりしない。


「ブースト!」


 ディメンション・シールドによる空気抵抗を無視した超加速で、カタパルトを駆け上がる──それと同時に、β型が触手ごと身体をぶつけてカタパルトを破壊した。


 崩れていく足場──見下ろすヴェクターの背面──鉄骨を下向きに構え、叫ぶ。


「ブースト!!」


 残っていた推進材全てを吐き出しての加速。瞬間的に放たれた巨大質量の弾丸となって、ムツキがヴェクターの背中に激突する。


 ──インパクト。全高八メートルの弾丸が、超加速で着弾。滑走路はクレーターさながらにひび割れ、ヴェクターを沈める形で釘付けにした。


 アラート──ムツキの左足が全損。右足から狙撃用のアンカーを展開し、装甲間に引っ掛けて固定させる。


 両足が耐えきれるという可能性は排除して切り捨てた。片足のショック・アブソーバーを頼りにしてのライディング。


 装甲を割って、突き刺さった鉄骨を抱き抱えながら揺さぶる。ヴェクターの内蔵器機を抉り、循環液と供に掻き出す。A.U.G自体を着弾させるという一撃は、ヴェクターの足を完全に潰して倒壊させていた。


 ──沈め、沈め──祈りを重ねて鉄骨を揺さぶる。内蔵器機が砕ける音が絶えず響く。それでも、ヴェクターは絶叫と共にもがくのを止めなかった。


 ──背部に衝撃。ムツキが前のめりに倒れ込む。ダメージのアラート。バックカメラで状況を確認する。


 空の彼方へと伸びる触手──潰れた姿勢で触手の可動域を拡げた対応。集積回路の群体である怪物が、自らの肉体を変化させていた。


 殴打──立て続けのアラート。A.U.Gのステイタスに警告の表示が瞬く。ブースターの損壊、A.U.Gの筋繊維を保護するスキン・アーマーが弾け飛ぶ。


 抱えていた鉄骨から手が離れる──抑え込まれていた姿勢から解放されたヴェクターが起き上がろうとする。叩き付けられた衝撃の反動でムツキは仰け反り──そのまま両手を握り固めて振り下ろした。


 鉄骨を撃ち込む形での、ダブルスレッジハンマー。ヴェクターの胴体部に突き刺さっていた鉄骨が突き抜け、内蔵器機を絡み付かせた形でぶら下がる。伝播した衝撃がヴェクターの内部を走り、幾つもの複眼が循環液と共に飛び出した。


 絶叫。殴打が激しさを増す。潰れた装甲が、クロッシング・ファイバーにめり込む。裂けた筋繊維から噴き出す循環液は、出血さながらに機体を染め上げていく。


 立て続けのアラート。回避行動の推奨。それらを無視してしがみつく。離れない。離れる訳にはいかない。絶対に。


 鉄骨が抜けて出来た空洞に、両腕を突っ込んで力任せに掻き上げる。白銀の破片を飛び散らせ、異生物をグロテスクな惨状に変えていく。


 装甲片と千切れた内蔵部品が雨となって降り注ぐ。それを全身に浴びながら、ムツキはヴェクターを続けた。


 集積回路によって紡がれたヴェクターの筋繊維を掴んでは、布の様に裂く。A.U.Gの指を通したフィードバックは、滑る内臓を鷲掴みにした心地そのものだった。


 生きたままはらわたを千切られるダメージ──それでもこの生物は耐えた。ヴェクターという怪物は。


 信じられない生命力。これは本当に生命体なのかと、嫌悪を通り越した恐怖がイザヤの精神を蝕んだ。確実にA.U.Gはダメージを負っているのに、ヴェクターは動き続けている。


 深刻なダメージを受けた機体──アラートが鳴り止まない。噛み締め、堪えていた感情が叫び声となって喉を焼いた。


「停まれっ! 停まれよ、クソッタレ!! 死ねよ! 死ねって言ってんだよ!!」


 恐怖に押し潰されかけた叫び。イザヤの穏やかな人間性が、剥き出しの殺意に染まる。生存の闘争は人格を排し、誰彼もを戻れなくさせる。


 ムーンチャイルドであった頃ですら──少なくとも此処まで苛烈な感情は無かっただろう。イザヤは月から墜ちて、人並みに生き、だからこそ極限の状態に弱くなっていた。まともに生きてきたからこそ──死にたくないと叫んでいた。


 ──死にたくない。その感情だけが、研ぎ澄まされた神経の中で木霊する。アラート音もフィードバックの衝撃も、ヒイラの泣き声も遠ざかっていった。まるで──音の無い水底へと沈んでいくかの様に──。


 瞬間──イザヤは自身の感覚を、。A.U.Gのセンサーが拾う外部情報が、ジャケットを抜けて肌に直接走っていく──。


 アンカーを解除──機体をヴェクターの背面で滑らせ、殆ど仰向けの姿勢となって仰け反る。そうするべきだという


 ──仰け反ったムツキの眼前に、ヴェクターの触手が連続で叩き付けられた。強烈な打撃は、A.U.Gの腕力を遥かに越えた威力でもって自らを破壊した。


 自滅──集積回路の塊として計算され尽くした動作をするヴェクターが、そんな行為をするなんて有り得ない。だけど、イザヤの目の前でそれは確かに起きた。


 回避という行動の予兆があれば、ヴェクターもそれに応じた行動をしただろう。けれど、そう出来なかった。あまりにも滑らかな一連の動作は、


 イザヤの行動はまるで、かの様に隙が無かった。自分が何故、そんな行動を取ったのか──イザヤ自身が自分に懐疑の想いを抱く。


 けれど、今はそんな事どうでも良かった。ヴェクターは自分自身を破壊し、身体半分が千切れかける程のダメージを負っている。チャンスは──この瞬間しか無い。


「──ウ……オォオオオ!!」


 ムツキを引き起こし、両腕を破損部に突き入れた。残った片足を装甲の狭間で踏ん張らせ、全力でヴェクターの半身を持ち上げる。


 ヴェクターの頑強な体組織が二つに千切れていく。結合部を失った内蔵機器が夥しく溢れ落ち、ヴェクターは激しくもがく。


 声にならない叫び。人間と、その天敵の。無機質の血を流し合う闘争──そして、決着。


 ムツキが分断したヴェクターの半身を掲げ、激しく地面へと叩き付けた。甲殻類の顔に似た頭が跳ね飛び、痙攣しながら少しずつ自壊を始める。


 ──ヴェクターが崩れ落ちた。激しい衝突でもムツキは振り落とされず、ヴェクターに馬乗りになったまま俯く。


 静かなビープ音──起動限界。


「イザヤ君……イザヤ君……」


 泣きじゃくったヒイラの声。強烈な戦闘に、彼もショックを受けている──呼吸も忘れて、目を見開くイザヤと同じ様に。


「──ッ! ハッ……! ハッ……!」


 肺が引き攣りながら、ヘッドカム内の空気を取り込む。濾過された清潔な空気ですら喉に詰まって満足に吸えない。意識しなければ呼吸をしているという事すら判らなかった。


 ──軽度なショック状態。破れそうなくらい、心臓が激しく脈打っている。その響きが内臓まで届いて吐きそうだった。


 見開いている筈の視界が暗い。気絶という真っ暗な闇に、意識が引っ張られている。そうして楽になりたかった。もう十分にやったという無気力に、心を沈めようとしていた。これ以上は──もう──。


 ──アラート。


 死にかけたセンサーの訴え。プラズマを迸らせる純白の大樹がモニターに映る──大樹に出現した斑模様のゲートを。


 幾つもの虚無。


 幾つもの敵。


 群れとなった──β型。


 絶望──それでも項垂れたまま、マニピュレーター・グリップを引いた。


 手応え無し──何度も引く。連続して列なるエラー。


 ムツキは動かない。イザヤは動けない。オーグナイザーの体力限界が、そのまま機体限界となって入力を受け付けなかった。


 ──集音器を通した雄叫び。敵が迫る。グリップを引く。動かない。繰り返されるビープ音。グリップを引く──乾き切った声を上げながら。


 ──誰も殺させない。俺が守るから──そんな言葉が、こんなにも無力だと想わなかった。きっと皆を助けられるだなんて、自惚れでしかなかった。


 ──空。青い空を見上げる。昨日までと同じく、透き通った空を。それが、今はどうしようもなくもどかしかった。


 誰も来ない。誰も助けに来ない──稼いだ時間は充分じゃなかった。後、どれだけ闘えば来てくれたんだろうか。


 もう、一分ですら耐えられない自分を責める──皆、これから死ぬんだと。


 喘ぐ。荒れた呼吸で。マニピュレーター・グリップを握り締める。強く。強く──。


 ──殺させない。殺したくない──朦朧とした意識で気力を奮う。乾ききった精神から絞り出す様に。


 立て──動け──何もしないまま、何も出来ないまま殺されるな。ムツキが糸の様に細くエネルギーラインを明滅させて、イザヤに応える。


 爆ぜた筋繊維が負荷に裂け、循環液が噴き出す。それでも、巨人は立ち上がろうと呻いた。搭乗者であるイザヤが諦めない限り──。


 ──帰るんだ、俺は──。


 俺は──のところに帰るんだ──。


 掠れていく意識。過去というフラッシュの連続。死の間際に、本能が生存の戦略を探し求めていた。


 フラッシュ――ヴェクターとの戦闘。


 白んだ視界に猛進する群れ。


 フラッシュ――アンリの微笑み。


 途切れそうな意識を気力が支える。


 フラッシュ──焼き焦げた半身。


 マニピュレーター・グリップを動かし続ける。


 フラッシュ──アンリが繋いでくれた手。


 乗り越えた今日が、明日に繋がった実感の温もり。


 ヒイラの叫び──。


 ヴェクターの奇声──。


 A.U.Gのアラート──。


 灰色のフラッシュ──その全てが遠くなる。


 自分の心臓の音ですら──。


《──よくやったな、学生!!》


 唐突に、灰色の静寂は破られた。血気に逸った力強い女性の声でもって――。


 ──ヴェクターの群れが弾け飛ぶ。撃破というよりも遥かに強烈な殲滅力が、イザヤの目の前で展開された。


 唖然と、マニピュレーター・グリップを握っていた力が消える。静寂に沈んでいきそうだった意識が、微かに熱く滾った。


 掠れた視界で空を仰ぐ。誰も来ないと絶望していた青空に──その〝悪魔〟じみたA.U.Gは居た。


 地獄の熱量を象った真紅のカラーリング。特徴的な鋭角のスラスターを全身に備え、それは可変式のアーマーによって自在な方向への加速を可能としている。


 高速機動機の設計に違わず、シャープな細身をしているけれど、実態は驚異的な加速度に振り回されないだけの高密度で編まれたクロッシング・ファイバーを備えていた。


 高水準な技術力でもって製造された機体。平均的な戦闘力を要求される、政府の量産機とは別格のワン・オフ。


 きっと企業の──それも雇用された傭兵の助け。高い機体性能が、鏡写しにオーグナイザーの実力を表している。


 ヴェクターの装甲を容易く粉砕する250mm口径ものライフルを自在に操れる技量を有した人材──それらが結び付くのは一点しかない。


 戦いの可能性に備え、誰もが遠巻きにしている問題に挑もうとする人達──。


《大丈夫……! もう……大丈夫だから!》


 咽び泣くヒイラの声。それは、助けに現れたA.U.Gへの絶大な信頼と安堵があった。


 ヒイラから送信されるデータ──オープン回線で共有された識別情報を目にして、イザヤは込み上げてくるものを感じずにはいられなかった。


 月へ──交信不能となった嘗ての故郷へ──人を助けるために行くんだと、力強く訴えた彼女の姿が電子情報の中に見えた。


《ハローハロー! 聴こえますか!? 私達は救援に来たイスルギ重工社です! 遅れてすみません! 今から貴方に代わってヴェクターをやっつけちゃいますからね! もう大丈夫ですよ!》


 ──相も変わらず、調子外れな子が。


 懐かしくて、恋しかったアンリの声を回線越しに聴いた。


 喉が引き攣って震える。返す言葉に詰まり、纏まらない思考が途切れ途切れの声となって溢れた。


 拙く、不明瞭な感情の吐露。それだけで、遠い日に別れた少年と少女が通じるには十分だった──。


《……イザヤ……なの?》


 月で離れた手。そして、地球で通じた声。死に往くだけだった少年は今もう一度、愛していた少女によって引き留められた──。


「……アン……リ……」


 か細く、精一杯に彼女の名前を呼ぶ。ずっと胸に秘めていた想いを、全て打ち明ける様に。


 そうして──イザヤの視界は真っ黒に染まった。意識が眠りに似た、深い暗闇へ落ちていく。


 不安は無かった。それどころか、懐かしさに安心していた。


 朧気となった在りし日──生きて欲しいと優しく手を握ってくれた少女。それは、どんな機体よりも、イザヤの力と成って支えてくれた。


 月での長い別れ──そして、地球での再会。アンリは此処でもイザヤを助けに来てくれた。まるで『君との関係は何も変わってないよ』と言ってくれるみたいに。


 だから、イザヤはしがみついていた意識を――思い出の中で優しく微笑むアンリへと、委ねていった。

 

 

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