第四仏滅 鉢かづき

 清右は畳に座っていた。座敷には見事な大和絵が描かれた屏風、格調高い調度品、そして自分が身に着けている立派な装束。ここはどこかの公家の屋敷のようだ。


「さてさて、そなたは清右殿とお見受け致す」


 広い座敷の上段の間から声が掛かった。恐らくこの屋敷の主だろう。


「あ、はい、そうですけど。ひょっとしてあなたも『客』ですか。今回はどんな説話なんですか」

「やはりそうであったか。此度は鉢かづきの説話に引き込まれたようだ。わしは戦国の乱世に生きる僧、梵天ぼんてんと申す」


 梵天は左の手の平を開いて見せた。そこには見慣れた『客』の文字が浮かび上がっている。


「浦島太郎では亀を責める童子。物くさ太郎では村の長。一寸法師では宰相、そして此度は清右殿の父である三位中将の役を割り当てられた。清右殿は我が四番目の御子の役。よろしくお頼み申す」

「こちらこそ、よろしくぅ~」


 清右は完全に腑抜けている。無理もない。生まれて初めての大失恋を味わったのだから。茫然自失の状態で帰宅し、着替えもせず風呂にも入らずそのままベッドに横たわり仏滅の零時を迎えたのだ。


「然して人の縁とは不思議なもの。ふとしたことで手にした書を通じて、こうして数百年後の書の持ち主と言葉を交わせるとはのう。大切にせねばならぬな」


 梵天もまた先の二人と同じく心根の優しい人物のようだ。それに鉢かづきの説話ならば、どの役になっても苦労を背負い込む心配はない。一安心の清右である。


「そなたのことは一寸法師の折りに、和扇殿や小町殿から詳しく聞かせてもらった。なんでも好きなおなごがおるとか。二人から秘策を授けられたのであれば、さぞかし仲良くできたのではないかな。ちと聞かせてくれぬか」


 清右の胸がチクリと痛む。同時に涙が溢れそうになる。


「えっと、それは、和扇さんたちが来てから……」

「ふむ、それもそうであるな。恐らく和扇殿は鉢かづきの役であろう。到着を待つとしようか」


 継母に苛められて家を出た鉢かづきは川に身を投げる。しかし鉢が浮いて死にきれず、その後、三位中将の屋敷、つまりこの屋敷で風呂焚き女として働くことになるのだ。


「若いうちは大いに惚れ、大いに喧嘩するがよろしい。年を取るとそのような機会もめっきりと減るでのう」


 梵天はよほど気になるのだろう、話をそちらに戻してしまった。思い出すだけで涙が溢れそうになる清右はすぐさま別の話題を振る。


「あの、梵天さんでしたっけ。気になっていることがあるんですけどね。お訊ねしてもよろしいでしょうか」

「なんなりと」

「お横さんが言っていました。御伽物語を深く理解している者が重要な役を与えられると。梵天さんは戦国の世に生きている。この本が成立した時代に一番近い持ち主。それなら和扇さんより梵天さんの方が主役に相応しいはずじゃないですか。なのにどうしていつも脇役ばかりなんでしょう」


 それは小町に会った時から清右がずっと抱いていた疑問だった。和扇は江戸時代に生きているが所詮は一介の浪人に過ぎない。書に対してさほど造詣が深いとも思えない。むしろ旗本の娘としての教養がある小町の方が書をよく理解しているように思われた。今回の梵天もそうである。戦国時代の僧となれば和扇よりも遥かに教養が高いはずだ。


「ふむ、そのことか。誰もが疑問に思う事柄じゃな。どの説話を選ぶか、どの役が割り振られるか、それについて明確に答えられる者はおらぬ。お横殿の考えもある程度は正しい。しかしそれが全てではない」

「他にも要因があると言うんですか」

「左様。これは新しく持ち主となったそなたを祝う宴。よってそなたに対して思い入れの深き者が重き役を与えられる。和扇殿はいつでもそなたに親身に接していたであろう。そのような心根を持つ者が主役を割り当てられるようじゃ」

「なるほど」


 確かに和扇のおかげでどの説話でもそつなく話を進められた。もし主役がお横さんだったらとんでもない話になっていたような気がする。


「それともうひとつ。書の持つ力じゃ」

「書の、力?」

「月暦仏滅御伽物語。この書の原典はこの世にただひとつ。だがその他に写本も数冊存在する。原書の持ち主と写本の持ち主を比べた時、前者の方が重き役に割り振られるようなのじゃ。残念ながらわしの所有する書は写し。とある公家より原書を貸していただき、自らの手によって書写したもの。書に対する知識が豊富でも写本の持ち主ということで軽んじられているのじゃろうな」

「じゃあ、本への知識と、ボクへの親切心と、原書の持ち主であることの力関係って、どうなっているんですか」

「それは誰にも分からぬ。たとえ写本の持ち主であっても、仏の如き親切心があれば重き役に割り振られるかもしれぬし、たとえ原書の持ち主であっても、書の知識が皆無ならば名もなき端役となろうな」


 結局明確な答えは得られなかった。ただ新しく持ち主になった者は決して主役に割り振られないことだけは分かった。自分で自分を親切に持て成し歓迎することなどできないからだ。


「そうすると、もし梵天さんに原書を貸してくれた公家さんが引き込まれたら、主役はほぼ決まりなんじゃないですか」

「そうだな。しかし今となっては引き込まれることなどあり得ぬ話」

「えっ、どうしてですか。もしかしてもう亡くなっちゃったとか」

「いや、まだ生きておる。そして依然として原書の持ち主でもある。しかし決して説話に引き込まれることはない。この書の説話は二十三編。その全てを演じた者は二度と説話の中に入れぬからだ。その公家様は既に二十三編を体験されておる。ゆえに書の中で我らと再び相見あいまみえることは決してないのだ」


 あの奇書には多くの秘密が隠されている。あるいはまだ知られていない秘密もあるのかもしれない。そんな不思議な本を手にできた自分の幸運に改めて感謝する清右だった。


「お父上様、お客人が参られました」


 不意に襖の向こうから女の声が聞こえた。「構わぬ、入りなさい」と梵天が言うと襖が開く。そこにいるのは若い娘、清右を一目見るなり声を上げる。


「あら、もしかして清右様ですか」

「そう言うあなたは……小町さん」


 さすがに三度目とあれば鈍い清右もすぐ気付く。小町は笑顔で清右の元に歩み寄ると明るい声で言った。


「まさか宰相殿御曹子の役とは思いもしませんでした。此度は端役とは言えませぬね。私の役は清右様の義理の姉。鉢かづきと嫁比べをする兄嫁です。もっともそれもお座成りのお芝居で終わるはずです」

「鉢かづきなら小町さんに主役を演じて欲しかったなあ。男の和扇さんじゃ似合わないよ」

「随分お口が巧くなられましたね。和泉様ともそのようにお話されているのですか」


 忘れていた名を聞かされて清右の胸がぎゅっと痛む。和泉、という単語聞いただけで涙が出そうだ。


「それよりも小町殿、客人がお見えなのであろう。早く通して差し上げたほうが良いのではないか」

「これは失礼しました。すぐ呼んで参ります」


 小町は軽く頭を下げると座敷を出て行った。程なく二人の女を連れて戻って来た。一人は頭に鉢を被っている。


「ただいま到着した、梵天殿。此度もよろしくお願いいたす」

「これはこれは和扇殿。やはり主役の鉢かづきであったか。してそちらのおなごは誰ですかな」

「いやだねえ、梵天、お横だよ。あたしゃ鉢かづきをいじめる継母の役さね。清右の話が聞きたくて和扇と一緒に来ちまったよ」


 お横は相変わらず自由気ままに振る舞っているようだ。いじめて追い出す役の継母が鉢かづきと行動を共にするなど、もはや物語として破たんしている。


「で、今回の清右は鉢かづきと夫婦になる四男坊か。結構いい役じゃないのさ」

「あ、はい。そうですね」

「どうした清右。元気がないな。もしや和泉なる女との仲がこじれてしまったのか」


 口調は男だが、これまでの役と違って声音は女だ。和扇の包み込むような優しい言葉を聞かされた清右、これまでずっと堪えてきた涙が一気に溢れ出した。


「わ、和扇さん、う、うっ、うわーん! ボクはもうお仕舞いだよおー!」


 大泣きする清右。なだめすかして理由を聞く四人。恋敵を陥れるどころか、大失敗をやらかして和泉に愛想を尽かされた話を聞かされると、口々に喋り始めた。


「そりゃ迂闊だったねえ。諦めな、清右。所詮あんたにゃ高嶺の花だったのさ」

「左様。これは取り返しのつかぬ失態。きっぱり忘れて新しい恋に生きるがよい」

「清右様、存分にお泣きなさい。泣いた後には必ず美しい虹がかかるものでございます」

「縁がなかったのでしょうな。一心に念仏を唱え、仏の慈悲に縋りなされ」

「ちょっと、他人事だと思って勝手なこと言わないでよ。こうなったのは和扇さんやお横さんや小町さんの忠告通りにしたからなんだよ。少しは責任を感じてよ、うわーん」


 そう言われて顔を見合わせる和扇とお横と小町。確かにその通りなので若干の負い目を感じているようだ。


「だったら素直に謝りなよ。土下座して詫びればその女も許してくれるんじゃないのかい」

「それができればやってるよ。和泉さんを前にするだけで緊張して言葉が出て来ないんだ」

「う~む、ならばここで稽古をしてみてはどうだ」


 和扇の言葉を聞いて清右は涙だらけの顔を上げた。


「稽古? ここで?」

「左様。拙者は鉢かづき。姫の姿形をしている。それゆえ拙者をその和泉とか申すおなごだと思い、詫びの稽古をするのだ。清右の真心が通じれば鉢は頭から離れ、この説話は終わる。通じなければ鉢は離れず、我らはこの説話から出ることはできぬ」

「で、でも和扇さん、姿は女だけど喋り方は男だから、ちょっと無理かも」

「ならば声音だけでなく言葉もおなごになりきろう。よいか、今から拙者は和泉だ……清右様、私をだましたのですね。何故そのような酷い振る舞いをなさったのですか」


 驚く清右。声が本物の和泉にそっくりなのだ。見詰めていると鉢かづきの姿まで和泉に見えてくる。


「ほらほら、何をしておられるのです。早く応えてあげられませ」


 小町に促され、清右は和泉となった鉢かづきに向かい合う。


「い、和泉さん。悪気はなかったんだよ。ただ君があんな男に利用されるのが我慢できなかっただけなんだ。盗聴も覗きも告げ口も褒められた行為じゃないけれど、それもこれも和泉さんのためを思ってしたことなんだ。それだけは信じて欲しい」

「されど私はこのように鉢を被った醜き姿。父も義母も世の者全てが、私を嫌い避けようとしております。清右様とて心の底では私を嫌っているのでございましょう」

「とんでもない。和泉さんの魅力は外見じゃないもの」

「そのようなお言葉信じられませぬ」

「本当だよ」

「ならば言ってくださいまし。和泉を愛していると。一生添い遂げてみせると」

「えっ、そ、それは」


 口籠る清右。相手が和扇とはいえさすがにその言葉は恥ずかしい。躊躇しているとすかさずお横が口を挟む。


「さっさと言いな、清右。言わなきゃこの話は終わらないよ」

「あ、愛しています、和泉さん」

「声が小さい!」

「好きです。他の誰よりも一番好きです!」

「天地神明に誓って嘘ではないのですね。一生和泉を守ってくださるのですね」

「誓います。ボクの命を賭して君を大切にします!」

「嬉しい」


 清右に抱き着く和扇。ひしと受け止める清右。その瞬間、頭の鉢がポロリと落ち、中からは実母が残した宝物が零れ落ちた。横で見ていた三人が歓声を上げる。


「見事やり遂げられましたね、清右様。現世でも今のような真心を持って和泉様にお謝りなされませ。必ずや許していただけるはず」

「頑張りな、清右。当たって砕けろさね」

「信じる者には必ずや仏の御加護が宿るはず。清右殿、いかなる時も自信を失ってはなりませぬぞ」

「は、はい」


 恥ずかしそうに答える清右。鉢かづきの姿をした和扇はまだ抱きついたままなのだ。


「あの、和扇さん。そろそろ離れてくれませんか」

「ん、ああ、すまぬな。役になり切ってしまっていたようだ。さて、これでこの説話も終わる。清右、次こそ良き話を聞かせてくれ。ここにいる四人が心より喜べる朗報を待っているぞ」

「ああ、そのことなんですけど、実はボクらの世では二日後が満月なんです」

「なんと、では説話の中に引き込まれるのは……」

「はい、これが最後です」


 清右の言葉を聞いた四人の顔が一斉に曇る。が、すぐに梵天が明るい声で言った。


「これこれ、皆の衆、そのように暗い顔をしてどうする。最後とあらば尚のこと陽気に見送るべきであろう。本来ならばここは嫁くらべを執り行うのだが、その代わりに別れの宴を開こうではないか」

「へえ~、梵天、坊主のくせに話が分かるじゃないか。そうと決まればさっそく支度に取り掛かるよ。小町、あんたも手伝っておくれ」


 お横が小町を連れて座敷を出ていく。さすがは牛鍋屋の女将、この手の話はノリがいい。


 ほどなく座敷は清右のお別れ会の場となった。「客」でない者たちも呼ばれ、皆、景気よく飲み食いに興じる。


「清右、満月を過ぎてもあたしのこと忘れないでおくれ」

「はい、お横さんのことは忘れたくても忘れられないと思います」

「和泉なるおなごとの良縁、神と仏に祈り続けておるぞ」

「梵天さんは僧侶ですから、祈るのは仏様だけでいいですよ」

「清右様、釣り上げた後は知らんぷり、なんて真似はしないようにしてくださいましね」

「もしかしてそれは小町さんの実体験ですか」

「清右、この半月の間、随分楽しませてもらったぞ」


 清右の両手をしっかりと握り締めて和扇が言った。清右もまた和扇の手を握り返す。この男がいたからこそ、四つの説話を無事乗り切れたのだ。


「それはボクも同じですよ、和扇さん。説話の中だけでなく本当のボク自身も、あなたのおかげで成長できたように思います。ありがとうございました」


 頷く和扇。笑顔の清右。薄れていく座敷の風景の中に身を置きながら、やはりあの奇書を手に入れて本当に幸運だったと、清右は思うのだった。

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