誠心誠意初詣

 大学は冬休みに入っていた。三回目の説話を終えたのは二十八日。それから年が明けるまでの四日間、ボクは完全に「何も手に着かない状態」に陥っていた。

 読書をしても話が頭に入ってこない。ゲームをしてもミスばかり。大掃除を手伝っても上の空。それもこれも元日の初詣のことで頭が一杯だからだ。


「和泉さん、来てくれるだろうか」


 電話は毎日かけた。いつものメッセージを聞かされると分かってはいたが。

 メールは説話が終了した二十八日の朝にした。もちろん返信はない。返信がないのに新しいメールを送るわけにもいかないので、その一回だけで終わってしまった。

 直接和泉さんの家へ行こうかとも思った。しかしそれはさすがに迷惑すぎる。結局、元日を待つしかなかった。


「新しい門出に相応しい朝だな」


 新年の空は吸い込まれそうなほど澄み切っていた。早々と家を出て電車に乗り日乃出神社へ向かう。この地方で参拝客の人出が最も多い神社だ。

 おみくじ、お守り、絵馬などの参拝グッズはもちろん、境内にはうどんや汁粉を提供する甘味処、二人で撫でると必ず結ばれるという恋愛成就の御神木まである。

 おまけに南東側が開けた高台にあるので、初日の出を拝むには絶好のロケーション。大晦日から元旦にかけてのデートスポットとして、これほど最適な場所はあるまいと思われる。


「思った通り大変な人出だな。まあ、和泉さんがボクを見失うはずはないけど」


 知らぬ間にオンにされていた位置情報共有アプリ。ボクはまだそれを無効にはしていなかった。会話も挨拶もなくなってしまった今、そのアプリだけが和泉さんとの唯一の繋がりのように思えたからだ。

 ボクへの関心がまだほんの少しでも残っているのなら、ここにいることはすぐに分かるはず。たとえ説話の中で話し掛けたボクの言葉の全てが綴られていなくて、今日の十時に待っていることが伝わっていなかったとしても、ボクが今、日乃出神社の鳥居の下で待っていることは分かるはずなのだ。


「大丈夫、来てくれる。きっと来てくれる」


 自分にそう言い聞かせながらひたすら待つ。時刻は十時に近付いていく。五分前から時計を見るのはやめた。通り過ぎる参拝客を見詰める。いない、あれじゃない、来ない、来ない……


「そうだよな。やっぱり終わったんだよな」


 時計を見なくても約束の時間から一時間以上経過しているのは分かっていた。もう一度、参拝客を見回した後、ボクは鳥居の下を離れた。一人で参拝しても仕方がない。このまま何もせずに帰ろう。


「あら、もう帰るの?」


 それは例えるなら二月十四日の午後十一時五十九分に、突然クラス一の美少女からチョコをもらったくらいの驚きだった。振り向けば、そこに立っているのは紛れもなく和泉さんだ。心の準備が全くできていなかったボクは、言葉を詰まらせながらしどろもどろに返事する。


「あ、こ、こんにちは。違うよ、まだ帰らないよ」

「そう。こんな所で会うなんて偶然ね」


 偶然? ボクがここで待っていることは知らなかったのか。どうやら説話の中のボクの台詞は、大部分省略されて本に書き込まれてしまったようだ。でも和泉さんに会えたのだから、そんなことはどうでもいい。湧き上がる喜びを抑えながら話を合わせる。


「う、うん。凄い偶然だね。ボクも丁度今来たところなんだ。あ、よかったら一緒に参拝しない?」

「またそんな嘘をつく。鳥居の下で一時間も待っていたくせに」


 無表情な和泉さんの皮肉めいた言葉。今ではそれすらも嬉しく感じる。


「一時間って……じゃあ、君も十時からここにいたのかい」

「そうよ。清右君がどれだけ辛抱強いか観察していたの。一時間なら、まあ合格点かしら」


 何の試験か知らないが、落第しなかったのだから良しとしよう。そして和泉さんは十時に来た。つまり説話の中のボクの台詞は本に書かれ、それを読んでここに来たことになる。


「じゃあ、ボクの告白を読んでくれたんだね。そしてここに来てくれたってことは、ボクを許してくれたと考えていいんだね」

「残念ながら全てが書かれていたわけじゃないわ。『たけまつは和泉なる女に弁解をした。その後、日乃出神社元旦十時に会うことを所望した』この程度しか書かれていなかったのよ」


 月暦仏滅御伽物語は、二十三編も収録しながらページ数が少ない。江戸時代に編纂された御伽草子に比べれば、相当簡略化された内容なのだ。限られた紙面に収めるために台詞が大幅にカットされるのは仕方のないことと言える。


「分かった。それなら今から話すよ。聞いて和泉さん、実は……」

「その前にお参りしましょう。まずは新年のご挨拶、でしょ」


 確かに神様へ挨拶もせずに境内で立ち話をしていては神罰が下りそうだ。提案を受け入れて拝殿へ向かう。こんな風に二人で並んで歩くのは久しぶりだ。それだけで幸せな気分になる。


「ここも人が多いわね」


 拝殿の前は大変な人だかりだ。少しずつ前に進み、ようやく賽銭箱の前に立つと、鈴を鳴らし硬貨を投げて参拝する。神様への挨拶も大仕事だ。拝殿前の人ごみから解放されたボクらは、日当たりのいい絵馬掛けの前で一息つく。


「これで無駄話をしても神様は許してくれるよね。和泉さん、聞いてくれるかな、実は……」

「その前におみくじを引きましょうよ」


 言うが早いか社務所に向かって歩いていく。引きずられるようにその後に従いボクもおみくじを引く。末吉が出る。凶よりはマシだと自分を慰める。ちなみに和泉さんは大吉だった。


「それで和泉さん、さっきの話だけど……」

「もうお昼を回っているわ。何か食べましょう」


 言われてみれば腹が減っている。甘味処へ行き天ぷらうどんを食べる。和泉さんはアイスの乗ったあんみつを食べている。この寒さの中でアイスを食べるとは、さすがクールな和泉さん、などと変な納得をしてしまう。


「お腹も一杯になったし、そろそろ話を……」

「あら、あそこで甘酒がもらえるみたいよ」


 またもボクの言葉を無視して勝手に歩いていく。わざと話を避けようとしている気がしてならない。


「なんだか、もうどうでもよくなってきたなあ」


 楽しめているのかどうかは分からないが、少なくとも和泉さんは怒ってはいない。それなら不愉快な話を持ち出して気分を盛り下げたりせず、このまま何も言わない方がいいのではないか、そんな気がしてきた。


「やっぱり寒い日は甘酒だな」


 紙コップの温もりが、冷えた両手に心地よい。飲み終わった後、ボクはもうあの話のことは言い出さず、境内を歩く参拝客をぼんやり眺めていた。


「清右君、今度は話があるとは言わないのね。何か言いたいことがあるのではなかったの」

「へっ?」


 もう話すのをやめようかと思った途端にこれだ。今日は和泉さんの気紛れに振り回っされぱなしだ。


「あ、ああ、うん。実はね……」


 説話の中で言ったのと同じ話を繰り返す。一度口から出した言葉だからだろうか、さほどの気負いも恥ずかしさもなく淡々と話せた。和泉さんもまた普段通りの無表情でボクの話を聞いている。


「……以上が和泉さんとの約束を破った経緯だよ。今更許して欲しいと言えるような立場じゃないけど、できれば以前と同じような普通の友達付き合いができればって思ってる」

「お話はよく分かりました。でも、清右君って相変わらず甘いわね。今飲んでいる甘酒よりも甘いわ」


 ここは笑いどころなのか真面目な話なのか、和泉さんの表情からは読み取れない。一応、後者を仮定して受け答えをする。


「甘い? どういった点が甘いと判断されたんだい」

「あなたの話を裏付ける証拠がないじゃない。ノートを貸してくれと頼まれた証拠は? 萌美さんの話を盗み聞きした証拠は? 無理やり写真を撮られた証拠は? それが無ければあなたの話を信じることなんてできないわ。ただの見苦しい言い訳に過ぎないじゃない」

「うっ……」


 話せば信じてもらえる、などという楽観的見通しは和泉さんには通用しないのだ。ではどうすればいいか。自分の言葉を信じてもらうには……


「分かった。それなら萌美さんに頼んであの画像を君に見せるよ。そしてその画像がボクの意志に反して撮られたことも説明してもら……ちょっと、何を笑っているんだよ」


 妙だ。和泉さんがクスクスと笑い始めたのだ。不機嫌になることはあっても笑顔になることは滅多にない和泉さんが笑っている! しかもこんな真面目な話をしている時に。


「うふふふ。その言葉を待っていたのよ。ようやく全てを私に見せる気になったようね。萌美さんに頼む必要はないわ。ホラ」


 和泉さんがスマホを突き出した。そこに表示されている画像を見たボクは、衝撃のあまりその場に倒れそうになった。あの画像、ボクが萌美の頬に唇を押し付けている(ように見える)あの画像が表示されていたからだ。


「ど、どうしてこれを、い、和泉さんが……」

「あたしが送信してあげたからでーす」


 予想外の声が聞こえてきた。スマホの画面から顔を上げれば、そこには萌美と光源次郎が立っている。


「き、君たち、一体、いつからここに」

「最初からだよ、渋川君。鳥居の下で待っている君を観察していたのは和泉だけじゃなく僕たちもなのさ。それからずっと君たち二人の後ろに付いて、参拝し、昼食を取り、甘酒を飲んでいた。それなのにこうして声を掛けるまで全然気が付かないんだからね。渋川君、もう少し、周囲に気を配らないと長生きできないぜ」


 光源次郎の上から目線の物言いには腹が立つが、注意力散漫だったのは否定できない。なにしろ和泉さんにあの話をすることだけで頭が一杯だったのだ。背後に誰がいるかなんて気にしている余裕なんかない。


「もしかして和泉さん、この二人がいることを知っていたんじゃ」

「そうでーす。和泉先輩は知っていましたよ。だって三人で電車に乗ってこの神社に来たんですからね。渋川先輩がおどおどしながら振り回されている姿はとっても滑稽で愉快でしたよー」


 人を小馬鹿にするような萌美の話し方も腹が立つ。おまけに約束を破っておきながら反省の色も見せない。これには文句を言いたくなる。


「萌美、話が違うじゃないか。あの写真を和泉さんに見せない条件で夕食を付き合ったんだぞ。これじゃ完全にボクひとりだけ骨折り損のくたびれ儲けじゃないか」

「ごめーん、でも和泉先輩にどうしてもって頼まれたら断れなくて」

「和泉さんが、頼んだ?」

「そうよ、私が頼んだの」


 和泉さんの顔からは先ほどのクスクス笑いは消えている。まるで秘境に穿たれた深淵のように彼女の考えは窺い知れない。


「二十三日の夜、清右君と別れた後、萌美さんと光君に合流したのよ。三人で色々お喋りしたわ。そして光君と別れて萌美さんと二人っきりになったところで本題を切り出したの。清右君のどんな弱みを握ったのか教えて欲しいって」

「もう、あの時は驚いちゃった。どうしてそれを知っているのって訊いても『女の勘』としか答えてくれないんだもん。それで仕方なくあの画像を見せて、これまでのことを一切合切お話ししちゃったんです。渋川先輩、隠し事はしない方がいいですよ」


 なんてことだ。ボクが告白するまでもなく二十三日の時点で全てバレていたんじゃないか。あの日から今日まで悶々としていたボクの地獄のような日々は一体何だったんだ。


「ま、そんな訳さ。渋川君、これからも尻に敷かれて苦労すると思うけど、和泉と仲良くやっていきたまえ。さっ、行こうか萌美」


 光源次郎と萌美は鳥居の方へ歩いていく。これから街に出てひと騒ぎするつもりなのだろう。


「でも和泉さん、そうと知っているならあんなに冷たい態度を取らなくてもいいじゃないか。挨拶もしてくれないし、昼も一緒に食べてくれないなんて」

「あら、自分は少しも悪くないとでも思っているの。簡単に許してしまったら、また同じ過ちを繰り返してしまうでしょう。今度の件で自分の軽はずみな行動がどれだけ大きな結果を生じるか、身に染みて分かったはず。痛い目を見なければ人は成長しないもの。清右君に強くなってもらうためのお薬よ」


 和扇の時と同じだ。またも和泉さんにしてやられてしまった。けれども今回は気持ちの良い騙され方だった。


「私たちもそろそろ帰りましょう」


 ボクが返事をする前にスタスタと歩き始める和泉さん。光源次郎の言葉通り、尻に敷かれる生活は続きそうだ。


 昼下がりでも参拝客は減らない。人ごみの中、鳥居に向かって参道を歩いていると和泉さんが話し掛けてきた。


「そうだわ、忘れていた。清右君、四回目の仏滅は明日でしょう」

「うん。今日の真夜中から始まる。次は何の説話に引き込まれるか楽しみだよ」

「気になることがあるの。涓泉さんと小町さん、あの二人って現世でも同じ時代を生きている、そして互いに好意を抱いている、そうでしょう」

「たぶんね」


 和泉さんは本の文章を通じてしか二人の様子が分からない。しかも相当簡略化された文章のはずだ。にもかかわらず二人の仲を見抜いているのだから大したものである。


「ひとつ頼みがあるの。今夜、説話の中に入ったら、涓泉さんについて詳しく調べてくれないかしら。生きている時代背景や場所、仕えている武家はどこなのか、そんな事柄をそれとなく訊いて欲しいのよ」

「それは構わないけど、涓泉さんの何がそんなに気になるの」

「それは……ううん、きっと私の思い過ごしに違いないのだろうけれど、万が一ってこともあるから確かめたいだけ」


 何でもはっきり言う和泉さんにしては曖昧な言い回しだ。しかしボクはそれ以上訊こうとはしなかった。涓泉さんも小町さんも歓迎の儀も、今の自分にとっては大したことではない。思いがけなく訪れた和泉さんとの幸せを噛み締めていれば、それだけで十分満足なのだから。

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