内緒秘め事隠し事

「どうしてだよー!」


 という叫び声で目が覚めた。奇書が催してくれた二回目の歓迎の儀、その最初の説話が終わってしまった。和泉さんに会えないまま……


「何を考えているんだ、訳が分からないよ」


 本を交換して持ち主になり、もう一度二人で説話の中へ行く。ボクらの仲を取り持ってくれた『客』のみんなにお礼と報告をするために。それが目的だったはずだ。だが、和泉さんはいなかった。梵天さんの言葉が正しいとすれば持ち主ではないから。つまり和泉さんはボクの原書に署名しなかったのだ。


「無駄だとは思うけど」


 ボクはスマホを取り出した。電話して直接訊いてみよう。時計を見れば午前七時。さほど迷惑でもない時刻だ。連絡先リストの「和泉」を指先でタップする。耳に当てる。聞こえてくるのはいつもの音声「おかけになった電話は現在電波の届かない……」


「やっぱり駄目か」


 メールにしようかとも思ったがこちらは更に望み薄だ。一週間後の返信なんか待っていられない。やはり大学で直接会って話を聞くのが一番だ。やきもきする気持ちを鎮めながら朝の準備を終え、家を出た。


「和泉さん、話があるんだけど」


 彼女が講義室に姿を現すや、着席する間もなく声を掛けた。和泉さんは平然と答える。


「悪いけど、その話はお昼休みにしましょう。講義前の短い時間じゃ説明できないから」


 ボクが何の話をしたいのか間違いなく把握している。やはり梵天さんの言葉通り和泉さんは署名をしなかったのだろうか。いや、早合点は良くない。説話の中にいたけれど、会えなかったから怒っているだけかもしれない。とにかく話を聞くまで結論は出さずにおこう。


 再びやきもきしながら午前の講義を受け、終了と同時に二人で食堂へ向かう。ボクいつものAランチ。和泉さんもいつものサラダとヨーグルト。ただし今日はもう一品、チキンとジャガイモのクリーム煮が添えられている。


「何、その顔。食いしん坊だって言いたいの? 徹夜明けに少し仮眠したから朝食の時間がなかったのよ」


 徹夜? 何のためだろう。もしかして歓迎の儀を断念したのは、眠らずに取り組まねばならない用事があったからなのか、徹夜で取り組む用事って、何だ。


「ひょっとして一晩中、流星群の観測でもしていた、とか?」

「……」


 以前に比べて仲良くなったとはいえ、こんな下らない質問に答えてくれるほど和泉さんは甘くない。馬鹿なことを訊いてしまったと後悔しながら箸を動かす。食事が終わると騒がしい食堂を出ていつもの喫茶コーナーへ行った。これまたいつものカップコーヒーを飲みながらようやく本題に入る。


「昨晩はどうだった。小町さんやお横さんは元気にしていた」

「うん。二人とも以前と変わらず優しくて短気。梵天さんとは少ししか会えなかったけど今回も頼りになる。あと、涓泉さんっていう新しい『客』にも会った。頑固そうな人だよ」

「知っているわ、本で読んだから。小町さんのお知り合いなのでしょう」


 歓迎の儀が開かれれば、持ち主を引き込んだ説話は演じられた通りに書き換えられる。本で読んだから知っている、という返事は、本で読まなければ知らない、つまり説話の中にはいなかったと白状しているのと同じだ。ボクは責めるような口調で問い詰める。


「でも、君はいなかった。どんなに探しても君が演じている『客』は見つからなかった」

「そうね。書き換えられた話には登場しなかったわね」

「理由を教えてくれ」


 和泉さんが薄っすらと笑う。ボクが怒っていることもこんな質問をされるのも、全て自分の想定通りの展開なのだろう。手の平で転がされている感全開であるが、ここは彼女の話をじっくりと聞きたいところだ。


「理由は二つあるわ。一つ、三回目の歓迎の儀を簡単に開きたいから」

「三回目?」

「そうよ。もし今回私と清右君の二人が説話の中へ引き込まれたら、この一回だけでお仕舞いになってしまう。次の歓迎の儀を開くにはもう一冊写本を作るか、誰か別の人を巻き込んで新たな持ち主にするしかない。けれども私は既に写本を一冊作っている。同じ原書から作れる写本は一人一冊までしか効果がない。となると清右君が和紙と墨を使って新たな写本を作らなくてはならない。できる?」

「うっ、それは……」


 無理だ。変体仮名を読むことはできるが書いたことなどない。しかも毛筆には小学校を卒業してから一度も触れていない。半年、いや一年かかっても写本なんて作れそうにない。


「だからと言ってあの本の秘密を打ち明けられるほど親しい人物もいない。私も清右君も友達付き合いは苦手ですものね。残った手段は二冊の本を有効に活用して二回の歓迎の儀を開かせること。そうでしょう」

「なるほど。理解した」


 今回二人が同時に持ち主になれば、歓迎の儀も同時に開かれる。だが、満月の時期をずらして別々の期間で持ち主になれば、歓迎の儀も別々に開かれる。和泉さんの歓迎の儀でボクが『客』として招かれるかどうかは分からないが、可能性があるのならそれに賭けてみるのも悪くない。


「で、二つ目の理由は」

「書き換えの様子を確かめたかったのよ」

「書き換えの様子? どういう意味だい」


 和泉さんの目的が今ひとつ理解できない。そんなボクを呆れた目で眺めながら和泉さんは説明する。


「歓迎の儀が開かれれば説話の内容は書き換えられる。それがどんな風に書き換えられるのか、清右君は興味ないの?」

「そりゃあ目が覚めた瞬間に、一瞬で書き換わるんじゃないのかい」

「そう、普通はそう考えるわよね。でもそれはあなたの想像、実際に目で見て確かめたわけじゃない。私が清右君の写本を返さなかったのは、本当に一瞬で書き換わるかどうか、確かめたかったからなのよ。昨晩、私は写本を開いてずっと待っていた。その結果、意外な事実が判明したわ」


 ここで和泉さんは勿体ぶるように口を閉ざした。待っていてもなかなか話そうとしない。ボクがお願いするのを待っているようだ。『続きが聞きたいのならそう言いなさい』そんな空耳が聞こえてくる。


「じらさないで教えてくれないか。頼むよ」


 両手を合わせて頭を下げると、和泉さんは満足そうに頷いて話し始めた。


「零時になって私は本を開いた。どの説話に引き込まれるのか分からないから、一ページずつ確かめていったの。すると驚いたことに御曹子島渡の全文が消えていたのよ。完全な白紙。選ばれた説話は零時を迎えた瞬間、その存在を消失させる、まずはこの事実が判明したわ」

「すぐに白紙になるってことは、すぐに物語を書き換えたいからってことかな。もしかしたらボクらの演じている内容がリアルタイムで綴られていった、とか?」

「そう、私もそれを期待して本を眺めていた。でも白紙のページには何も現れなかった。そのまま何時間も空しく時を過ごす羽目になってしまったわ。けれども日の出の一時間ほど前、突然文字が出現したのよ。それも一度にじゃない、一文字一文字、まるで誰かが書いているかのように文章が綴られていった。そして日の出の時刻丁度に、その動きは停止した。白紙をきっちりと文字で埋めてね」


 それは思ってみなかった書き換えられ方だった。本の精霊みたいなものがいて、ボクらの劇を鑑賞し、全てを見終わった後にその様子を書き連ねている、そんな印象を受けた。


「どうしてそんな出現の仕方をするんだろう。何か理由があるのかな」

「一度に文字を出現させるだけの力がない、あるいは昔はあったけれど、何百年も経つうちに力が衰えてしまった、そんな理由じゃないかしら」

「だったらボクらが引き込まれた瞬間から綴り始めればいいんじゃないのかな」

「それは無理よ。書き込むスペースは決まっているのよ。説話の中で何年過ごそうと、書き込む文字数には制限がある。全ての物語が終わってから要約して簡略化して、白紙のページに収まる文字数にまとめ上げてからでないと書き込めないわ」


 なるほど。本の精霊もプロの小説家と同じく字数制限には苦労しているようだ。しかしこれで全てが納得できた。ボクとの共演を犠牲にしてまで本の観察をしようとした和泉さんに敬意すら感じる。


「本を返してくれなかったことにそんな意味があったなんてね。君を誤解していたようだ。昨日のことは謝るよ。でもこれで用件は済んだわけだし、できればあの写本、返してくれないかな」

「嫌よ」


 これまた冷たい返事である。さすがにムッとするが、たった今謝罪したばかりなので怒ることもできない。


「えっと、もしよければ返せない理由を教えてくれないかな」

「まだ確かめたいことがあるの。それと、もし返してしまったら私は歓迎の儀の内容を知れなくなる。書き換えられた説話を読んでいれば、それだけで小町さんやお横さん、梵天さんと会って話をしているような気になれるのよ。それくらいの楽しみは許してくれてもいいでしょう」


 もっともな意見だ。本の秘密を探るために、敢えて今回は持ち主となるのを諦めたのだから、その様子が書かれた本まで取り上げるのは気の毒すぎる。むしろそこまで考えが至らなかった自分を情けなく感じるくらいだ。


「わかった。和泉さんの好きにするといいよ。そろそろ昼休みも終わるし、出ようか」

「待って」


 立ち上がりかけたボクを制する和泉さん。まだ何か話があるのだろうか。


「あと一週間もするとクリスマスでしょう。清右君、毎年イブは何をして過ごしているの」


 これは答えづらい質問だった。自慢じゃないがこの歳になるまで家族以外の人物とイブの夜を過ごしたことはない。子供の頃はそれなりに楽しかったが、今となっては単にケーキとチキンと食べるだけの日と化してしまっている。見栄を張っても仕方が無いので正直に答える。


「え~っと、今年は家族と一緒に過ごすことになりそうかな」


 少し見栄を張ってしまった。今年以外のイブには他の誰かと過ごしたことがあるような言い方だ。しかし嘘ではない。


「そう。私は毎年家族と一緒にお祝いしているわ。今年もそうなのだけれど、前日の二十三日は特に用事もないのよ」

「えっ!」


 驚くボク。和泉さんは黙っている。こちらを見たまま黙っている。もし、ボクの勘違いでなければ、これは、もしかして、二十三日を一緒に過ごさないかと言っているのではないだろうか。


「そ、そうなんだ。二十三日は暇なんだね。へえ~、偶然だね。ボクも特に用事はないんだよ」

「偶然ね」


 そしてまた黙る。待っている、これは明らかにボクの言葉を待っている、と考えてよいのだろうか。ええい、当たって砕けろだ。頭に血が上るのを感じつつ、ぎごちなく唇を動かしながら声を出す。


「あ、あの、もしよかったら二十三日の夜、会って話をしませんか」

「話? 何の?」

「えっと、ほら、前日の二十二日は仏滅、二回目の歓迎の儀だよね。今日の分と合わせて説話の中の出来事を色々と話し合うのもいいかなあ~、なんて」

「清右君がどうしてもと言うのならそうしましょう。詳細は後日相談することにして、そろそろ行きましょうか」


 それだけを言うとさっさと喫茶コーナーを出ていく和泉さん。ボクはすぐには立てなかった。頭の中は真っ白だが頬は真っ赤に火照っているに違いない。信じられない。生まれて初めて家族以外の者とイブの夜を過ごせるのだ。しかも女子! 正確にはイブではなくイブの前日だが、それは些細な問題だ。


「やっぱりあの奇書は幸福を呼び込むアイテムなんだ」


 あの本がある限りボクの人生はバラ色。前日の二十二日には小町さんたちにも報告して喜びを分かち合おう。ボクは完全に舞い上がっていた。



 だが人間万事塞翁が馬。好事魔多し。良いことがあれば悪いこともある。ボクの有頂天はすぐに終わってしまった。


 和泉さんと約束をしてから五日後、二回目の歓迎の儀まで残り七時間に迫った二十一日の夕暮れ、ボクは中央図書館に来ていた。待ち合わせではない。純然たる図書館利用のために訪れたのだ。

 帰り際、何の気なしに人魚のロゴマークのコーヒー店を覗くと萌美がいた。たぶん友人なのだろう、連れの女子と二人掛けのテーブルでお喋りをしている。


「なんだ、あの格好」


 いつもとは違う雰囲気だった。清楚で可愛くて、快活であるが礼儀正しい新入生、それが世間の抱いている萌美のイメージだ。しかし、今、ボクが見ているのは、テーブルに肩肘ついて足を組んで妙に態度が悪い、いわばファミレスのドリンクバーで一時間くらい居座る軽薄なギャルのような風情である。


「何を話しているんだろう」


 気になる。ならば盗み聞ぎをすればよい。光源次郎の醜聞収集で培った技を今こそ発揮するのだ。だからと言って何も買わずに店内の席を陣取るわけにはいかない。ここのコーヒーは最安でも三百円はする。が、この店には他店と違う特徴がある。ミネラルウォーターを百三十円で売っているのだ。それを買い込み、見つかりにくく、かつ、話し声が良く聞こえる席に座る。そして聞き耳を立てる。会話が聞こえてくる。


「え~、最悪ぅ~。今日になって二十三日、キャンセルなんてねえ~」

「でしょう。急に用事ができたから別の人と行ってって言われてもさあ、二日前じゃ見つかんないわよ。あんたもダメだったし」

「それはゴメン。でも光君と行けばいいじゃない」

「冗談はやめてよ。光君とは二十四日に約束しているのよ。別の男と会おうとしていたことがバレちゃうじゃない。ヤキモチ焼かれたらどうすんのよ」

「焼かせとけばいいじゃない。どうせ光君とも金目当てなんでしょ」

「まあね。あっちは彼氏のつもりみたいだけど、こっちはただの遊び。男なんてちょっとおだてればすぐ調子に乗るんだから。利用するだけ利用しなきゃ損よ」

「萌美、悪女~」

「小悪魔って言ってよ」

「な、なんて女だ」


 光源次郎も相当な遊び人だと思っていたが、萌美は更にその上を行くようだ。なにより萌美に利用された男リストの中に自分も名を連ねているという事実が実に情けない。こんなことならノートなんか貸すんじゃなかった。


「女って怖いな。気を付けなくちゃ」


 これ以上聞いていると気分が悪くなりそうだ。ボクはそっと席を立とうとした。思い掛けない出来事はそんな時に起こるものだ。いきなりポケットの中のスマホから着信音が聞こえてきた。


「まずい!」


 迂闊だった。電話やメールなど年に数回しか受信しないので、マナーモードにしておくのを忘れていた。急いで電源ボタンを押して静かにさせる。萌美の方に顔を向ければ、こちらをじっと見詰めている。まずい、気付かれてしまった。いや、慌ててはいけない。こんな時は知らないふりをして出ていくのが一番だ。ボクはカバンを持って静かに立ち去ろうとした。


「待ちなさいよ」


 背後から声が聞こえる。言うまでもなく萌美の声だ。しかもふだんのカワイイ声ではなく、威圧的で重低音な響きがある。


「な、なにか用かな」

「こっちに来て」


 萌美がボクの右腕をむんずと掴む。そのまま店を出て、図書館を出て、人目に付かない建物の裏に連れていかれた。辺りは既に宵闇に包まれているが、街灯の明かりがボクらを照らしている。


「ここでいいわ。正直に言って。聞いていたでしょ、あたしたちの話」

「な、なんのことかな。別に何も聞いていないよ」

「嘘。渋川先輩ってすぐ顔に出るから分かるのよ。聞いていないのならコソコソ店を出ようとするはずがないじゃない」


 確かにあの振る舞いはまずかった。毅然とした態度で電話に出て、ミネラルウォーターを飲み続けるべきだった、などと今更後悔しても仕方がない。ここは開き直るとしよう。


「仮に聞いたとして、それが何だって言うんだい」

「光君に話すつもりでしょう。他のみんなにも話すつもりでしょう。私がどんな女か」

「そんなことはしないよ」

「嘘だわ。絶対言いふらすに決まってる」

「嘘じゃないよ、しないって言ったらしないよ」

「口先だけじゃ信用できないわ」


 どうして自分が責められているのか、まるで理解できない。確かに盗み聞きは褒められたものではないが、あんな場所で臆面もなく話していれば、嫌でも耳に入ってしまう。


「じゃ、どうすれば信用してくれるんだい」

「そうね……両目を閉じてくれる」


 何を考えているんだこの娘、と思いつつも言われるままに目を閉じる。瞬間、柔らかいものが唇に触れた。そして瞼の裏に輝く閃光。驚いて目を開ける。


「ふっふーん、いい具合に撮れました。どうですか、弱みを握られた感想は」


 萌美がスマホをこちらに突き出している。そこに表示されている画像を見て腰が抜けそうになった。萌美のほっぺたにボクがキスしているのだ。しかも萌美はあからさまに嫌そうな表情をしている。一目見て無理やりキスしたと誤解されそうな写真だ。


「や、やられた……」

「もし私のことを話したりしたらどうなるか、賢い先輩ならお分かりでしょう。あ、そうだ、和泉先輩と付き合っているんでしたよね。これを見たらどう思うかなあ」


 まさに小悪魔。これまで何度も同じ手を使って純真な男たちをもてあそんできたに違いない。遣り方が手慣れ過ぎている。


「話したりはしない。約束する。それで満足だろう」

「え~、こんな重大な弱みを握られて、それだけで済ます気ですかあ。あっ、そうだ。先輩、二十三日って暇ですよね」

「いや、暇じゃない。予定がある」

「ならその予定、キャンセルしてください。さっき聞いていたでしょ。その日、ホテルのレストランに夕食の予約を入れているんです。相手の都合が悪くなったので、先輩が代わりに付き合ってください」

「だから予定があるって言っているだろう。無理だよ」

「じゃあ、この写真、和泉先輩に見せてもいいんですね」

「うぐっ……」


 それは困る。だが和泉さんとの約束を反故にすることもできない。返答できないでいるボクを見る萌美の目は雌豹のようだ。


「はは~ん、予定っていうのは和泉先輩ですね。でも考えてみて。和泉先輩とはこれから何度でもデートできる。だけど私とはこの一度だけ。今回のチャンスを逃せば、こんな若くてカワイイ女の子と食事を共にする機会は永遠に訪れないかもしれないんですよ」

「……」

「お金の心配は要らないわ。もう支払い済みなのよ。それに少々お高いホテルだから前日でも当日並みのキャンセル料を取られるのよ。それならキャンセルせずに女友達とでも行けばいいって、相手も承諾してくれたわ。どう、悪い話じゃないでしょう」


 凄まじい誘惑力だ。そう、いつもドライで素っ気なくてまったく可愛げのない和泉さんと食事をするよりも、愛嬌があってお喋り好きで陽気な萌美と食事をした方が楽しいに決まっている。たとえそれが男を喜ばすための演技だと分かっていたとしても。


「それは、そうだけど、でも」

「もう、何を迷っているの。約束を取り消されることと、この写真を見せられること、どちらが和泉先輩にとって大きなダメージになるか、考えるまでもないじゃない」


 ボクは諦めた。急用の発生、それはさして珍しい出来事ではない。和泉さんには申し訳ないが、ここは萌美の要求を呑むとしよう。


「分かった。二十三日、君に付き合うよ」

「ふふふ、素直にそう言えばいいのよ。先輩には最初からその選択肢しかないんだから。明後日夕方五時、駅前広場で待ち合わせね」


 萌美は意気揚々と図書館へ戻っていく。まだ何か用事があるのだろう。すっかり気分が重くなったボクは帰り道を急ぎながら、何か忘れていることに気付いた。


「そうだ、着信があったんだ」


 上着のポケットからスマホを取り出す。かけてきた相手を表示させた瞬間、ボクの心臓は間違いなく一瞬止まった。和泉さんだった。


「う、嘘だろ!」


 これまで和泉さんから電話がかかってきたことなど一度もない。震える指で着信履歴をタップして電話をかける。流れてくるのはお馴染みの音声「おかけになった電話は現在……」ボクは電話を切る。


「何の用事だったんだろう」


 気になる。が、これまで同様、明日、大学で直接会って訊くしかない。そしてその時に二十三日の約束を断ろう。今夜始まる二回目の歓迎の儀の状況を報告しながら……

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