急転直下大団円
最後の説話を終えた翌日、ひとつしかない午後の講義が休講となった。
昼休み、ボクは和泉さんを芝生広場に呼び出した。これまでは今日やらなくても仏滅までに何とかすればよいという甘えがあった。でも今は違う。もう次の仏滅はないのだ。ならば即実行に移した方がいい。鉢かづきで養った自信が消滅しないうちに決着をつけておくべきだ。
「何、こんな所に連れてきて。昼食をとりながらじゃダメなの」
「すみません。二人きりで話がしたいんです」
和泉さんは相変わらずクールだ。男と二人だけの状況なのに怖れも不安も抱いていないように見える。
「それなら手短に話してちょうだい。昼食を済ませてさっさと帰宅したいから」
「昨日はごめんなさい!」
初っ端から謝辞。そう、まずは自分の非を認めるのが一番だ。
「君にも光君にも恥ずかしい真似をしてしまったと思っている。許して欲しい」
「別に謝る必要なんかないわ。私は何の被害も受けていないのだもの。用はそれだけ? なら帰るわ」
「待って。もうひとつ。昨日、喫茶コーナーで君は最後に訊いたよね。どうしてこんな事をしたのかって」
「ええ、言ったわ」
「そ、それは、あの、つまり……」
思わず顔を伏せる。言葉が出て来ない。何をやっているんだ清右。ここで言えなきゃ一生後悔するぞ。鉢かづきを思い出せ。気合いだ。
「つまり、何?」
「つまり、君のことが、す、すきだから……」
後半は自分でも聞き取れないくらい小さな声になってしまった。和泉さんの「ふっ」という声が聞こえる。呆れて失笑してしまったのだろう。
「ごめんなさい、聞き取れなかったわ。もう一度言ってもらえないかしら」
自分の頬が火照っているのが分かる。きっと顔は真っ赤になっているのだろう。だが恥ずかしいなんて言っていられない。腹に力を入れろ、清右。
「君が好きだからやったんだ。盗聴も盗撮も告げ口も、全て君を光源次郎なんかに渡したくないからやったんだ」
「そんな言葉、信じられないわ」
「本当だよ、嘘じゃない」
「ならば言ってくださいまし。和泉を愛していると。一生、添い遂げてみせると」
心臓が止まるかと思った。聞き間違えたのかと思った。この言葉、この言い回し。
「そ、それは、鉢かづきのセリフ……」
絶句するボクを見詰める和泉さんの笑顔。これまで一度も見たことのない、悪戯をした子供のような無邪気な顔だ。
「まだ物足りないけど、いいわ。そこまでで勘弁してあげる。どうせ鉢かづきに言った言葉を繰り返すだけでしょうから。浦島太郎では子供、物くさ太郎では村人、一寸法師では鬼、鉢かづきでは四男坊、なかなかの名演技だったわね。楽しかったわ」
「ど、どうして、それを……まさか」
凍り付いたままのボクを愉快そうに眺めながら、和泉さんはカバンから本を取り出した。表紙には「月暦仏滅御伽物語」と書かれている。
「そうよ。私も持っているの。あなたが持っている原書の写本。半年前の古本市で手に入れて、一カ月で写本してまた買い取ってもらったのよ。この写本に署名して持ち主になった時は驚いたわ。まさかこんな効果があるなんてね。今回は二度目の御役目を務めさせてもらったわ」
ようやくボクは気付いた。和扇、しかしそれはボクが勝手に解釈した漢字だ。わせん……和泉をそう呼んでもおかしくない。
「和扇、彼は君だったのか」
「そうよ。和扇は私。江戸時代の浪人にしては奇妙な名前だと思わなかった? それに加えて私はひとつミスを犯している。和扇は元禄の者だと言ったけど、渋川清右衛門が御伽草子を編纂したのは享保の頃。元禄に生きた和扇が知っているはずがないのよ。注意していれば私の嘘を見抜けたのに。相変わらずのおバカさんね」
「君は、ボクをだましていたのか。何も知らないのをいいことに、本の中でも現実でも、あんな事やこんな事をさせて……あ、まさか、お横さんや小町さんや梵天さんも知っていたんじゃ」
思い出しただけで恥ずかしくなる。これではまるで好き勝手に操られる猿芝居の猿じゃないか。
「ええ、協力してもらったわ。三人とも大喜びであなたを騙していたわよ」
「じゃ、じゃあ、喫茶コーナーでボクの本を読んでいる時、不自然なくらい本を触っていたのも」
「そうよ。本とあなたの右ふくらはぎが繋がっていることは分かっていたから、悪戯してみたくなったのよ。清右君の悶える声と姿が可笑しくて、ついやり過ぎてしまったわ」
なんて女だ。とんでもないS気質じゃないか。もしあの時光源次郎が来なくて、あの本を一日貸すことになっていたら、何をされていたか知れたもんじゃない。
「ひどいよ。ボクはみんなの忠告を聞いて一所懸命頑張っていたのに、みんなは遊び半分だったなんて。ボクをだまして楽しんでいただけだなんて」
「それは違うわよ、清右君」
和泉さんが真顔になった。
「確かに結果的にはだますことになった、それは認めるわ。でもそれはあなたを思ってのこと。お横さんも小町さんも梵天さんも、誰もがあなたの望みを叶えてあげたいと思った。だからあなたの本気を試したのよ。それは私も同じ。梵天さんから聞かなかった? 本が誰を主役に選ぶか。私たちが会った三人の『客』の中で一番主役に相応しいのは小町さんのはず。原書の持ち主であり、尚且つ、生きている時代も古いのだから。でも本は私を主役に選んだ。選ばれるはずのない写本の持ち主が主役に選ばれたのよ。何故か分かる?」
和泉さんに問われ、ボクは梵天さんの言葉を思い出す。本が役を選ぶ要因となるもの、本への理解度、本の力、そして新しく持ち主となった者への想いの深さ。
「和泉さんのボクへの想いが、原書の持つ力を上回ったから……」
和泉さんは無言で頷く。その頬がほんのりと赤らんでいる。ボクの眼前にあり得ない光景が広がっていた。デレている。ツンの要素しかないはずの和泉さんが頬を染めてはにかんでいる。ああ、神よ、感謝します。この姿を見られただけで全てを許せそうです。
「わ、分かったよ。それが君たちの本心なら何も言うことはないよ」
「ありがとう。それに清右君は一生私を大切にしてくれるのでしょう。神に誓ったのだから、今更違うとは言わないでね」
うむむ、勢いとはいえ、余計なことを口走ってしまったものだ。あの言葉がこれからずっと付いて回りそうだな。
「ところでこれから本の持ち主はどうなるんだい。今日で最後の仏滅が終わるから、これで持ち主じゃなくなるのかな」
「満月が来るまでは持ち主。満月が昇ると同時に署名欄から名前が消えて、本との絆は切れる。そうなれば売ろうが捨てようが自由にできるわ。もちろんもう一度署名し直せば持ち主になれる。だけど歓迎の宴は一冊に対して一度きり。同じ本で再び持ち主になったとしても、今度のようなことは二度と起こらない。別の新しい持ち主が現れて、その歓迎の宴のために役を割り振られない限りね」
「そうか。もうお横さんや小町さんや梵天さんに会えないと思うと、なんだか寂しいね」
「そうでもないわよ。もう一度、すぐに会える方法があるわ」
和泉さんが顔を寄せてきた。長い髪が風に吹かれてボクの頬をくすぐる。
「本当? どんな方法?」
「持ち主でなくなった後、私と清右君の本を交換するのよ。清右君は写本の持ち主に、私は原書の持ち主になるの。それぞれが初めての持ち主だから歓迎の宴が開かれるはず」
さすがは才女の誉れ高い和泉さん。見事な策を思い付くものだ。
「でも、あの三人が本に選ばれるとは限らないんだよね」
「選ばれるわよ、きっと。あたしが半年前に引き込まれた時も、この三人は来てくれたのだから。さあ、お喋りはこれくらいにしてお昼にしましょう。私、お腹空いちゃったわ」
和泉さんはすたすたと厚生会館に向かって歩いていく。吹いてくる秋風は少々冷たいが、ボクの心は春の日差しのような暖かさを感じていた。
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