Mission5 見えざる傷。覚えのなき痛み。追憶との『会合』

「そんで、欠員はどーすんだよ社長。頼むぜ、マジで」


 酒瓶を片手に、ソファーで足を組んだ赤毛の女性――ディナ・ゴールドハートは仰け反りながら、後方で作業中のアンリに話し掛けた。その瞳は雇用主である彼女をじっとりと見つめ、何ともイヤらしいプレッシャーを掛けている。


「取り組み中ですよー。もうずぅっと取り組み中でーす。ウフフ……!」


 ディナの掛けてくる発破に対して、アンリの放つネガティブオーラは凄い。机上に並ぶモニターを前にしながら浮かべる暗い笑みは、どんな犯罪者予備軍でもビックリだ。


 表示された会社の書類に目を通しつつ、別モニターに表示された人員候補を片っ端から眺める平行作業は、もう長いこと日常化している。


「ったく、旦那もテキトーだよな。誘うだけ誘って、自分はサヨウナラーなんて。ま、アタシはその分、暴れられるんなら文句ないけどねー」


「おー、それは頼もしいです。トキオミさんの紹介で、ディナさんを雇えたのラッキーでしたね」


「ふふん、そう? じゃあ、早いとこ期待に応えてやりたいから頼むよ、お嬢さん」


 そう言って、ディナは三日月の笑みを酒瓶で覆う。その好戦的な態度は、トキオミの離脱を補えるだけの実力があると自信に満ちていた。


 彼女はトキオミによって紹介された、今プロジェクトのオーグナイザー要員だった。


 軍人から傭兵に身を転じた経歴を持ち、戦場を求めるあまりに、アンリの立案に乗った変わり者。


 気の向くまま戦火に曳かれ、戦場から戦場へ飛び回っていた彼女は、人材の雇用や派遣を担うエージェンシーのネットワークにすら登録していない特異な人材だった。


 そんな、何処でどんな活動をしているのかすら定かじゃない人物を、どうやってか見つけ出してくれたのは、違約金を払ってあっさりと行方を眩ませたトキオミ・ナザレだった。


 ――『ディナ・ゴールドハートってベテランのオーグナイザーがいる。居着いてそうな酒場に覚えがあるから当たってくれ。きっと飲んだくれて、退屈な日々を過ごしてるだろうぜ、ヘヘッ』


 そう言ってトキオミは、ファイトクラブを兼営する怪し気な酒場を教えてくれた。


 そんな〝いかにも〟といった雰囲気に満ちた店の奥で、ディナはマスターである初老の男性へ絡み酒をしていた。誰が眼にしたって、彼女が鬱憤を抱えているのは明白だっただろう。


 噛み応えのある相手なら誰でも良いとばかりに苛立っていたディナの隣へ、アンリは堂々と座り込んで依頼の話を投げ掛けた。ちゃっかりとミルクまで注文しながら。紹介したのはトキオミだったけれど、実際に依頼と交渉をしたのはアンリとドロシーだった。


 年若い二人の女性──ましてや片方は未成年だというのに、ディナは軽んじる訳でも吹っ掛けてくる訳でもなく、依頼の話をちゃんと聴いてくれた。


 ディナの心情としては、酒とファイトに明け暮れるばかりの日々から離れられる絶好のチャンスだったんだろう──『ここに居るよりは暇を潰せそうだね』と、ARの契約書を眺めながら口にしたのはきっと本音だ。どうやって自分を見つけ出したのかなんて疑問は、〝退屈〟というどうしようもないものから逃げられるなら、何だって良いらしい。


 彼女にとって、A.U.Gに乗る以上の興奮は何処にも無いんだろう。こんな酒場ではお決まりでしょとばかりに、突如として降り注いだ銃弾の雨にも、面白くなさそうに口を曲げていたぐらいだ。


 そんな事件の実行犯であるリーダーを憂さ晴らし感覚に殴り飛ばし、片手でぶら下げながら彼女は言ってくれた――『着いていくよ、アンタ達に』と。


 戦い慣れしているからこそ、戦いを求めるその姿はこの上なく頼もしい。どんなトラブルだって、面白そうだと突っ込んで解決してくれるだろう――あらゆる障害を叩き潰してしまう強烈な好戦さでもって。


 そして、ディナを雇用した後、空いていた最後の一枠も、これまたトキオミの紹介によってすんなり埋まってしまった。


 傭兵として彼が培った人脈は、ビックリする程広い。だからこそ、その都合の良さは反って不可解に見えたりもした。


 けれど──トントン拍子で進む状況に文句なんてある筈も無く──アンリは『おっほー!』と素っ頓狂な声を上げて大喜びした。


 プロジェクトの進捗そのものは素直に有り難いし、きっと次に紹介してくれる人も、元軍属だとか傭兵といった〝カッコいいキャラ付け〟をした人なんだろう――と、アンリの心中に宿る少年は跳び跳ねていた。


 ところが、意外にも次に紹介されたのは、民間軍事企業PMSCに勤めた経歴を持つ、失業真っ只中の元オペレーターの女性だった。


 それはそれで驚きはした。トキオミ・ナザレという怪しげな素性を持った傭兵が、まともな人材を紹介してくれたからって、肩の力が抜けたりはしなかった。本当に。


 ちょっぴり『アレ?』なんて言葉は浮かんだけれど、そんな気持ちは──雇った女性が紛れもなく、オーグナイザーとしての部類という大きな驚きを前に、吹っ飛んでしまった。


「──ううっ……またお腹いっぱいに食べてしまいました……嬉しい反面、罪悪感が凄い……」


 申し訳なさげな顔でお腹を擦りつつ、社長室に入ってきた女性――ヒサキリ・イナミは、オペレーターだった頃からすれば、考えられないくらいゆったりと時間を掛けて、昼食を詰め込んで来たみたいだった。


 前職から家族に給与のほとんどを注ぎ込んできた彼女は、常に金欠と空腹に喘いでいた履歴がある。それを気の毒に思って雇用期間中は社員食堂を無料で利用できるように計らったところ、涙ぐんで大喜びしてくれたうえ、今や食堂の悪ふざけから始まった大食いランカーとして名を刻んでいる。


 大型新人として、トップであるドロシーを脅かす期待の星──という会社の賑やかしに一役買えて鼻が高くなった一方、紹介者であるトキオミは『こんなつもりで紹介したんじゃねぇけど……まぁ、良いか!』と諦めた様な理解をしてくれた。


「イナミさんは、うちの社食をすっかり気に入ってくれたみたいですね。あ、そうそう、ご家族に仕送りされているお給料も不足無いですか?」


「いえいえ! もう充分すぎる程、お世話になっています! タダ飯食らいの現状が申し訳ないぐらいで……!」


 恐縮に頭を下げたイナミのポニーテールが揺れる。艶やかな黒髪と、しなやかな長身からは凛々しさが漂い、どことなく武家っぽいイメージがあった。


 ただし、それはあくまでもさせているだけで、それっぽい厳かさや格式だなんてものを彼女は微塵も嗜んでいない──勝手な話だけれど、周りの認識からどんどんズレていってしまう様な残念感ある女性だった。


「タダ飯だなんてとんでもない! お二人がA.U.Gの運動テストをしてくれるおかげで、こちらも助かっているんですから!」


 月に向かう準備と平行して、アンリは二人に用意した〝専用機〟から試験データを掻き集めていた。実働段階に入る前の現実的な機能限界を知るうえで、ベテランの稼働による新たな模索点の発見は、今後製造するA.U.Gの改良に大きな飛躍と繋げてくれるからだ。


 特にイナミのA.U.Gを扱うテクニックは凄い。ディナも並み以上の運動能力を提供してくれるけれど、イナミはほとんどのオーグナイザーが感知出来ないか、もしくは気にも留められない微細なフィードバックを、違和感や反応の遅れとして確実に媒介変数パラメーターのグラフとして出力してくれる。


 これは〝何となく変な感じ〟という、とても不明瞭な感覚を明白化する才能だった。多くの技術者がそれを見つけるために、不満を言うオーグナイザーへ、四割の殺意と六割のプライド──でもって日々苦心しているくらいなのだから。


 それをイナミは、口上のあやふやな体感ではなく、データ上の箇所として教えてくれた。波のように不安定な感覚の揺らぎから、違和感を正確に見つけ出す才能は、類い稀なものとしか言い様がない。


 ――『お嬢、最後の一枠に天才を入れてみないか? オーグナイザーとしての力量は勿論、テストパイロットとしても会社の役に立つのは間違いないと思うぜ……うん? 伝説の傭兵……? 元スペシャル・フォース……? ……あー……お嬢はそういうとこあるよなぁ……』


 トキオミからの憐れみはともかくとして、彼はこれまたどうやってか、失業間もない筈のイナミを引っ張ってきてくれた。


 エージェンシーだって斡旋するのに時間が掛かるというのに、それよりも早くイナミを連れてくるなんてちょっと出過ぎている。情報源は、相も変わらず『色男の秘密』だなんてはぐらかされて。


 それでもアンリには選り好みして迷っている暇なんて無かった。それに、イナミの事情を考えると、個人的な感情とはいえ、雇用しないという選択には酷く気が引けた。


 イナミの肩書きに〝元〟が付いている理由は、学生の妹と幼い弟妹を抱えた家庭事情からだ。


 地球政府非加盟の紛争地域は激化傾向にあり、業務を越えたなし崩しの交戦を要求される可能性があった。それに巻き込まれでもすれば、只では済まなかっただろう。


 A.U.Gはヴェクターと戦うために製造されたというのに、現実はそれをいがみ合いの道具として転用している──銃が目の前にあれば使いたくなるのと同じ様に。こじつけの正義が、イナミの立場を悪い方向に転がしていたのは間違いない。


 そんな訳でイナミは小慣れた職を辞する選択をした。個人とその家族が生活するのに充分な給与が支払われる仕事だったけれど、戦場という極限の世界に、領分を弁えた保証なんてものは無い。


 家族を慮って仕事を辞めた――それは最も正しい決断に違いなかった。けれど、社会はそんな彼女の選択を『あっそう』と無関心な態度で無職の肩書きをスタンプするんだから容赦ない。


 そんな問題があってか、イスルギ重工が声を掛けるやいなや、イナミは上擦った二つ返事で雇用を喜んでくれた。


 月も地球も、交戦があり得るかもしれない点では共通している。けれど、企業プロジェクトなら、激戦に突然として放り込まれるような不安感は薄い。何が起こるにしたって、準備を整える期間のある無しでは、ミスをリカバリー出来る精神的な余裕が違う。


 だからイナミは、『どうして私を選んだんですか?』と、当然の疑問を口にする事はあっても、深く追及したりはしなかった。家族が貧しい思いさえしなければ、誘われた裏側の事情なんて取るに足らないのかもしれない。


 確かにトキオミは何を考えてイナミを引き入れたんだろう。A.U.Gの扱いに長けているという点だけでは理由として薄い気がする。マスコミからの攻撃的な報道を和らげるための女性戦闘員だというのなら、他にも候補は多かった筈だ。


 彼女でなければ──いや、彼女でなければいけなかった。トキオミが集めた人達はだったと考えられる。


 とはいっても、その真意は見当もつかないし、アンリ自身も考え過ぎだと俯瞰していた。偶然の中には必然が秘められているとしても、空回りした思考では足が着いていないも同じだ。


 傭兵とはいえ、父の生前から付き合いのある人だ。どんな思惑を抱えていようと、決して悪い方向には進まないだろうという信頼がある。仮に利用されているとしても、プロジェクトの進捗に力を貸してくれたのは変わりない。


 行方を眩ませた傭兵は、残された人達に多くの疑問を残していった。けれど、その行動だってプロジェクトを成功させる一端としか思えない。アンリは不思議と、組織から離脱した今もプロジェクトに協力してくれているのではないかと感じていた。


 もしそうなら、トキオミのネットワークに無用な干渉をしなくて良かった。プロジェクトを遅らせないための黙認は、不和を避ける最適解だったに違いない──まさかトキオミ自身がそうなるとは想いもしなかったけれど。


 戦える可能性の他はどうでもいいとバッサリ切り捨てる自利的なディナと、家族を養うという利他的なイナミ。それぞれの目的は違っても、彼女達はプロジェクトに最高の助力をしてくれるだろう。


 雇用主として説明責任を果たさなくちゃいけないのに、それを敢えて知らんぷりしてくれた二人が本当に有り難かった。アンリは言葉に出来ない感謝を胸に、プロジェクトを明確な形にしようとひたむきだった。それがせめてもの、二人への礼儀だと信じて。


「タダ飯食らいねぇ……まぁアタシの場合タダ酒だけどさ。確かにこのまんまじゃ気抜けしちまうよなぁ。A.U.Gに乗れんのは結構だけど、やっぱドンパチやんなくちゃ物足んないよ」


 そう言ってディナは、イナミが社食無料なのを『不公平だ!』と訴えて、ねだったお酒を傾けた。毛先のはねたセミショートの赤髪を退屈そうに掻き上げる仕草は、欲求不満の表れそのまんまだ。


 イスルギ重工と契約している以上は、傭兵として勝手に戦場へ飛び込んだりなんかは当然できない。溜まる一方のフラストレーションは機能テストや訓練でどうにか発散してもらうしかなかった。


 物騒な話、戦いこそが性分な彼女にとって、穏やかな日々なんてものは、ぬるま湯と同義語だったりするんだろう。


「う~ん……企業としては交戦せずに社員を救出できれば万々歳なんですけどね……。その時は楽に儲けたと思って納得して頂きたいです」


 アンリは『申し訳ないな』にプラスして『勘弁してほしいな』という感情が入り雑じった笑顔で恐縮する。戦闘の可能性を考慮して雇ったとはいえ、それが無いのなら越したことにない。誰だって普通はそうだ。フツーなら……。


「まぁ、最悪そうなったら諦めるさ。違約金なんてスカンピンのアタシには払えないし。……あーあ、宇宙も地球もずっと分かりやすいドンパチの戦争してくれれば良いのになぁ……。冷戦も紛争も息苦しいばっかりで、少っしも面白くないじゃん……」


 本当に物騒だなこの人。そう思いつつも、自分の立場を弁えればツッコミ様も無い。


 ヴェクターと戦うための兵器としてA.U.Gを製造・販売するイスルギ重工は、少なからずディナの思想の一端を担っている。いくら脅威に対抗するためと言っても、社会が兵器メーカーを見る目は戦争屋だ。


 それじゃあ、A.U.Gの製造を止めますかと問われれば、返事はきっぱり『ノー』だ。何故なら意思の疎通が不可能なヴェクターに対して、武力の放棄は虐殺の許容と同じだからだ。


 戦うことが生き甲斐で、戦火が溢れれば良いと望むディナのような兵士は、平時においては危険極まりないのかもしれない。


 けれど明確な敵がいて、それが容赦や情けも無く襲って来るなら、前線に自ら躍り出てくれる〝戦士〟はこの上なく頼もしい。


 だからアンリは、ディナの生き方を否定しないし、出来なかった。寧ろ、心強い戦力としてプロジェクトに関係するメンバーを守ってもらおうと信頼している。最悪を想定したラインで、誰よりも踏み止まって貰うために──。


「なぁなぁ、ところでさ! 火星の連中に出会したら、ちょっとだけブッ放しても良い?」


「おっとぉ!? じゃあ、やっちゃいますか? フフフッ!」


 ニヤつきながら無茶苦茶を言い始めたディナに、アンリも悪乗りしてニヤつく。真ん中に挟まれたイナミだけが『えっ!?』と声を上げて、キョドキョドと左右に首を振るった。


「おーし、それじゃあ派手な花火を打ち上げてやるかなぁ! 弾代はイスルギ重工持ちだし、遠慮なく暴れさせて貰うか!」


「アッハッハッ! もう冗談ばっかり言うんですからぁ!」


、ハハッ! 冗談だよ、ジョーダン! ハハハッ!」


 アンリとディナは洒落にもならない冗談を大いに笑った。イナミもついでとばかりに引きつった笑い声を上げる。全員、目だけが笑っていない──本当に物騒だ。


 笑い声が静まって、モニターに視線を下ろした頃合いに、ディナがポツリと『一発くらいなら……』と呟いたが、アンリは聴こえなかったフリをした。


 それを聴いてしまったイナミが、ギョッとした眼でこっちを見ている。それも見えないし、聴こえない。あーあーあー。


「──失礼します。、マスコミの対応は一段落着きまし――何です、この妙な空気は?」


 部屋に入ってきたドロシーが、早々に訝しげな視線で周囲を見回す。彼女は別室で、取材の申し込みを頼み込んでくるマスコミを散々に蹴散らしていたばかりだ。皮肉にもそのお陰で、契約書類と政治的問題を引っ張り出したお説教を受けなかったのはラッキーだった。


 それでも勘づかれて釘を挿されるのを恐れた全員が『何でもないです』といった風を装って、モニターに隠れたり、酒瓶を傾けたり、腕立て伏せを始めたりする。……突然の筋トレはあまりにも不自然だよ、イナミさん……。


「……まぁ、ロクでもない事だと見当はつきますが……社長、これを」


 他人の前だからと体裁を保った呼び方をするドロシーが、アンリの前にデバイスを置く。信号を受け取った空きモニターが、想像するだけでくらくらするような高々度からの観測データを出力した。


「当社の観測ドローンが大気中の粒子を調査したものです。大気そのものの変動は緩やかですが、内包する暗黒物質には明確な動きが見られます」


 粒子コライダーを搭載したイスルギ重工の観測ドローンは、高度にして約二万メートルを日々飛行しながら地球に降り注ぐ暗黒物質を調査している。


 A.U.Gの原動力として発見されたエーテル・パーティクルの他に、エネルギー利用できる粒子があるんじゃないかと考えられて始まった調査は、思いがけない異変を拾ってきたらしい。


 モニターに表示された大気は淀みなく渦を巻いては解れて、別の奔流に交わるのを繰り返している。そんな嵐さながらの世界を勇敢に突き進むドローンは、散り散りになった大気中の粒子を観測し続け、局地的な集束の傾向があるとデータを弾き出した。


 ──暗黒物質が一つの集合体に成りつつあった。まるで、何かを形作ろうとするみたいに――。


「これだけの動きがあるのを自然現象だとは考えづらいね……。規模は小さいけど、分析してみるべきだと思う。ハバキさんは何か言ってた?」


「キサラヅ主任も異常傾向だと見解していました。随分と楽しげに調べていたので……詳細も直に出されるでしょう」


「フフッ! ハバキさんらしいね!」


「ええ、実に。もう少し落ち着きがあれば助かるのですが……」


 笑うアンリと対照的に、ドロシーが呆れた吐息を溢す。どうやらマスコミの件とは別に振り回されて来たらしく、あからさまに疲労した態度を見せる彼女が珍しかった。


《社長、社長! 今ヒマかー? あのなー、このデータを見て欲しいんやけど!》


 噂をすれば何とやらだ。モニターの片隅にワクワクとはしゃぐ落ち着きのない女性──A.U.G開発主任であるキサラヅ・ハバキの顔が映った。その瞳は黒縁眼鏡の奥で、新しいオモチャを与えられた子供みたいに爛々と輝いている。


「グッドタイミングですよ、ハバキさん。ドローンの観測データに関する事ですね?」


《おおっ! せや! なんやドロシーがもう話しに行ったんか? 相変わらず仕事早いな! まま、ともかくこれやこれ!》


 モニターの向こうでハバキが慌ただしく、レトロ調なコンソールを叩くと、比較化された別データが映し出された。それは、ドローンが収集した情報と重なって、瓜二つのように見える。


《これ、似とるやろ。これな、やねん!》


 四年前――その言葉がアンリの瞳を見開かせた。視線は既に、モニターよりも彼方へと向いている。何もかも変わってしまったあの日へと。


 少年がいた。十代も始まりだった同い年の男の子が。


 その子は戦っていた。A.U.Gに乗って、途方もない戦いの日々を生き抜いていた。


『死んでしまった方がずっと楽かもね』


 そんな悲しい言葉を口にして、乾いた笑顔を見せる少年――オイガミ・イザヤを思い出していた。


 彼が行方不明となって死亡認定されたあの日――四年前の過去に、アンリの心は再び引きずり込まれそうだった。


 ──どうして。どうして今、こんな事が。ぐるぐると疑問の星々が周り始める。答えの無い真っ暗な過去という宇宙に、いきなり放り出されてしまったような気持ちだった。


 これは、あの子が──イザヤが死んでしまった日の答えになってくれるだろうか。

 彼がどんな苦しみを最後に受けたのか──それを少しでも解らせてくれるだろうか。


 私は知らなくちゃいけない。イザヤの痛みを少しでも分かち合いたかった。何もかも抱え込んだまま、遠くに行ってしまった彼に、独りじゃないって解って欲しくて──。


 そう──私が彼の苦しみを乗り越えてあげなくちゃいけない。身勝手でも、きっとそれが、何もしてあげられなかった事への罪滅ぼしになるから──。


「──ヴェクターが来るんだね! それも──地球に!」


 アンリの理解にドロシーが頷く。肩に添えられた手は柔らかく、それでいて力強かった。言葉にするよりも、ずっと確かな意思を伝えてくれる。


 ディナとイナミの二人も、静かな鋭さを纏って、アンリを注視していた。政府が即応すべき事態だけれど、重い腰に期待は出来ない。イスルギ重工が対処する懸念を察して、出撃を既に意識している。


《まぁ、恐らくやけどね。四年前から『もしたしたら』で話されていた実例が起きるかもしれへん……。宇宙の彼方から飛来するもんやと思われてたヴェクターは、実のところ――なんてパニックもいいところや。ウチは正確な出現場所を過去のデータ使て照査しとるさかい、もうちょっと待っててや》


 違和感──ハバキの言葉をアンリは聞き逃さなかった。通話を切ろうとした彼女を制止して、引っ掛かりを外すための言葉を紡ぐ。


「正確な場所? もしかして、ハバキさんは出現地点の予測が立っているんですか?」


『あかん、マズッた』――そんな言葉を誤魔化すみたいに、他所を向いて頬を掻く彼女の姿はあからさまに図星だった。確実以外は不確実がモットーである彼女は、当然話したがらない。


《あー……いやいや、あくまでも予測やし。当てにならへんから訊かんといて……》


「構いません! ハバキさんの意見を私達は必要としています! 是非、聞かせて下さい!」


 攻め込むアンリの言葉に、もじもじと気恥ずかしそうな唸りを上げて、ハバキは少ない情報を基にした想像を喉元で燻らせた。何だか、芳しくなかった成績表を親に見せたがらない子供みたいだ。


「え……話してくれないんですか、ハバキさん……。私達はどんな事でも打ち解けられるって信じていたのに……ううっ……!」


 わざとらしい涙声と共に、メソメソと俯いてみる──まるで、パートナーと上手くいかず、メランコリックになった女性気取りだ。ちゃっかりとモニターから流した悲劇的な音楽も、三流メロドラマの雰囲気を助長している。


《あっ……ぐぅ……わ、笑ったりしたらアカンよ? ウチやって『なんでやねん!』って言いたい話しやねんから……》


 あからさまなアンリの態度に圧されながら、ハバキは意を決した吐息を溢す。そして、俯いたまま、ぽつりと小さく呟いた──教師に指名されて自信の無い答えを口にする生徒みたいに。


《……学校やねん》


「え?」


 聞き間違えかなと、アンリはハバキの言葉をすぐには飲み込めなかった。それを察して改めて言い直そうと深呼吸したハバキは、その勢いのままいっぺんに、自信の無い内容を捲し立てる。


《学校やねん! 力場が形成される予測地点は、イスルギ重工が運営費用を出してる、元空軍基地の学校やねん!》



 秋祭の盛り上がりも波に乗り、自然とそこかしこで賑わいの声が上がる。


 裏方で屋台を組み立て、ガス・電気を使用する機材の取り付けをしたイザヤは、こうなってしまえばもうお役御免みたいなもので、出店を回るだけの暇を与えられた。


 両手いっぱいに食べ物やらオモチャやらをぶら下げた関係者──お客よりも楽しんでいるその姿は、傍目にもユニークで、図らずとも人の気を惹いて店を回らせるには効果的だった。


 尤も──味音痴な彼が飲食を提供すれば、学校行事始まって以来のテロリズムに発展しかねないので、これが一番平和な状態だと言えた。


「いらっしゃいま――うわっ!? また来た!」


 学舎一階に設けた喫茶店から悲鳴が上がった。そこにはクラスの総意見を持ってして、フリッフリのメイド服にエプロンを着させられた女装姿のヒイラが居る。イザヤがその姿に意地悪くニヤついて、ちょっかいを掛けに来たのは、これで三度目だ。


「いや~ヒイラちゃんに会いたくなっちゃってさー。グッヘッヘッ、この丈の短いスカートの下はどないなってんのかな~? ちょいとワイに見せてみ~!」


「ぎゃあああ! このやり取りも三度目でしょうがぁ! 店長! 店長ぉー!」


 スカートを摘ままれて絹を裂くような声を上げるヒイラに呼ばれ、奥から飛び出して来た女生徒が『ウチの売り子に触るんじゃねぇ!』と叫び、勢いそのままのクロスチョップをイザヤにお見舞いした。


 イザヤが豚の様な悲鳴を上げた後、重傷を負いながら席へと案内されるのはこれで四度目になる。一回多い理由は、悪友と一緒になって衣装変えを覗きに行ったせいなので、本当にどうしようもない。


「……ご注文は? さっさと帰ってよね……」


「酷い! 俺、このお店の売り上げに貢献してるのに! えっとねぇ、オムライス!」


 同級生に飲食を提供させるという優越感に浸りながら、ヒイラの手料理をワクワクと心待ちにする。彼の美少女染みたルックスも兼ねて、料理上手というのがこの喫茶店を繁盛させている大きな理由だろう。そして、謎のクセ者感を放つお客が、全く絶えない一因でもあった。


「……お待たせしました。……オムライスです……早く食べてどっか行ってね」


「またまた~そんな事を言って、ヒイラちゃ~ん。そんな態度だとお客さんハッピーになれないゾ♪ 笑顔笑顔♪」


 ウィンクの星を飛ばしたイザヤに、ヒイラはその綺麗な顔立ちからは想像出来ない作り物染みた笑顔をギチィッと浮かべた。青筋の交差点が顔中に刻み込まれているのを、鈍感なイザヤは気付きもしない。


「あ、そうだ! ケチャップでハート描いてハート! ほら、サービス、サービスぅ! それと文字はねぇ! 『大、大、大好きなイザヤ君へ☆』でお願いしま~す! ブハハハ!」


 ここぞとばかりにイザヤはナメり腐った注文を押し付ける。凍り付いた満面の笑みで、ヒイラがイヤイヤでもやるだろうと確信しつつ、その笑える挙動を彼は目に焼き付けようとした。


 エプロンからケチャップが取り出される。散々注文された事でこなれた手付きは、滑らかに卓上に――叩き付けられた。


 三カメくらいの衝撃が店内に響く。店員の学生も、お客さんも、全員がこっちをギョッと向いた。イザヤなんかは、その際に『ひゃんっ!』と雷にビビった犬みたいに情けない声すら上げてしまった。


「……セルフです。どうぞご自由に……」


 飛び散ったケチャップは血の惨劇だった。艶々と輝いていたオムライスは、スプラッター染みた凄惨な有り様に変貌し、見る影もない。


 呆然とヒイラを見上げるイザヤの顔は青ざめ、向き合った視線は宇宙の虚無よりも暗くて冷たい──あれ、怒ってる?


「ヒ、ヒイラ君……?」


「……描きなよ。大、大、大好きな自分へ、自分でサービスすれば?」


 ジッと刺してくる冷たい視線に震えながら、イザヤは自分で自分宛にハートマークを描くハメになり、さめざめと泣いた。


 去り際のヒイラは、吐き捨てるように『ハンッ!』という言葉を残して行く。強者のお客さんは、『あのサービス、私も受けられるのかな!?』と他の店員に訊ねたものの、認められる訳もなかった。


 イザヤは自己性愛スプラッターオムライスを窶れきった心持ちで平らげ、そのうえ会計の際には『それ差し入れじゃね?』『差し入れだろ?』『命だけ持っていけ』と、迷惑料代わりにぶら下げていた品々まで同級生に奪われてしまった。代金の上に私物まで支払わされるなんて、とんでもない店だチクショウ……。


 よろよろと〝強盗喫茶〟を後にしながら雑踏の中を歩いていると、ふいにスマートデバイスが鳴動した。


 すっかり気落ちして、ヨボヨボになった彼の目にメッセージが入り込む。機械工学科の同級生からだ。


『そろそろやるか?』


 その一言だけで、イザヤの顔はツヤツヤと張りを持った。きっかけさえあれば、どこまでも増長する調子乗りらしく、その切り替えは馬鹿なりに早い。水を与えられた乾燥ワカメだってこうもいかないだろう。


 A.U.Gを動かす――それはきっと、秋祭で一番の演し物になる筈だ。歓声や驚いた顔が見れると思うと、ワクワクして小躍りしそうだった。


 イザヤはニヤけながら、人混みの流れに逆らって歩く。すれ違う楽しげな横顔が、興奮と驚きに変わるんだろうと思うと、悪戯心で更に顔がニヤけた。


 A.U.Gを動かすこと。それ事態は好きだから、今のイザヤはどうしようもないくらい嬉しい気持ちで一杯だった。


 溢れかえるような人の顔──賑やかな喧騒と笑い声──楽しげに流れていく足並み──。


 そんな中――周囲の光景から切り取られたみたいに立つ、一人の青年の姿があった。


 まるで、何処にも行かず、それどころか何処にも行けないみたいに──彼はそこで、ただ静かに立っていた。


 人混みを逆らうイザヤと視線が重なる──いや、違う。彼は。何十人もの人々の中で、青年はイザヤだけを見ていた。


 無造作ともいえるボサボサのブロンド。合間に見える緑の瞳は薄暗く、濁りきっていて輝きが無い。


 底の知れない沼じみた双眸──それがイザヤを捉えていた。何処かへ引きずり込もうとするかのように。


 およそ、賑やかな雰囲気にそぐわない異質感。なのに、口許にリンゴ飴を当てている愛嬌ある姿が、ことさら不気味で、異様な気配を纏わせていた。


「──オイガミ・イザヤ……だな」


 冷たい声だった。感情が欠落しきった声音は、氷や機械が喋っているみたいだった。呼び掛けられたイザヤは、思わずその足を止めて彼と向き合う。


「あー……えぇっと……ゴメン、何処で知り合ったっけ?」


 気まずそうに眉を寄せながら、『名前は覚えてるんだけどなぁ~!』と調子の良い事を言って唸る。そんな様子をまるで気にも留めず、青年はリンゴ飴を齧って言葉を切り出した。


「お前は俺の事なんか知らない。だが、俺はお前を知っている。。思い出せるか……? 吹き飛んだ右半身の痛みを覚えているか?」


 自己中心的に青年が語る。その口調には相手を意識せず、自分の内に溜まった感情だけをブチ撒けるような重苦しさがあった。


 ──痛み。──。


「……何を……言ってんだ? 俺にそんな覚えは……」


 そう言ったイザヤの左手は、無意識に痛いほど右腕を掴んでいた。言葉の一つ一つが火花の様に突き刺さる。少しずつ、確かに蓄積されていく熱量が、神経を焼く見えない炎となって立ち昇ってくるみたいだった。


 痛みがある。覚えのない実感を身体が知っている──


「随分とな……惨めなものだ。せっかく殺してやったのに、こんなふざけた場所でまた生かされている。……もう一度殺してやるだけの価値があるか……試してやるよ」


 期待していた何かを諦めるように、青年は頭を振るった。放たれた言葉はイザヤの中で、目まぐるしく繰り返され、心臓を激しく叩いている。


 ――殺してやった。もう一度試してやる――その言葉が。


「何を……言って……」


 イザヤの内部で何かが膨れ上がる。それは萎みきってきた過去が、頭の中で風船さながらに張り詰めてくるみたいだった。


 暗い映像のフラッシュ。真っ黒に塗り潰された見た事もない景色が、何度も繰り返される。


 喪った手足でもがく――そんな強烈なイメージが焼き付いて離れない。右半身の痛みは既に確実なものへ変貌している。


「……あんまり美味くないな、コレ」


 狼狽するイザヤの反応を面白くなさそうに呟くと、彼は手にしていたリンゴ飴を落として踏みつけた。


 赤と白の破片が散る。イザヤの脳裏でそれがふいに沸き立ったイメージと結び付く。


 割れたヘッドカムのディスプレイ――飛び散った血。身体を貫く激痛──。


 ――誰に撃たれて――。


 覚えのない強烈な違和感。まるで誰かの記憶に触れているような感覚。鉛のように重くなった頭の芯が痛み、脂汗が滲んだ。


 イザヤの表情が苦痛に歪む。その姿を迎え入れるように、青年は陰惨な笑みを浮かべた。ずっとこうするのを心待ちにしていたとばかりに──。


「お前は────」


 瞬間――学舎に激震が走った。イザヤの言葉が途切れ、強い衝撃に浅い悲鳴が周囲で響く。


 立ち止まった人々の視線は窓の先へ向き、その唖然とした様子から、恐怖と戦慄の気配がはっきりと感じられた。


 イザヤも外へ向く。信じられない事態を目の当たりにして、瞳孔が開いた。ただ一人、金髪の青年だけが、暗い笑みを浮かべたまま少しも動じていない。


 ――滑走路の彼方に立つ白い大樹。プラズマを迸らせ、空を切り裂くように伸びたそれは、虚のような異空間を幾つも形成して聳えている。


 その果てしない虚無の中から、白い外殻が出現した──不気味なまでに無機質である人類の天敵が。


 ――ヴェクター。奴等が現れた。それも、これまで決して起こり得なかった地球上での出現という最悪の形で――。


「……さて、何人死ぬかな? 守れるか、今のお前に……」


 その言葉が青年とヴェクターの関わりを結び付ける。不可解な、そして決してあり得ない筈の関係を前に、疑問よりも早くイザヤは青年に飛び掛かろうとした。


 それを阻むように、警報と並んで隔壁が降り始める。センサーが範囲内に人の有無を検知して緩やかに、あるいは高速で閉鎖を始めていた。大人数が密集した空間は、既にパニック状態と陥りかけている。


 非常事態。警備保証社の保安要員が人混みを掻き分け、誘導の言葉を叫ぶ。


 その流れに逆らって足掻くも、イザヤは青年に近付く事すらままならず、二人の間に隔壁が割り込んだ。


 隔壁が閉じる最後の一瞬、淀んだ瞳にイザヤを映した青年は、どこか嬉しげで満足している様に見えた。まるでイザヤに会うためだけに訪れ、混乱の手土産を渡せたみたいに。


 閉じた隔壁を叩き、イザヤが唸る。アイツは誰だ。俺の何を知っている。──。


 突如として目まぐるしく表れた疑問と疑惑。けれど、それよりもヴェクターの出現が、イザヤを苦悶の思考から引きずり出した。


 何人死ぬ。どれだけ殺される。多くの犠牲者を想像したイザヤの顔は焦燥に歪み、脳はフラッシュバックで混乱していた。


 。理不尽に人が殺されるという凄惨なデジャヴュ。二度とそうはさせないと、身体の内でが叫ぶ。


 まだ隔壁が降り切っていない窓へ向かって走る──衝動的な行動。


 イザヤは全身で窓ガラスを破り、屋外へ飛び出していた。これが最善の手段に繋がると信じて、疑わずに。


 ──A.U.Gに乗る。ヴェクターを撃破する。そうしなければならないと、訴える声があった。自分のものではない誰かの声を聴いていた。


 降り注ぐガラス片。宙に飛び出した身体。奇妙な懐かしさがある浮遊感。


 煌めく破片は彼方で輝く星々に似ていて、その煌めき中に存在しない過去が映っているような気がした。


 誰かに向けて──自分ではない誰かに向けられた微笑み。


 幼い頃のアンリが、誰かへ向けて微笑んでいる──。

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