Mission4 月から落ちて。見上げる星々。微睡みに香る『勿忘草』

 熱。強烈な熱。コネクティブル・ジャケットが溶け爛れて、肌に張り付いている。


 目が見えない。真っ赤だ。ぼんやりとした痛みだけがある。バイタルを知りたいと思った。自分はどれぐらい死にかけているのだろう。


 傾く視線。その先に映るのは、手足を喪った右半身。ああ、いつかやるだろうなと思っていた現実との直面。


 熱い。身体が。目元が。涙と血が混じって落ちる。


 泣くな。泣くなよ。悲しむな。だって、これしか知らなかったんだから。しょうがなかったじゃないか。


 息苦しい。粉塵の雨の中で喘いでいる。喉は風切り音を鳴らし、意識は眩しいくらい白濁していた。目まぐるしく変転する視界は、此所ではない場所を映している。


 ああ、これはA.U.Gを与えられた時の事だ。これがお前の全てだと言われるまま、あっさり全部受け入れた日だ。


 親を名乗る何人もの研究者達。代わる代わるに行われた実験。その都度浴びせられる勝手な期待と失望の声。


 やめてくれ。俺は特別なんかじゃない。勝手な期待で苦しめたりなんかしないでくれ。


 それでも――造られた自分の命を卑下にしていながら、それでも心のどこかでは褒められたかった。


 特別だと言われたかった。お前は凄い子だと認められたかった。


 繰り返し、繰り返し、A.U.Gで宇宙を飛び回る日常のフラッシュ。そして、ヴェクターとの不規則なコンタクト――あれが、お前の敵だと言う親達の声に、疑問なんて浮かばなかった。


 そのためだけに俺は造られた。俺達はそのためだけに産まれた。宇宙の彼方から飛来してくる怪物と戦うために。それ以外を誰も求めてはくれなかった。


 生きようなんてするな。怖くなるから。


 人の住むコロニーを守れ。仲間を見捨てたって。


 同い年の子供がすぐ隣で死んでも。真っ暗な宇宙の中で、バラバラになっていっても。


 沢山の子供が死んでいった。毎日、毎日、造られた子供が沢山死んでいった。


 少しだけ仲良くなれた誰かも。明日はきっと仲良くなれただろう誰かも。皆、死んでいった。


 何も考えるな。自分に言い聞かせ続けた言葉を繰り返す。何も考えられないくらい鈍感になれ。今を生きられれば――それで良い。


 褒められたくて戦っていた。認めて欲しくて怖くない振りをしていた。けど、もう、そんなのは全部いらない。褒められなくて良い。特別だなんて思ってくれなくても。


 ――生きたい。


 造り物のくせに生きたいと思っていた。だから、いつの間にか宇宙を飛ぶのが、怖くて怖くて堪らなくなっていた。


 それが義務なのに。それだけが俺の産まれた意味なのに。


 戦うのが怖くなっていたんだ。死にたくなくて――。


『イザヤは凄いね、格好良いよ』


 ――どうして、どうして君は、こんな俺を褒めてくれたんだろう。凄いと認めてくれたんだろう。


 アンリ――俺は君に何もしてあげられない。


 与えてくれることばかりに甘えていた。出会った日から、ずっと俺に沢山のものをくれるまま、君に依存していた。


 そのくせして見栄を張るのは一丁前で、君をずっと不安にさせた。そんな気持ちを困ったように笑って格好つけて。


 生きて帰れば。生きて帰れたなら、今度こそ俺は、君に何かしてあげられるだろうか。どんな事だってするよ、君がしてくれた分まで。


 ずっと秘密にしていた言葉があるんだ。俺は、それを未だ口にしていない。


 言えるだろうか。造り物の、情けないばかりの弱い俺でも、君に伝えることができるだろうか。


 それぐらいの勇気は、きっと見せなくちゃいけないんだろう。張るばかりの見栄を捨てて、君に本当に伝えなくちゃいけないことを言うのが一番格好良いんだから。


 アンリ、俺は帰るよ。君のところへ。


 どんなに惨めでも、ボロボロでも、俺は君に伝えたい言葉があるから。


 ――アンリ、俺は君が好きなんだ。



「アッチィ!!」


 その青年は、溶接で飛んだ火花に右手を焼かれて悶えた。気紛れに革手に入り込むこいつらは、何度経験しても腹が立つ。


 咄嗟に叩き落としたそばから、汗に汚れが張り付いてドロドロになった。閉めきった工場内は風も通らないし、籠った熱気を排熱ファンがいくら頑張って追い出してくれたって残暑の外気はどんどんやってくる。学校設備の工場棟内は、まるでサウナさながらだ。


 熱い、暑い、痛いの三重苦にふぅふぅ言いながら、青年は意を決してもう一度溶接を始める――今度は右足の革靴内に火花が飛び込んだ。


「ギャアァー! 俺の右半身に何の恨みがあるってんだ!」


 思わず鉄板を敷いた床の上を転がり、半ベソになりながら突っ伏した。小さな呻き声すら漏れている。


 どんな無様を晒しても一人なら平気だ。気持ちが落ち着くまでは、いじけてやろうとすら思っていた。鉄板に口があるなら鬱陶しいと喚かれたに違いないけど。


「……何してんのさ、イザヤ君……」


 ――鉄板が喋った。違う。一人じゃなかった。聞き覚えのある声にハッと顔を上げる。


 みっともない姿の彼――オイガミ・イザヤの前には、美少女然といった容姿の友人が憐れみの眼差しを向けて立っていた。


「……ヒイラ……何時からそこに……?」


「ん? 悲鳴を上げながら踊り出したあと、床に伏せて『もうやだぁ』ってグズってた辺りかな?」


 そう言って、オモチャを見つけた猫のように――悪友アラクヤ・ヒイラは目を細めた。


 なんとも嫌らしい笑みを浮かべているくせに、憎々しさを全く感じさせない可愛らしい顔立ちをしているのだからズルい。


 寧ろ、それは何だか扇情的で、美人に見下ろされるという特殊な快感に通じるものすらあるかもしれない。そして、極め付けに倒錯しているのは――が紛れも無く男だという点だった。


 なまじ美少女さながらの顔立ちなものだから、クラスの男子に馴染むまでは『いやぁー! 男子便所に入り込んでくる女子がいるぅー!』と、騒ぎになったくらいだ。


「……皆にはナイショだよ?」


 頬を染めながら、ちょっと気恥ずかしそうに呟くイザヤだったが、ばっさり『気持ち悪い!』と吐き捨てられて益々落ち込んだ。もう本当にやだ。


「……それにしても、ここ暑いね……。ねぇ、お弁当痛んじゃうから場所変えない?」


 見せ付けるように持ち上げられたヒイラの手元には、保冷パッケージングされた弁当箱があった。


 美少女の外見で料理が趣味の青年、アラクヤ・ヒイラ。そのせいで血の涙を流して悔やむ同性は数知れず、『男でなければ……』という言葉はヒイラを悩ませる怨嗟の声だった。ちなみにイザヤもちょっかいの名目で言ってたりする。勿論、怒られた。


「お!? 作ってきてくれたの? ヒャッホー! ヒイラ様、ばんざーい!」


 跳ね起きた勢いのまま、弁当箱に飛び付こうとするイザヤにヒイラが後ずさる。まるで、意地汚い犬にじゃれつかれるのを拒むみたいに。


「うわ、汚なっ! こっち来ないでよ! まずは手を洗ってよね!」


 ドロドロに汚れた姿をドン引きされ、追い払うように手まで振るわれた。罵倒が混じった声は、いよいよ野良犬に対する態度そのものになっている。


 しかし、ぞんざいな扱いを受けた当の本人は、『はいはい』と気抜けした返事をしながら、ヘラヘラ笑って洗面台に向かう。今度は何だか躾られた犬みたいだった。


 ヒイラはちょっぴり潔癖の気があるくせに、工場棟へよく顔を出す。というのも、放って置いたら飲まず食わずのまま、イザヤが集中している作業をぶっ続けにすると見抜かれているからで、蛇口にしがみついて水を浴びるように飲んでいる姿を見られたのは記憶に新しい。


 そんなイザヤにインターバル代わりの節目を作ってあげるのが、知らず知らずの内にヒイラの日課となっていた。


『君は放って置いたら、満足するまでずっと作業をしているんじゃないの』――そんなヒイラの台詞は、時たま的中したりするのだから侮れない。自分の限度を分かっているつもりでも、他人からすれば気掛かりな奴は下手すれば死ぬ可能性をチラつかせている。イザヤは正しくそんな奴だった。


 ヒイラが昼食を持ってくるのは、正直なところ様子見といった面が強い。イザヤ自身、何となくそうだろうと勘づいてはいるものの、気に掛けてくれているのを口出しするのは何だか悪いなぁと思い、されるがままの関係を気に入っていた。それに、昼食だって付いてくるんだから悪く無い。寧ろ、なんだか得した気分だ。


「本当に、僕がいなかったら君はどうなっちゃうんだろうね……」


「そんな……! 私、ヒイラ君がいない人生なんて考えられない!」


「ほんっとに気持ち悪いなぁ!」


 渾身の裏声を奏でながら、笑って水を頭から被るイザヤは、その内面にさえ目を瞑れば年頃の好青年らしい溌剌さに溢れている。


 やや長い黒髪をバンダナ代わりのタオルで覆って、清々しく笑う彼の顔立ちはとても精力的で健全だった。それは、多くの人にとって好かれやすく、年頃の青々とした魅力に満ちている。……シャンプーの終わった犬みたいに、はしゃぐ内面にさえ目を瞑れば。


「ところで秋祭に間に合うの? これ」


「ん? ああ、間に合わせるさ。今の俺が得意なのはこれだけだし」


 疑問を口にするヒイラから弁当箱を受け取ったイザヤは、唾を飲み込みながら軽い調子でそれに応えた。


 茹だるような熱気の中で、二人の傍らに平然と座り込む巨人――A.U.G。


 装甲を外され、骨格アクティブフレームが剥き出しになり、神経系ケーブルや、内臓に位置する動力機器が吊るされた姿は、エンジニアでなければちょっとグロテスクに見えるかもしれない。


 脊椎動物が自重を支えるための背骨に相当するフレームには、【ISRGHIーMk.1A2B03062】と製造番号の刻印が打ち込まれている。


 ISRGHIISURUGI HEAVY INDUSTRY――イスルギ重工を意味するイニシャルから始まり、標準型第二世代と形式番号が続くこれは、学生の教材として扱われるほど型落ちしたA.U.Gだった。


 機体名称【ムツキ睦月】――イスルギ重工が最初期に正式採用したため、1月の名を与えられたA.U.G。機能の偏りや不足部分を徹底的に調整したベーシックな性能は、不得意がない優良機として高い評価を得ている。


 その根強さは第三世代となった今でも続いていて、統合政府やU.N.Sの他にも多くの軍事に携わる組織に組み込まれていた。


 ネット番組でA.U.Gに関する軍事事情に通じた専門家は『ムツキの人気の根底にはあらゆる組織の毛色を感じさせないフォーマルな外見にある』と言っていた。


 確かにムツキは、ヘルメットや防弾チョッキを着込んだ人の姿にとても酷似している。いかにも標準的な兵士の姿といったその外見は、軍隊という集団が一律の機能をするのに最適で、特別視されるヒロイックさなんて欠片もなかった。


 だからこそ好まれるという点でイザヤはモニター前で同感したし、A.U.Gマニアのコメンテーターが言う『でも、そう言った格好良さもありますよね』という単純明快な発言には大いに同感した。コイツは話が分かる奴だ。


 確かにイザヤの目の前にいるムツキは特別視されない旧式の機体かもしれない。かつて乗っていたオーグナイザーも、際立った戦績を上げる事のない一兵士に過ぎなかったかもしれない。


 けれど、戦いの中に身を置き続けた勇敢な人と機体だった。ムツキが適正化した戦闘システムの残滓がイザヤにそう伝えてくれていた。


 戦えないんじゃなく、戦わない人だっている。傷付くのじゃなく、傷付けない観賞用とされるA.U.Gだってある。


 そういった不公平にも構わず、この機体とオーグナイザーは前線に立った。後ろから反戦の声と政治的な横暴に叩かれ、時には権威の誇示に過ぎない空っぽなA.U.Gの盾になれとすら言われながら。


 そんな苦労を乗り越えて、こいつは此所へ流れ着いた。およそ戦場から最も遠い学舎へ。


 十数年前にイスルギ重工から提供された時には、レストアされてピカピカだったと聞いた。けど、内蔵機器は古強者らしい旧式の構成で成り立っていて、それは今も変わらず修理修繕が続けられている。


 戦い続けて、ボロボロになって、そして戦場から降りたこの機体がイザヤには格好良かった。


 ――コイツは戦い抜いたんだ。月から落ちる事になった自分とは違う本物の英雄だ。


 薄ぼんやりとした過去。曖昧に微睡んだ記憶。。そんな感覚があった。


 その空白が、機体に触れている間だけは不思議と色づいた。くすんだ映像記録の描写が修正されるみたいに。


 それは何処か懐かしいような。


 あるいは不安になるような、奇妙な心地だった。


 まるで戦いの日々に戻りたがっているみたいに――得体の知れない渇きがあった。


「……なぁ、ところで……お弁当食べて良い?」


「待て!」


「ワン!」


 ゆっくりと起き上がるような暗い欲求を、馬鹿笑いしてイザヤは吹き飛ばした。下らない話を振ったり振られたりしながら、ヒイラと一緒に二階建てのユニットハウスへ足を運ぶ。


 そんな筈ない。月から落ちた事に悔やしがる訳がなかった。


 振り返る記憶はぼやけていても、嫌なことばかりだったと覚えているから。彼処での日々は、ほとんどが辛いことや悲しい事ばかりだったと思い返せるから。


 だから俺は――戦いなんて求めていない。



 実際のところA.U.Gはメンテナンスフリーだなんて言われてるぐらい丈夫だ。


 これはA.U.Gを生み出した大元である【クラインの飛来者】独自の機能が理由となっている。


 オリジナルと通称される【クラインの飛来者】は、暗黒物質を始めとする未知の物質で構築された人型のだった。


 あらゆる環境に散在する暗黒物質を取り込み、自己修復を可能とするその特性は尋常の無機物には有り得ない。


 再生と代謝の能力――宇宙を漂流していた人型の金属塊が持っていた機能を、研究者達はそう結論した。


 第二世代以降の基本性能として組み込まれたその機能は、不完全ながら短い期間でのメンテナンスを省けるという大きな前進となった。


 まるで、人間が空気中の酸素を取り込んで生成したATPをあらゆる治癒に使うような――そんな類似点が運動性能に限らず、人体に酷似していると話された。


 機体自らがある程度の損壊箇所を再構成する。これが修理修繕という手間を省いたメンテナンスフリーの理由だと、A.U.Gに携わる技術者達は認知していた。


 ただ、その修復力だけを頼るにはあまりにも時間が掛かりすぎたり、完全な機能不全に陥った場合にはどうしたって外部の助力が必要だった。


 そういった場合、A.U.G整備士達の立場は医者に近い。大掛かりな分解作業は人間で例えるなら手術と同じくらい大事だ。


 こりゃ駄目だと手が施せない部分はともかくとして、多少のダメージなら交換という手間はA.U.Gに必要なかった。


 だから膨大な資金力を持った政府や、商品として売買する企業ですらない一学校がA.U.Gを資料として保有するなんて事が出来ていた。とは言え、一般的な学校がA.U.Gを敷地内に置くなんていうのは、まずあり得ないのだけれど。


 なのに何故イザヤとヒイラが学業を勉める学校が、A.U.Gを所有できるのか――そう問われれば、学舎は空軍基地を改築したイスルギ重工の所有物というのが理由だった。


 運営こそ統合政府の教育機関所轄となっているけれど、施設の維持費や運営費はイスルギ重工の支援によって賄われている。そのため、実権はイスルギ重工が握っているも同然だった。


 だから、学校敷地内に中小企業顔負けの工場棟が設けられたうえ、一生徒に過ぎないイザヤがムツキを好き勝手に触れた。万全な設備環境は、その気になれば機体を完全に解体すら出来てしまうぐらいに整っている。


 A.U.Gに関連する技術を磨くのに、これ以上相応しい場所はそうそう無い。事実、在籍する学生達はその恩恵をたっぷりと受けて、伸び伸びとあらゆるノウハウを吸収していた。


 尤も、イザヤとヒイラは同じ学校に属しているだけで、専門として学ぶ教科やA.U.Gに関係する技術はまるで違っているのだけれど。


「これ動くの?」


 モニターに出力されたバイナリコードの羅列を眺めながらヒイラが呟いた。彼が専攻するのはA.U.Gの機体そのものではなく、それを機能させるシステム面なので、イザヤが打ち込んだスパゲッティみたいなプログラムに懐疑の眼差しを向けるのも当然だった。


「あ! 疑ってんな! よーし、俺が何でも出来る凄い奴だって証明して見せよう!」


 イザヤは厚焼き玉子を咥えながら自信満々に、吊るしてあるコネクティブル・ジャケットの片腕部分に手を突っ込んだ。そこから伸びたケーブルはフルフェイス・ヘッドカムに繋がって、修理中のムツキと遠隔でシステムリンクされている。


「それ、失敗する奴のセリフだよね」


「ふっ、見てもないのに決めつけるのは良くないなぁ。人は……知らぬ間に成長してるもんなんだぜ……?」


 本人は格好つけた気でいる。けど、キザったらしくチッチッと指を振って、キリッと眉を寄せる姿は、どっからどう見ても失敗する三枚目だ。溢れんばかりの期待と信頼の空気感は本人からしか出ていない。


「このコードからはその成長が見受けられないんだけど? 決めつけどころか事実じゃないの?」


「いやいや、百の言葉よりも一つの行動でしょ! それではヒイラ君、窓の外をご覧下さーい!」


 細く絞った疑心の眼差しのまま、イザヤが景気良く指差す窓の下を見る。そこには二人がさっきまで居た作業場が広がっていて、勿論、修理中のムツキも鎮座していた。


 動作の簡略化信号が設定されていないため、筋肉の微細な動きや脳波での命令が出来ない以上、ハッキリとした動作をしなければならない。


 という訳で、イザヤは肘を曲げるという単純で大きな動作をM.S.Sに送り、それをコードとして読み取ったムツキは正確なモーショントレースで――骨折した。


「あらぁ!?」


 狼狽するイザヤの上擦った間抜けな声と、肘を曲げる度に逆間接で動くムツキに、ヒイラの頬は破裂しそうなくらいに膨らんだ。ほら、やっぱりだ。君は期待を裏切らないね。


「うん、判ってたよ。成長してないどころか、今回は骨折させたね。……あ、それともそういう仕様にしたのかな? だったらゴメンね、上手くいったじゃない!」


「ヒイラの意地悪! おっかしーな! 何で!?」


 意地になって腕を振り回すイザヤの信号を読み取ったムツキの腕が、気でも触れたタコのように暴れる。ヒイラの頬は遂に決壊し、ケタケタと大笑いしながらソファの背凭れに突っ伏した。


「あ、解った! コードが逆なら、その度に君が関節を鯖折りにすれば良いんだよ! 良かったねぇ、解決したじゃない!」


「ヒイラの意地悪! これは違うんだってぇ!」


 何が違うのかさっぱりだけれど、事実として間違ったプログラムがA.U.Gを走り抜けている。百の言葉よりも一つの行動を実践して、明確な過ちがあると一目で教えてくれた。なんだ、たまには良いこと言うじゃない。


「……あー笑った笑った。さぁ、もうバックアップで直しちゃいなよ」


「うう、そうする……あーあ、今回は上手く組めたと思ったんだけどなぁ――あるぇ?」


 バックアップのために、顎ガード部分を展開したフルフェイス・ヘッドカムを被るイザヤが、不安な言葉尻でインターフェースに視線を走らせている。こういう時は絶対にロクでもないのだけれど、一応は聞いておこうかという不文律があるのをヒイラはちゃんと心得ていた。


「どうしたの?」


「いやぁー、オペレーションファイルが見っからないんだよね。日付間違えたかな?」


「上書きしたんじゃないだろうね?」


「あ」


 ――『あ』って言った。ほんの一言がやっちまったの代名詞になるんだから便利なもんだ。厳ついフルフェイスを被ったまま、薄暗いバイザーの先で眉根を下げた情けのない顔がゆっくりとこっちを向く。


「……ヒイラぁ~……」


 案の定だ。頼りない声色で縋り付いてくるイザヤをヒイラは楽しげに眺めた。細顎の先に指を沿わせて小首を傾げる姿は、小悪魔的で、そんなエッセンスが美少女っぽさに磨きが掛かる。


「やってあげても良いけど、一言欲しいなー」


「……お、お願いします、ヒイラ様」


「んー、もう一声」


「た、大変お手数をお掛けしますが、何卒ご協力をお願いできませんか?」


「イザヤ君。僕はねぇ、炭酸が飲みたくなってきたよ」


「ハイ、直ちに!」


「返事はワンでしょ! 走って! ほら!」


「すいませんワン! 行ってきますワン!」


 ヒイラに発破をかけられて、ドアを突き破るような勢いのままイザヤは階段を降りていった。まるでアイドルに頭の上がらない駄目マネージャーみたいだ。ずっとこうなら楽でいいのに。


 しょうがないなぁ、僕がいないと何にも出来ないんだから――そんな独り言を口にして、ヒイラはフルフェイス・ヘッドカムを被る――前に一旦、消臭剤を一吹きしてから小さな頭をすっぽりと覆った。


 頭蓋骨の形状を読み取るセンサーがユーザーの変更を認識し、アジャストのために展開していた部分が全て収まる。


 青白い光と共にデータの海へ沈んだ。オープンユーザーとして迎えられた果てしなく広大な電子の中で、複雑な文字列が星屑のように瞬いている。


 幻想的なクリアブルー。抽象的で捉え所のない空間。オーグメンテッド・リアリティで表示された機械言語がコンパイラを通過し、渚のように体に触れては流れていく。


 初めて見た時はとても綺麗な場所だと思った。透き通った世界にそよぐ、冷却を兼ねたクリーンな空気は胸がすくようで、今でも変わらず心地良い。


 けれど、ヒイラは目にした事を純粋に受け入れて、素直に楽しむという時期をとっくに過ぎてしまっていた。傍目には美しい自然環境が、知る人からすれば産業廃棄物の上で成り立っていると嘆くみたいに。


 システムを構築するプログラムコードが、あまりにも冗長で乱雑だったので思わず唇が尖った。まるでゴミ山だ。一見して何を目的としたのかすら解らないので、読み取るのに苦労しそうだと溜め息混じりに姿勢を正す。


 本来ならA.U.Gの電子頭脳に組み込まれたAIにプリセットコードで書き換えて貰うのが楽で良いのだけれど、折角イザヤが積み上げた足りない努力を無駄にしてしまうのも可哀想だと思って頑張る事にした。


 立体出力されたムツキのシミュレーションモデルから生え伸びる命令系統のツリーを展開していく。すると上層・下層と本来なら分けられる筈の優先順位が一体化されており、目を疑った。これじゃA.U.GのCPUも主軸とする入力信号やプログラムが解らず、大混乱に陥るのも納得だ。イザヤのモーションをえげつない形で出力したあの動きも、悩みに悩んだ演算装置が頑張って打ち出した結果だったに違いない。


 なんだか下手に調理して生ゴミみたいになったスパゲッティを『どうぞ召し上がれ』と自信満々で差し出された気分だ。最悪だ。


 ふと、作ってあげた弁当をイザヤが『美味い美味い』と貪る傍らで、〝納豆汁粉〟という凶悪な文面をした飲料をグイグイ飲っていた姿を思い出す。そうだ。彼は味音痴だった。此処でまでそんな本領を発揮する必要ないのに。


 彼は美味しいも不味いも一緒くたに飲み込む。それはムーンチャイルドとして味覚教育をされず、加工食品だけで育ったという意味だけじゃない。どんなに不利な状況下であっても出撃した経験があるという意味だ。


 きっとこんな滅茶苦茶なプログラムで動くA.U.Gでも、彼はすぐに慣れて自然と乗りこなしてしまうに違いない。前後どころか上下左右の入力が狂い、三次元的な認識すら失った機体でも平然と動かす筈だ。


 それよりも酷い状況だってあった。思い出したくもない世界を生き延びて、彼は此処にいる。


 戦うために磨きあげたテクニックが、技術的な問題を探る能力に変わるなら栄転だ。それをもっと良いものにするために、彼は技術職を専攻して学んでいる。過去という生きた証を未来に繋げるために。


 それに手助けするのは吝かじゃなかった。彼のために出来る協力は惜しまない。


 一人の友達として。そして命を救われた――同じムーンチャイルドとして。


 戦闘適正ではなく、演算処理能力を強化して造り出されたヒイラは、卓越した計算力でコンパイルされていない機械言語を片っ端から解読し、コーディングのルールを探った。


 課題と問題、その解決策。イザヤの目的を読み取ってその形を作り出す。


 視線入力。思考の言語化。オーグメンテッド・リアリティを掻き回す指先。夥しく立ち並んだ0と1が処理されていく傍らで、モデリングされたA.U.Gが高速でシミュレーションされる。


 駆動の細分化と調整が一秒以下の間で何百万回と繰り返され、極めて滑らかな動作がA.U.Gに与えられていった。運動性、反応速度、姿勢制御、重心バランス、エトセトラ。


 膨大な数のプログラムツリーが開かれては処理され、続々と畳まれていく。シミュレーション上のA.U.Gは実行された運動テストを抜群の結果でパスし、整合性を持って適正化された。


 やれやれ、まったく一苦労な。ヘッドカムを外したヒイラは、小さな頭を振るって一息ついた。A.U.Gの基礎プログラミングもまともに出来てないのに、応用するなんて百年早い。赤ん坊がトライアスロンをやろうとするようなもんだ。


「終わった?」


「うひゃ!?」


 ヒイラの真ん前でイザヤが瞳を輝かせていたので、思わず変な声を上げてしまった。いつの間に居たんだ。パイプ椅子に座って覗き込んですらいるのに全く気付かなかった。


「んふっ! 『うひゃっはぁ!?』だって。んふふっ!」


「そんな声上げてないでしょ! 音もなく入って来ないでよ!」


「いやぁ~集中してそうだったからさぁ、俺も気を使っちゃったよ。結構ガタガタやってたんだけどねぇ。あれかい、ヒイラ君も結構周りが見えなくなるタイプ――痛っ! グーは止めろ! グーは!」


 叩かれながらニヤついてるのがムカつく。ヘッドカムを放り渡し、イザヤに自分の運動能力とデータベースを擦り合わせるように言い付けて頬杖をついた。世話が焼けるくせに調子こきな彼には本当に呆れさせられる。


「お、流石ヒイラ! 俺の考えに合わせて組んでくれたんだ。助かるよ、サンキュー!」


 ヘッドカムを外して、笑顔を向けてくるイザヤの反応が妙に照れ臭い。


『まぁね』と素っ気なく返事をして、気恥ずかしさを誤魔化すようにテレビを点ける。映像は、何かの会見らしく記者が大勢集まっていた。


「……あ」


 ヒイラの呟きに、イザヤも視線を向ける。目映く焚かれたフラッシュの中に、ギョッとした顔のイスルギ・アンリが居た。


 ちらりと横目でイザヤの顔色を窺う。彼は嬉しそうな――それでいて沈痛に眉を下げた複雑な表情を浮かべていた。その眼差しは、過去と現在を混じり合わせて何処か遠くを見ているみたいだった。


「彼女に……会いたい?」


 返答次第では直ぐにでもチャンネルを変えようかと、リモコンを持った手が強張る。アンリとイザヤが沢山の思い出と一緒に、沢山の苦しみも抱えていたと知っているから。


 何気無くテレビを点けた自分の迂闊さに嫌気が差した。イスルギ重工が取り組んでいる問題は、報道機関の美味しいネタだと解っていた筈なのに。


「そうだなぁ……会いたい気持ちはあるよ。けど、どんな顔をしてアンリに向き合えば良いのか……俺は分からないんだ」


 後ろ首を掻きながら気まずそうに他所を向く彼に、なんて答えれば良いんだろう。ヒイラは答えを持っていないし、その悩みを解決する手段も無かった。


 会えれば吹っ切れる何かが有るかもしれない。でも、どうすれば彼女に会えるというんだろう。純粋に子供だった頃とは何もかも変わってしまっている。今の二人を取り巻く環境は、子供のままではいさせてくれない。


「そっか……」


 彼の蟠りに、そうなんだねと声を掛ける事しか出来ない自分がもどかしい。無力だと思いつつ――思っているからこそ、彼のために出来ることを探すしかない。生き延びた末に思い悩む友人を、放って置いたりなんか出来なかった。


《彼氏は!?》


《いません!》


「よぉし!!」


 マスコミとアンリの掛け合いに、イザヤが盛大な歓喜でガッツポーズをするのだから、思わず喫驚した。


 椅子からずり落ちそうになった体勢を持ち直し、目を細めて彼を見る。キラキラと瞳を輝かせて、プログラミングを打ち直してあげたときより嬉しそうなのが無性にムカついた。


「ん? ヒイラなに――痛っ! だからグーは止めろって! ていうか何で殴るの!?」


 ムカつく。人の気も知らず、色々と考えあぐねるのが杞憂なんじゃないかと思わせるのがやっぱりムカついた。


 それでも――こんなふざけた調子でも、彼が再び戦わないなら、このままで良いと――ヒイラはひっそり微笑んだ。

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