任務一日前・午後

「ここは、神原さんの部屋なんですか?」

 数時間の移動を終えて本部に着くと、数哉は〈6³〉の説明を受けた昨日と同じ部屋に通された。

 机に数客の椅子、小物に至るまで白で統一された部屋に、たった一つの移動式ブラックボードが異彩を放っていた。

「まぁ、そのようなものだ」

 神原はそう答えると、数哉を手近な椅子に促し、ブラックボードをその近くまで引き寄せた。

「さて、まずは昨日の続きを説明しよう」

 神原は昨日の説明で書かれたままの白い文字を全て消し、中央に大きく〈m〉とホワイトマーカーで書いた。

「メートル、ですよね?」

 数哉の言葉に神原は目を見開き口元を歪めると、眼鏡を外して白衣のポケットから取り出した布でレンズを拭き始めた。

「そうか……栄月さん、だな?」

「え、ええ……昨夜、教えてもらいました」

「速度についても?」

「は、はい」

「まったく……やれやれ」

 神原は溜息混じりにそう呟きながら眼鏡を掛け直すと、ブラックボードに書いた文字を消した。

「では、深麓さん。リンクキーパーについては、聞いたかな?」

 神原はそう言って、ボードに〈保調護具〉と書いた。

「りんくきーぱー、ですか?」

「そう、正式名称〈保調ほちょう護具ごぐ〉」

 神原はそう言って、ボードに書いたその用語を丸で囲った。

「保調、護具……」

「深麓さん、首飾りはもらったな? 6³があしらわれた首飾りだ」

「はい。これですよね?」

 数哉はシャツの胸元からペンダントを取り出し、神原に見せた。

「ちゃんと身に着けてるようだな。それは、影との戦闘の際に重要な役割は担うアイテムだ」

「そうなんですか? コレにどんな効果が?」

「簡単に説明すると、個人のm値を維持させる装置だ」

「m値を維持?」

 神原はボードに〈6³=認識値〉と書くと、その下に〈外面的〉、〈内面的〉と間隔を置いて書いた。

「いいか? m値と認識値については、昨日話した通りだ。理論上、m値がこの認識値に合致すれば、誰でも影を認識することが出来る。これは理解してるかな?」

「はい、大丈夫です。微小の誤差も認識できる範囲内なんですよね?」

「そうだ。まぁ、数値的にコンマ以下の誤差だがな。そして、その保調護具は認識値を維持できるように設定されている。いわば、個人のm値をリンクに維持できるということ。だから、通称リンクキーパーという」

「そうなんですか。じゃあ、このリンクキーパーがあれば、誰でも影を認識できるようになるってことですか?」

 数哉がリンクキーパーを持ち上げて見せると、神原は首を振って、ボードに〈精神的〉と書いて〈内面的〉に矢印を伸ばした。

「いや、リンクキーパーはあくまでm値を維持させる装置であり、強制的に個人のm値を認識値に合わせるモノではない。また、内面、精神的に個人のm値が認識値に合致したことを検知して作動するようになっている。要するに、意識的に精神のm値を認識値に合わせることが出来ない限り、無理だ」

「なるほど。じゃあ、m値は状況などによって変動するんですよね? このリンクキーパーを持った状態で、なんらかの理由でm値が認識値に合ったとしたら?」

 数哉の質問に神原は微笑みながら片手を腰に当てると、マーカーを持った手の人差し指で、眼鏡のフレームをポンポンとリズム良く叩き始めた。

「よく覚えているな。ちゃんと理解もしているようだ。そう、その場合は、リンクキーパーは作動する。しかし、それはとても危険なことだ。こちらが影を認識できるようになるということは、影の方もこちらを認識できるようになるということ。そうならないように、リンクキーパーが6秒以上認識値を検知し続けないと作動しないように設定してある。いわば安全装置だな」

「そうなんですか。すごい装置ですね」

「まぁ、まだまだ不完全な装置だよ。もっと改良の余地がある……ああ、そのリンクキーパーはこの施設内を行き来するための通行証にもなっているから、そうやって肌身離さず持ち歩くことをお勧めする」

 神原は手にしたマーカーで数哉のリンクキーパーを指して告げると、ボードに向き直って書かれている〈外面的〉に下線を引いた。

「さて、理解のあるキミのことだ。もう一つ質問があるんじゃないか? そう、車などを利用して認識値で走行した場合だ」

「そうです! その場合はどうなんですか?」

 神原はボードに〈肉体的〉と書くと、〈外面的〉に矢印を伸ばした。

「走行により認識値に達することは、リンクに外面的に達するということ。いわば、肉体的にリンクに存在しているということ」

「肉体的に?」

「そうだ。精神的な認識レベルというモノを無視して、リンクに存在するということだ。その状態であれば、誰でも影を認識できるし触れることも出来る……まぁ、分かっていると思うが、影の方も同様だがな」

 神原の説明に数哉は黙って頷くと、両腕を組んでボードを眺めた。

「神原さん。その肉体的に影を認識している場合、触れる事も出来ると言いましたよね? 影を倒す、滅することも可能ということですか?」

 神原はマーカーを置くと、ボードの角に片手を置いて数哉を見据えた。

「キミはこの組織の一員だ。隠す必要がないから教えよう……認識値で走行できる車は存在し、配備している。そして、それを利用した影との戦闘も、すでに実践済みだ」

「そうなんですか!」

「ああ、影を滅することは可能。しかし、注意点がある。武器などを使用する物理的な攻撃の場合、直接的でないと影には有効ではないということ」

「直接的?」

「そうだ。素手で殴るなどは可能。棒や何かで殴る場合は、その物体に触れ続けていないといけない。銃や投石などの間接攻撃は無効ということだ」

「それって、なかなか難しいですよね」

 時速四十キロメートルで走っている車の上で戦う姿を想像し、数哉は苦笑を浮かべた。

「そうだな。間接攻撃が出来れば、少しは楽になるだろう。しかし、直接攻撃のみで戦っていたのは数年前の話だ。今では研究が進み、間接攻撃が可能になってきている」

「え? どうやって?」

 神原はマーカーを取ると、ボードに〈遺伝子〉と書いた。

「難しい話は伏せるが、簡単に説明すると、影を認識してる存在と同じ遺伝子を持った物体であれば、有効ということだ」

「遺伝子……」

「まぁ、興味があれば、今度詳しく説明してあげよう……何にしても、精神的にリンクに存在できる影滅者の方が、実戦向きなのは確かだ」

 そう言って、神原は数哉を指差した。

「そうなんですかね? 神原さんの話を聞いていると、研究が進めば、だれでも影と対抗できるようになると思いますが?」

 数哉の言葉に神原は眼鏡の縁を押し上げて苦笑を浮かべた。

「深麓さん……いつかはそうなるのかもしれないが、まだまだ先の事。研究は遅々としているのが現状だ。それに、影は脅威なのに変わりはない。キミたち影滅者のように、影と戦い慣れてないと、非常に難しい」

「そうですか……ところで、今更と言ってはアレなんですけど、影滅者っていうのは何なんですか?」 

 神原は数哉の言葉に、一瞬、呆れたような顔を見せると咳払いをしてマーカーを置いた。

「ふむ。何も聞かされてないのか……というか、キミは報告にあったように、かなり特別な人間のようだな。大抵の影滅者はその呼び方は違えど、今まで影を滅することを生業にしていた人間だ……有名なのは、悪魔祓い、陰陽師、山伏と言ったところかな」

「それって、テレビや漫画でよく見るやつですよね?」

 数哉は神原の言葉に、身を乗り出して、そう返した。

「そうだ。実在するし、遥か昔から影と戦ってきた者たちだ」

「そうですか。やっぱり……俺が影と戦えるのも、その人たちのおかげなんですよね」

「ほう? キミに影との戦闘方法を教えてくれた人物か? 興味深いな」

「あ、あの、教えてくれた、というか。参考にした、というか。テレビとかで見て、自己流で、というか……」

 数哉は頬を掻きながら俯いて、そう言った。

「自己流? はははは! 面白いなキミは! 実戦データが楽しみだ! はははは!」

「は、はは……」

 神原が苦笑を浮かべる数哉の肩に手を置いて笑っていると、部屋のドアが勢いよく開いた。

「神原! そろそろだよ! 詳細な計測を頼むよ! 新入りはさっさと帰りな! 送りの車は手配済みだよ!」

 白いローブに身を包んだ老婆が部屋に入って来るや否や、怒鳴る様にそう告げた。

「了解です……あっ、深麓さん。おそらく、明日の朝頃、また本部に来ることになるかもしれない」

 神原は数哉にそう告げると、老婆と共に部屋を出て行った。

「……実戦データ? そして、明日……また……」

 数哉は一人になった部屋の中でそう呟くと、両腕を組んで天井を見上げた。

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